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過去の2日に1回日記(旧・お知らせ)保管庫(2011年7月〜9月)


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同じ時 遠い日の花火 風の盆
(ピッコロ劇団オフシアター「セイムタイム ネクストイヤー」感想)

 だいぶ前から楽しみにしていた作品です。トニー賞受賞の名作戯曲&洋物といえばこの人、島守さんの演出。お客さんはほぼ満席。ピッコロOBやお世話になった先生、ピッコロ劇団の方の顔もちらほら。
 毎年1回、必ず同じ日に同じホテルの1室で会い続けた不倫カップルの話。それぞれに妻と夫がいて、家族がいて、それなりの社会的地位がありながら、25年間も毎年欠かさず会い続ける。フライヤーの惹句「二人のバカの25年史」はなかなか芯をついています。ただ、当然25年もあればいろんな出来事や波風も立つもの。それぞれがウーマンリブだとかヒッピーだとか精神分析だとかに興味を持ったり、社会的地位を得たり手放したり、家族を得たり失ったり取り戻したり。それでも二人の間には何か変わらないものがあって、それが脈々と息づいて、強くなっていく。1年に一度しか合わないからこそ、会えない月日を経ているからこそ、見えてくるもの通じ合うものがある。本当に素敵な、長く人生を送っているのっていいなと思わせる作品であり、お芝居でした。
 私は、このお話って少なくともアラフォーぐらいにならないと分からない話なのかなと思っていたのですが、演出の島守氏によると、年齢によって感想が全然違うのも、この作品の面白いところだそう。たしかにいろんな切り口・見方がありそうですし、男性と女性ではまた観る目が違ってくるのかなと。感情を若干オーバー気味に表現した2人の役者さんの素晴らしい演技や、上手下手に着替え・化粧場所を作って「二人の会っていない364日」を見せる舞台構成、シーンシーンに合わせて転換明かりにまで気を使う照明と、キャスト・スタッフワークとも素晴らしかったのですが、むしろ作品自体の素晴らしさに心を奪われてしまった気もします。もちろん、その作品をきっちりとこなしたピッコロ劇団の底力も当然あるわけですが。
 ところで、このお話、何か知っているお話に似ているなあと引っかかっていたのですが、突然思い出しました。日本海側の小さな町の、知る人ぞ知るお祭りを一気に日本有数のメジャーなイベントへと押し上げた「風の盆恋歌」でした。セイムタイム〜とはちょっと違った、風の盆というまさに日本的な情緒の中で、二人の気持ちが交差し離れていくお話だったと記憶しています。もう一度あの作品を読んでみようかな、そして風の盆にも行ってみたいな、なんだったら現地に家を買っちゃおうかなと。そんなことも考えつつ7月、夏の始まりです。(2011/7/1)

7/2〜7/4は職場旅行でソウルに行っていました。

一人旅の良さ 集団旅行の良さ
 2日から4日まで、職場旅行でソウルに行っていました。大阪から見た韓国と言えば、距離だけ見れば北海道よりも沖縄よりも近いもっとも気軽な海外。さらに個人的に言うと、ソウルは5か月前に行ったばかり。とはいえ海外は海外で、いろいろと日本では出来ない経験をしたり、同じ職場で働く人々の意外な側面を垣間見たりで、なかなか楽しい3日間でした。
 写真などはまたまとめますが、思ったのは一人旅の良さと集団旅行の良さ、それぞれにいろいろとあるなあということ。今回は集団での旅行とはいうものの、飛行機チケットとホテルと往復送迎だけが付いたいわゆるスケルトンツアーのため、ソウル内の観光などは自由。同行の9人が一緒になったのは夕食とその後のカジノぐらいで、結果として一人旅、二人旅、数人旅のことも結構ありました。だからこそ、それぞれの良さ・悪さを感じることができたのかもしれません。
 一人旅の良さとしては、完全に自由ということ。「思ったよりもいまいち」とか「雰囲気が合わない」程度の些細な理由で目的地やお店を変えることができます。(結局2人で行きましたが)地元の魚市場とか、あまり有名ではないノンバーバルパフォーマンスとか、趣味に走ることもできます。さらに一人だとどうしても現地の人と話さざるを得ず、現地の人の動きを注視するので、より現地に溶け込める、溶け込まざるを得ないという利点も。誰かを待ったりすることがないのでさくさく色々なものを観ることができるのも、時間のない海外旅行ではアドバンテージです。
 一方、集団で行くと良いのは、自分一人では決して行かない、行きにくいところに行けること。たとえば、カジノだの実弾射撃場だのは、そもそも男の子的遊びがあまり上手ではない私にとって、なかなか一人では行かなかった場所かと思います。焼肉のような料理も、一人では物理的・雰囲気的にかなり食べにくかったりします。さらに海外ならではの発見をお互いに語り合えるのも楽しいですし、意外な人の意外な思いや物事の見方を発見することができます。実利的な面としては、タクシー代がワリカンになるというのは、結構大きなポイントです。
 久しぶりの、非一人旅海外旅行。それぞれの良さと問題点を改めて感じつつ、まだ集団の旅行にもなんとか付いていけると発見できたのは、ちょっとだけ嬉しかったのです。(2011/7/5)

マリオネットは踊る 赤い帽子のあなたのために
(Expression Crew「マリオネット」感想)

 2泊3日で韓国・ソウルに行ってきたのですが、このソウルはノンバーバルパフォーマンス、言語に頼らない演劇や舞台の宝庫。前回のNANTAがあまりにも面白かったので、今回も何か見たいなと密かに思っていました。で、泊っているホテルの場所や開始時間、自分の趣味・趣向などを考えて選んだのがこの「マリオネット」。汝矣島にある63ビル地下の劇場で行われている公演です。NANTAを見に行く人々と汝矣島駅で別れて、シャトルバスで63ビルディングに向かいました。
 チケットブースの場所やチケットの入手方法が若干分かりにくかったものの、簡単な日本語のできる案内人さんもいたりして無事入手し、劇場へ。映画館としても利用されているらしく、正面にはどーんとスクリーンがあり、舞台のアクティングエリアは特に奥行きが狭め、客席の傾斜が極めて強い劇場でした。まあ、どの席からも非常に見えやすいのは間違いありません。
 お話の内容はコネストに見事にまとめられていますので省略しますが、それぞれのパフォーマンスのレベルの高さと意外さに加え、それを貫くストーリーとが見事に調和。特に、「第2幕:人形と少女」は、年を取らない人形(マリオネット)の苦悩が、かわいらしい映像や効果的な文章、切々と繰り広げられるパフォーマンス、そして赤い帽子をかぶった少女(観客の中から選ばれます)との対比の中で、見事に浮かびあがってきます。どこかで見たような、単純で分かりやすいお話なんですけど、こう畳みかけられると、どうしてもうるっと来てしまうんですよね。この作品、ベタなテレビドラマではないのですが、やはり韓流恐るべしだなあと。
 あと掛け値なしに楽しかったのが、ブラックライトと蛍光を使ったパフォーマンス。闇の中で次々と浮かび上がる蛍光色のマスク。見事な動きを見せていた合体型ロボット。誰もが考えそうだけど、それをきちっとプランニングし、練習し、提示することで、芸を芸術の域まで高めつつあるのかなと思いました。B-BOY公演ということでダンスパフォーマンスが主で、NANTAのような美的・芸術的センスはないかなと多少思っていたのですが、そんなことは全くありませんでした。
 ちなみにこの日は8割程度の入り。観光客というよりはむしろ地元の韓国の方が多い様子。一見して外国人観光客と分かるような人はあまりいませんでした。外国人でも十分わかるパフォーマンスなのでもったいない気もするのですが、逆に言うと、地元の人々の支持だけでロングランの生の舞台が維持していけるという証明でもあります。そんな経済的・物理的・社会的基盤がソウルにはあるわけで、それは本当にすごいことだなあと改めて感じてしまいました。(2011/7/7)

越えられない壁が…
(コミックマーシャルアーツパフォーマンス「JUMP」感想)

 ソウル職場旅行の2日目は大雨。とても屋外を観光して回るような状況ではなかったので、基本的にはインドア系を回りました。ということで、博物館やら美術館やらがメインだったのですが、せっかくなので私一人でもう1本ノンバーバルパフォーマンスを見てきました。NANTAと並んで昔からやっているJUMPです。前回ソウル訪問時のホテルからほど近い場所。大雨の中ずぶぬれになりながら、なんとかたどり着きました。
 そもそも武道がさほど好きではないので楽しめるのかどうか多少不安だったのですが…うーん、やっぱりちょっと厳しかったです。たぶんこの演目は華麗な武術のアクションが一つの大きな見どころなんですよね。それがあんまり好きでないと、やっぱり世界観に入っていくのがしんどい。もちろん、派手なアクションはすごいなーとは思うのですけど、それ止まりになってしまいました。
 個人的に一番しんどいというか思ったのは、ついついNANTAと比べてしまうこと。韓国のカラーをちゃんと残しながらも基本的には無国籍な舞台のNANTAと、韓国であることを前面に表現したJUMP。かっこいいシーンとそうでないシーンの落差がちゃんとついているNANTAと、割とごちゃ混ぜ感のあるJUMP。前日見たマリオネットのように同じノンバーバルパフォーマンスでも全く違う方向から攻めているとまた違った次元で判断できるのですが、NANTAとJUMPはいろんなところが似てしまっているだけに、逆にそのレベルの違いが際立ってしまうのです。もちろん、ストーリーがありうそうでないNANTAにくらべると、JUMPは一貫したストーリーがあるので、こっちの方が好きという人も多いとは思うのですが…。分かりやすいストーリーと派手なアクションという意味では、家族連れにはこっちの方がいいかもしれません。NANTAは若干芸術的な部分もありますので。
 ともあれ、ソウルのノンバーバルパフォーマンス、まだまだ様々な演目が待っているわけで、これはぜひ機会を見つけて観ていかないとと実感。それと同時に、ブルーマンとか、STOMPとか、いよいよロングラン公演の始まる我らが「ギア」とか、他のノンバーバルパフォーマンスも観てきたいなと思っています。(2011/7/9)

悲しくも暖かい世界を描き切る
(彗星マジック「定点風景劇場版」感想1)

 4月に「定点風景 最終話」を見てからずっと楽しみにしていた「定点風景劇場版」。今日千秋楽を迎えました。楽日ということもあって、観客・役者のテンションも多少違った気も。それが静かな感動へとつながっていました。ラストの3回カーテンコールでは、役者さんやスタッフさんたちの暖かい空気感を感じることができ、かなりほっこりとした気分になって家路につくことができました。
 この作品、正直なところ、スタッフワークにせよ、役者にせよ、演出にせよ、いろいろとしんどい部分がないわけではないのです。誰からも大絶賛される傑作というのは多少しんどい気も。でも、やっぱり僕はこの世界が大好きだったし、多分、演じている人々、スタッフとして関わっている人々もこの世界を大好きなんだろうなと。そんな世界が、今日、明らかに消えてしまったというのは、正直、かなりさびしいです。1回限りのパフォーミングアーツである演劇のはかなさと、だからこその素晴らしさを、久しぶりに、改めて感じたりもしています。
 ただ、もう描かれることはないけども、ベロニカもヤナもデニスもラビもウマオもヤコブもアリサもマルタもミハエルもアネモネも、みんなどこか別の世界で生き続けている気もするのです。紡がれた世界があまりにも嘘がない、本物の世界であったからかもしれません。そして、彗星マジックによって描かれるべき世界は、まだまだ沢山、いろんなところにある気も。彼ら、彼女らが描く、描き切る、定点風景とはまた別の世界の物語。それも大いに楽しみであり、期待しているのです。(2011/7/11)

真剣ながらも楽しい世界を作り出す
(彗星マジック「定点風景劇場版」感想2)

 定点風景の感想、まずはスタッフワークから。
 今回、掛け値なしに素晴らしかったのは、やはり照明〈南勇樹氏)でしょう。客入れ明かりの下手の薄いブルー3台から、ラストシーンまで、全く気を抜かない素晴らしい明かりの世界が広がっていました。所々に衝撃的な明かりも仕込んでいるのですが、それも決して使いすぎず、本当に必要な時だけ、贅沢につかっているのです。そして、何よりも綺麗な地明かりとその変化。舞監日誌をして「ベストワーク」と言わしめただけのものは、門外漢である私にも、確かに感じられました。
 そして、相変わらず圧倒される衣装(西出奈々氏)。どうやったらこんな衣装が思いつくのでしょうか。ばらばらでありながらも、見事な統一感を持って「定点風景」の世界を作り上げているのです。イトウエリさん演じるマルタだけが、汚しの入っていない、他の人々とは若干違った感じの衣装なのですが、それも「楽園に向かうマルタ」と「灯台や赤の広場を作り出す人々」というストーリー上の対比を見事に表現しています。小劇場ということで、舞台装置に凝ることができない中、照明と衣裳だけでファンタジーの世界を見事に作り上げてしまった。このお二人の功績はかなり高いものがあると思います。
 一方、個人的にしんどかったなあと思うのが音楽・音響。なんとなく劇中音楽も客入れ音楽も選曲に統一感がないうえ、音の出し方・消し方もわりとバラバラだったように感じたのです〈キャラメルボックス風の激しい音の上下があったと思ったら、忍び込むようなだし方をしたりとか)。楽曲提供が3名のようなので、音響さんとしてもやりにくい部分が多々あったのだろうと推測します。わざわざ依頼して作曲してもらうのであれば、一人だけにした方が統一感が出てくるのかもしれません。このあたりは、どちらかといえば演出サイドの話なのかもしれませんが…。
 裏方ではないのですが、表方スタッフさんの働きも相当でした。特に物販の充実はさすがというか何と言うか。初日の公演をDVD化して翌日には役者サイン入りで売り出していたのにはびっくりしました。あと生写真だの缶バッチだのも、小劇場系ではあまり見かけない気が。公演の足しというよりは、明らかに作る人が楽しんでやっているのも感じられました。演劇は裏も表も役者も、本気でやるのは当然のことながら、みんなが楽しくやらないと、その楽しさは決してお客さんには伝わってきません。そういう意味では、今回の定点風景は、役者もスタッフもみんなが楽しんでやっていたのが本当に伝わってくる公演で、だからこそつい物販も買ってしまうし、温かい気持ちで劇場を後にすることができたのです。(2011/7/13)

