過去の2日に1回日記(旧・お知らせ)保管庫(2011年10月〜12月)
天と土の間 扉を開こう!
いよいよ、自分の人生の中でもかなり大きな出来事となるであろう、世界一周&ペルー・ボリビア旅行が始まります。23日間という期間は過去21回の海外旅行の中で最長。移動距離も当然最長で、行く場所自体が日本から見れば地球の裏側。そして、ペルーはともかく、ボリビアはまだまだ旅行者向けの施設なども少なく、観光や移動もかなり大変そうです。
でも、ボリビアは、小学生の頃、「世界まるごとHOWマッチ」でこの国を知ってから、いつの日か行くことを心に決めていた「約束の場所」。30年近い時を経て、何度も何度もガイドブックだけは買ったけど行くことができなかったその地に、いよいよ足を踏み入れることができる。さすがに、感慨深いものがあります。
そこで何が待っているのか分からないし、出会った後に何があるのかも分からない。もしかしたら、予想とは全く違う世界なのかもしれないし、嫌なこと、苦しいことがあるかもしれない。だけども、ボリビアの空も大地も、日本と同じ空と大地。「気を付けて行って来てね」と送りだしてくれたみんなとどこかで繋がっている。それを信じて、39年間にして初めての場所の扉、今、開きにいってきます!(2011/10/1)
10月3日〜23日はペルー・ボリビア旅行のため、2日に1回日記の更新はありませんでした。
「あり2匹」長い旅の終わりによせて
ペルー・ボリビアから、一昨日の晩、帰ってきました。昨日、今日はさっそくいつもの仕事。3週間もあいだがあいてちゃんと仕事ができるのか不安だったのですが、意外にもさくっと日常に戻ることができました。周辺環境って偉大だなーと改めて感じた次第です。
今回の旅、これまでとは違って、意外と日本人と一緒に行動することが多かったのが特徴的でした。リマ、ラパスを日本人宿にしていたのが大きかったのですが、これが一人旅ともよく知った友人との旅とも違い、実に面白かったです。ナスカの地上絵、マチュピチュ、ラパス市街、ウユニ塩湖の中のホテル、そしてまたラパスと、日本人の旅仲間がいました。逆に、日本人のいなかった、チチカカ湖やウユニ2泊3日でトラブルに見舞われたこともあって、同じ言語で思いや感想をすぐに意思疎通できることの心地よさを逆に痛感したというのもあります。もちろん、遠く地球の裏側だからこそできたというのも確実にあって、同じことを日本や日本人が多い海外ではとてもできないわけです。成田行きの飛行機が飛び立つカナダ・トロントの空港で日本人を見かけるとつい声をかけたくなってしまっている自分を見つけて、「逆にこの状況の方が孤独なのかもしれないな」と思ったり。なかなか、貴重な経験でした。
ナスカ、リマ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖、ラパス、オルーロ、ウユニ、ポトシ、スクレ。それぞれに思い出も写真もいっぱいあります。徐々にまとめていきますが、とりあえず一つだけ。
塩と空と自分以外何にもないウユニ塩湖の真ん中。きれいな塩の結晶を入手すべく、固まりをバリバリ割っていると、塩と塩の隙間に、羽蟻が2匹、じっとたたずんでいたのです。こんな塩しかない環境の中でも、生命は存在する。それも、2匹であれば、生きていける。びっくりしたようで0すぐに飛び立ってしまいましたが、ただひたすらに真っ白な世界の中、あの小さな黒い2つの点が、いまでも目に焼き付いています。
長期間のお休み、いろいろとご迷惑をおかけしました。徐々に社会復帰していきますので、今後ともよろしくお願いいたします。(2011/10/25)
ポコ・ア・ポコ
3週間のインターバルを開けての、いつもの日常。すんなりと戻れたような気がしていたのですが、午後5時を過ぎると突然、強烈な眠気が。それも「ちょっと眠いなあ」というのとはぜんぜん別物の、かなり強烈な、何か薬でも嗅がされたのかといったほどの強さでやってきます。コーヒーを飲もうが、外を散歩しようが、ちょっと体を動かそうが、ぜんぜん眠気のレベルが下がりません。もしかしたら、タイプがちょっと違うものの、これも「時差ぼけ」の一種なのかもしれないなあと。特に、水曜・木曜の飲み会中は何度もこの眠気に襲われており、関係者の皆様には大変ご迷惑をおかけしました。
これまで海外旅行の際、翌日から仕事にしておくと、ほとんど時差ぼけを感じることなく日常生活に戻っていけたのですが、今回は明らかに違います。やはり年なのか、あるいは13時間という大きな時差のせいなのか…。荷物整理、写真整理、個別の方々へのメール、中間発表会の案内&飲み会案内、お土産の発送、そして衣替えと、やりたい事はいろいろあるのですが、とにかくいまは睡眠時間確保を最優先にしつつ、少しずつ少しずつ、日常に復帰していくしかないようです。
ということで、いろんなこと、もうちょっとお待ちくださいませ。(2011/10/27)
傷こそがキラキラした思い出なのかもしれない
長かった1週間が終わりました。さすがに3週間休み明けの1週間勤務はしんどかったです。今日は夜まで特に用事がなかったので、ゆっくり睡眠をとった後、荷物の整理とかメールの整理とか写真の整理とかをのんびりと。だいぶ落ち着きました。
ペルーもボリビアも食事は美味しく、お米だの日本食だのも割と食べられる国なので食事で困ったことはなかったのですが、やはり戻ってきてからは洋食というよりは日本食に向いてしまいます。お昼はいつも外に食べに出ているのですが、今週はどちらかといえば金に糸目をつけずに名店を回っていました。その帰り、元町高架下を通っていると、所々に不思議な展示が。KOBEビエンナーレの一環として、空き店舗を利用した現代アートの展示がなされていたのです。ちょっと時間があったのでいくつか見てみました。その一つが、「時を紡ぐ」。壁の亀裂や天井の小さな穴、そして地面の細かな凸凹に蛍光塗料を塗り、それが光って見えるようにしているのです。今回のテーマ「きら kira」にふさわしい作品といえましょう。
暗く静かなこの場にいると、逆にいろんなものが見えてきます。そして確かにそれぞれの傷には思い出や記憶や生活が詰まっていて、それがキラキラと光っている。遠くから聞こえる街の喧騒、上から聞こえる通過する鉄道の音。そんな日常の一つ一つがなんだか愛おしく、大切なもののように思えてきたのです。慌ただしい昼休みの一時、貴重な時間でした。
これからピッコロ演劇学校本科生の中間発表会を見に行ってきます。演劇というのは百パーセントの完成度で幕が開くことも、百パーセントの満足感で幕が閉まることも、まずありません。様々な制約条件の中で、傷つき、苦しみ、喘ぎながら、何かを生み出していく作業です。そのなかで心に体に傷を受けることも多いかもしれない。だけれども、後から見ればその傷こそが、キラキラ光る大切なものなのかもしれません。
いざ、その場所へ。観客の私も、今年の本科生と一緒に。(2011/10/29)
1分の100にする作業
(ピッコロ演劇学校本科29期生中間発表会感想)
公務員、特に事務職の公務員というのはいろんな仕事を体験できるのが大きな魅力ですが、私は入庁直後、新聞記者のような仕事をしていたことがあります。広報課で広報誌の編集をしていたのです。企画を立て、現場に出かけて取材し、写真撮影をし、実際に文章にまとめて、ある程度のレイアウトをして、校正・色校をして…という作業を毎月やっていました。それまでも高校時代や大学時代、多少似たようなことはしていたのですが、一番びっくりしたのが、記事を書くために集めるネタの莫大さ。せいぜい4ページぐらいの記事を書くのに10センチ幅のドッチファイルが数冊になる、ということがざらだったのです。無数にあるネタの中から、その時その時の主題に最もあうものを選び、数時間にわたるインタビューの中から最も適切な一言を選ぶ…無駄なようで、そうしないとちゃんとした記事は生まれてこない、ちゃんとした記事は書けないということを、少しずつ掴んでいったのです。集めてきたものを10分の1、100分の1にする。それが記事を書く作業でした。
今回の本科29期生中間発表会のテーマは「Newspaper Stories」。目に着いた新聞記事をもとに、物語を引き起こし、想像し、それを演じていました。もちろん中には、残念ながら新聞記事に書かれた内容を越えることができなかった物語があったかもしれません。方向が違うかなというものもあったかもしれません。それでも、ほぼ2カ月の間、一つの記事を出発点に必死で考え、悩み、物語を紡いでいったことは確実に伝わってきたのです。記事を書く作業とは逆の、1を10に、1を100にする作業。膨大な情報の波の中、日常生活に必要な情報だけを精選していく中で、つい取捨選択されてしまいがち莫大な何かに目を向けていく作業。もしかしたら、台本のセリフからその人物を読み取る演劇、役者とはまさにそういう行為であり、だからこそこのテーマになったのかもしれません。十数年前の記者稼業をちょっとだけ思いだしながら、そんなことも考えていた土曜日の夜だったのです。(2011/10/31)
おまけ:ピッコロ演劇学校本科29期生中間発表会 個別の感想
あくまでも中間発表会ということで、いつもよりは厳しめに書かせていただきました。役者をやったことのない人間の意見ですので間違い・誤解も多々あるかと思いますが、一つの見方としてお許しください。
「御堂筋の赤い服」正直、バラバラ感が否めませんでした。集団としてのバラバラ感は演出と台本の問題点だと思うのですが、役者個人の中でも一貫した性格が演技中保てていなかったような気が…。一生懸命取り組んだのは良く伝わってくるのですが、最後まで迷いや議論を心に抱えたまま幕が開いてしまった感があります。ただ、一人ひとりがそれをちゃんと自覚してさえすれば、非常に良い経験だったのかなとも思うのです。中では、市役所先輩職員と芸大生2さんが、一貫した凛とした何かを持っていて良かったです。
「シンクロナイズ・ウィズ・アンドロイド」新聞記事からひも解いて、という意味では一番良く出来ていたと思います。役者さんのレベルも(特にふみこ・ふみえ)はさすがです。そしてマスターのギャグがほとんど滑っていなかったところも評価できます。ただ、時間の制約もあったようですが、やはり舌足らずだったなあと。下手をすると全出演者が背景になってしまい、繋がれたもの・繋げたものの心のうちまで入って行きにくかったのです。挨拶の時までアンドロイドを続けた演技力、ちょっともったいなかったかなと。
「さんじゅう〜アラサ―ボーイの自分探し〜」新聞記事そのままをやってしまった感がありました。いきおい、物語も表現も演技も表面的になってしまったきらいが。ステレオタイプには演劇ならではの面白さが絶対あるのですが、それを出そうとするなら、もっとテンション高く、テンポ良くやらないとダメです。特に上下(かみしも)交代でやる芝居はもっとテンションあげないと見ていられません。最後の会社シーンの生き生きとした姿を見るにつけ、やはりこのメンバーには全員芝居の方が向いているのかなとか思ったりもしました。
「うたの旅人」歌で綴る演劇。かなり異色ではありますが、演劇学校のカリキュラムには歌唱指導もあり、充分ありだと思います。この芝居はなんといっても雰囲気。決して感情を爆発させない落ち着いたセリフ。飛行機、酒場というシチュエーション。ゆっくりとした物言い・所作と綺麗な立ち位置。更に色を添えた、大川先生の素晴らしい照明。作品としての完成度は一番高かった気がします。ただ、良くも悪くも雰囲気で流すことができたので、個人個人の演技力はある意味、未知数…せめて最後のシーンの表情ぐらいは統一してほしかった気が…。
「わたし、まいっか宣言」題材と台本の構成力と演出(とりわけ立ち位置)、そして主役のあずみちゃんの演技力の勝利でしょう。前向き元気な話になるかと思いきや、いい意味で期待を裏切られました。ホワイトボックス3つの冷蔵庫→それを崩す、という使い方も見事です。個々人のの演技力はバラバラなのですが、それも包含して一つの話に作り上げていました。あえて言えば、ひかりプロジェクトスタッフのシーンはバサッと切って、個人個人のまいっか宣言に移っても良かったかなと。作品中でテンションをどうもっていくか、今後の課題かなと思います。
いずれにせよ、やっぱり本科の皆さんを見ているとうらやましいなあと正直思います。卒業公演まであと4カ月ちょっと。どんな世界を繰り広げてくれるのか、今回の中間発表会を見て、ますます期待が高まりました。楽しみにしています!