世界一周チケット発券!
(El camino a Bolivia 〜ボリビアへの道3〜)

 無事世界一周チケット発券できました。「ぽちっとな」で行けるかと思いきや、そこから便が取れないだのクレジットカードが使えないだののやりとりがあり、7月2日ソウル旅行前に手続きを始めてから、結局2週間ほどかかりました。今日無事、13,175,100ウォン=約101万円の請求がクレジットカードに来ていました。
 恒例の旅程表公開をしますが、流石に長い…。地図にすると、こんな感じです。
出発地/到着地
FROM/TO
便名
FLIGHT
クラス
CL
搭乗日
DATE
時刻
DEP
運賃コード
FARE BASIS
NVB NVA 手荷物
BAG
予約
状況

ST
SEOUL/INCHEON INTERNATIONAL LH713 D 01OCT 1345 CRWSTAR3   01OCT PCS OK
FRANKFURT/FRANKFURT INTL ARRIVAL TIME: 1825
TERMINAL:1  
FRANKFURT/FRANKFURT INTL JJ8071 D 01OCT 2205 CRWSTAR3   01OCT PCS OK
TERMINAL:1    
SAO PAULO/GUARULHOS INTL ARRIVAL TIME: 0510+1
TERMINAL:1  
SAO PAULO/GUARULHOS INTL JJ8066 D 02OCT 0825 CRWSTAR3   01OCT PCS OK
TERMINAL:1    
LIMA/J CHAVEZ INTL ARRIVAL TIME: 1140
LIMA/J CHAVEZ INTL AC081 Z 22OCT 0015 CRWSTAR3   01OCT PCS OK
TORONTO/PEARSON INTL ARRIVAL TIME: 0920
TERMINAL:1  
TORONTO/PEARSON INTL AC001 Z 22OCT 1405 CRWSTAR3   01OCT PCS OK
TERMINAL:1    
TOKYO/NARITA ARRIVAL TIME: 1550+1
TERMINAL:1  
TOKYO/NARITA NZ090 D 23DEC 1830 CRWSTAR3   01OCT PCS OK
TERMINAL:2    
AUCKLAND/AUCKLAND ARRIVAL TIME: 0910+1
TERMINAL:I  
AUCKLAND/AUCKLAND NZ525 B 24DEC 1050 CRWSTAR3   01OCT PCS OK
TERMINAL:D    
CHRISTCHURCH/CHRISTCHURCH ARRIVAL TIME: 1210
CHRISTCHURCH/CHRISTCHURCH NZ5001 B 27DEC 1125 CRWSTAR3   01OCT PCS OK
QUEENSTOWN/FRANKTON ARRIVAL TIME: 1230
QUEENSTOWN/FRANKTON NZ831 B 31DEC 1555 CRWSTAR3   01OCT PCS OK
SYDNEY/KINGSFORD SMITH ARRIVAL TIME: 1710
TERMINAL:1  
SYDNEY/KINGSFORD SMITH SQ222 D 02JAN 1615 CRWSTAR3   01OCT PCS OK
TERMINAL:1    
SINGAPORE/CHANGI ARRIVAL TIME: 2125
SINGAPORE/CHANGI SQ616 D 03JAN 1345 CRWSTAR3   01OCT PCS OK
TERMINAL:3    
OSAKA/KANSAI INTL ARRIVAL TIME: 2050
OSAKA/KANSAI INTL OZ1115 D 11MAY 1110 CRWSTAR3 11OCT 01OCT PCS OK
SEOUL/GIMPO INTERNATIONAL ARRIVAL TIME: 1300
TERMINAL:D  
 ちなみに、運賃種別「CRWSTAR3」というのが、「Cクラス(ビジネスクラス)のRound the World航空券のSTAR3(39,000マイルまで)区分」という意味。39,000マイル、約6万2千キロ、あまり実感がわかないんですが、やはり相当な距離です。
 一番工夫した点といえば「アメリカさんはずし」でしょうか。アメリカはトランジット(乗り換え)だけでも入国審査をさせる上、その審査が荷物を含めて異常に厳しいため時間を食われ、入国に際しては事前に有料で申し込みをしなければならず(ESTA)、最初の宿泊地を航空会社に届け出る必要があり、国内線の荷物運送だの機内でのアルコールだのが有料だったりと(Cクラスは関係ないようですが)、正直、あまりにも唯我独尊で、旅行者にとってめんどくさい国です。みんな仕方ないから使っているだけで、もしヨーロッパだのアジアだのにあんな国があったら誰も行かないでしょう。ということで、アメリカさんを全力でパスしてカナダさん経由で帰ってきます。エアカナダのビジネスクラスは(ファーストクラスがないので)ほぼ個室のとても立派なものと聞いており、それも楽しみです。
 あと、最初と最後につける大阪−ソウルのチケットや、ペルー−ボリビア間なども押さえましたが、それはまた後日。いずれにせよ、今までには全くない規模での旅行が確実に動き出したことを実感しています。(2011/7/15)

無邪気ではいられない世界へ歩みゆく
(彗星マジック「定点風景劇場版」感想3)

 この作品、基本的にはかなり評判が高かったのですが、だから故か、批評もいろいろと見かけました。たとえば、特徴的なオープニングとエンディングが物語上効果的でない、ヤナとデニスの話とラビとマルタの話があまりオーバーラップしてこない、前半と後半でテンションが違う…などです。とりわけ前半と後半の話はわりといろんな人から聞きました。前半好きの人もいれば、私のように後半好きな人もいるのですが、一つの作品としてのまとまりを欠いたのはある意味間違いなさそうです。30分で脚本を書く癖がどうしてもついてしまった、とまで言うと言い過ぎでしょうか。
 実際のところ、ファンタジーというのはいばらの道なんですよね。巧くやり過ぎると現実感がないお伽話の世界になるし、逆に現実感があり過ぎると今の時代・世界に引きずられ過ぎるし。でもそんな、現実にはありもしない世界を背景にしているからこそ、より世界や人間を描くことができるというのも事実。だからこそ、この困難な道を歩んでいるのでしょう。
 今回のお話、あえて統一テーマを見つけるとすれば「森のどこかにある(とマルタが信じている)楽園」と「森・時計塔・灯台(という現実)」の対比なのかなと。それとオーバーラップする「無邪気なヤナ」と「無邪気ではいられないベロニカ」のお話なのかもしれません。ただ、ヤナはデニスの絵によって無邪気ではいられなくなるわけで、単純な二項対立ではありません。そしてベロニカも昔は無邪気に灯台守の仕事をこなしていたようなのです。森の人ミハエルは言います。「君も昔は無邪気だったね。でも、今の方は好きだな」と。
 彗星マジック、ここまで有名に話題になってしまって、ツイッターだのブログだので賛否両論の意見もあって、もう無邪気に芝居を作ることが出来ないかもしれません。でも、無邪気でないから、悩みに悩み抜いたからこその良さもある。そして、以前のような突っ走り感はないけれど今の方が好きだな、と言われるような作品を世界を次々と生み出していってほしい。そしてできれば、悩んだことを全く感じさせない、でも以前とはレベルの違ったファンタジーの世界をいつまでも繰り広げてほしい。定点風景の世界が静かに幕を閉じた今、サウンドトラックを静かに聞きながら、そう願っているのです。(2011/7/17)

役者の立ち位置 芝居の立ち位置
(桃園会「a tide of classics〜動員挿話・ぶらんこ・父帰る〜」感想)

 関西の有名劇団の一つでもある「桃園会」。まだ見たことなかったので、見てみました。ある友人から「あなたはあまり好きではないかもしれない」 と言われてしまった作品。逆に期待が高まります。
 今回は、クラッシックスということで、岸田國士・菊池寛という明治・大正の名戯曲家の作品をやります。とはいえ、まだまだ演劇経験の短い私にとってはどれも初めてのお話。興味深く見ることができました。びっくりしたのが、どれも昔のお話でありながら、今に通じるメッセージがしっかりとあるということ。もちろん、演出家がそういう作品を選んでいる&そう作っている部分もあるのだろうとは思いますが、それがまずはびっくりでした。あとは、ずらっと引かれた座布団と同じ場所で正面を向いているという変わった立ち位置にいる役者さん達の真に迫った演技も、2列目で見ていると非常に迫力があったのです。
 気になる点と言えば、セリフの物言いが急に平板になるところとそうでないところの落差。あれだけうまい役者さんたちですからもちろん演出としてやっているのだと思いますが、少なくとも私には、それが効果的には思えませんでした。なんとなく中途半端感が否めないのです。たとえば柿喰う客のように完全に独特の物言いをするとか、ままごとのように一種のメタルール(わが星であればラップ)があってそれが全編に統一されるとかであれば、見ている方も分かるのですが、今回の作品では統一性もなく、切り替えもスムーズではなかった(役者さんの間にも解釈のずれがあった)気がします。
 帰りの阪急電車でつらつら考えていたのですが、現代演劇の傾向を「劇的なセリフや振りを志向-なるべく自然な演技を志向」の軸と、「演出家が役者を完全に統制したいという志向-ある程度役者の内発的な行動を大切にしたいという志向」の軸で考えると分かりやすい気が。『自然-統制』の代表は平田オリザに代表される「静かな演劇」。イキウメもここかも。逆に、そのアンチテーゼ的な『劇的-統制』は、柿喰う客とかままごととか。本谷有希子もそうかも。最近のトレンド。『自然-内発』はまさにスタニスラフスキーかなあ。文学座とかピッコロもそうかも。『劇的-内発』は「さあカーニバルの時間です!」と一世を風靡した小劇場系。南河内とかこの流れな気がします。この中で桃園会はもっともトレンドの『劇的-統制』チームかと思いますが、今回の作品ではその立ち位置がいまいち不明でした。逆に言うと、だからこそ、老若男女、かなり幅広い客層に受け入れられているのかもしれません。
 今回はウィングフィールドという桃園会にとっては小規模の劇場だったことで、実験的な要素も多かったようです。そういう意味であえて難しいところを狙ったのかも。とにかく役者さんのすごさには圧倒されましたので、次回も「あんまり好きじゃないかも」という心と友人の声に抗いながら(?)、見に行きたいと思っています。(2011/7/19)

芸創館の中では不思議な講座が繰り広げられているの
(300DOORS感想その1)

 ありとあらゆる分野のワークショップが1コマ90分、500円で体験できる大阪市の催し「300DOORS」。私は一昨年参加しましたが、なかなか楽しかった思い出があります。今年はピッコロもなくなり、気になるものを色々と受講することにしました。適宜、ほぼツイッター連動で、防備録的につづっていきますね。
No.027 自分を演じることから考える◎柴幸男(ままごと)]
 まずはままごと・柴さん。「わが星」があまりにも素敵だったので、役者経験もないのに無謀にも参加してしまいました。1分間のしりとりのやり取りから台本を作り、それを演じてみる。意外と自分の行動は自分が一番分かっていないとか、逆に知らない人を演じる方がいろいろとストーリーを作れるとか。新たな発見も。回りはどうも本職?の役者さんや演出家さんが多かった模様。どこかの舞台で観たことのあるような顔もちらほら。素人の私は「ごま」という一言のセリフに全てを込めました(^^)。ちなみに、私の隣りは先週まで「森の向こうには楽園があるの」と定点風景の森でさ迷っていたマルタさん。正直、かなり緊張してしまいました。1分間のしりとりで2回も失敗(お手付き)したのは年齢のせいではなく、そのためと信じたい(^_^;)
No.037 物語をつくってみよう!◎古戸マチコ]
 2つめは物語の作り方。ラノベ作家の古戸マチコさん。主人公とパートナーが旅にでて、新キャラが絡んで何か一波乱起こるが無事解決。しかし、更にとんでもない出来事が…というのが、基本プロット。ただ、主人公が誰なのか、どういう性格なのか、どんな出来事が起こるかなどは、全てくじ引き。場合によっては「懐かしいアイスクリーム」とか「神々しい穴子」とか訳わからないものになるのですが、それでもなんとか面白い屁理屈で物語を作ります。みんなの作品が発表されましたが、秀逸なものもちらほら。物語というのは基本プロットがしっかりしていればバリエーションはいくらでもあるんだな、無理と思ってもなんとかこじつけることで、別の面白さも出てくるのだなと。ホワイボートに次々書かれたイラストもかわいかったです!
No.029 舞台美術の考え方◎柴田隆弘]
 3本目は、柴田隆弘氏の舞台美術。全部で15人(一人欠席だったので14人)のためのぜいたくなワークショップ。ちなみに、うち4名がピッコロ関係者。まずは柴田氏が関わってきた舞台の写真などを紹介。大きなものから小さなものまで、関西の演劇シーンのほぼすべての分野を網羅。さすがです。そして、その後はいよいよ本公演に向けて動き出した「ギア」の舞台模型作り。白模型をつくります。1ミリや5ミリのスチレンボードをきって、接着剤(○○ダイン。名前忘れた!)で立てていきます。大きな道具は後ろに人形を付けたりと、多少、これまでの知識と経験も生かしつつ。どの班もなかなか最後まではたどり着かなかったものの、久々に模型作りの大変さと楽しさを思い出してみたり。やはりこの世界好きなんだなあと再認識。なかなか趣味の演劇でこんな大きな舞台美術を作ることはないでしょうけど、思いだけはいつまでも残しておきたいです。
 300DOORS×3コマ、楽しかったけど、新しいことも多く、かなり頭の体力を消費した気が。でも、本当に楽しかったので、またいくつか追加してしまいそうです。講師・スタッフの皆さま、どうもありがとうございました。この夏は、まだまだいくつか行かせていただく予定です。(2011/7/21)

ダブルで計画中!
(Toward the Top of Harbor Bridge 〜NZ&Sydneyへの道1〜)