ピッコロシアター中ホール覚え書き
・中ホールは意外と横に長い。インディペンデント1st、2nd、ウィングフィールド、イカロス、KAVC、芸創館などと比べても、ピッコロシアター中ホールは上下が長い。そのため、役者の立ち位置、セリフをしゃべる位置、セリフをしゃべる方向に細心の注意が必要。お客さんも上下に広がって座っているので、例えば上手だけ、下手だけの芝居を長時間続けてしまうと、「ほっておかれた」「向こうで何かやっている」気分になる。逆に、群衆シーンなどで立ち位置がばっちり決まると非常に効果的。
・上に関連してだが、役者が舞台(アクティングスペース)に出た時の空気感の変化も、(全員の意識が一方向に向いている)舞台の狭い劇場に比べると、若干緩慢。登場した役者さん(あるいはもとからいる役者さん)がよほど注意して場の空気感を換えに行かないと、ぼんやりと舞台が進行してしまう。
・幕で通路を作っているが、そこを通る人の気配は、幕に触れて揺らしてしまうのは論外としても、意外なほど客席からも分かる。特に転換前スタンバイの人の動きは実によく分かった。狭い空間で舞台が台無しになるので十分な注意が必要。同じく、裏の控室の空気感も伝わってしまうので、ここにも注意。
・観客と舞台が近いため、照明変化・音響変化もかなり微妙であってもお客さんにはちゃんと伝わる。
・概してシビアな劇場ではあるが、だからこそ、全てがばっちりと決まった時には最高の効果を発揮するホールであると、改めて感じました。(2011/11/1)
友達の友達の友達の友達の友達の友達は70億人
昔はホームページ(HTML)だけだったインターネットツールも多様化し、最近は、ブログ・mixi・ツイッター・フェイスブックなどを併用している人も多いかと思います。私もホームページメインは変わらないものの、ツイッターでつぶやきつつ、mixiに日記を貼って、時々フェイスブックにも書きこんだりしています。ホームページとブログは不特定多数への公開情報というところで似ているのですが、mixiやフェイスブックはある程度クローズドなのが大きな違いかと思います。(ちなみにツイッターは実はほぼ完全公開です。それを意識していない人がかなり多そうですが…。)
中でもフェイスブックは実名登録が原則と言うところが他との大きな違いで、だからこそ、高校・大学時代の友人や会社の上司・同僚、市民演劇関係者など結構次々に見つけることができるのです。その機能の一つとしてあるのが「知り合いですか?」という表示。どうも友人関係や住所、趣味などをもとに表示しているようなのですが、突然意外な人を上げてきてくれます。「共通の友人○人」という表示も出るのですが、これを見ていると、意外なところで意外な人同志が繋がっていることが良くあるのです。「職場関係者」「高校時代の同級生」「ピッコロ関係の友人」の間であれば同じ地域なのである程度は想像つくのですが、「大学時代の同級生」と「ピッコロ関係の友人」やら、「職場関係者」と「つくば市民劇団関係者」やらが、決して有名人でもない、私の知らない特定の人物を媒介に繋がっていたりします。茨城県・兵庫県の距離や、あるいは年齢差もあったりして、なかなか謎です。解き明かしてみたい好奇心もありつつ、まさにプライベートなのでさすがに聞いたりはしませんが、本当に世の中って狭いんだなあということを改めて実感してしまいます。
どこかで「世界中の誰にも大体6人あればたどり着く」という話を聞いたことがあります。確かにそうかもしれません。たとえば地球の裏側、ブラジルの奥地にいる誰かにコンタクトを取ろうとすれば、例えばボリビアでお世話になったホテルオーナーやパラグアイに留学していた筑波大時代の友人、あるいは職場の現地事務所などを通じていけば何とかなりそうです。アフリカは多少しんどいですけど、それでも高校時代の同級生で世界中飛び回っている人やら、ご主人が国際機関に勤めている友人やらを通じていけば、まあ、繋がるでしょう。そう考えると世界というのは大きくもあり、小さくもある。そんなことをパソコン上で感じている、今日この頃なのです。(2011/11/3)
CiTY、そして光の庭−KOBE
懸案だった「神戸ビエンナーレ」に行ってきました。今回はメイン展示の神戸ハーバーランド・ファミリオ会場です。JRが人身事故で不通だったため、振り替え輸送ということで、久しぶりに地下鉄海岸線に乗ってハーバーランドに向かいました。海岸線開業10周年とのこと。もう日韓ワールドカップからそんなに経つんですね…。
会場内にはもともと海上コンテナで作る予定だった現代美術作品ですが、今回は東日本大震災の関係で屋内展示に。確かに、こんな使い方やこんな使い方もされているので、世界的に足らなくなっているのかもしれませんね。ただ、屋外展示を前提とした作品が多かったため、そういう意味ではちょっと面白みに欠けるというきらいがあったのは事実です。ファミリオの有効活用という裏テーマもあったような気がしますが、ぜひ2年後はまた屋外に戻してほしいなと思います。
それぞれに面白い作品やら考えさせられる作品がありましたが、やはりレベルが高いなと思ったのは「文化庁メディア芸術祭ネットワークス」でした。eスポーツグラウンドはそばで見ていても楽しかったですし、他の作品もさすがに高レベル。またアニメーション部門の受賞作品をずっと流しており、結局90分間見てしまいました。中でもいいなあと思ったのが"CiTY(2010,KIM Young-geun/KIM Ye-young)"。一見無機質に見える都市というのは実は人々の集合体であり、そこには何千、何万、何十万という人びとの営みがある。つい忘れてしまいがちなことを、「全ての無機質を取り払う」という作業によって見事に表現していました。これと似たコンセプトの作品として、コンテナ展示の一つに"光の庭-KOBE(2011,小原典子)"があり、「神戸の夜景の光一つ一つは、町で暮らしている人々の明かりである。」とあります。
今回の神戸ビエンナーレのテーマは「きら kira」。CiTYはビエンナーレのために作られた作品ではないものの、芸術なり表現なりというのは、最後はやはり「人」に行きつくのかなとか、改めてそんなことも感じたのでした。(2011/11/5)
空気というのは作ろうと思って作れるもんじゃないけれど
(ピッコロ演劇学校研究科28期生/舞台技術学校20期生中間発表会感想1)
研究科の中間発表会に行ってきました。結構いろんな方といろいろと議論をしたので、逆に書くのが難しくなっているのですが、一応まとめの意味も込めて、まずは演技の方から。
いきなり結論になってしまうのですが、今回は一つの主題のあるお芝居・演劇を作るというよりは、エチュードを組み合わせた形のお芝居・演劇だったのだろうと思います。前回の「8人の女たち」は原作が有名なお芝居で、ほぼ全員出ずっぱり、さらに内容もサスペンス仕立てだったのですが、今回の「阿修羅」はもともとがテレビドラマだったということもあって、複数の2〜3人のシーンが組み合わせていく内容でした。舞台上のエリアを区切って、様々な人間模様が繰り広げられていくのです。いきおい、なんとなくバラバラな気もしてしまうのですが、それぞれのシーンはそれぞれのシーンとして、しっかりと作られていたのはこちらにも伝わってきました。そういう意味で、芝居としての一体感やまとまりに若干の物足りなさを感じなくはないものの、それぞれの出演者がきちんと自分の役割や役柄を理解し、それに取り組んでいるという姿勢は、これまで以上に見えた作品であったと思います。「『公演』ではなく『中間発表会』」という趣旨が(賛否両論あるにせよ)改編3年目にしてようやく浸透してきたのかもしれません。技術学校と合同という制約も大きいのでしょうが、だからこそ、色々なエピソードをあえて削らずしっかりとやった、やらせたのかなとも思ったのです。(たとえば火事のシーンなどは削っても本筋には支障ないのだけれどもちゃんとやる、とか。)
役者さんですが、今回、OB・OGの中でも一番評価が高かったのは、まちがいなくボクサー役のTくんでしょう。普段の彼を知っている人にとってはびっくりでしたが、ちゃんとボクサーに見えてくるので不思議なものです。最後に咲子と出てくるシーンでの何かをふっ切ったような姿からも、95分の中でちゃんと役を理解し、役に生きているのが良く分かります。ボクサー、咲子、そしてスナックの女の3人は、個人的にはかなり高評価。演劇学校でやるには&芝居としてやるにはなかなか微妙なシーンも多々あるのですが、だからこそ3人ともそれぞれに覚悟を決めて、しっかりと役と場面に取り組んでいたのかなと思いました。あとは、女子校生2人のシーンでしょうか。シーン自体の良さもありますが、あの2人の空気の作り方は鬼気迫るものがあり、会場には100人以上のお客さんがいるにもかかわらず中ホールの空気を見事に凍らせます。後に続くふじと巻子のシーンの緊張感を否応なく高めていました。
これまで研究科と言うと、全員女性、人数もせいぜい10名前後でした。28期生は総勢16名、中には男性が5名もいます。これまでの研究科は良くも悪くも濃厚な人間関係が傍からも見え、それが芝居の空気にも映し出されていました。若干慣れ合いかもしれないけど、でも一体感がにじみ出ていたのです。人間が16名もいると、同じことは(例え全員が女性であったとしても)とてもできないはず。だとすれば、演技の上での一体感や逆に孤独感はどう見せていけばよいのか。芝居を取り巻く空気感・一体感を、仲良しこよしだからではなく、演技・役者としてどう作っていくのか。プロやそれに近い人々であったとしてもなかなか解決できない問題のような気もしますが(その解の一つが「劇団」という組織なのかもしれませんが)、演出家の力も借りながらぜひチャレンジしていってほしいなと思いました。きっとどこかには答えがある気がします。
それぞれの人の演技力や表現力、そして会話のキャッチボールは、明らかにレベルアップしています。次は、いかにして全員で「一つの芝居」の空気を作っていくか。卒業公演、楽しみにしています。(2011/11/7)
阿修羅が覗く、シンメトリーで非シンメトリーな舞台装置
(ピッコロ演劇学校研究科28期生/舞台技術学校20期生中間発表会感想2)
さて、スタッフ関係ですが、照明・音響はやはり門外漢なので、舞台美術のお話を。(ちなみに、照明は少ない灯体数で素晴らしく効果的な明かりでしたし、音響も元気に思い切りよく良くオペされていたと思います。まあ、細かいミスはいろいろと目に着きましたが、これも経験。卒業公演ではぜひリベンジを!)
今回の舞台美術、本当によく考えられていたと思います。一見すると上下にシンメトリーのパネル(これはこれでなかなか素敵)が立ち、一番高いところの通路に赤いパンチが敷いてあるだけの単純な舞台に見えるのですが、私は2回見てやっと、この舞台が実によく考えられていることに気づきました。
実は今回の中間発表会、前回・前々回とは違い、本科と共通の舞台を使用する必要がなくなりました。これまでは本科との共通舞台だったため、あくまでも休憩時間で転換できる程度の舞台装置しか作ることができず、さらに奇抜なアイデアはそもそも採用不可能でした。今回は本科と研究科の公演日が別になったため、その制約が外れたのです。ですが、新たな制約もあったように思います。真っ先に感じたのが「出演者の数の問題」。私自身、これまで何度となくピッコロ中ホールでのお芝居を見たりやったりしてきましたが、一度に16人もの役者さんが、それぞれそれなりの役を持って出てくるお芝居というのは、多分これまでなかったと思います。明らかに中ホールのアクティングスペースにとって、16人という数は多いのです。さらに、16人がそれぞれお客さんを呼ぶことも考えると、客席数もかなりの数を確保しておく必要があり、さらに舞台に使えるスペースは狭くなってきます。狭い空間の中でいかに多くの役者さんのアクティングスペースを確保するか…その答えとしてひな壇形式をとったのは、おそらく最適な解であったろうなと。
そして今回の舞台最大のポイントは、基本的にはシンメトリーを描いた舞台の中であえてそれを崩している上手・下手の2つの花道状の1尺4寸高の二重。幅が上手側は4尺、下手側は3尺にしてあり、さらに上手側は4尺×10尺のスペースに切り込む形で上がりかまちがあり、下手側は普通に階段になっています。ここだけあえてシンメトリーを崩している(それも安定感のあるものをあえて下手側ではなく上手側に置いている)ことによって、舞台装置全体に不思議な緊張感と不安定感を与えているのです。阿修羅を象徴したパネルなどはシンメトリーで製作されているだけについつい他もシンメトリーにしたくなりがちなのですが、あえて崩した。そこに相当高い芸術性とこの台本への深い理解を感じたのです。
最初に原作を読んだ時、これは結構どろどろしたお話になるのかなと思っていました。しかし、結果として演技も照明も音楽も、わりとあっさりしたものになったと思います(ちなみにテレビドラマはどろどろで、映画はあっさりだったそうです。どちらの方法論もあるということなのでしょう)。しかし、いくらあっさりとした人間関係に見えても、実はどこの奥に潜む不安定さや悲劇や阿修羅が顔を出している。そんな作品の主題を見事に表現し増幅させた今回の舞台美術。技術学校2年目の方が多いとはいえ、さすがだなと感心させていただきました。卒業公演の舞台美術もこのようなシンプル・抽象系で行くのか、はたまた全く違う世界を作り上げてくれるのか…一卒業生としてだけではなく、一演劇好きとしても、本当に楽しみなのです。(2011/11/9)
神なき国のすべては喜劇である
(ピッコロ演劇学校研究科28期生/舞台技術学校20期生中間発表会感想3)
なんだかまた、新聞紙上(というかネット上)をナベツネさんの話題が通り過ぎています。今回は、球団代表の内部告発ですか…。清武球団代表はもと新聞記者ということでこういう行動に出られたのかもしれませんが、ある意味、組織で働いている立場から見ると良く分からないところもあります。法令に違反するようなことをしたならば「コンプライアンス違反」というのも分かるのですが、いま報道されていることや彼の声明文全文を読んでも、正直それほどのこととは思えない部分もあります(もちろん関係者にとっては大事なのですけど。でも、偉い人にとってはそんなことは関係ないですもんね)。組織人であれば、決して物事が全て規定通りに決定するわけでも、全員が同じ発言権を持っているわけでもないことは分かっているはず。そもそも、組織とか社会とか会社とかビジネスとかはそんなもんだし、しょせんそんなもんなんです。それが嫌ならば組織から離れて一匹狼でやっていくか(その方が理不尽なことも多いと思うけど)、逆に組織の方を欺いてその中で泳いでいけばいいだけ。そこまで偉くなっておいていまさら何を言っているのと。ある意味、喜劇だなあと。
最近読んだ本の一つが、石川知裕氏の「悪党―小沢一郎に仕えて」。確かに、小沢一郎の素顔というか、ある意味卓越した人物であることは良く分かりました。ただ、非常にひどい言い方をしてしまえば、彼が残したものというのは、少なくとも表面上はあまりないのです(小選挙区と官僚の国会答弁禁止ぐらい?)。政策の素晴らしさや実行力よりもむしろ、常に「将来、強大な権力を持つかも」という期待感の光背効果で、物事をその場その場で切ってきたとしか、残念ながら見えないのです。もちろん政治家というのは単に制度を作るだけでなく、その場その場の国の舵取りも重要なのはその通りなのですが…。そんな彼も刑事裁判と誰にでも公平にやってくる寄る年波の中で、少しずつ消えようとしています。ある意味、喜劇だなあと。
先日の研究科中間発表会「阿修羅〜喜劇と悲劇の狭間で〜」の最後、「虞美人草」の最終章(いわゆる「ケツ」)が群読されました。これが、なかなか印象的な文章でした。「問題は無数にある。粟か米か、これは喜劇である。工か商か、これも喜劇である。あの女かこの女か、これも喜劇である。綴織か繻珍か、これも喜劇である。英語か独乙語か、これも喜劇である。すべてが喜劇である。最後に一つの問題が残る。――生か死か。これが悲劇である。」流石の名文です。
ヨーロッパやら南米やらを回っていてよく思うのが、教会というのはなかなか興味深い場所だなあということ。人間の原罪を引き受け、十字架にかけられ、まさに死にゆくイエスの像が教会の中にあり、そこでは否応なしに死というものに向き合うことができる。向き合わされる。でも、今の日本からは死の匂いや気配というのは極力排除されてしまいます。まさに「日に日に死に背いて遠ざかる」状況なのです。神なきこの国で、何を思い、何を信じて、喜劇を自ら演じ、また悲劇を自分の中に受け入れていけば良いのか。今回の作品、登場人物のほぼすべてがその姿を明確に示さないままに幕が閉じられます。だからこそ、なおさら感じてしまったのです。
今回はあくまでも中間発表会。そのようなことを訴えたい演劇ではなかったのかもしれません。ですが、南米旅行のすぐ後だったということもあり、個人的にはそんなことも感じていたのです。(2011/11/11)
列島に輝くB1の星たち
姫路で開催されていました「第6回 B級ご当地グルメの祭典! B-1グランプリin姫路」、51万5千人という2日間イベントとは思えないほどの参加者数を集め、無事閉幕しました。とうとう3日間で50万人という日本最大のイベント・コミックマーケットを追い抜いてしまったかもしれません。日本最大級のイベントの一つといっても過言ではないかと思います。関係者の方々のご努力に改めて敬意を表するとともに、この機会をぜひうまく活用してさらなる姫路・兵庫の発展につなげていってほしいと切に希望します。
さて、今回の順位ですが、「▽1位ひるぜん焼そば好いとん会「ひるぜん焼そば」(岡山県真庭市)▽2位津山ホルモンうどん研究会「津山ホルモンうどん」(岡山県津山市)▽3位八戸せんべい汁研究会「八戸せんべい汁」(青森県八戸市)▽4位 浪江焼麺太国「なみえ焼そば」(福島県浪江町)▽5位今治焼豚玉子飯世界普及委員会「今治焼豚玉子飯」(愛媛県今治市)▽6位石巻茶色い焼きそばアカデミー「石巻焼きそば」(宮城県石巻市)▽7位熱血!!勝浦タンタンメン船団「勝浦タンタンメン」(千葉県勝浦市)▽8位十和田バラ焼きゼミナール「十和田バラ焼き」(青森県十和田市)▽9位 日生カキオコまちづくりの会「日生カキオコ」(岡山県備前市)▽10位あかし玉子焼ひろめ隊「あかし玉子焼」(兵庫県明石市)」となりました(参考)。ひるぜん焼きそばは前回のプレ大会で食べており、昨年度の全国シルバーグランプリで、支部大会でもゴールドグランプリ。供給スピードと量が多いのも魅力で、堂々のゴールドグランプリといえるでしょう。他は、隣県岡山県と開催地兵庫県、そして東日本大震災復興支援という意味もあってか東北ばかりとなりました。そんな中で、健闘したのが、「今治焼豚玉子飯」と「勝浦タンタンメン」。勝浦タンタンメンは未経験なので、これはぜひ食べてみないといけませんね。
今回感じたのは、日本というのは何とさまざまな食のバラエティに富んだ国なのであるかということ。「秘密のケンミンショー」はちょっと無理に発掘過ぎな気もしますが、本当にその地域でしか食べられていないもの、その地域では常識だけど他の地域では非常識なことというのは、まだまだたくさんあるはずです。おそらく食だけでなく、さまざまな生活様式や文化に違いがあるのだろうと思います。そんな多様性のある地域が一つの国にまとまっていることの幸福を思うとともに、このような多様性をいつまでも大切にする国であってほしい、大切にする国としていきたい。そうあらためて感じた、B−1グランプリでした。(2011/11/13)
廃墟の中の透明感と浮遊感
先日の日曜日、和歌山県は友ヶ島への撮影会について行っておりました。こういうのもコスプレというのでしょうか。特定のマンガやアニメのキャラクターに扮するのではなく、自分たちで作ったオリジナルの女学生風制服を着ての撮影でした。僕は撮影するわけでもなく、もちろんモデルになるわけでもない(笑)ので、単なる同行者というかアシスタント兼荷物持ち。ツイッター上で話が盛り上がってしまった行きがかり上というのもあったのですが、プチ廃墟ファン(?)として久々に友ヶ島へ渡る口実にしてしまったというのが正直なところかもしれません。あと、そもそもコスプレ撮影とはどんなものかとか、久々に本格的な写真撮影現場の雰囲気に触れたいというのもありました。
友ヶ島はいろんな撮影スポットがあるようなのですが、一番メインの「第3砲台跡」で撮影開始。友ヶ島は旧日本軍の要塞。第二次世界大戦後は使われることなく、廃墟となりました。ただ、廃墟と言えば廃墟なのですが、とっても綺麗なレンガ造りの建物がほとんど崩壊することなく、きちっと残っています。この雰囲気には確かに女学生風のワンピースがぴったり。雰囲気を調べて服装を決められたそうですが、さすがです。