 10月の世界一周、実際はペルーとボリビアしか行かない「なんちゃって世界一周」なのですが、世界一周チケットのルールを最大限活用して、年末年始にニュージーランド・オーストラリアに行くことにしています。距離的にちょうど良かったというのと、スターアライアンスの関係でニュージーランド航空が多用できること、オセアニアは元々チケット代が高い上に歴史的なスポットが多いわけではないのでなかなか足が向かない(だからこそ世界一周チケットで行ってしまおう)、新たに1大陸を制覇しよう(残すはアフリカ)、真夏のクリスマス&シドニーのニューイヤー花火を体験したい、などさまざまな理由があったのです。
 ところが考えることは皆同じというか、年末年始、ニュージーランドやオーストラリアは超ピークシーズン。まず困ったのが、シドニーのホテル。世界中の観光客がこの時期シドニーに押し掛けるらしく、中心街のホテルは1泊5万とかめちゃくちゃ高いのです。一方、バックパッカーが泊るようなドミトリーは最低宿泊日数が規定されており、それが5日以上とか、ある意味日本人にはとても使えないようになっていたり。探しに探したあげく、結局、空港近くのモーテルを押さえました。モーテルにもかかわらず1泊約1万4千円ですが、これでも他に比べれば明らかに安い方です。まあ、空港から近いのと、歩いていける範囲にCityRailの駅があるということで決めました。年越し野宿、なんとかせずに済みそうです(市街地中心部(CBD)から、花火の後、無事帰ってこれるかが心配ではありますが…)。
 さらに、ニュージーランドの方もなかなかの混み様。ミルフォードサウンドという世界遺産にもなっているフィヨルドがあるのですが、そこに1泊で行く船が希望日は満席。仕方ないので1席だけ残っていた前日を押さえました。ホテルも決して安くはなく、特に12/30、12/31は特別料金のようです。一人であんまりいいところに泊っても仕方ないので、安いところをネットを駆使して探しています。
 事前にほとんどのことがネットで調べられるニュージーランド・オーストラリアと、事前に調べることに限界があり、さらに行ってみないと分からないことも多いペルーとボリビア。全く違っているので、並行して調べていると時々混乱しそうになってしまいます。ともあれ、実質上はたった2か所の「世界一周」とはいえ、世界というのはなかなかに広く、いろんな事を考えさせてくれるものです。(2011/7/23)

静謐なるエロティシズム(下鴨車窓「人魚」感想)
 アイホールで再演するんだから多分いい話なんだろう、という若干希薄な思いで選んだこの作品。でも、間違いはなかったようです。
 「人魚」の話なんですが、この人魚、決して美しくてつつましやかでなく、むしろ凶暴で粗雑で自己チュー。その人魚をどうやって扱うのか悩む兄妹。そこに妹の恋人や占い師などが絡んできて…。決して静かな会話劇というわけではないんだけれど、どこまで行っても静謐な世界が溢れている、でもそれは決して居心地の良いものではなく、不安定でどこか歪んでいるのだけれど、でも抜けだすこともできない。そして、最後に抜け出した時に待っているのは、破滅。正直かなり長いため(1時間45分)見ていて疲れますし、すっきりとしたカタルシスが得られるわけ芝居でもないのですが、でも心のどこかにズーンと迫ってくる何かがありました。
 この世界を見事に作りだしたスタッフ陣は見事。単なる白い廊下と古い机といすだけで見事に古ぼけた海辺の貧しい家を作り上げた舞台美術。あくまでも繊細に、そして時にはあえて会場の全景も見せながら、殺伐としつつもどこか居心地の良い場所を作っていた照明。しかし何よりもすごかったのは、圧巻のラストシーンを演出した音響でしょう。真っ暗やみの中で音の定位をがっと上手から正面に動かしていったあのラストシーン、一種の他人事として見ていた舞台の上手から下手に通り過ぎていた嵐が、突然、猛烈な音圧となって客席に迫ってきます。「こんな音響もあるんだ」なと目からうろこでした。
 あとは衣装と赤いペンキの演出も見事です。特に化粧っけもなく、味気ない服をまとっている「妹」がみせるエロティシズムというか、性の香りというのは、実によく計算されていたなと。灰色の服からオレンジ色のワンピース、白いそっけもない下着、香水、そして床にぶちまけられた赤いペンキとそれで汚れた服や足。決して直截的にセクシーだったりヌードがあったりするわけではないのですが、静謐な中にも何かがうごめくエロティシズムが漂っていました。もともと父娘の話だったのを再演時に兄妹の話に変えたため、そんな色彩が強くなったのかもしれません。そうであったとしても、ただ、人間が生きていく上で欠かすことのできない行為(or感情)としての性の描き方は、ある意味、真に迫っていた気がします。
 そして、そうやって生き、新でいく中で人々が疲弊し、たんたんと世界が少しずつ崩壊していく…。決してすっきりはしないものの、いろいろと考えさせられる劇後感を残す、なかなかに佳品のお芝居だったのです。(2011/7/25)

これまで40年も、このさき40年も。
 文房具というのは意外と長持ちするもので、私の身の回りには、わりと20年物、30年物の文房具というのがごろごろしています。私は昔から鉛筆とかペンとかの文房具が大好きなのです。
 一番最初にモンブランの万年筆を買ったのが小学校5年生の時。今は「兵庫県立芸術文化センター」となってしまっている昔のニチイで安売りのモンブランが出ているという話を聞きつけ、たしか1万数1千円、当時でも半額程度で購入しました。キャップに小さな傷が付いてしまっていたためだったのですが、日常使いには何の問題ありません。あれから20年近く、今だに現役で使っています。他にもクロスだのパーカーだの、親からもらったり奪ったり、自分で買ったりで、ちょこちょこ持っています。
 一番活躍しているのは、3千円ぐらいでオークションで買った金メッキのパーカーのボールペン。赤のリフィルを入れて「赤ボールペン」として、職場で使っています。普通の赤ボールペンだと出が悪くなったり、あるいは誰かにつかわれてしまってどこかに行ってしまったりしがちなのですが、さすがにあれを使おうという人はおらず、さらにリフィルはパーカーなのでインクがかすれることもなく、約5年間にわたり仕事の友として大活躍(リフィルは一度交換したのみ)。酷使しているのですっかりメッキがはげてしまっているのですが、それもまたいい味を出してます。
 こういう経年変化が古い文房具の良さなのですが、プラスチック製のものはなかなかそういった味が出ません。ちょっとさびしいなと思っていたところ、大阪大丸のFUTABA+で面白いものを発見しました。ブラス(真鍮)制の定規です。無垢の真鍮材を使った定規と言うだけで、男の子の心をくすぐります。そして、その台紙には「どこか懐かしく、愛着を持って使い続けたくなる真鍮の佇まい。長く使い続けることによって、経年変化により素材の質感が変わり、かけがえのない道具になります。」との言葉が。確かに実用には重すぎるこの定規は、携帯性や利便性にはいまいち欠けるかもしれません。だけども、だからこそ、どこかへ行ってしまうことも少ないだろうし、机のそばにあるとちょっと便利なこともあるかなと。そして何よりも、少しずつ変わっていくのが楽しみな道具。多少考えたものの、即断で購入してしまいました。
 思い返せばもうすぐ40歳。もうそろそろ、そういった経年変化をどこまで見届けることができるのか、そして、それをどれだけ楽しむことができるのか、多少考えなければならない年齢になりつつあります。とはいえ、この定規で今後引いていくのは、舞台図や舞台模型なのか、旅行に関わる何かなのか、今は想像もつかないような何かなのかとか考えると、多少は楽しみであるのも事実です。何歳になっても無限の可能性と希望は前に向かって広がっている。そんな日々をともに刻み、測っていくことを楽しみに、このブラス定規を今日から使い始めます。(2011/7/27)

夏休みと階層
 毎年夏になると、2chで「世界各国の会社の夏休み」というのが話題になるそうです。多少長くなりますが、引用します。
     世界各国の会社の夏休み
  オーストラリア・・・1ヵ月半
  スペイン・・・1ヶ月
  スウェーデン・・・年齢に応じて25日から32日
  オーストリア・・・35日
  フランス・・・5週間+労働時間が半分になる日が2週間
  ポーランド・・・46日 ※10年以上働いてる人は+10日
  ドイツ・・・最低33日・最大37日
  イタリア・・・最低32日・最大42日
  ノルウェー・・・平日だけで25日
  日本・・・5日
 …日本は他の国に比べて「祝祭日」が多いとか、雇用形態の違い(パートタイマーの活用度の違い)とか、病休を年休に当てられるとか、いろいろとあるようなんですが、どう理屈をひねくりまわしても日本人の休みが絶対的に少ないのは間違いないようです。以前、ベトナムに行った際、一緒にツアーを回っていたアメリカ人やフランス人から「日本人だけにはなりたくないなあ」と言われたのを思い出します。
 とりわけ長期の休みが取りにくい背景として、「仕事のマニュアル化が進んでいないから」とも言われます。確かに、日本人の仕事観には職人技的なものを好む傾向があり、その人でないと分からないという手続きや手法が割と残っています。ある意味、人間重視の発想ともいえますが、そこに非効率さが潜んでいるのも間違いなさそうです。合わせて、日本は管理監督層(いわゆるエリート)と実際に働く人々(ノンエリート層)の分離が明確でないのも休みづらい原因かなと。昔の年功序列では、早い遅いはあるにせよ、いつかはみなエスカレーター式に管理監督層に移って行ったわけです。となると、入った時からある程度会社なり組織なりに滅私奉公せざるを得ない。それが休まない日本に繋がっていった気もするのです。ヨーロッパは労働者は働かないけど、エリート層は猛烈に、日本以上に働くと言います。エリートとノンエリートの区分けがはっきりしているからこそ労働者は全ての責任をエリートに任せてバカンスに行くことができるし、エリートはそれだけの責任を負っているからこそ忙しいながらも地位と名誉と報酬を用意されているのです。
 どちらがよいか、というような話でもないのですが、少子高齢化・人口減少社会の日本において年功序列制度は明らかに崩壊し、私たちの世代では7割は課長にさえなれないそうです。確かに、年々人数が減少&年齢が高齢化しているうちの職場だけ見ていても、それはおそらく間違いなさそう。偉くなれる人は早いうちから選抜されるし、そうでない人は決して偉くなれない。となると、組織に対する忠誠度もおのずから変わってくるし、仕事の仕方も変わってくるのかなと。そして、職場の階層社会化が進むにつれて、その副産物的にノンエリート層は長期の休みも取りやすくなってくるのかな、そんなことも感じているのです。
 私が就職した頃、私的な旅行などで1週間の休みを取る人というのはかなり珍しかったんですが、最近は割と見かけます。そして、10月の私には、いよいよ、上司に「これまでそんな前例を見たことがない」と言わしめた3週間旅行が待っています。この3週間休みがうちの組織に先鞭をつけることになってしまうのかな、まあそれもありかなと、多少の危惧と期待をしているのです。(2011/7/29)

座学、座学、座学。
(300DOORS感想その2)

 先日は一気に3コマ撮ったのですが、今度は夕方に1コマずつ。神戸から芸術創造館まで行くのに往復で2時間以上かかっているので多少もったいない気もしながらも、千林でカレー食べたりラーメン食べたりかき氷食べたりというオプション付きで楽しんでます。
No.084 舞台芸術におけるコミュニケーション/デザインを見直そう!◎奥野将徳(precog)]
 ダンスなどの企画・制作をなさっている方。広告代理店経験もあり、基本的に制作・広報スタンスのお話が多かった気が。ワークショップというよりもパワーポイントを使い、レジメが配られるという講義のようなもの。ただ、内容は抽象的ながら結構濃くて、自分の知っている劇団にいろいろと当てはめてみると、「なるほどなー」と思うことも多々。参加者は、ダンスや演劇の制作さんや作家さん、ウェブデザインの面からアーティストを支えようとしている人、田舎で地域おこしに取り組む人など、実に多彩。ワークショップなのでもう少し参加者同士で活発に話しあえたら楽しかったし、分野を越えた問題意識の共有が図れたのではないかとも思う。ちなみに、話を聞きながら考えていたのだが、「キャラメルボックス」というのはネーミングといい、ある程度ワンパターンな舞台進行といい、コアなファン層とフォロアーを作っていく仕組みといい、見事に自らをブランディング化をした劇団だなあと。小劇場界のユニクロといえましょう(*^_^*)
No.140 超カンタン!黒字公演の作り方◎上田ダイゴ(マーベリックコア)]
 黒字公演の作り方By上田ダイゴさん。お話のテンポが実に良くて、小劇場あるある話みたいなのもあって、あっという間の1時間半。基本的に「人件費抜きで赤字にならない公演をいかに作るか」という話。やはり「芝居で食べていく」というのははるか先の出来事なのだなぁと。まあ、それも、結局は演劇をやることのゴールをどこに置くのかということになのだろうが。長く続けること自体が目的化するのもおかしいし、全てが東京に出てプロを目指すのも違うし、趣味だけでこじんまりとずっとやっていくことを専ら目的にしていくのも何か違うし。野球とかお花とか俳句とか吹奏楽とか、違うジャンルと比べて考えてみるといいかも。ただ、せめて公演の中で、プロデューサーやスタッフの人件費ぐらいは出せる仕組みを作っていかないと、継続は難しい気もする。生きていくためのお金を稼ぐことは絶対に必要だし。役者さんのギャラまでは実際に難しいとは思うのですけど。これも結局、長期的に何を目標とするかに収れんする話。あと、彗星マジックの裏話(というほどでもないですが)が聞けたのも楽しかった。とにかく上田さんの演劇と小劇場に対する愛が溢れていた1時間半でありました。
No.197 演出照明を楽しもう◎濱井一((株)LTD)]
 講師の方はかなり経験豊富な照明家であり、実例を交えたお話は分かり易かったのだが…。正直、このコマの印象は「仕込み不足」。開場が遅れた挙げ句、用意されていたプロジェクターは使えずに非常に見にくい小さなテレビモニターになり、当初は照明卓を操作するスタッフさんもおらず…。せっかくある程度の事ができるホールを使っての時間なのに、大半が小さなモニターを見ての座学というのも正直もったいない。更に、端々に入ってくる専門用語、例えばサス明かり、反響板、ステンのネタ…。分からない人には絶対に分からないだろうなと。決して先生の技能や経験が面白くないことはないだけに、やはりやり方・見せ方・進め方の問題。実態として難しいのかもしれないが、これだけ大規模なイベントになって回数を重ねてくると、講座の数や種類を集めるよりも、効果的なワークショップ技術の向上を全体として図っていくというのも300DOORSの使命の一つになってくるのかなと思わなくもないのでした。
 座学はやはり、講師の話術と、そのお話をいかに自分に引き寄せられるかが大きいなあと感じました。これで芸創館での演劇関係のワークショップはほぼすべて終了。来週はもっぱら廃墟などの講座を楽しみます。(2011/7/31)