「第3砲台跡」は友ヶ島観光のメインスポットで普通の観光客の方も来られるのですが、ピークシーズンではないためかそれほど多くなく、撮影にはほとんど支障ありませんでした。もう1組、撮影の方(「深夜隊」だそうです)がいたのですが、語ることはなくとも適度に譲り合い。合法的に廃墟で撮影可能という点でも非常に利用価値が高いです。モデルの女の子たちのがんばりとカメラマンさんの腕とで、時の流れとともに、透明感を感じさせるなかなか素敵な写真が撮れています。今見ても、つい数日前に実際にその場所にいて、みんなでワイワイと撮影していたのがうそのよう。この現地と戻ってきてからのギャップ、現実離れした浮遊感がコスプレ撮影、そして廃墟撮影の醍醐味の一つなのかなと、ちょっとだけ感じたのでありました。(2011/11/15)
※なお、写真はあえて顔などが暗くなって分からないものを選び、サイズも小さくして掲載していますので、ご了承ください。実際に他の写真ではもっとばっちり、かわいく写っています。
トゥモローランド、そして夢がかなう場所
面白いブログの記事を見つけました。「テクノロジーの大衆化に追いつけていないディズニーのテーマパーク」です。TDLのスター・ツアーズが2013年の春、3D化されるニュースから、そもそもディズニーランドのテクノロジーが世の中に追い付いていないのではないかとの問題提起をしています。確かに、私も先日、USJに行った時にほぼ同じことを感じました(日記)。USJも開設から10年間で、開設当時のアトラクションは相当に陳腐化して見えるようになってしまっているのです。
ただ、逆にいえば、それだけ世の中が進んでいることの証拠でもあります。パーソナルロボット、コンピュータ制御の油圧装置、大画面薄型テレビ、電気自動車、ARやVR、強化ガラス…。新しい技術を生み出し、コストカットし、市場に登場させる。一つ一つに、多くの人の強い思いと情熱、そして夢と希望と失敗と落胆が積み重なっています。そして、そんな技術や製品も日常になってしまった途端、もはや「夢」ではなくなってしまうのです。某大型テレビ工場のように、むしろお荷物として扱われかねません。若干さびしい気もしますが、それでも新しい技術や製品によって、僕たちの日常と世界は、確実に楽しく便利な方向に向かっている。20年前、トゥモローランドで感じることができた未来に近付いている。一見陳腐化したように見えるアトラクションを振り返りながら、そう確信しています。
そんな技術開発、イノベーションのお仕事に、文系人間でありながらも多少なりとも携われることの喜びを感じるとともに、いつまでもこの国がそういう新しい何かを生み出す源泉、夢をかなえる場所であってほしいと思っているのです。(2011/11/17)
「二十歳の原点」とブログ、ツイッター、フェイスブック
先日、何かのきっかけで、「二十歳の原点」についてネットで探していました。すると、かなり分かりやすくまとめたページ(1669-1972 連合赤軍と「二十歳の原点」)があったのです。以前原作も読んだことがあり、さらに理解できた気がします。
作者の高野悦子さんの文章力や感性が高いのは当然なのですが、逆に思ったのが、彼女レベルの文章やら感受性を持っている人は私の周囲に結構いるということ。私の周囲には心理学とか演劇とか、人の内面に興味の持つ人が多いのですが、それにしても、これぐらいのことを書いたり表明したりできる人はいくらでもいるなあと。で、気付いたのですが、逆にそう思えるのは、最近はブログだのツイッターだのフェイスブックだので、意外と他人の思いに触れることができるようになったからなわけです。昔は「本人の死亡」でしかこのような日記は出てこなかったけど、普通の個人が自分の(かなりプライベートな)思いを文章にして他人に伝えることのハードルが思いっきり下がっています。
その一方で、学生運動やら党派性の問題やらはともかく、社会や両親、そして異性関係や自分自身に対する悩みというのは40数年たった今もあまり変わっていないんですよね。真面目なことを語った後に、最後にちょこっと茶目っ気のある文章を書いてしまうのも一緒。ネットのある時代、表現方法は変わったけれど、表現内容や考え方は変わっていないんだなとか、改めて感じました。
ただ、そういう面白いブログだのツイッターだのの持ち主が基本的にはほとんど女性というのも事実。男性だからそういう悩みがないということもないわけで(男性でも脚本家などには面白いものが時々あります)、もうちょっと男の子も文章を書くのに慣れようよととか思わなくもない、今日この頃なのでありました。(2011/11/19)
ここから出て眺めた町と人はちょっと違って見えて
(アイホール演劇ラボラトリー公演「夜ニ浮カベテ Re:build」感想)
伊丹アイホールが主催する演劇ワークショップに集まった14人で作った事実上の卒業公演。しかし、発表会とは全くレベルの違う、明らかに一つのしっかりとした作品がそこに生まれました。
北海道は函館の夜景の見える展望台が舞台。展望台は、時には宇宙船になり、ロープウェイのゴンドラになり、金色のレコードになり。そこで繰り広げられる、5つの物語。一つ一つが同じ町の出来事として、少しずつ重なりあっています。そして、その周囲で、まるで夜景の一つ一つの灯のように繰り広げられる、静かで、でも存在感のあるダンスと演技。仲良しこよしの一体感ではなく、一つの作品世界を形作るという意味での一体の空気感が確かにそこにはありました。主題を決して押しつけてくることもなく、でも観終わった後には町と人とがちょっと違って見える。そんな作品だったのです。
ラボラトリー第1期生の14名の方、それなりに演劇経験の長い方が多いのは多かったようです。私の知っているお二人も相当なキャリアの持ち主でしたし、それ以外の方でも気になった方の名前で検索してみたところやはりいろいろと引っかかりました。それでも、半年程度であれだけの作品を作り上げたのはすごいなあと。もちろん、関西きっての豪華スタッフ陣の助けがあったことは間違いないのですが、その音響・照明・舞台もしっかりと自分たちのものにして、作品になっていました。出演されたそれぞれの方の、今後ますますの活躍を大いに期待しています。
最後にもう一つ。今回改めて感じたのがアイホールの凄さ。1回目、決してプロ対象ではないワークショップ形式であるにも関わらず、出してくるのがこれですからね。ほんと、アイホールとピッコロシアターが両巨頭として、さらに阪神間・兵庫・関西の演劇シーンをひっかきまわしていってほしいものです。そして、また来年、演劇ラボラトリー2期生がどうなるのか、今度はどんな世界を作り上げてくれるのか(そして知り合いの誰が出てくれるのか)も大いに楽しみにしているのです。(2011/11/21)
たとえばそれはコメディで たとえばそれはシリアスで
(LINX'S -03- Aチーム感想)
普段は同じ舞台に立つことはないそれぞれに特徴を持った各劇団が、それぞれ20分ものの短編を持ちよって上演する「演劇ソリッド・アトラクション LINX'S」。今回は8劇団がAチーム4劇団、Bチーム4劇団に分かれてそれぞれの作品を上演しました。更に、SMASH-ACTとしてダンスパフォーマンスがあったり、スペシャルゲストが出てきたりと実に盛りだくさん。A・B通しで見れば5千円ですが、全部で10個近くの物語を一気に体験できるわけで、かなりお得感も強い公演でした。19日(土)にAチーム→Bチームと見てきましたので、まずはAチームの感想から。
匿名劇壇『救世主』:近畿大学芸術学科の学生劇団。学生らしい元気さやバタバタ感も持ち合わせながら、でもしっかりと考えていること、訴えたい事に正面から取り組み、提示している。なかなかの佳品でした。役者さんたちはどなたも個性的で良いのですが、やはり眼目は救世主・松原由希子さんでしょう。セリフが一切ない彼女の視線と体の線だけでの演技、その潔さがこの作品に強烈なインパクトを与えています。
月曜劇団『月曜劇団の会議は踊る』:前の劇団とはうって変わって、プロフェッショナルな空気漂う技巧的なドタバタコメディ。ドタバタなんですけど、完全に演出なり演技なりで作り上げているのが良く分かるんですよね。でも、そのわざとらしささえ、面白い。ただ、ものすごく面白かったという感覚はしっかりと頭の中に残っているのですけど、いまいちお話が残っていないんですよね…。ごめんなさい。まあ、楽しい時間を過ごせましたし、完成度という意味では4劇団中で一番だったかもしれません。
伏兵コード『常吠ゆ』:とっても深刻かつシリアスな演技。こういうのを出してくるからこそLINX'Sは単なるお祭りではないのでしょう。借金取りに追われる兄と、それにずっと引きづられてきた妹との、一夜の出来事。うらびれたアパートの一室なのか、あるいは古びた日本家屋なのか。何もない素舞台が役者の動きで暗く重く色づいていきます。現実よりもシリアスで真実味のある人々の言葉と表情と動き。一片の嘘も介入できない世界。役者志望者にぜひ見ていただきたい作品でもありました。
May『将棋王』:一転して、客席も巻き込んでのマダン劇。チャンゴなど韓国の楽器も多数登場して賑やかに。お話の「将棋王」自体は単純なお話(敵国の王様に将棋に熱中させ、その間にその国を攻撃する…)だったのですが、いろんな方が舞台に上がったり、客席を「上手国」「下手国」に分けて声かけをさせたりと、Aチーム最後にふさわしい盛り上がりを作ってくれました。メインの役者さん男性3人はなかなか面白かったので、真剣なお芝居も一度見てみたいものです。
ある方がツイッターで事前につぶやいておられましたが、Aチームは「フルコース」。たしかに全く毛色も作風も雰囲気も違う4劇団でした。おそらくプロデューサーの石田1967さんの「演劇にはこんなに様々な表現方法があるのだ。他の手法の演劇も見てみては?」という思いがこもっていたのではないかと思います。私も演劇に多少携わっていて思うのですが、演劇をやっている人というのは意外なほど他のジャンルの演劇を見ていないものなのです。たとえば、小劇場界の出世頭と言われるキャラメルボックスも、「高校演劇では見たことあるけど、実際には見たことない」という人が意外なほどいます。それでは、さすがにもったいない。あれだけの観客動員をし、それなりに芸能界にも役者を輩出しているのは、それ相応の理由が必ずあるのです。宝塚歌劇もしかり。
もしかしたら、だから、MCの女性が演劇集団キャラメルボックスの稲野杏那さんなのかな?ともあれ、そんなプロデューサーの思いも感じたAチームでした。(2011/11/23)
アンテナを張って ひとつ残らず食べちゃおう
(LINX'S -03- Bチーム感想)
引き続きBチームの感想を。(なお、次回、ゲストの感想と全体の感想を書いて終わりにします。)
彗星マジック『死語の世界』:大好きな劇団、といいつつ、実は「定点風景」以外を見るのは初めて(笑)。期待と不安を持ちつつ見たのですが、やっぱり大好きでした。銀河鉄道の夜のような世界の給水士さんのお話。いろんな言葉が死語になって、どこかの世界へ消えていく。日常や戦争という言葉までも。でも、そんな言葉を送りだしている自分が感じている「孤独」は確かにここにある。『引き続き、よい旅を。バンザーイ、バンザーイ。』 なんで勝山さんってこんなに孤独で凛々しい女の子を描くのがうまいんでしょうね。正直、ズルいですなあ。
笑の内閣『「太陽の一族」と「太陽に起立」』:職業柄どうかと思いますが…当然わたくし、こういうの大好きです!本当に。ある意味、「ザ・ニュースペーパー」的ですが、題材・内容ともに何倍もやばい気も。ちなみに今回は、「ある高貴な御一家のお話」と「自分は日本第2位だと思い込んでいるある地方都市の政治のお話」の2本立てでございました。単に題材が面白いだけでなくて、ちゃんと言葉遊びになっていたり、言葉の掛け合いがあったりと、基本的な演技力も高いのかなと。これは今後も見に行きたい劇団が増えました。
ババロワーズ『AUTUMN LEAVES』:昔からある劇団という印象が強いババロワーズ。でも、ちゃんと見たのは多分初めてです(客演で出ている方は何度かありますが)。綺麗で演技力もある4人の素敵な女優たちが、思いっきりバカなことをやる20分。ナンセンスでハイセンスで、メルヘンチックでメンヘルチック。これぞLINX'Sのためのお芝居というまとまった作品であってように思います。ちなみに、タイトルを聞いて「このタイトルだったら、絶対どこかに『枯葉』が流れるな」と思ったのですが、最初から最後までずっと『枯葉』でした(苦笑)。
ゲキバカ『4匹のゲキバカ』:これもコメディです。元ネタは「謎の組織によって体を小さくされた見た目は小学生の探偵が、殺人現場に行って事件を解決する」という某マンガ(笑)。私は元ネタのマンガをそれほどよく知らない(&プロデューサーの石田1967さんの実態もよく知らない)のですが、それでも十分に面白かったです。とにかく一人ひとりのキャラクター作りにぶれがない。そして、ギャグの中でも垣間見せる真面目な演技の迫力。本物ならではなのでしょうね。ここも本公演を見に行ってみないといけないなあと。
ツイッターを確認したところ、Aチームは「フルコース」でBチームは「ラーメン」。これは、上原日呂さん(月曜劇団)のツイートに対抗して笑の内閣総裁さんがツイートしたみたいです。いずれにせよ、なかなか上手いたとえではあります。Bチームはそれぞれに独特かつ濃厚な世界なので、(特にAチームから)一気通貫にみるとさすがにちょっと満腹感強すぎたも。でも、一度に一気に食べてみると、逆にそれぞれの良さも分かってくる。そして、それぞれにもう一度しっかりと味わいたい気分も生まれてくる。すっかりプロデューサーさんの術中にはまっているのかもしれませんが、それすらも楽しいイベントなのです。(2011/11/25)
大切なのは やり続ける勇気と覚悟
(LINX'S -03- ゲスト&全体感想)
先に、19日に見た2つのゲストの感想を書いておきますね。プレミアムゲストの「テノヒラサイズ」さんとSMASH ACTの「DACTparty+」さんです。
テノヒラサイズ『テノヒラサイズの吸血鬼』:怖いもの見たさで吸血鬼の住む館に探検に入った男女7人。出て来てみると、うち6人は吸血鬼に噛まれてしまっており、人間のまま残りそうなのは1人だけ…というお話。そもそも脚本が面白く、それを演じる人々もとっても上手かったのは事実。ただ、自分にとっては全8作品の最後だったので、ちょっと疲れていたのか「面白かった」以上の感想が残っておりません。オチが面白かった気もするのですが、憶えていないです。ごめんなさい。
DACTparty+:普段は演劇をやっている役者さんの中でダンスの心得のある人々が集まって作ったユニットのようです。まるで本職のダンサーではないのかというほど高レベル。オープニングの機械的な動きや怪しい体の動き、そして途中のダンスもとってもかっこよかったです。19日は日替わりゲストで女性4名が出ていたのですが、どの方のダンスも実に高レベル。そして良かったのが、ダンス自体が物語になっており、ノンバーバルでも粗筋がちゃんと分かること。演劇的なダンス、さすがでした。
ということで、私にとっての初LINX'Sは終わりました。想像以上に面白く、また想像以上に疲れた気がします。でも、決していやな疲れではなく、頭の中が総回転した後のような心地よさがありました。普段から演劇を見慣れていないと若干しんどいかもしれませんが、このイベント、十分みる価値があります。さすが、演劇好きのサラリーマン・石田1967年さんが観客の立場から選んだだけのことはあるなと。
今回のテーマは「SUN」だったそうです。あまりテーマにそっていない作品もありましたが、せっかくのイベントですのでもうちょっと一つの題材を様々な側面から切り取る仕掛けがあっても良かったかなと。次回はLINX'S04なので、例えば「死」とか。コメディ演劇で取り上げられた「死」。パロディ演劇で風刺された「死」。ファンタジー演劇で描かれた「死」。シリアス演劇で取り組まれた「死」。次はどう料理してくるのか、劇団の色が明確に出て楽しそうですし、演劇の多様性と可能性を改めて認識できるような気もします。もちろん、4→「死」はあまりに短絡的すぎるので、「四季」とか「起承転結」とかもいいかもしれません。LINX'Sにはお祭り的な側面もあるので、もっとテーマを前面に押し出してもいいかなと感じました。
2回の番外編も含め、これまでLINX'Sとして計5回の公演を行ってきたそうです。来年の日程(5/18-21)も決まり、とうとう東京に進出するよう。それも方向性としてはいいことだと思います。ただ、いろんなイベントが大きな分岐点に立つのが5回前後。周囲で支えてくれる人の助けも借りつつ、ある程度は組織化・制度化の方向を模索しながら、いつまでも、この関西小劇場界に不可欠なイベントの一つとなりつつあるLINX'Sを続けていってほしいなあと、心から願っているのです。(2011/11/27)
2011年、最低な現実から再び生きはじめること
(演劇集団キャラメルボックス「流星ワゴン」感想)
キャラメルボックスの2011クリスマスツアー「流星ワゴン」。原作は知らなかったのですが、言ってもキャラメルのクリスマスツアー、それも震災のあった年ということで、べたにスリリングでハートウォーミングで感動的なお話が展開されるんだろうなと思っていました。実際はそんなことなく、かなり落ち着いた、小品と言ってもよい作品だったのです。ダンスも舞台装置も音響も照明も、キャラメルとしては決して派手ではありません。でも、じわじわと心に効いてくるものがあるんですよね。
38歳、中年男の話。子どもは不登校、妻は不倫、自分はリストラ。最低な現実を前に「死んでしまおうかな」と。そこから物語は始まります。死にかかった自分の父親との対話、中学校受験に悩む子供の現実、そして一見問題な下げに見えた妻との間に生まれた大きな溝。それを橋本父子が運転する不思議な「流星ワゴン」に乗り過去を旅することによって、改めて発見・確認していくのです。
このまま死ぬのか、それとも「最低の現実」に戻るのか。最後に主人公は決断を迫られます。でも、一人ひとりの思いを知った今、最低の現実はたとえ変わっていなくても、これから先の未来は多少変わっていくのかもしれない。そう決断し、彼は最低の現実の中に立ち戻ります。たった一つだけ、橋本健太からの「お土産」を携えて。
脚本・演出の成井豊氏曰く、これは「再生」の物語、「もう一度やり直そう」という意志だそうです。「再生」というと、なんとなく完全に生まれ変わって、全てが新品になって、清新な気分で物事をスタートできるようなイメージがあります。でも、ここで描かれる「再生」というのは決してそういうものではありません。できるのは、あくまでも「最低な現実」からの再スタート。自分を取り巻く諸条件は何にも変わっていません。でも、いろんな人々(=作品における全ての登場人物)とのつながりが見えたことによって、もう一度この世界を捉えなおすことができる。これから先の他人との関わり方や進み方は変えることができる。今の現実という過去は変えられないけれど、その変えられないという現実を受け入れたうえで、いくらでも自分が変えることのできる未来を作っていくしかない。そういう小さな、でも確固たる決意を描いているように見えたのです。
決して心ときめいたり、号泣できたりするような作品ではないけれど、でもこれもまたキャラメルとしての一つの主張。まさに2011年の締めくくりにふさわしい佳作でした。(2011/11/29)
演芸、殺陣、コメディ…多彩なる一人芝居の世界へようこそ!
(最強の一人芝居フェスティバル"INDEPENDENT:11"感想1)
一度は行かなくてはと思いつつも、6時間近い長丁場と一人芝居というものへのなじみのなさでついにの足を踏んでいた「最強の一人芝居フェスティバル」。26日の土曜日、友人から誘われ、とうとう行ってしまいました。結果は大満足!「もっと早く見ておけばよかった」なあと。見た順に、前後篇で感想を書きます。
[t1]「追いかけて千日前〜幸せはどこに〜」出演:是常祐美(シバイシマイ)×脚本・演出: かのうとおっさん(かのうとおっさん): 「千日前線」という大阪市営地下鉄屈指のマイナー路線を取り上げたことで、掴みからばっちりでした。さらに、自分は大航海時代、コロンブスと一緒にアメリカに渡った女性の生まれ変わり、ヨーロッパじゅうに梅毒を広めた罰で、その後、カビだの、サナダムシだの、イナゴだのになったと言い始め…。とにかく場面やら雰囲気やらシーンやらがめまぐるしく変わり、それぞれに面白いのです。30分間すっかり気持ち良く翻弄されました。
[h]「エアデート 完全版」出演:田渕彰展(北京蝶々)×脚本:大塩哲史(北京蝶々)×演出:北京蝶々 [from東京]: 「30歳まで童貞だと妖精になる」という都市伝説(?)を下敷きにしたお話でした。エア彼女とデートするのですが、エア(空想)と分かっていながらぎこちなかったり、戸惑ったり、あるいは「これはどうせ空想なんだし」とか突然冷静になってみたりが、非常に面白かったです。私が見た回も子どもさんがいたのですが、子どもにもわかるお話のようでした。ラスト、上半身裸にキラキラ光る羽根を付けた妖精だったのには大爆笑!