こんどであうのは、きっとちがった空。
 昔むかし、日本にはJAL、ANA、JASという大きな3つの航空会社がありました。それぞれに路線に違いがあったり、サービスに違いがあったりして、乗客もそれぞれ派閥に分かれていたのですが、私は判官びいきというか、サービスの良さや当時最新鋭だった777-200の乗り心地の良さなどから「JAS派」。その後、JALとJASは合併したので、必然的にJAL派になっていました。
 と、私が東京に行っていた2002年、ANAが面白いことをします。日本全国1日乗り放題1万円という企画です。私は当時、遠距離恋愛でしょっちゅう東京・神戸間を往復してましたから、まさにうってつけ。こうなると、JAL派もANA派も関係ありません。まず私が東京→関空と移動して、関空で彼女と待ち合わせ。関空から函館に飛んで、朝市でいくら丼食べたりハリストス教会に行ったりして、函館から大阪に戻り、大阪からまた一人で東京に戻ってくる。どんだけ乗っても1万円だからできた、日本全国を股にかけた、なかなか楽しいデートでした。
 1日に何区間も乗っていて気が付いたのが、お客さんを入れる音楽とだす音楽がいつも一緒ということ。JALではあまり気にならなかったのですが、ANAの音楽は旅への期待をかき立てるなかなか印象的なもの。ちょっとだけ勇気を出してアテンダントさんに聞いてみたところ、情熱大陸で有名な葉加瀬太郎さんのオリジナル曲だとのこと。なるほど、確かにそれっぽい曲の進行ではあります。この曲を何度も何度も聞いているうちに、自分というよりは彼女の方がすっかりANAファンに。結局、新婚旅行もANAを使ってのフランス旅行となりました。フランクフルトの空港でANAの飛行機に乗り込み、この音楽を聞いた時、ああ日本に戻ってきたなあとひしひしと感じたものです。
 その後、神戸空港ができてからは、どちらかといえば神戸・東京のSKY便を使うことが多く、また離婚してからはまたJAL派に戻っていましたのでANAを使うことは久しくありませんでした。第二創業の苦しみを味わっていたSKY(今では考えられませんが)や、サービスは良いにも関わらず経営破たんへの道を進んでしまったJALを応援したいという思いがあったのも事実ですが、やはりANAに乗ることに対して若干心に引っかかるものがあったのかもしれません。
 ところが、今月末に東京に行こうかなと考えているのですが、どうも帰りの便がANAの方が時間の都合がよさそうなのです。どうしようかなと一瞬戸惑ってしまいました。でも、もうそろそろANAに乗ってもいいかなと。すっかりほったらかしにしていたANAのマイレージも、今回の世界一周でまたドーンと貯まります(ANAには全く乗らないのですが)。これもいいきっかけだったのかなと、そう思い予約しました。友人の日記でANAのスチュワーデスさんから良くしてもらった話を読んだのも、一つのきっかけかもしれません。
 数年ぶりのANA。あの音楽がまだかかっているのかどうかは分かりませんが、今度はちょっと違った空が待ってくれているはずです。(2011/8/1)

テープの1センチは血の1センチ、芝居の1分は血の1分。
 昨日、ハーバーランドのコーナンで8月中旬と9月上旬の芝居のための各種テープ類を仕入れてきました。ハーバーランドのコーナンは職場から坂を下って歩いて行ける上、神戸駅にも近く、車なしの買い物には便利なのです(普通ホームセンターは車がないと行きにくい場所に立地しています)。演劇をちょっとかじったことのある人ならみんな知ってる緑の養生テープや黒の布ガムテープ、バミリや結束で使う色ビニールテープ、そして超高級品(?)である布両面ガムテープなど、結局5000円ぐらいになりました。一つ一つの値段はたいしたことないのですけど、1公演で相当な量を消費してしまうため、数量が多く、結局総額もかなり張ってしまうのです。先日の300DOORSで「黒字公演の作り方」の上田ダイゴさんが「パンチのごみ取りは安価なクラフトテープでするように。布ガムテや養生でやっている人がいたら怒鳴りつけてください」と言っていましたが、確かにこれだけのテープを一括で購入し、そしてそれが見事なまでに毎公演ゴミとして消えていくことを思うと、その負担の重さには改めてびっくりさせられます。
 もちろん他にも、演劇をするにはセットとか衣装とかカラーフィルターとかいろいろとお金がかかるんですが、改めて考えてみると、アマチュアでは影に隠れているものの、一番の負担は本当は人件費なんだろうなと。正規の社会人であれば(アルバイトであろうと)1日働けば概ね1万円以上にはなるはずです。そのどれ程を一つの芝居のために費やしているのか。1万円×延べ10日×4人(制作、舞台、音響、照明)としても40万円。役者や演出家まで入れると、100万はゆうに超えるはずです。60分の芝居とすれば、1分あたり1万5千円強。趣味でやっていることを全てお金に換算する必要はもちろんないのですが、演劇というのはそれだけの資源(人的資源であったりエネルギーや物質などの資源であったり)を費やして作っているものだし、それだけの価値ある脚本・役者・スタッフワークだけが上演する権利がある。そう言った厳しさを常にどこかに内包しながら、どんな場所どんな作品であっても、真摯に演劇に取り組んでいかなければならないなと、最近改めて感じています。
 ちなみに私自身は、少なくとも今の僕らの技量ではテープをケチケチと使う必要はないと考えていますので、念のため。私たちは素人であり、せいぜい年に数回公演を打つぐらいなので、「効果的なテープの貼り方」のような舞台設営技術の向上には限界があります。むしろ、「多少余計かな」というほどにテープを使って、ガチガチと固定していただければと。多少のテープをけちったことにより、もし怪我だの人的な被害が出てしまえば、それは数万などというお金では決して利かない、取り返しのないことになってしまうからです。ということで、本来必要な分よりもたくさん、余計目に購入していますので、当日はバンバンテープを使って舞台や客席を固定していきましょう!…環境にはまったく優しくないのですけど(^_^;)(2011/8/3)

「セシウムさん」を越えて。
 演劇関係の話が多くなっているので、時には時事ネタで。
 私は就職当初、「広報課」というところにいました。主に出版物を担当していたのですが、当時はDTPという言葉がやっと市民権を得始めたころ。まだまだ出版の世界は昔ながらの、版下つくって、初校・再校して、色校して…という手法を取っていました。とあるとき、色校の段階で初めて、写真の絵解き(キャプション)がダミーデータのままであったことを発見。何人もが見ていたのですが、ダミーデータがいかにもそれっぽい文章だったので、逆に皆見逃してしまっていたようでした。思い込みというのは怖いなあと、以後、特に注意して見るようにしたものです。
 今回の「セシウムさん騒動」も、なんとなくこれに近いものを感じます。出来あがったものがそれっぽいので、あまり考えずにテレビに出してしまったのでしょう。昔むかしのように、印刷物を作るために活字を拾ったり写植を貼ったり、テロップを作るのにボードに切り字をしたり文字を書いたりしていた時代には、絶対にあり得なかったことだと思います。何でも簡単に作ることができる時代になったからこそ、逆に作業は慎重になる必要がある。たとえば、ダミーデータの段階から「もしそれが外に出ても最小限の被害で食い止められる」ということ前提の作業が必要などということを、改めて思い知らされました。
 それと同時に、起こってしまったことはもう起こってしまったことですし、作った本人や流してしまった本人はそれほど悪気もなかったと思うので、関係者が謝罪すればそれでもう十分かなという気も。これ以上、テレビ局や番組スタッフを吊るしあげても全く生産的ではないでしょう。番組を休止してしまっているそうですが、そこまでする必要はない気がします。テレビや出版など、ある程度クリエイティブで、他人に影響を与えうる人々は、決して常に従順であってはいけません。現状をシニカルに捉え、一種のブラックユーモアでくるみつつ、社会的な問題点を明らかにしていくというのも、彼らの社会における重要な役割なのです。東海テレビをはじめとするマスコミの方々には、今回の事件(事故?)の問題点は問題点として捉え、それはそれで反省したうえで、でも今後も決して委縮することなく、世の中の森羅万象をいろんな角度から伝えていってほしいなと思っています。(2011/8/5)

産業遺産、廃墟、そして南米へ!
(300DOORS感想その3)

 今回の300DOORSは全10コマを取ったのですが、残りの4コマのうち3コマは、近代建築や産業遺産、廃墟に関わるもの。残りの1コマはスペイン語。10月の旅行をちょっと考えたラインナップとなりました。
No.225 京阪神の近代建築〜その歴史的、文化的背景とともに◎北夙川不可止]
 築83年の近代建築である芝川ビルで聞く京阪神(というか大半は阪神間)の近代建築のお話。私を含む好きな人にとってはあっという間の90分でした。講師の方が色んな意味で独特な方で、好き嫌いはあるかなーと思いつつも、居住地域とか、小さなころからのキリスト教体験とか、個人的にはかなり相通ずるものを感じました。面白かったのが、「京都の町衆はずっと京都に住み続けているし、神戸人はエトランゼだけど今住んでいる自分の街が好き。だけど大阪の人はできれば大阪以外に住みたいと思っている。それが住民パワーにも影響している」という考察。確かにそれはあるかも。自分の身近な近代建築と言えば、出身高校が完全に破壊されてしまった今となっては、御影公会堂ぐらいかなあ。まあ、神戸市も「建築物語」で取り上げたぐらいなので完全破壊はないとは思っているのですけどね。でも、今のままで朽ちていくのも問題だし…むずかしいもんです。
No.302 廃墟/工場 撮影入門!廃墟・工場の魅力と撮り方教えます!◎HEBU、芝公園公太郎]
 近代建築よりは若い人多し。立派な一眼レフ持っている人多数。演劇関係のワークショップとは明らかに違った雰囲気です。3分の1がお二人の経歴やこれまでの撮ってきた廃墟や工場の紹介。3分の1が一眼レフカメラ技術のお話。3分の1が実際にカメラを使っての実技。全体構成や話の流れ、作ってきたパワポ資料をみても、実に良く準備されてきたのがよくわかるワークショップでした。個人的には一般的なカメラの使い方よりも、廃墟工場ならではの話しが聞きたかったところ。とはいえ、そんな話しも結構あって、流石の仕込みでした。ところで、カメラの絡まない廃墟、工場趣味ってあるんかなぁとか、新しい疑問も。僕もコンパクトカメラだけとはいえ、ついつい旅先で写真に凝ってしまうし。いろいろ考えてみると、楽しそうです。
No.303 廃墟/産業遺産を巡る旅「ヘリテージツーリズム」の楽しみ方講座◎前畑洋平、ドイテフ、七爺(特定非営利活動法人J-heritage)]
 産業遺産編、廃墟編、廃線編の3部構成。それぞれ概略と有名スポットの紹介。実は行ったことのあるスポットも実はちらほら…軍艦島はやはり聖地なんですね。若かりしころ、かなり悩んだあげく、予定変更までして行っといた価値がありました。廃墟編、廃線編は、後半に行くにしたがって難易度が上がっていくという流れ。ここまでいくと「なんのためにそこまで苦労して…」と思ってしまいますが、それを苦労と思わないのが趣味ですよね。ちなみに、例にもいくつか出てきましたが、兵庫県というのは産業遺産にも廃墟にも廃線跡にも恵まれた地域だなあと。まあ、それだけ過去の遺産になったものが多いわけで、素直に喜んでいいのかは若干戸惑いますが(^_^;)
No.299 オラ アミーゴ スペイン語会話を学ぼう。◎ElenaAlfaro(エレーナ・アルファロ)]
 30人越え。9割近くは女性。やっぱり語学は女性が多いなー。一部、とても初心者とは言えない人もいましたが、大半は初めてのスペイン語という感じ。最初は講師・受講者ともなんとなく慣れていない雰囲気でぎこちなく始まったものの、少しずつ何とか形に。サルサとかフラメンコとかで興味を持ったという人が多かったのが、流石スペイン語といったところ。内容は本当に簡単な挨拶とアルファベット、文化などに関する質疑応答。チリ出身の方ということで、地球の裏側の国の話しなど。2ヶ月後にその直前まで行ってきます。気になったのが「国籍を尋ねるのは失礼かどうか」という話。南米や北米では普通の自己紹介の内らしいけど、日本ではちょっと失礼かも。文化の差って難しいですな。
 ということで、私にとっての300DOORSはこれにてお開き。なかなか楽しい10コマでした。個人的にはやはり座学よりも実際にやってみる系の方が大変だけど楽しかったかなという感想です。来年もどんな講座が待っているのか、今年に囚われず、貪欲に取っていきたいと思っています。(2011/8/7)

シンガポールで修行僧
 とりあえず、ペルー・ボリビアの大まかな日程が決まり、ニュージーランド・オーストラリアも押さえるところは押さえたので、ようやく一段落…となるところだったのですが、別のことに興味が向いてしまいました。いわゆるマイル修行です。
 今回の世界一周、そもそもすごい距離なので結構なマイルがたまるなーということは事前に気が付いていました。それで来年は東南アジアとか、近場を回っていこうかなと考えていたのです。しかし、マイルにはもう一つの世界がありました。それが「上級会員」という世界です。飛行機によく乗る人であればご存知かと思いますが、「ワンワールド○○メンバーの方」とか「スターアライアンスゴールドの方」とか優先搭乗で案内が入っているあれです。もともと仕事で飛行機に乗ったり海外に行ったりすることが皆無なので全く縁のない世界だと思っていたのですが、今回、世界一周することにより、あと8千ポイントためれば、上級会員資格の5万ポイントに到達できそうなのです。わざわざ大金をかけてこれだけを取る人々(いわゆる修行僧)がいるぐらいなので、多少無理してでもとってみようかなという気にだんだんなってきました。
 ただ、8千ポイントというのもなかなか普通に国内線を乗っていては獲得できません。たとえば、東京大阪間の片道普通運賃で獲得できるのはわずか960ポイント。旅割などの割引運賃の場合、更に低くなってしまいます。と、いろいろと調べていると、どうも「シンガポール修行」なるものがあるらしいと。それも、シンガポールには一切入国せず、空港内でUターンし、そのまま乗って来た機材で引き返す「SINタッチ」という技すらあるとか。(例:ANA:海外乗継割引スペシャルのSINタッチ活用法とかANA SINタッチ弾丸修行とか)大阪−沖縄−成田−シンガポール−羽田−沖縄−大阪と、わざわざ日本国内を大めぐりに回ることにより、約1万2千ポイントが獲得できるらしいのです。
 個人的にはシンガポールに行ったことないので多少は観光したいものの、今年(2011年)中にこれ以上年休を取りにくいのも事実。今考えているのは、11月後半、金曜日の晩に大阪を出て、東京経由で、朝6時にシンガポール着。一応ちゃんと入国して、土曜日はほぼ1日マーライオンを見たりナイトサファリに行ったりして、翌日の午前1時シンガポールを出る便に乗り、東京から沖縄経由で大阪に帰るぐらいかなあと思っています。これだと何とか休みなしで日帰り海外に行けそうですし、8千ポイントは軽く獲得できそうです。(もちろん、相当お金もかかっちゃうんですけどね…今はサーチャージも高いし…まあ、来年こそは節約しよっと。)
 ほぼ丸1日のシンガポール観光は確保できるとはいえ、ほんとひたすらエコノミークラスに乗り続けるわけで、修行という言葉のとおり苦行は苦行です。ですが、1回ぐらいは修行僧の気分を味わってみるのも、また貴重な経験かなと思ってみたり。ちなみに、このあたりも調べだすと何時間でも簡単に過ぎてしまうわけで、なかなかに寝不足の日々が続く今年の夏なのです。(2011/8/9)