[i]「アタシ惑乱スパイラル」出演:永津真奈(Aripe)×脚本・演出:芦田深雪(劇団ひまわり): 男に捨てられ傷心の30歳の私。自殺しようと薬を飲んだものの、出会ったのは10歳の私と80歳になった私。そして蘇る10歳の時のおぼろげな記憶。人生、色々大変なこともあるし、最終的に成功する人生じゃないかもしれないけど、でもそれも楽しんで生きていこうよ、時には赤ワインでも飲みながら。かなりハートウォーミングなお話でした。そして、私はこういうお話、大好きです!タイトルだけでなく内容的にも「わたし、まいっか宣言」風でした(笑)。
[b]「ハードボイルド演芸」出演・脚本・演出:伊藤えん魔(ファントマ): 伊藤えん魔さん、重鎮というか重量級というか、かなり有名な方でして、一人芝居フェスに出るということ自体、多少違和感がありました。ただ、逆にそれを逆手にとっての演芸。前半マジック、後半寄席(落語)。手品の種にしても、「時うどん」にしても、みんなが知っていることを逆に崩すことにより笑いに変える。それを確かな芸でしっかりと見せる。おふざけのように見せながら、かなり高度な一人芝居であったなあと感じています。まあ、彼だから面白いというのも多少ありそうです。
[f]「ママゴトの部屋」出演:鈴木ハルニ(ゲキバカ)×脚本・演出:サリngROCK(突劇金魚) [from東京with大阪]: 「何をしたっていいのよ、あなたは正しいんだから」。歪んで育てられた自分をなぞるかのようにキューピー人形に接する主人公の男性。壺に対する祈り。ほうき。ハンガーに掛けられた服。割とステレオタイプな歪んだ物体がこれでもかこれでもかと舞台上に登場していくうちに、歪んでいること自体があるべき世界のように見えてくる。不思議な感覚でした。そして、いかにも女性が書いたお芝居(いい意味で)だなという気もしました。
[c]「どくはく」出演:大西千保×脚本:玉置玲央(柿喰う客)×演出:上原日呂(月曜劇団): 今となってみると、ごめんなさい、あらすじが全く思い浮かびません。ひたすらしゃべっていた記憶はあり、「これだけのセリフ憶えるの大変だろうし、これだけ一気にしゃべれるってすごいな−」とは思っていたのですが。あまりに柿喰う客色が強すぎてそれがしんどかったというのもあります。でも、ブログなどでは「素晴らしい」という評価がかなり多い作品でもあるので、たまたま僕の波長と合わなかったのかもしれません。あるいは「ママゴト→どくはく」はさすがにしんどかったのかも。
[a]「龍馬神伝説〜宝塚市民話より〜」出演・脚本・演出:青山郁彦 [BLOG]: 「りょうま」でなく「りゅうば」です。宝塚市西谷(宝塚と言っても大劇場とかがある一帯ではなく、かなり山奥です)の民話からとったのだそうですが、和服を着ての殺陣やらアクロバティックな動きやらがなかなか素敵でした。もちろん、民話ならではの分かりやすい英雄譚も逆に新鮮。やはりずっと重い話だけでは疲れてしまうし、こういう単純なお話をきっちりと演じていくのもまた一人芝居の一側面なんでしょうね。イベントとしての組み立ての良さも改めて感じました。
これで3ブロックの2ブロック分。見るのも楽しいけど大変でしたが、書くのも楽しいけど疲れますね。次回に続きます。(2011/12/1)
一人芝居だけど、だから、…みてたよ
(最強の一人芝居フェスティバル"INDEPENDENT:11"感想2)
26日の土曜日全3ブロックの3ブロック目、4作品の感想+αを。
[e]「時間切れを待ちながら」出演・脚本・演出:白濱隆次(謎のモダン館)×演出:大坪文(謎のモダン館) [from長崎] : 死刑執行まであと数時間となった男が、よく世話してくれた看守に対して語りだした事件の真相。妻に裏切られた仕返しに無差別放火殺人。しかし、そこには、看守の婚約者がいた…。基本的に、一方の人のセリフしかしゃべりません。でも、相手がどう会話してきているのか、どんな表情をしているのかひしひしと伝わってくるのです。作品の内容のシリアスさもさることながら、伝わってくるものが尋常でありませんでした。
[j]「赤い蝋燭の灯り」出演:西出奈々(彗星マジック)×脚本:三宅由利子(演劇農耕者)×演出:勝山修平(彗星マジック): 人間を信じたがゆえに娘を見世物にされてしまった人魚。人一人住めなくした島に、見知らぬ男女が漂着してきてからの物語。彗星マジックらしからぬ和の世界。正直なところ、西出さんの演技力と衣裳の力をしても、人魚と若い人間の娘とが交互に変わって会話していくシーンはしんどかったなあと。しかし、震災(大津波)を意識したであろう、自然と人間との厳しくも優しい関係の寓意はしっかりと伝わってきました。
[d]「愛が僕らを分かつまで」出演:菊池祐太×脚本・演出:上野友之(劇団競泳水着) [from東京]: 舞台には3つの椅子。中央に役者、下手に「今の彼女」、上手に「友達以上恋人未満の女の子」。ところが、下手さんとはどんどん雲行きが怪しくなっていく。それを上手さんに相談しているうちに、いつしか心は上手さんに。ここまでならよくある話。ところが、実は、下手さんは「上手さんのその後」。そして話は繰り返される…。とにかく最後のどんでん返しが秀逸。椅子を使った細かい演技も楽しかったです。いい脚本にいい役者でした。
[g]「はなして」出演:瀧原弘子(三角フラスコ)×脚本・演出:生田恵(三角フラスコ) [from仙台]: どこの劇団かもどんな内容かも全く前知識なしに観劇。ただ、この[g]はブロックの最初か最後にしかないので重い話なのだろうなと。果たして、震災の話。永遠に続くと思った日常、サイレンの音、あまりにも美しい星空、瓦礫の山。主人公は、まるで何かをいつくしむかのように、心の奥に秘めていくかのように、舞台上で語ります。そんな彼女に向けられた突然の一言。「みてたよ」「えっ」。一人だけど、決して一人ではない。秀逸なラストでした。
11作品ぶっ続け、午後2時から午後9時ごろまで一気に見ました。さすがに最後はお尻も痛かったのですが、それも忘れてしまうほどに素晴らしい作品の数々でした。来年度も絶対に来たいと思わせるだけのイベントであり、だからこそチケットの売れ行きも毎回好評なのでしょうね。
構成の良さもあったのですが、一人芝居には実に様々な表現方法があるなあと。そして、一人であるがゆえに、逆にその場にいない他者や他者との関係性を浮き彫りにすることができるのだなあと。そんなことも感じました。演劇というのは他者とかかわらざるを得ず、またそうでないと成り立たない芸術です。舞台に立っているのは一人だけど、誰かの視線なり誰かの会話などを感じながら感じさせながら演じる、それが一人芝居なのかなとも思ったのです。(2011/12/3)
さまざまな思い出と想いを思い出箱とお芝居に
(からここたち、「あかね空を見上げて」感想)
ピッコロの先輩たちが続けている劇団「からここたち、」。そのお芝居を2日に見てきました。前回作の「頭痛肩こり樋口一葉」がかなり良かったのもあって大いに期待していたのです。今回も、舞台監督を覗く役者・スタッフ(当日の方も含めて)全員が女性でした。
学校の先生だった母親の一周忌に集まった3姉妹。長女は遠く仙台で学校の先生に。次女は銀行を辞め、レコード店で働いている。三女だけが結婚して子どももいる。仕出し屋を営む幼馴染なども加わって、家は久しぶりに賑やかに。とそこに、母親の教え子だったという不審な不思議ちゃん系の女の子がやってきて…。というお話。と言っても、その女の子が何か大事件を引き起こすわけでもなく、お話は淡々と進んでいきます。お父さんの容体も急変せず、女の子が探していた曲も(少なくとも彼女には)見つからず、三女の子どもが引きつけを起こしても命に別条はありません。でも、その合間合間で、三姉妹個人個人が抱えるものがとても丁寧に描かれていくのです。たとえば、仕事であったり、結婚であったり、他の姉妹に対する思いであったり、家族の思い出であったり、そして「母親」であったり。二十代後半から三十代前半にかけての女性が直面するであろう様々な悩みや困難や想いを素直に、率直に、舞台上で表現していました。あっという間の90分間だったのです。
役者さんでは、幼馴染の涼がともすればベタな三姉妹物語になってしまいかねないお話にいいインパクトを与えていました。また、三女・珠江の強さと弱さの演技にも光るものがあった気がします。もちろん、それ以外の役者さんも要所を押さえた演技はさすがです。スタッフワークは、今回はどちらかといえばホームドラマだったので、前回「樋口一葉」の時ほどの活躍はそもそも難しかったかなと。かなり抑え気味でしたが、この話・このホールであればさらに押さえても良かった気もします。ちょっとした照明変化・音響変化も目立ち過ぎてしまうし、美術も具体的だとお話との整合性を探りたくなってしまうんですよね。なかなか難しいところなのですが。
いずれにせよ、今回もやはり見た後に何かが残るお芝居だったと思います。「からここたち、」も結成から4年、関わっている人々もお話の三姉妹同様、今後、仕事が忙しくなったり結婚したり子どもができたり実家の親が倒れたりと、いろいろ芝居を続けていくのが大変なことがあるかもしれません。でも、細々であってもいいから、今後も、今回のような地に足のついた脚本、演出、演技、スタッフワークのお芝居を続けていってほしいと、外野からではあるものの願っているのです。(2011/12/5)
「良いのか」と「べきなのか」の間
(イキウメ「太陽 THE SUN」感想)
いろいろと話題の劇団「イキウメ」。先週の土曜日に見てきました。
お話は相変わらずSF。夜しか生きられないけれども、老いからも病気からも解放された新人類ノクス。そして、旧来からの人間キュリオ。その間の物語が一つの家族を中心に描かれていきます。年齢制限はあるけれど、キュリオ→ノクスはあり、というところがお話のミソ。そして、明らかにノクスになると、個体差はあるものの、超合理的・超前向きな考え方をするようになるようなのです。その中でキュリオの若い姉弟はどう行動するのか。役者の名演劇や張りまくった伏線によって、緊迫感のある世界が舞台上に繰り広げられました。
ただ、やっぱり世界設定が特異すぎ、大きすぎて、十分に説明しきれなかったというのも事実かと。特に分からないのが克哉の行動。なぜ殺人事件を起こしたのか、なぜ出奔しなければならなかったのか、なぜ戻ってきて、なぜ門番を柱にくくりつけたのか。私の理解力がないだけなのかもしれませんが、正直よく分かりませんでした。結がノクスになるにいたった決意もあまり描かれていないし、克哉がチケットを破り捨てるシーンもありがちと言えばありがちです。イキウメの作品は全体的にきちんと整合立ててできているだけに、そうでない部分があると非常に気持ち悪いのです。