プロの大人の本気の遊び
(南河内万歳一座・内藤裕敬プロデュース「七人の部長」感想)

 演劇を始めるきっかけの中で一番メジャーな入口の一つが「高校演劇」。高校演劇にはコンクールなるものがあり、公演時間が60分と決められているのだそうです。そのコンクールの定番作品ともいえるのが、この「七人の部長」だそうです。私は高校演劇をほとんど知らないので(多少見たことはありますが)、この作品も初見。ある意味、先入観なしに見ることができました。
 女子高のクラブの部長7人の物語。うち5人は男性が演じます。最初は当然違和感がありコメディータッチで話が進むのですが、徐々に違和感を感じなくなってくるから不思議です。そして、残り2人の女性、元気いっぱいな生徒会長兼手芸部部長・和田亞弓さんと、ちょっとエキセントリックな演劇部長・吉井希さんが、ポイントとなるよい役割をこなしています。
 スタッフワークで言うと、地明かりがとにかく美しい。開始前、「あんなにたくさん灯体吊ってどんなすごいことするんだろ」と思っていたのですが、決して奇をてらうことなく、でも静かに地明かりが変化していました。実に繊細でお手本にすべきものだったかなと。一方残念だったのが夕焼けで、なんとなく唐突な明かりの変化だった気が。たまたま私が見た回がそうだったのかもしれませんし、ソースフォーの特性なのかもしれませんが、地明かりが美しすぎるだけにもうちょっと丁寧に変化させてほしいところだったかなと。大きな格子だけのネタも素敵だったので、残念です。音楽も、ファンタジーのようなノスタルジックなようなテーマ音楽(?)が実に舞台の雰囲気と合っていました。
 もともと高校生がやっている演劇を、ある意味、原作に忠実に、大人が最大限の遊び心を加えてやったらどうなるのか。そんな壮大な実験であり遊びが、この作品だったのかも知れません。意義や成果なんてことは関係なくやっている潔さも感じました。考えてみれば、高校生が演劇をするのも意義や成果なんて関係なく、ただ何かを演じたいという思いの下にやっているわけで、そういう意味では、プロの大人たちがやっていることも同じことなのかもしれません。平成13年度の女子高生たちに不思議なノスタルジーを感じながら、今この時に繋がる何かも感じながら、爽やかな劇後感を残してくれました。(2011/8/11)

過ぎ去った日々はちょっぴりセンチメンタルで
(劇団スターダスト日本「うそつきおっさん」感想)

 ここ数日、友人の劇団の稽古を見に行ったり、公演を見に行ったりで、もう学校生ではないのにすっかりピッコロづいています。昨夜は、一昨年のピッコロ演劇学校本科生の人々が中心となって旗揚げした劇団「スターダスト日本」の第1回公演「うそつきおっさん」を見てきました。去年1年間、活動しているという音沙汰なかったので大丈夫かなと密かに心配していたのですが、いざ蓋を開けてみればピッコロ関係者以外の劇団員も多く、しっかりとしたチラシだの受付管理だのもなされていて、なかなかの劇団になっていました。
 役者さんは上手い人もまだまだの人もいるのですが、「ちょっぴりセンチメンタルでちょっぴり下品なオムニバスストーリー」ということでお話が次々に切り替わり、あまりしんどいこともなく。特に印象に残ったのは、小学生役の未来さんとヨシザキカナさん。あの2人、演技もあるのだとは思いますが、ほんと小学生にしか見えないんですよね。一応、男の子と女の子設定(ヨシザキさんがボロボロの赤ランドセルを背負っている)だと思うのですが、そう言う方向でお話が展開しなかった(あるいは2人の関係性が垣間見えなかった)のが若干残念な気も。あと、印象的と言えばやはりひよこ役のシゲさんでしょう。簡単そうに見えてああいう役は、そこそこの実力がないとみている方がしんどくなっちゃうんですよね。でも、そういうことがなかったのが彼の芸なのでしょう。シリアスな演技とかも見てみたいところです。
 いくつかあるお話の中で一番好きだったのは、ベタですが「オフ会」。話の筋自体はすぐに分かったのですが、出てきた4人のやりとりがなかなか絶妙で、シチュエーションとして楽しませていただきました。個人的には司会の女性が自分の身長と体重を言うシーンが、ちょっとかわいらしいのと同時に謎解きの一つになっているところがなかなかよかったなあと。もちろん、夕日に照らされたラストシーンのうそつきおっさん&小学生2人も素敵。昔は確かにああいう子どもだけを相手にする怪しい人というのがいて、そんな人を「なんだあいつ」とか言いながらも遠巻きに見ている中で、子どもたちはいろんな事を学んでいった気もします。子どもの安全というものが重視される昨今、もうおっさんはこの町だけではなく、多分どの町にもいないのでしょう。社会が「うそやいかがわしいものの中にも何かの意味がある」というような寛容性と多様性を失っているようで、ちょっとさびしい気もします。
 ちなみに、一昨年の本科生主体の劇団としては、私も何やかんやと関わらせていただいている「四次元STAGE」もあり、みんな卒業してもなかなか活発だなーと嬉しいかぎり。作品を見ながら、2年ほど前にも「おかんのバカやろー」といってランドセルしょって集団家出した小学生たちがいたよなあとか、昔の中間発表会を思い出し懐かしくなってみたり。そして、観客の中にも1年半ぶりぐらいに会う懐かしい人もいたりして。ピッコロでの出会いを大切にしつつ、さらにその出会いをきっかけにまた新しい様々なつながりができていったらいいなあとか、そんなことも感じつつピッコロシアターをあとにした金曜日の夜でした。(2011/8/13)

今は分からないことを求めていこう
 先週、今週は、ピッコロづいた(?)日々を送っているわけですが、ちょっとデジャビュっぽいことがあったので、防備録的に書いておきます。
 金曜日、一昨年の本科生(27期)主体の芝居を見に行った帰り。久しぶりの人が居たこともあって、ドムドムバーガーでフリードリンク片手に延々とおしゃべり。お仕事の話や近況などもあったのですが、やはり最後は中間発表や卒業公演など、みんなで作った演劇の話に。そこで出たのが「昔は先生たちが言っていたことが何を意味しているのか全然わかっていなかったけど、今になって初めて分かった」という言葉。周囲の人もみな同意していたので、一昨年の演劇学校というのはそんな感じだったんだなーとか思っていました。
 と、土曜日。この日は3年前の研究科生=4年前の本科生(26期)の人がやっている芝居の稽古見学。当初はなかなか厳しかったのですが、本番まで1週間を切り、なんとか形になってきました。その帰り道、26期の人々と小一時間立ち話をしていたんです。と、そこで出た話が「演出家のダメだしに頼り過ぎてはいけない」という話と、「昔先生が言っていたことが何を言っているのか分からなかったけど、今になって初めて分かった」という話。1日前と全く同じ言葉でした。年も違い、性別も違い、さらに習った先生も違うのですが、全く同じ感想が出てきたことに、一種の感動すら覚えました。
 ピッコロの本科は、ここ数年、主任講師が代わったり、卒業公演の演出家が代わったり、技術学校と組むかどうかがかわったり、中間発表が研究科と同時開催になるかどうかがかわったりと、大きな過渡期にあります。それぞれの期の間で、経験や感想に、若干の断絶もなくはなさそうです。でも、ここで20数年間にわたり練り上げられたカリキュラムというのはやはり大きな意味があって、それが伝統として受け継がれているのだろうなということを改めて感じたのです。
 8月も、もうあと半月。ピッコロフェスティバルが終われば、演劇学校・舞台技術学校が本格的に中間発表会へと向かっていく季節になります。今年の本科生は、自主的に勉強会をやったり芝居を作ったりと、なかなか意欲的な様子。もちろん、そのままストレートに行くはずはないのですが、悩んで苦しんで、何でかなと思いながらもがきながら作品を作っていく中で、先輩たちと同じ「あのときは良く分からなかったけど、今となったらよく分かる」有意義な体験をしてほしい。今年は遠くから、そう願っているのです。(2011/8/15)

幸せってなんだっけ こうやって演劇が見れることかな
(劇団演陣「現実、遠い日」感想)

 ピッコロフェスティバル第2段は演陣さん。ピッコロ技術学校同級生の方が代表をされている劇団です。今回が第17回公演とのこと。なかなかのもんです。今年もオリジナルの脚本を持ってやってきました。去年のnoteがなかなかに良かったので、さて今年はどんなお話を繰り広げてくれるのかと期待して伺いました。
 今回はマンガ家はマンガ家でも、売れないニートのマンガ家の話。おばあちゃんから送られてきた乾うどんと手紙をきっかけに動き出す、過去・現在・未来の物語。その中で彼が問い続けるのは「そもそも幸せとは何か」ということ。成功したからといって幸せとは限らない。結婚したからと言って幸せとは限らない。しかし、死にゆく身であるとしても不幸せとは限らない。多少荒削りなままにいろいろな場面が繰り返される中で、主人公はある意味一途にこの問いに答えようともがいていきます。「幸せとは何か。幸せな状態とは一体どのような状態なのか」という問いは、演陣の代表、今回の作者でもある清田千恵子氏のライフワークなのかもしれません。彼女自身の様々な経験がわりとそのまま表出されている気も。もうちょっと熟成してみたら、また違った味わいが出てきそうです。
 役者としては、なんと言っても古川裕扶子嬢のシリアスな演技が見事でした。彼女と言えばどうしても意地悪な神様役の印象が強いのですが、どうしてなかなかの女優だなあと。一方で少年時代の主人公を演じるときはすっかり子どもになっているわけで、そのあたりもマニアックに楽しめました。そして、演陣の看板役者・大塚雄也氏や主演の水澤豊氏も堂々の演技。今回は水澤氏や鷹野氏のように演陣初出演の人も多かったようなのですが、それぞれに個性的でいい味を出しています。
 一方で、注文をつけるとすればスタッフワークでしょうか。照明・音響ともに切替時の変化があまりにも雑なのです。ピンスポットに関しては、狙いや消すときに「迷い」があるのが、多分大半のお客さんに分かってしまったのではないでしょうか。特に今回はシリアスなお話なので、スタッフワークのちょっとした躓きが作品世界を壊しかねないのです。ただ、数が少ない割に照明の色使いはよく、またBGMや効果音の入れ方・選曲は決して悪くくなかったので、あとはオペ力を上げてほしいなあと。あと、客入れの人員が足りなかったのか、ホールの方だけが頑張っていた気も。このあたり、ピッコロフェス特有の事情もあり、なかなか難しい部分ではあるんですが、慣れている劇団だからこそ気を付けてほしいなあという気も。
 ともあれ、毎年1作品、こうやって本気のオリジナル長編で勝負してくれるというのは非常にうれしい限りですし、それをずっと見れるというのも嬉しいことです。劇団演陣、これからも見続けていきたい劇団の一つなのです。(2011/8/17)

『夢おちー?!』のあと(ひろうこ「if」感想1)
 1カ月あまりに渡って取り組んできた、演劇サークルひろうこ旗揚げ公演「if」。昨夜、無事、その幕を下ろしました。
 始めはちょっとしたお手伝いのつもりだったんですが、話を聞くにつれてその大変な状況が判明してきて、最終的にはしっかり入りこんだ(入り込まざるを得なかった)公演でした。ピッコロフェスティバル参加企画の規定である「当日仕込み・当日公演・当日バラシ(乗り打ち)」というだけでも大変なのに、全く面識のない2団体が公演時間を変えて行う。それもお互いに「旗上げ公演」。実は、「ピッコロフェスティバル」で1日に2団体が公演を共同で行ったのは十数年ぶりだったそうです。確かに想像以上に大変だったし、それぞれに多少不満が残った部分もあるとは思うのですが、ちゃんと実施できたこと自体が、少なくとも舞台監督としては大きな成果だったかなあとも思っています。
 今回のお芝居は、ニートの女の子が、外に逃がしてやった蠅の恩返しでアイドルになる夢を叶えるが、それは結局夢だったという「夢オチ」のお話(ちゃんと『夢おちー?!』と主人公がセリフを吐いています!)。基本的にはコメディなので、別に感動させたり、教訓的であったりするようなお話ではありません。そういう意味では、逆にとらえどころのない、難しい部分もあったと思います。僕自身も「コメディは難しい」と常々言っているところです。ただ、お二人ともそれなりの演劇教育・訓練を受けた役者さんなんですよね。演劇学校同期の方々の演技指導が入ってから、本当にめきめきと芝居が出来あがっていったのも、そのバックボーンがあったからかもしれません。と同時に、第三者の視点というのは大切なんだなあ、演出家の能力というのは偉大だなあという感想も持ちました。
 あとから聞いたのですが、高校時代の同級生であるこの2人、一度がっつり組んで芝居をやりたいというのが長年の夢だったそう。その夢は、確かに昨夜19時からのあの舞台で実現しました。次は、この夢の後をどこに持っていくのか。いわゆる「夢オチ」話は、夢見る前の主人公と夢を体験した後の主人公に何らかの内的変化があるからこそ、お話として成立するのだろうと思います。「ひろうこ」として継続して2人芝居を打っていくのがいいのか、あるいはそれぞれに別々の道を究めるのか、あるいはどこかの団体に合流するのか。ある意味、夢の中での出来事のように過ぎ去った今回の公演。ニートだった22歳の百合ちゃんは、この出来事を越えて、今後どうなっていくのか。そして、恩返しを終えた真由吏ちゃんはどこに飛んで行くのか。そんなお話の続きも気になっているのです。(2011/8/19)

『…あんな疲れる夢、二度とゴメンだー!』のあと(ひろうこ「if」感想2)
 木曜日に公演、金曜日に仕事ということで、昨日(土曜日)はゆっくりと休養をとらせていただきました。金曜日の仕事は本当にしんどかったのですが、1日しっかりとだらだらしたので、今日は爽快です。
 今回は2人芝居だし30分チョイだしややこしい道具や転換もないし楽勝、と思って割と軽い気持ちで舞台監督を引き受けたのですが、公演を打つというのは出演者の多少や公演時間の長短に関わらず、しっかりと一人前に大変なんだなあと。2団体合同公演は調整や目配りが大変でしたが、逆に仕込みやバラシの人出の面では大いに助かったわけで、それだけが原因とも思えません。時間的な困難や設備のトラブルなどもありましたが、それだけでもないんだろうなと。ほぼ毎週1度は芝居を見に行く生活を送っているとつい忘れがちな、1つ1つの公演の大切さ・貴重さというのを改めて思い知った気もします。(そういう意味では、毎週火曜日に乗り打ちで(時には2団体が)やっていた「火曜日のゲキジョウ」というプロジェクトは本当にすごかったんだなあと改めて実感します。)
 大変という意味では、2人芝居でもスタッフの数や重要性は変わらないというのも、改めてではありますが、大きな発見でした。2人芝居だからこそきっちりとした演出が必要だし、舞台の動きなども把握しておかないといけない。音響のキューや照明の当たりも厳密になる。そして、受付や場内整理などの表方さんの数は決して変わらない。制作や観客動員という点では、役者が少ない分、むしろ大変なぐらい。いやはや、頭では分かっていても、実際にやってみないとなかなか実感として分からないものです。
 公演直前に出演者の方から「こんなに大変だとは思っていなかった」というお話を聞きました。それは私もそうでしたし、正直、こんなに疲れることは二度とゴメンだーという気も致します。でも、疲れない公演なんて演劇の公演じゃないし、心も体も限界まで使って、体力的にも精神的にも疲れるからこそ、その先の世界を覗くことができる充実感もあるわけで、多分またあの場所に向かってしまうんだろうなという気もしているのです。(2011/8/21)

〔おまけ〕演劇サークルひろうこ旗揚げ公演「if」 好きな名セリフ集
※恒例ですが、記録を兼ねて残しておきます。30分、2人芝居なので少ないですが…。
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「んー…ヒマだなあ。」
 今回の公演、このセリフが出るまで約15分間、客入れの間中、役者さんは板付きでだらだらしていました。こういうパターンは結構あるんですが(特に開場と開演の間の時間が短い芝居は「もしかしたら」と思ってしまいます)、役者さんにとってはかなり大変だそうです。でも、確かに「ヒマ」というのを表すのにはいい演出なんですよね。自分自身はその姿を多少垣間見た程度ですが、なんとかこなしていたのではないでしょうか。

「小学生の時、Wゆりちゃんって呼ばれてたじゃん!」
 今回は高校時代の同級生の二人芝居ということで、シチュエーション的にもやりやすいのがあったのでは。というか、やりやすく書いたんでしょうね。百合がボケ、真由吏がツッコミのイメージは、確かに現実もそうかも。この台本、「Wゆりちゃん」とか「初舞台にしたらややウケ!」とか「講師なめんな」とか「もう何もつっこむまい」とか、ちょこちょこセンスの良いセリフが散りばめられていました。

「あめんぼあかいなあいうえおー…ってか、あめんぼって赤くない?黒いよね?」
 演劇界、永遠の謎です(笑)。

「もどりたいんだよねー。」
 ここからの真由吏さん、非常に面白かったです。演出もどんどん遊んでいった感じが。この台本、いまいち「if」という薬の役割が明確でないきらいがあったのですが(たとえば前半の芸人バージョンは「if」を使わなくてもデビューを果たしているなど)、彼女の演技力で強引に話を持って行ってくれた気もします。

「こちらこそ、ありがとう。」
 今回は本当にスタッフに恵まれた公演だったと思います。もともと受付で呼ばれたにも関わらず、演技指導(演出)をみっちりとやってくださったピッコロ演劇学校本科・研究科26期生の皆さん。そして、よんすてでもご一緒の技術19期生照明・音響・撮影チーム。当日手伝いには18期美術の人が来てくれたり、バラシは本科28期の方が手伝ってくれたり。楽屋掃除も私が何も言わなくてもちゃんとできており、そのあたりもさすがでした。色々と大変な公演でしたが、大変だったからこそ充実感もありました。そして、何よりも、最後まであきらめずに力を出し切ってくれた役者のお二人にも感謝。こちらこそ、ありがとうございました。

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たった一夜の夢の世界 それを作りあげた現実
(門真市民ミュージカル「蓮の夜の夢」感想)

 友人が出演しているということで、はるばる行ってきました門真市へ。通過や乗り換え(大阪モノレールへの)はともかく、目的地として門真に行くのは初めてかも…。神戸から意外と近かったのでびっくりしつつも、会場のルミエールホールへ。
 シェイクスピアの「夏の夜の夢」を下敷きに(どこかの卒業公演見たいだなあ)、門真市特産の蓮(レンコン)を取り上げての作品。こういうパターンというのは往々にしてやぼったくなりがちなのですが、なかなかうまく脚色されており、「夏の夜の夢」を知っていてもいなくても十分楽しめる作品になっていました。また、市民ミュージカルということで、大量の出演者をうまく割り振る必要があるのですが、それも4つの村とレンコンの精・蓮の花の精と6グループに分け、それぞれ衣装で明確に性格付けをすることにより、かなり分かりやすい姿にまとめていたと思います。
 今回特に良かったのは、蓮の葉をかたどった舞台装置でしょう。大きな舞台面を最大限に生かすよう、一つ当たり3畳〜4畳分ぐらいある大きな蓮の葉が7つ、弧を描くように並んでいるのです。前後に移動するセンター部分は、2間(約3.6メートル)近い高さがあったのではないでしょうか。子どもが圧倒的に多い市民ミュージカルで、あそこまで高低があるセットを組むのは、舞台監督さんをはじめ大人の人々が大変だっただろうなーとつい考えてしまいます。一部は、演技が難しいとされる、傾斜のついた八百屋舞台でしたし。当然それにチャレンジしただけの効果は明らかにあって、小さなポール状の蓮の葉と相まって、独特の世界を作り上げていました。あそこまで本格的な舞台で演技ができた経験というのは、あとあとになって子ども達にも大人たちにも、大きなものになってくるだろうなと。
 役者さんは客演の方もいたりしてレベルはいろいろでしたが、各グループにそれぞれ面倒をみるような人も配置されていて、そのあたりは市民演劇風だなあとか。特に、メインのパック役をやった男の子の演技が光りました。また今回は吹奏楽の生オケだったのですが、その熱演&熱い指揮もなかなかに見どころでした。ただ、吹奏楽は劇伴音楽として考えると、どうしても音量が出過ぎてしまうんですよね…。ホール特性なのか、座った場所が悪かったのか(2階席の1列目)わかりませんが、演奏中は舞台上のセリフと歌詞が非常に聞き取りにくかったのが残念と言えば残念でした。
 しかし、100人近い人々が舞台上であれだけのレベルのダンスなり歌なりを繰り広げるというのは、それだけで観客を圧倒する何かがあるものです。舞台上で演じられた世界は夢まぼろしの夏の夜の夢かもしれませんが、それを作り上げたのは、人々の熱い思いであったり、それを支える確かな技術、そして周囲の人々の応援と思いやりという現実なのでしょう。これまでほとんど知らなかった門真という街の底力を感じるとともに、市民演劇・市民ミュージカルの可能性にも改めて思いをはせた1時間40分でした。(2011/8/23)

東京、そしてつくば。思い出の地へ
 今週末、久しぶりに関東に行ってきます。つくばで同窓会があるのです。
 実は私、やはり東京というのは良くも悪くも流行の発信地で、時々触れておかないと感覚が遅れて行ってしまうので、年に1回ぐらいはその空気に触れたいなとは思っているのです。私が言うと意外かもしれませんが、やはり関西と関東では、情報発信力が全然違います。ということで、今年も行きたかったのですが、何分、海外旅行の方が忙しくて行けていなかったのです。東日本大震災当初はとても行ける雰囲気ではなかったというのもあります。今回、同窓会にいろんな人から誘っていただき、ちょっとバタバタした日程ではあるのですが、上京することにしました。
 今回は、行き帰り飛行機+ホテル1泊で24,400円というJALのダイナミックパッケージを使いました。こうやって買うと、東京でもかなりお安く行けるんですね。まあホテルはチサンホテル品川ウエストというビジネスホテルで、決して便利でも分かりやすくもない場所にあります…。ですが、実はこのホテル、昔むかしのおじいちゃんおばあちゃんの家から歩いて5分ほどの場所にあるのです。私はあの辺りにそこそこの土地勘があるので、駅から多少歩く場所にあろうが、何の問題もありません。私だけの特殊事情ですけどね。せっかくなので、早朝かもしれませんが、数年ぶりに北馬込や荏原町の雰囲気も感じたいなと思っています。(ちなみに、東京出向時代に一度試しであの辺りに行ってみたのですが、あまりにも自分の記憶が確かなのにびっくりした経験があります。小学生の頃の記憶ってすごいですよね。)
 ちなみにつくばも1年半ぶり。意外と、なんやかんやで行っています。つくばの街、TXもでき、少しずつ変ってはいるものの、行けば変らぬ街並みと建物が自分を迎えてくれます。東京、そしてつくば。自分にとって大切な思い出の場所が、ちょっと遠い場所に確かにある。その楽しさと喜びも感じながら、多分人生の中で百数十回目の東京・大阪間移動の旅に出かけます。(2011/8/25)

※8/27は東京にいるため、次回更新は8/29の予定です。

きらきらつくば きらきらおおた きらきらさんだ
 先週末、つくばと東京都大田区と三田に行ってきました。つくばは同窓会、東京は宿泊(正しくは品川区)とちょっとしたお散歩、三田は市民演劇の観劇でした。
 つくばで同窓会&ファミレスでおしゃべりの後、TXつくば駅まで送っていただいたところ、ちょうど「まつりつくば」の真っ最中。他の関東在住の方はさくっと帰られたのですが、私はなんとなく名残惜しく、すこし歩きまわってみることにしたのです。と、普段は閑散としているつくばとは思えないほど相当な人の波。前に進むのも大変です。更に気が付いたのが、若い人や小さな子供を連れた家族が実に多いのです。つくばが、人口構成の面でも人口増加の面でもいまだに発展を続けている、日本でも稀有な街だということを改めて思い知りました。(参考:Wikipedia「つくば市・市民」)そして、図書館のあるアルスホール、吹奏楽のコンサートをやったノバホール、市民演劇の会場だったカピオホールと、魚屋バイトをやっていた筑波西武と、夜のお散歩。8時を過ぎていたためどこも入れませんでしたが、あの時のままの佇まいであったり、どこか少し変わっていたり。自分は筑波大学ももちろん好きだったのですが、むしろつくばという街自体も好きだったんだなあということを、改めて思いだしました。ずっと中にいると気が付かない、見えてこないものは結構ある。一度外に出たからこそ分かる良さや素晴らしさもある。そんなことを感じながら、歩いていたのです。
 ちょっと違うけど、同じことを感じたのが、大田区ならではのどこかのんびりした日曜日の朝の雰囲気漂う洗足池であり、高品質でひねりなく精一杯みんなが演じていた三田の市民演劇でした。大田区はもう2度と住むことはないであろう場所であり、三田の市民演劇も多分もう参加することはないでしょう。でも、だからこそ、自分が住んだり自分が袖裏に回ったりしている時には見えなかった良さや素晴らしさが、改めて浮かび上がってきた気がします。
 光の中にいるものには、自分がいま光の中にいることは分からないのかもしれません。あまり楽しいことがないようについ思えてしまう日々の日常。でも、その中にもきっと光はあるはず。それを探してみることも大切なのかとちょっと思った、この2日間でした。(2011/8/29)

ひかりに満ちた この舞台に
(三田市民演劇三田交響曲「さんだほたる 第一章〜家族〜」感想1)

 去年はボランティアスタッフとして参加していた三田市民演劇。今年は世界一周旅行や友人劇団の舞台監督などもあり、観客として見させていただくことになりました。久しぶりの三田駅、久しぶりの郷の音ホール。あんまりにも暑くて、ほとんど熱中症になりながらも、なんとかたどり着きました。
 小ホールいっぱいのお客さん。当日券はなしとのこと。開演前にプロジェクターから映像が出ていたり、登場人物による前説などは、前回の「夏ざくら」とほぼ一緒。いろいろと懐かしいです。
 今回は最初から「第一章」と銘打っているとおり、(多分)大きなお話のイントロダクション的な部分。正直、これだけを見て終わったとすれば、多少不満が残る内容かもしれません。メインのひかり一家がどうなったのか、どのような奇跡を三田に起こしたのかとか、全然分かりませんし…。ただ、その謎は3年間の中で少しずつ解明され、第三章で壮大なカタルシスを持って語られるのでしょう。3作品を一連として捉えるべき演劇なのかなとも感じましたし、第2シーズンだからできる冒険という気も致します。自分自身はよほど大きな出来事が起こらない限り、来年・再来年も見に行くと思うので、楽しみと言えば楽しみです。
 役者さんは、皆さんとてもお上手でした。それも、いわゆる脇役にきらりと光る演技をされた方が多かったような気がします。自分の記録までに、ちょっとあげてみます。「暁美−紀香の嫁姑と昌子−柚季の母娘:本編とはあまり絡まないし、演技も決して技巧的ではないのですが、でも関係性をきちっと捉え、自分のものにして演じているのが良く分かりました。この2組、第二章や第三章でどうなっていくのか、ぜひ見たいです」「ほたるたち:登場シーンのダンスは正直しびれましたね。またお姉さんグループと妹グループの対比がセリフだけではなく、行動や態度としてうまく表現されていました」「和泉:去年のヒロインさんなんですが、それを完全に忘れさせるコメディエンヌとしての名演技。彼女の女優魂を改めて思い知りました」「瑞恵&丈夫:いかにも小学校の先生という瑞恵さんもよかったのですが、コミカルな丈夫くんの雰囲気は最高。去年の尾田先生の場所にすぽっと収まっちゃいましたね」もちろん、他の方々も場面場面を自分なりに捉え、自分のものとした、非常に高レベルな演技であったと思います。
 そして、すごかったのはダンス。去年もすごかったんですが、今年は明らかにそれをしのいでいたと思います。意外なことに(失礼)、男性陣のダンスがちゃんと決まっていたのがなかなか素敵でした。どうしても市民演劇は若い女の子が多いので、下手をすると、そこそこの年齢の男性のダンスというのは浮いてしまうんですよね。でもそれもなく、むしろアクセントとしてきちんと機能していたというのは、三田市民演劇のダンス、また更にレベルを上げたなと感じさせる出来事でした。
 今回の出演者の皆さんは、私が知っている方もいれば、知らない方もいらっしゃいます。最初はどうしても知っている人に目が行ってしまうのも事実です。でも、話が進むにつれて、知っている知っていないに関係なく、舞台上で輝いている一人ひとりに目が行くようになりました。この、たくさんの光に満ち溢れた舞台こそがほたるヶ丘であり、さんだほたるなのかなと、そんなことも感じたのです。(2011/8/31)