ただ、もしかしたら、特定の人間個人に与えられる世界というのはそもそも不合理かつ理不尽なもので、その中で人は良い生き方なり生きるべき方向なりを決めていかなくてはならない、そのメタファーとしてあえて説明不足なままなのかなとも思ったのです。在日問題や同和問題など、どちらの世界に生まれるのかは全くの偶然で、さらに移動は基本的に一方向・一度に限られる、という事態は現実の中にもいくらでもありそうです。太陽に背いてでも新人類ノクスとして健康かつ合理的に生きていくのが良いのか、あるいは最後に待っているのが独裁や衰退であっても太陽とともにキュリオとして生きていくのが良いのか。そして、どちらでどう生きるべきなのか。現実感のない世界の話だけに、逆に現実感を持って問いかけてくる作品でした。(2011/12/7)
バルス祭
1988年04月02日(土) 12.2% 高校1年。北神急行一番列車乗車。1週間後に宇高連絡船最終便、本四備讃線一番列車乗車。
1989年07月21日(金) 22.6% 高校2年。音楽部練習。翌日にNHK交響楽団のコンサートを聞きに神戸文化ホール大ホールへ。
1991年05年03日(金) 17.1% 大学1年。無記入。実家へは帰省しておらず、前の週には同じクラスの人と横浜観光へ。
1993年03月26日(金) 20.4% 大学3年。吹奏楽団練習(ユーフォコンチェルト/自分は乗っていない)。翌日は22:00〜2学パーティー。
1995年03月24日(金) 19.9% 大学4年。動物心理学会例会(東京大学法文1号館)。さかなやバイト休み。前日が学群卒業式。
1997年03月07日(金) 20.6% 大学院2年。市民演劇の関係で自然生クラブと打ち合わせ。翌日から吹奏楽団15期旅行で伊豆へ。
1998年12月25日(金) 20.6% 社会人1年目。明石海峡大橋開通記念行事総合閉会式の取材。前の週に友人とルミナリエへ。
2001年02月23日(金) 22.2% 社会人4年目。無記入。翌日、同期勉強会(QBi会)。翌々日、御津梅園と相生のカキを食べにドライブ。
2003年03月14日(金) 22.2% 社会人5年目。総務事務官として鹿児島県視察。翌週、大塚寮室内改装のため、市ヶ谷寮へ移動。
2004年12月24日(金) 16.9% 社会人7年目。内示前部長説明。地財計画発表を受け、交付税額の推計を置き直し。
2007年06月15日(金) 19.9% 社会人10年目。議会閉会日。前日が決算統計突合日。翌週末に大阪四季劇場でオペラ座の怪人。
2009年11月20日(金) 15.4% 社会人12年目。ピッコロ舞台技術学校美術コース「道具製作実習1」。軽音ライブのための道具づくり。
2011年12月09日(金) 社会人14年目。青年団「サンタクロース会議アダルト編」観劇。その後、塚口に移り、ピッコロ関係者と飲み。
次のバルス祭はどこで迎えるのでしょうか。(2011/12/9)
最近、さし飲みにはまってます
(マルサプロジェクト「そして、飯島君しかいなくなった」感想1)
ピッコロ劇団や南河内万歳一座などに所属する役者さんたちが集まって、ピッコロ劇団・佐野剛氏が演出する「マルサプロジェクト」。第3回公演が、12月10日、11日に開催されました。10日の初日を見てきました。
ある公民館で3カ月に一度開催される「被害者を作る会」。集まるのは、初老の夫婦、若くて元気な塾の先生、そして女子大生の4人。穏当でない会の名前と、あまりに不思議な参加メンバーを不審がる公民館の女事務員。そこに、この会に参加したいという2人組が突然入ってくるのです。実は「被害者を作る会」の4人は、それぞれ家族が殺人を犯したという加害者の家族。常に罪の意識や後悔にさいなまれている中、せめて3カ月に1回ぐらいはたわいもない話をして笑いたいという思いでここに集まっているのでした。と、二人組が、実は自分たちは「被害者の家族の会」のものであると。被害者は常に消すことのできない傷を抱えながら生きているのに、こうして集まってどうでもいい話をしているだけで良いのかと彼らを責めたてます。うなだれて公民館を去る被害者を作る会の4人。しかし、実はこの2人組は「被害者の家族の会」の者ではなく、凶悪な少年犯罪を起こしながらも罪の意識を一切感じていないように見える「飯島君」と、それなんとか更正させようとしている少年院の教官だった…。一見淡々と進む室内劇でありながら、何度も大どんでん返しのある、なかなかにスリリングなお芝居でした。
この作品、加害者、被害者、そしてその家族とはどうあるべきなのかとか、あるいは青少年犯罪に対する処罰が更正から償いに変わったことへの問いかけなど、様々な側面を含んでいるように思います。ですが、私が一番感じたのは、結局、人というのは他人と同じ立場に立つことは決してできない。たとえば、加害者の家族が被害者の家族になることはできないし、加害者にも、少年院の教官にもなれない。だけど、だからこそ、相手の様々な側面を理解できたような気とする瞬間、ほんの少しでも相手と心が通じる瞬間というのは本当にかけがえのないものなのだということ。人はその経験を積んでこそ、本当に成長できるということ。そんなことを感じたのです。
それを一番表しているように思えたのは、いかにも典型的な公務員として描かれる女事務員さん。一見、冷徹に規則だけに則って仕事をこなしているだけに見える彼女が、「被害者を作る会」の正体を分かった時には「今後も是非使ってください」といい、最後に4人を責めた教官を強く非難して出ていく。そして、いじめられっ子のウェイトレスから明かされる「彼女もいじめられているんですよ」という事実。一見わき役でありながらも、実は彼女が観客に対して垣間見せる様々な側面というのが、実はこのお話の大きな主題に通じているのかなとも思ったのです。
最後のシーン、かばんを忘れて部屋に戻ってきた女子大生と、アイスコーヒーを下げにやってきたウェイトレスとの間の、些細だけどもちょっと心の通じ合った瞬間。2人がクッキーをつまみ合う姿、その時間が、とっても貴重で大切なもののように思えたのです。(2011/12/11)
役者をみせる、役者でみせる
(マルサプロジェクト「そして、飯島君しかいなくなった」感想2)
マルサプロジェクト、前回はお話の内容オンリーでしたので、今回はキャスト、スタッフ関係の感想です。
役者さんは皆さん、ピッコロ劇団とか南河内万歳一座とかに属していたり、劇団に属していなくても様々な場所で客演をこなしている、いわばプロフェッショナルな人々。当然にそれぞれ個性的で、想いの伝わってくる演技でした。今回はプロジェクトということで劇団ではなく、劇団のような演技の共通性(たとえばピッコロであれば斜め前を向いての会話のような語りとか南河内であれば集団での移動とか)は薄く、むしろ個性の競演になっていた気がするのですが、それも実に小気味良く感じられたのです。お話の流れの中で役者が動くのではなく、それぞれバックグランドを持った役者をそのままに生かす演出だったのかなと。
役者の個性を前面に出した、役者を生かす演出。それはスタッフワークにも感じられました。このお話は「公民館の1室」が舞台のため、あえて客入れ時には蛍光灯(作業灯)が着いた状態になっているのです。そのなか、塾講師役の原竹志さんが折り畳み机だのパイプ椅子だのを動かします。しかし、演技が始まった時には一斉に蛍光灯が消え、観客の注意を舞台に集中させます。その後もあくまでも抑制的な照明。そして、最後の客出しの時には余韻を残すかの如く、もう作業灯は付けずに通常の客入れ明かりだけなのです。決して奇をてらわずに、でも効果的な明かりで会あったなと。美術は非常灯隠しの場所ぐらいでしょうし、音響もラストのラストだけしか(すくなくとも音楽に関しては)出ていなかったと思います。
舞台技術学校出身だと、ついついスタッフワークに凝りたくなってしまうのですが、やはり演劇というのは役者が主役。役者と作品をどう引き立てるのかが大切なのです。登場人物それぞれの立場と主張と生き方を描いていくこの作品においては、抑制的な、だけどもちゃんと心配りをしているスタッフワークというのが、実に気持ち良い。作品の内容や役者の状況、そして演出家の演出意図を見て、何をどこまでやるべきなのかを決めていく、それもスタッフの技と感性と芸術性なのかなとも感じたのです。
台本と役者の力、そしてスタッフワークとの総合力をみせてくれた「マルサプロジェクト」。ぜひ次回もあれば、見に行きたいなと思っています。そして、もしできれば2回ぐらい見れたら、もっといろんな発見があるかなとも思っているのです。(2011/12/13)
原点であり、通過点であり、現時点での到達点であり
(ピッコロ舞台技術学校「軽音楽ライブ実習」感想)
マルサプロジェクトを見た後、そのままピッコロ舞台技術学校のオープンキャンパス「軽音楽ライブ実習」に行きました。この実習は、3年前に見学ということで見にきています。そして、一昨年、去年と自分が美術コース生として参加して、今年はOBとして見学させていただきました。そういう意味でも、いろいろと感慨深いものがあります。
この「軽音楽ライブ実習」、美術・照明・音響に分かれてから初めての実習。事前に課題曲が出て、美術コースは舞台セットを作り、照明コースは曲に合わせた照明を作り、音響コースはリハ中に一つ一つの音量を決めていきます。概して音響コースが大変なようです。ちなみに、今年の20期が取り組むのはウルフルズの「笑えれば」。なかなかに前向きの曲をALL SWANPSが原曲に忠実に、でも彼らなりのアレンジを加えながら歌っていました。ちなみに課題曲の変遷で言うと、「ルビーの指輪」→「What's Going On」→「ガッツだぜ!!」となります。うーん、少なくとも軽音ライブ実習に関しては、歴史が語れるようになりました(苦笑)。
美術ですが、「モビールのようなもの」→「ボルトを使ったアーチとジョーゼット」→「キラキラ棒」→「Tシャツ」と変遷しているはずです(3年前のは多少怪しいです)。今回のTシャツ、確かに作るものはあまりなく、美術コース生的にはあまり面白くなかったのかもしれませんが、実際のところ過去4年間の中では最も効果的で舞台映えがしたように思えます。その最たる理由は、今回のセットは照明の当たるスペース(面積)が大きいのです。ピッコロ大ホールというのはかなり大きな空間なので、そのスペースをいかに埋めるのかということが結構重要になってきます。そういう意味で、シャツを並べるというのは一つの解決策だなと。またバラバラでなく同じ薄い色に染めたものを一列に並べたのも、逆に明かりでの変化が明確にあってとても楽しかったです。