舞台技術に戯れるひと時
(三田市民演劇三田交響曲「さんだほたる 第一章〜家族〜」感想2)

 昨日の続きで、今日はスタッフ関係の話題など。
 前回も感じたのですが、今回もすごかったです、照明。決して奇をてらってはいないし、ムービングやレーザーも使っていないのですが、実に繊細でよく練られています。いろいろと素晴らしいシーンがあったのですが、特に舞台奥で芝居をしている時に舞台前だけを生のレインライト(でいいんかな)で照らした時は全体の空気が実に美しく、「こんな照明もあるんだなー」と感動でした。あれだけの照明のもとで演技ができるというのは、並みの市民演劇ではなかなかないことではないでしょうか。あの照明を正面からじっくり見れただけでも、今年裏方に参加しなかった価値があったというとちょっと言い過ぎでしょうか。ちなみに照明家は武田耕生さんです。
 そして、役者の方でも書きましたが、ダンス・振り付けも高レベルです。演劇の中のダンスは下手をすると浮いてしまうことがあるのですが、三田ではいつも実にしっくりときていて、場面を盛り上げたり、内面を掘り下げたりするのに一役買っているのです。もちろん、それを表現することのできる役者さんたちが凄いというのもあるのですが、当然中には十分踊れる人もそうでない人もいるわけで、それも見極めながら、全体としてあれだけ魅了するダンスを作り上げるというのはやはり振付家の技量なのでしょう。今回も堪能しました。ちなみに振付家は村崎佳子さんです。
 しかし、何と言ってもびっくりしたのは、その舞台装置でしょう。ドライアイスが滝のように落ちてくるところまでは実は想像できたのですが、本当の水を持ってきて、さらに役者さんたちをびしょ濡れにしてしまうなどということは、やはりなかなか考え付きませんし、考え付いても二の足を踏みます。(まあ、素人では絶対にやらせてもらえませんし、やるべきでもありませんが…。)逆にいえば、それができる演出家と舞台監督と舞台スタッフさんとボランティアスタッフさんとホールさんがちゃんと揃っているということの証明でもあります。役者だけではなく、このあたりのスタッフのバックボーンの強さが、実は三田市民演劇の強みであることは間違いありません。次回はどんな「特殊効果」を持って私を驚かせてくれるのか、非常に楽しみです。
 ほかにも、相変わらずクラフトチックな小道具が出てきたり、レーザーライトとペンライトをうまく交錯させたほたるが綺麗だったり(これを1回しか使わなかった潔さも立派!)、印象的なオリジナル音楽をホールの音響効果を最大限に活用して響かせたり、カーテンコール前のスタッフロールでどこか物悲しくも郷愁を誘うトランペット演奏があったりと、舞台技術やスタッフ関係の細かなところでもいろいろと楽しませてくれる三田市民演劇。1回見ただけでは、まだまだ気づいていない謎がたくさん隠されているはず。来年こそはきっちりと2回見て、全てを解き明かしてみたいな―、とも思っているのです。(2011/9/1)

「へんじがない ただのしかばねのようだ」というセリフ
 この言葉、私と同世代の方であればほとんどの方がご存じでしょうし、私よりも下の世代の方はパロディなどで見たことがあるかと思います。ドラゴンクエストという国民的RPGで「はなす」というコマンドを死体に対して投げかけた際によく返ってくるセリフです。こればっかり返ってくるとなんとなくバカにされたようでちょっといらっとくるものでした。
 先日なんとなくネット上をさまよっていたところ、このセリフに対する優れた考察を発見しました。「「へんじがない ただのしかばねのようだ」に詰め込まれた「珠玉のメッセージ」」です。詳しくはリンク先を読んでいただければよいのですが、この短い文章の中に「コマンドは確かに受け取った」「有用な情報も目ぼしいアイテムも発見できなかった」「この世界には、ゾンビのようなアクティブな屍もいる」、そして「この世界には、有用な情報やアイテムが見つけられる白骨死体もある」「だから、あなたのやったことは正しい」という意味が込められているという考察です。なるほどなあと。ドラゴンクエストが出た同時は、RPGというゲーム分野自体が決してメジャーではなかったため、いつの間にか問題解決に向かっているという「盲導犬RPG」である必要がありました。その反面、初期のファミコンは容量が非常に小さく(ドラクエのROMは64KBだそう。ちなみに、私のトップページに貼ってあるつくばの写真が65KB!)、限定されたひらがなしか使えなかったため、このような練りに練ったセリフになったのかもしれません。その代表格が「へんじがない〜」なのでしょう。
 このセリフを作った堀井雄二氏の凄さを感じる半面、難しいなあと思うのは、このような含意のあるセリフというのは一部の人にだけ分かるからこそ意味があるのであって、そうでない一般のプレーヤーに余りそれを感じさせてはいけないということ。導かれている人に「導いてもらってるなー」と感じさせてはいけないわけです。もちろん、そのセリフを書いたり表現したりする人は含意を十分に理解しておく必要があるわけですが、それを一旦、何も知らない、初めて見たりプレイしたりする人の目線に戻って、冷静に見直してみる必要がある。ゲームのシナリオも、演劇の台本もそういうところがあるのかなあとも思ったのです。
 いよいよ今週の水曜日に四次元STAGE「ヤーバに祈れば」の公演があります。4月からほぼ5ヶ月間、取り組んできた世界です。もともとの台本もセリフも、役者の解釈も、これまでになく多義的で練り込まれています。ただ、それをそのままに表出しないのが、演出家の腕であり、役者の芸。媚びる必要はないのですが、稽古をずっと見続けているスタッフ陣やサポートしてくれている人々にも、最初で最後の本番を見に来てくれるお客さんにも、それぞれに感慨と感動を与える舞台が一番なのは言うまでもありません。今回の積み上げと熱意があれば、それは十分に可能かと。楽しみでもあり、期待もしているのです。(2011/9/3)

「いきましょうか?」
 いよいよ明日の夕方、四次元STAGE第3回公演「ヤーバに祈れば」の小屋入りです。のり打ち(1日で仕込んで1日で公演して1日でバラす)に慣れてしまっているので、逆に前日から小屋入りというのが新鮮に感じます。
 今日はいつもの練習場所で最後の練習でした。まだみんながパーカーとかを着ていた時分から練習が始まり、クーラーなしの練習で死にそうになったりした暑い夏を越え、今や朝晩は涼しさを感じるほどに。私の台本には5/7という記述がありますから、台本完成からでも4ヶ月間はこの世界に付き合ってきたわけです。私などはせいぜい週1ペースで見に行った程度ですが、役者さんなどはほぼ毎日これに向き合っていたはず。でも、それもあと2日で終わります。なんとなくさびしさを感じつつも、むしろ本番という意味では明日からがスタートなので、気を締めて頑張らないとと改めて思っているところです。
 明日・明後日は多くのピッコロの仲間が手伝いに来てくれますし、また本番にも多くの方が観に来てくれるようです。本当にありがたい(感謝という意味となかなかあることではないという意味の両方で)ことだなあと。もちろん、これからも何度かこのようなみんなで出会う機会があるかもしれませんが、でも今回のこのメンバーはおそらく一期一会。二度と同じ機会はありません。そんなつながりも大切に思いつつ、役者さんに最高の演技とお客さんに最高の感動を楽しんでもらうため、いよいよ明日、ホームグラウンドであるピッコロシアターに乗り込みます!(2011/9/5)

「長い旅の終わり ここで」
 四次元STAGE第3回公演「ヤーバに祈れば」、無事終了しました。多少の問題点はあったものの、公演中止になるほどの大きなトラブルもなく、基本的には無事、幕を閉じることができました。舞台監督としては一安心です。
 明日も朝からサマータイムの普通の出勤、1日休んでいるので(メールスプール上に)たくさんの仕事がたまっているのは必至なため、詳しい感想はまた後日に回しますが、舞台監督として感じたのは、やはりピッコロ舞台技術学校・演劇学校の1年間というのは本当にすごいんだなと。たった週2回、2時間の学校であろうと、作業の際に次に何が求められていて、自分の技量・体力では何をやるのが一番得策かということを、瞬時に判断する能力が一人ひとりに身についているのです。それはすごいなあと。メインスタッフさんは当然なのですが、むしろ前日・当日に仕込みを手伝ってくれた応援スタッフ、そして役者さんたちの能力が一応に高いことにはびっくりしました。「舞台やピッコロに対する慣れ」なのか、「学校に通ったことによる技能の向上」なのか、「もともと気づく人が演劇や舞台技術に興味を持ちやすい」のか、その因果関係は良く分からないのですが、とにかく能力も高く、性格的にも温かい人々とこの時間を過ごせたのは大変幸せでした。
 4月、5月からずっと温めてきた企画である「ヤーバに祈れば」、そしてその舞台である「ガラガ王国」。この本番のたった1時間で終焉を迎えました。数カ月の全てが凝縮されたこの世界を一緒に作り上げていただいた観客、当日スタッフ、メインスタッフ、作・演出、ホール関係の方々、そして役者さんたちに感謝しつつ、今日はそろそろ休むこととします。どうもありがとうございました!(2011/9/7)

「そうは言っても、もう関わっちゃってるんだよ」
 今回の「ヤーバに祈れば」、劇団員(ユニット構成員?このあたりよく分かんない…)でもないくせに割とがっつり絡んでしまっただけに、冷静な評価というのは、いい方向からも悪い方向からもなかなか難しいものがあります。学校の卒業公演だったら、もうちょっと冷静に見れるんですけどね。ということで、良かったと思える点を箇条書き的にいくつか。
 まずは、大きな事故もなく、ほぼスケジュールどおり行えたこと。舞台監督としては、最低ラインでありかつ最大の関心事。そこはちゃんとクリアできたというのが、少なくとも私にとっては最も良かったことでした。そして、手伝いに来てもらっていた人たち、見に来てもらった人達にも、概ねその時間を楽しんでいただけたようだ、というのも非常にうれしく感じています。
 これまでのオムニバスと違い長編をやりきったのも、劇団として大いに進歩したなと。台本上の問題点などは知り合いから指摘を受けているのですが、一応筋の通った話をきちんと一貫した作品として上演できたというのは、それだけでなかなかにエポックメイキングななことではあるのです。やる気いっぱいの旗上げ公演、余韻でやってしまえる第2回公演を経て、第3回で大失敗して消滅する劇団が結構あるそうなんですが、そんなことはなかったなと。そこは素直に喜んでいます。
 さらに、自分を含めた役者・スタッフともにレベルアップしたのが非常によく分かったというのも、今回やってよかった点かなと。照明のふじもとゆみさんとは1〜3回、音響の原田佳奈子さんとは2〜3回と組んでいるのですが、自分も含めて明らかにスタッフスキルが上がってきています。実際このメンバーで怒涛の「ひろうこ」も受けたわけですし。もちろん、ピッコロシアターという慣れたホール、さらにもと技術学校同期生同士で共通認識が得やすい利点が多々あるのは割り引いたうえでも、お互いスキルが上がってきているなというのを実感します。役者さんも、1回目や2回目とは、押さえたシーンでの演技の仕方などが明らかに違いました。(少なくとも私にとっては)趣味の世界の話ではあるのですが、それでも少しでも上を目指していくというのはあるべき姿かなと思います。
 ほかには、制作さんがついて組織として安定したこと、綺麗なチラシやツイッター等も活用した広報活動、100人超のお客さんを動員など、ピッコロの同窓会から一歩足を踏み出したような出来事も多々ありました。個人的には「同窓会でええやん」と思ったりもするのですが、それは中年オヤジの発想で、若い人たちは多少違うのかもしれません。まあ、きっちりとすることは決して悪いことではないので、関西小劇場界活性化の一翼を担うためにも(?)、この方向性は守っていければと。またまた、制作さんにご迷惑をおかけしますが…。
 第4回公演、第5回公演の構想もぼちぼちでてきているようなのですが、それはまたおいおい。ともあれ、ピッコロOBが活躍する貴重な場でもある四次元STAGE。外部スタッフという立場ではありながらも、形は変っても続いていってほしいと思うし、また関わっちゃうんだろうなとも思っているのです。(2011/9/9)

「ほら、もう出たほうがいいんじゃないの?」
(四次元STAGE第3回公演「ヤーバに祈れば」感想)