今回もう一つ感じたのが、講師陣がオペをしたミニライブでの先生方のオペの凄さ。特に照明は、「なるほどこうすれば効果的なんだな」ということがかなり分かりました。これも3年前は良く分かっていなかったと思うので、やはりそれだけ自分が演劇だの舞台美術だのが分かるようになってきたということなのでしょうね。そんな自分自身の変化も確かめることができる軽音楽ライブ実習。ちなみに、今回も結構たくさんの人が見学に来ていました。そのうちの何人が21期として学校に入学してそういう道を歩み出すのかなとか、ちょっと楽しみなのです。(2011/12/15)
Yes, Virginia,
(青年団「サンタクロース会議/同アダルト編」感想)
先週末、金曜版にサンタクロース会議アダルト編を、日曜午後にサンタクロース会議(便宜上「本編」とします)を見てきました。毎度のアイホールです。
サンタクロース会議という題名から世界中のサンタクロースが集まって何かを話し合うのかなと思っていましたが、実際は、お母さん・お父さんたちがサンタクロースに係る諸問題、例えば「煙突のない家にはどこからサンタクロースが入ってくるのか」「サンタクロースはどうやって良い子と悪い子を見分けるのか」などについて話し合う会議なのです。そこに今回は子どもたちが加わって…というスタイルを取っています。この子ども役をアダルト編では3人の役者がやり、「サンタクロースさんから欲しいもの」「…お父さん」みたいな多少ブラックなネタを振り、本編では実際の子どもたちが入って、それを3人の役者がサポートしています。
なかなかに賑やかなお話(平田オリザ氏曰く、「自分の書いた芝居の中では最もにぎやか」)なのですが、特に本編では子どもの回答に合わせてお話を作っていかなければならないので出ている役者さんも大変です。全体の長さ(尺)もある程度考慮しないと、しんどい子どもも出てきますし。それを子どもと一緒に座っている3人の役者さんたちを使いながら見事に本来の筋に集約していく集団(劇団)としての技術というのはすごいなあと。それと同時にうならされたのが、真ん中のベットでサンタさんを待つ子ども役をやったときの役者さんたちの演技。それまでお母さんやお父さんなど大人役として会議に加わっていたのに、ベットで演技をするときには本当に子ども(あるいは若い女性)のように見えるのです。他にもアダルト編と本編で同一のシーンは本当に全員が全く同じように動いており、そのあたりにも青年団の役者さんのレベルの高さが伺われました。
この作品にはサンタクロースは出てきません。会議参加者の一人であるやすおかさん(男性)が思わせぶりにサンタクロースの格好をして全員にプレゼントを配るのですが、それすらもあくまでも「振り」であることが明言されます。アダルト編ではサンタクロースがいないことを暗黙の前提にしつつも、あまりそれを前面に打ち出しもしません。サンタクロースの存在自体の問題を越えて、ただ何かについて考えること(≒会議をすること≒演劇をすること≒考えながら生きていくこと)自体の大切さについて投げかけているのかなという気もしたのです。(2011/12/17)
Afterではなく、今できること、すべきことを。
(劇団風斜「オイル」感想)
神戸で活躍しておられる劇団であり、知っている方も数人出演していて多少言いにくいのですが、何をしたいのか、最後までよく分からなかったお芝居でした。
もともと野田マップで行われた芝居とのこと。終戦直後、オイル(石油)が出るとされた島根をアメリカ軍が51番目の州として買収しようとする。しかし湧きだすとされた石油は、実は戻ってきた特攻機から抜き取った石油だった…。そこに国譲りやら原爆やら9.11テロやらが絡んでいくという荒唐無稽なお話。時空を越えた電話なども出てくるので、正直、筋書き自体も分かりにくいものがあります。それもあってか、主人公富士ちゃんを始め、個人個人の思い・感情は伝わってくるのですが、数人でのやりとりになると途端に意味不明になる。演出の問題か役者の問題か分かりませんが、演じる側もあまり整理することなくそのまま台本を観客に提示してしまった気がするのです。実際のところ、この作品、野田さんの個人的な趣味・嗜好&役者を知った上での当て書き的部分が多く、なかなか他団体が上演するのは難しい台本なのかもしれません。
個人的に一番気になったのは、自分の専門でもある舞台美術です。これが何を訴えたいのかが分からない。あれだけのセットを作ったこと自体はすごいと思いますが、単に演出の都合で継ぎ剥ぎしただけの舞台美術になってしまっていた気がします。実は演出家と舞台美術家は同一の方がされているようなのですが、ボックス程度ならいざ知らず、あれだけ建て込みのあるものを舞台美術家という専門性を持った他人との対決なしで作るのはどんなに経験がある人でもきついのだろうなと。石垣の石の描き方も一つとっても統一されておらず、それが劇中で特段の意味も見せないのも気になりました。舞台衣装も意味不明。そもそも真面目な時代考証が必要な作品ではなく、ある程度のぶっ飛び感もいいのですが、それでも「使い古した感」とか「場面全体としての統一感」とかは必要ではないかと思うのです。また、改めて当日パンフレットを読んで気が付いたのですが、舞台監督がいないようです。なのでかどうか知りませんが、オープニングの役者入場が客導線と重なってしまったり、重要なシーンで道具転換に手間取る役者さんがいたり、特攻隊機の深刻な場面の真後ろをそろそろ移動していく役者さんが見えたりと、正直びっくりするようなことも散見されました。決してスタッフワークを軽視しているわけではないと思うのですが(軽視していたらあんな舞台装置は作らないと思いますので)、やはり最後の肝心な何かが抜けているような気がします。
この作品、登場人物の数にせよ、筋書きにせよ、非常にスケールの大きな「大作」であり、それに何とか取り組もうとする意気込みは感じられました。ただ、いかんせん、様々な技術がそれに追いついていない。それを中途半端な姿で見せられるぐらいなら、スタッフワーク能力も含めた自分たちの丈にあった小品・佳品をしっかりと作り上げていった方が、少なくともお客さんに対しては優しいのではないでしょうか。役者・スタッフに対して経験を積ませるという意味があったのかもしれませんが、レベルが高いものを中途半端にするのは、決して良いことではない気もします。役者さん個人個人は頑張っており、この作品を3.11のあった年に上演する意味も理解できるだけに、かなり残念だったのです。(2011/12/19)
またしましょう その1
気がついてみると、夏以来、演劇はもっぱら見る方になっています。2月、3月に受付のお手伝いぐらいはありそうですが、私の場合、分野が舞台装置やら舞台監督やらなので、お声がかからないと基本的には動くことがありません。加えて、4月以降、職場が異動になる可能性が大なので、先の予定が入れにくいのです。なんとなくこのまま演劇フェイドアウトしてしまいそうな予感も…。部屋に転がっている養生テープやら材木やらを見ると、多少複雑な気分です。
演劇というものは、とにかく時間のかかるものです。スポーツや音楽だと、設備や体力的な制約があり、連日連夜、びっしりと練習できるわけでもありません。しかし、演劇というのは、基本的に制約が少ないうえに、稽古すべきこと&雑用がたくさんあるので、どうしても拘束時間が長くなってしまう傾向があるように思えます。なので、就職したり、結婚したり、子どもができたり、仕事が忙しくなったりするとどうしても離れざるを得ない傾向が、他の趣味や芸術活動に比べても高い気がしているのです。
私自身、「若いうちには趣味など忘れて仕事に没頭するような時期が絶対に必要」と、社会人の立場からは思います。そういう意味では、生計を立てる手段としての演劇を目指しているのでなければ、一時、この世界から離れるというのも致し方ない。ただ、その後復帰できる場が欲しいなあと。老人クラブ的な生きがい演劇でなく、仕立てられた舞台に乗るだけの市民演劇でもなく。時間的・精神的な余裕ができた40代から50代の人が、人生を知ったからこそ作ることのできる、硬派な演劇を行う演劇集団。○○課長でも、○○ちゃんのおばちゃんでもない、人と人としての繋がりで作る演劇。そんな劇団なり演劇学校なり舞台技術学校なりがあったらいいなあとか、自分で作りたいなあとか、最近思っているのです。
もちろん、若い人に交じって演劇を続けるのも新しい発見があって楽しいし、さまざまなジャンルの演劇を鑑賞するのもまた立派な演劇活動なのは間違いありません。更に、演劇が出来ない期間も、演劇と人生のための大切な熟成期間。そして、機が熟したら、また演劇をしましょう、一緒に。(2011/12/21)
またしましょう その2
昨日は私にとって今年最後の出勤日。ということで、ランチは美味しいところにということで某カフェへ。ところが、予約で満席。どうしようと思って歩き出したところ、今まで行ったことのないところにちょっと怪しげなお店を発見。恐る恐る入ってみたところ、これがなかなかに由緒ある洋食屋さん。たった700円で相当なレベルの料理を頂くことができました。職場からほんのわずかな場所にまだこんな名店が残っていたとは…。星付きレストランも複数ある兵庫県庁周辺飲食店の実力を改めて思い知りました。
さて、2011年を振り返りますと、やはり一番大きかったのは、「旅」の1年だったなと言うことです。1月1日の台北101花火から始まり、2月にソウル、7月に今度は職場旅行でソウル、9月にシンガポール、10月にペルー・ボリビアで、12月はニュージーランド・オーストラリア。1年のうち44日間を海外と飛行機の中で過ごしていたようです。我ながら今年は行き過ぎの感がありました。
来年は、韓国で万博があるのでそれには行きたいと思っていますが、おそらく職場も変わるので、今年のように自由に行くのはとても無理な気も。まあ、近場でも、タイとかカンボジアとか行ったことがない場所がたくさんありますし、もちろん国内でも屋久島やら白川郷やら、あるいは季節季節の祭りやら、行くべきところはまだまだ沢山あります。もちろん、それすらも行けないほど忙しい職場というのもありますが、今日のようにお昼休みに今まで行ったことがないお店でランチを食べてみるというのも、また楽しく貴重な旅のような気がします。
2012年、どんな一年になるのでしょうか。でも、困難なこと、大変なことがあっても、短時間・短距離であっても、新しいものに出会う「旅」は続けたいなとおもっているのです。今大変な思いをしている人も、いつの日か、ちょっとだけ心の余裕を作って、また旅をしましょう、一緒に!
ちなみに、昨日ランチを頂いたお店は「洋食と珈琲の店 北山」。食べログの記事によるとこのお店のマスターは1970年万博の際、ニュージーランドパビリオンでコックとして働いていて29歳で独立したのだそうです。ということで、強引にニュージーランドに繋げまして、人生22回目の海外旅行に行ってきます!(2011/12/23)
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