 「ヤーバに祈れば」の主役は、初江さん。「他所は他所、うちはうち。いざっていうときはお一人さまよ」と言っていた彼女が、スェンや山嵐・藪林との交流の中で少しずつ変っていき、最後にはスェンにお守りを渡して、何かを振り切るかのごとく「ほら、もう出たほうがいいんじゃないの?」と言うという、その一連の流れが作品の主題であるといって間違えなさそうです。お茶とお盆と台所に象徴される小さな世界から、家の中(そして心の中)に「スェン」「ヤーバ」という異質なものをとりいれることにより、玄関の先に代表される外の世界へと広がっていく。そんな世界を描いていました。(ちなみに、今回の舞台セット、上記のようなあらすじを作・演出から聞いていましたので、上手(向かって右側)は台所、下手(向かって左側)は玄関で、その間にスェンの部屋と奥の通路を配していました。)
 自分にとって異質なもの、知らないものをとりいれるというのは、その世界に確証があればある程、難しいものです。それは内向き志向を年々強くしているように、私にも思えてしまう日本についても感じます。グローバリズムの問題などはあれど、それはそれで安定した落ち着いた世界です。「それを悪びれる必要なんてない」んです。ただ、それじゃあ世界が広がらないし、面白いことないなと。「ロマン」とまでは大上段に構えませんが、ほんと、面白くないと私は思うのです。
 今回、世界一周をするにあたり、どこに行こうかといろいろと調べました。と、分かった結論は「世界中どこでも、無理をすれば行くことができる」ということ。アフリカの大地だろうが、南極だろうが、北極だろうが、シベリアだろうが、パレスチナだろうが、アフガニスタンだろうが、そこそこの蓄えがあれば日本人は大抵の場所には行くことができるのです。そして、そんな恵まれた立場にいる人は世界中にごくわずかだし、たまたまこの時代の日本に生まれたから出来るのであって、せっかく与えられたこのチャンスを使わないのは本当にもったいないなと。もちろん、「何のために生き、何のために死ぬのか」は自分で決めることなんですが、自分は生きている間にできるだけ多くのものを見て触れて、この世界を感じていきたいなと。この作品に触れて、そんなことを改めて思い出しました。
 ところで、今回の作・演出、実は海外に行ったことがないそうな。(そのため、海外関係でおかしかったセリフなどは、多少アドバイスしました。)この前話していたところ、多少は海外旅行にも興味が出てきたそうなので、一度難易度高めの海外に連れ出してその場で置き去りにしてやろうかとか、そんな意地悪も少しだけ考えたりしているのです(笑)。(2011/9/11)

〔おまけ〕四次元STAGE第3回公演「ヤーバに祈れば」 好きな名セリフ集
※恒例ですが、記録を兼ねて残しておきます。今回は登場人物が少ないので、一人一セリフで。
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山嵐「神様ーーーーーーーーーーーー!!」
 このお話、最初の頃、劇団員の皆さんが話しあっていた時、「トーテムポールに向かって『神様ーー!』と祈る」というネタがあったそうです。それを何とか紡いでお話にしていったわけですが、その思いを受け止める役が山嵐さんでした。他の登場人物に比べると、山嵐さんはかなり屈折した性格だったと思うので、捉えるのも難しかったのでは。とはいえ、そのあとの堂々の長台詞。本番でばっちり決めてくるあたりはさすがです。

藪林「まあ、ざっくりと」
 役者というのは自分と違った人物・性格を演じるのがだいご味の一つですが、逆に、自分の性格や雰囲気に合っているのも「当たり役」となります。そういう意味では、今回はあたり役だったのではないでしょうか。初舞台だったため当初は中ホールでの声量などを心配していたのですが、そんなことは全くなく堂々の演技。練習中から一番楽しんで演じていたような気もしています。この経験を糧に、また次のステップへ!

正継「なぜ…分かりません。」
 この後、「生きていることに意味がほしいんだと思います。」以下のお話があるのですが、むしろ「分からないけど動いているんだ」という決意の方が個人的には良く分かります。行動の意味づけって、どこまでいっても後付けだったりするんですよね(特に結婚とか離婚とか…(苦笑))。正継さん、主要登場人物でありながら狂言回し的役割もあったため、大変だったのでは。しかし、その演技のレベルは明らかにあがったなと思っています。

初江「もう片付けてもいいわよね」
 実は出ずっぱりの初江さん。小道具だの消えモノだのも多く、公演中も練習中も気の休まる時間が全くなかったのでは。それでもちゃんと主役を演じ切ったのはさすがです。このセリフは最後、正継とスェンが出て行ったあとののセリフ。ただ、ここはセリフというよりは行動で見せるシーン。静謐な中にも独特の雰囲気が流れていて結構好きでした。今度は彼女の全然雰囲気の違う芝居を見てみたいなあとも思うのです。

スェン「お世話に、なりました」
 1幕1場の「…オセワニ、ナリマシタ。」から3幕3場の「お世話に、なりました。」までが、このお話なんですよね。そもそも「お姫様を演じるのは日本人には難しい」という定説があるらしい上に、着替えが多かったり、トーテム作りがあったりと、なかなか大変な役でしたが、自分なりのスェン像をきっちりと確立してくれたかなと思います。他にもダンスやら人形作りなどにも才能を発揮。本当に、お世話になりました!

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スウェット姿のかわいい女の子の朗らかな狂気
(劇団ウンウンウニウムほぼ第11回公演「もし全ての女の子が日記をつけていたら」感想)

 3週間なんちゃって世界一周を来月に控えているのもあって、最近は極力、休日に予定を入れないようにしていました。先週の日曜日も何の予定もなく、部屋にこもる気でいたのです。ですが、友人のツイートを見ていると、どうも面白い芝居があるらしいぞと。50分、500円、場所はジュース工場を改造したカフェ。その日の夕食がでない(両親はオリックス野球観戦)こともあって、かなり気軽な気分で行ってしまいました。と、これがなかなかに素晴らしい作品だったのです。
 冴えない中年ニート・ミゲルとかわいい「脳内彼女」まーこ、この2人のほのぼのとしたやりとりからお話が始まります。一度はちゃんとした彼女がほしいと、まーこを隠し、mixiで引っかけたサユリを家へと連れ込むミゲル。ところがこの現代っ子のサユリ、友人のミカまで家に連れ込んできて…というお話。このあたりまでは普通のバタバタ劇ではあったのです。ところが、(たまたま出会ってしまった)まーことミカのやりとりから、「脳内彼女」まーこは単なる妄想の人物ではなく実在の人物であることが、(ミカと観客に)分かってきます。ここから、一気呵成の大どんでん返し。実は彼女、10歳の時からずっと監禁されており、ずっとこの狭い部屋の中でミゲルのみと生活し、日記を書くだけの日々を送り続けていた。そして、そのミゲルは脳腫瘍のため、余命あとわずか…。睡眠薬やらナイフやらも出てきて…。とてつもない恐怖感と疾走感でラストシーンまで走り抜けました。
 何と言っても、まーこを演じるなしえさんの演技が凄い。50分の中で、単にかわいいだけではない、でもかわいい、だからこそ怖いまーこを、実にいきいきと舞台上で全く嘘がなく演じていたのです。そして、まーこの正体を暴きだす友人ミカ役のかなさん。お話を作っていく重要な役どころであり、彼女のしっかりとした演技力がバックボーンとしてあるからこそ、まーことストーリーが引き立ち、見ごたえある作品になったのかなと思います。この2人を軸に、ミゲル役のトキさん(作・演出)、サユリ役のゆきちゃんも、それぞれに個性と役柄をいかした演技をされていました。
 合わせて良かったのが会場。もともとジュース工場だった場所を改造してカフェにし、そこでやっているのですが、その廃墟のような、でもどこかに生活感のあるような、独特な雰囲気がこの作品の背景として実にぴったりなのです。本当に何十年も監禁されていてもおかしくないような空気がそこには流れていました。この劇団がよく使っておられる劇場だそうですので、もしかするとこの雰囲気がこの作品を作ったのかもしれません。また、照明機材も最低限しかないのですが、だからこそ、まるで実際の家の中での出来事を見ているような怖さが伝わってきました。ラストシーン、パソコン画面の明かりだけでまーこの顔が照らされるシーンがあるのですが、あれは本当に怖かったし、かなり秀逸なラストでした。
 ツイートによるとこの作品、2日間で書きあげられたのだそう。確かに、多少、荒いかなと思われる部分もありました(伏線は張っているものの唐突な健康診断結果の話とか、同じく唐突なサユリのナイフで刺すシーンとか)。ただ、だからこそ、このような疾走感のある作品になった気もするのです。毎回このレベルでやっているのであれば、ウンウンウニウム、明らかに「買い」の劇団ですので、ぜひ次回以降も観に行きたいなあと思っています。あんまり人気が出て、入りにくくなるのも嫌なのですが…。
 ちなみに、客入れの音楽、どれもおおよそ20年ほど前のアニメの主題歌やエンディング。まーこが監禁された時に流行っていた曲というイメージだったのかもしれませんが、なかなかにマニアックだなあと。作品中には「貧乳はステータスだ」という発言もあったりして、作品中に流れるちょっとしたオタクテイストも、実はちょっと気にいったのでした(笑)。(2011/9/13)

日本橋に咲ク花 輝ク満月
(ステージタイガー#002公演「砂ニ咲ク花」感想)

 熱い暑い舞台でいつも楽しませてくれるステージタイガー。今回はAキャストとBキャストということで、金曜日の晩にAキャスト、月曜日の晩(千秋楽)にBキャストを見てきました。
 入るなり、円形の八百屋廻り舞台がどーんと舞台中央に。関係者のツイートでも話題になっていたので、凄い舞台だというのは事前に知っていたのですが、いざ実物を見て確かに圧倒されました。八百屋だけでも役者さんにとって大変なのに、円形。さらに、そこで走り回ったりダンスをしたり腕立て伏せをしたり(笑)。高い身体能力と、身体能力に負けないだけの役者としての表現力がないと、なかなかこの舞台にはチャレンジできません。まあ、それができる素地がこの劇団にはあるのでしょう。そして、円形舞台に沿って作られた壁の残骸や周囲に配された海のがれきなどもなかなか印象的。さらに、石板にも見えるサーフボードが、途中途中のシーンで役者の芝居や待機場所に使われるだけでなく、ラスト「神の島」のシーンで実に効果的に使われていました。小劇場の場合、往々にして象徴的で簡素な舞台になってしまうのですが、その中にもきっちりと風景をとりいれている、なかなか佳品の舞台美術であったと思います。
 そして、その舞台上で繰り広げられる、「命をつかむ」話の数々。正直、かなりいろんなお話が錯綜して繰り広げられ、例えば「はな」という言葉に4つの意味がある(砂の上の花であるライフセーバー、楽園島に咲く麻薬のような神の花、ノゾミが一生懸命内職でお金をためた紙の花、モトメの奥さんのはな)、登場人物のそれぞれに謎があり一つずつちゃんと解き明かされていくので逆に焦点が当てにくいなど、1回見ただけでは分かりにくい部分も多々あり、多少荒削りな部分もある気もしました。ですが、一生懸命に本気で演じている役者さんを見ているうちに、話の筋が多少分からなくなろうとも、世界にぐいぐい引き込まれていくんですよね。そんな魅力が、ステージタイガーさんには確かにあります。
 今回はダブルキャストだったのですが、一番対比が面白かったのが不思議な島の少女アラタ。南由希恵さんのほわーんと夢見ているアラタも、小野愛寿香さんの無邪気で元気なアラタもそれぞれに楽しませてもらいました。南さんの方は同じ雰囲気でずーっと走り、小野さんは前半・中盤・後半と変化していく姿を見せていたような気がします。アラタを演じるにはどちらの方法論も十分ありだとおもうので、このあたりは面白いなあと思っていました。あとは、タカミとササエの入れ替わりも、時に違和感を感じ、時には違和感なかったりして、なかなかに楽しかったですね。
 5ヶ月前、作者の虎本氏は言っていました。「何でも震災に関係づけるのは、そろそろやめましょうよ」と。そして、9月9日救急の日に始まり、9月10日世界自殺防止デー、9月11日東日本大震災6か月目とアメリカ同時多発テロ事件10年間の日を越え、9月12日は中秋の名月で満月で大潮の日におわったこの公演。確かに人は、大自然にも欲望にも身体能力の限界にも無力で、それに打ちひしがれる時もある。だけれども、そんな無力感を感じながらも、また生命をつかむ場所に立ち向かっていかなければならない。「いってらっしゃい」「ただいま」「おかえりなさい」。「生命を、つかめ!」。半年という熟成期間を経て、そのメッセージは確かに伝わってきたのです。
 実は千秋楽の日、劇場横を通る地下鉄堺筋線日本橋駅で人身事故があり、全線ストップがストップしていました。演劇の開始も20分ほど押してスタート。そして確かに、この街で一つの命も失われていたのです。強烈なメッセージを心に残した千秋楽を見終えた後、インディペンデントシアターをでると、日本橋の商店街の隙間から、綺麗な綺麗な満月が、この街を照らしていたのでした。(2011/9/15)

17日及び19日の2日に1回日記は「0泊3日旅行」のため更新しませんでした。

0泊3日だったからこそ気付くこと
 あまり事前に大々的には公表していませんでしたが、9月17日からの3連休、0泊3日で北京・シンガポール・上海と回ってきました。詳しい理由などはここにまとめていますが、単なるマイル稼ぎだけでなく、短期集中型のなかなかに面白い旅行でした。
 個別に観光した場所などにはそれぞれ様々な感想があり、これから徐々にまとめていきますが、2つの国を一気に回ったことで感じたのは「国家とは何か、民族とは何か、そして国家を統治するとは」ということ。とんでもない貧富の格差がある矛盾だらけの社会主義国家・中国。中華系・マレー系・インド系と3つ(or イギリス系を入れて4つ)の民族が共存しているという建前があるシンガポール。どちらも、欧米的価値観では批判されやすい一党独裁の国です。しかしながら、一党独裁でないと今日の発展はなかったんだろうなと思う点も多々ありました。中国は広すぎ人口が多すぎなので、多様性もあり過ぎで、強力な統制が必要なのでしょう。逆にシンガポールは狭過ぎて人口も決して多くない(500万人弱)ので、逆に対外的に一枚岩である必要があり、強力な統制が必要なのでしょう。誰が見ても強権的な中国はともかく、一般的には自由な資本主義国家の最たるものと思われているシンガポールに、一種奇妙な統制感と緊張感がみなぎっていたというのは、ある意味意外でした。
 現時点において、両国の庶民に共通するのは、レベルは違えど「経済的な発展の成果に自分たちはありつける」という期待感(と実感)。それをもって政治的な不満を和らげているという側面は明らかにありそうです。ただ、中国もシンガポールも経済発展が止まる、あるいは経済が縮小に向かう時にどうなるのか…ある意味、日本への影響も必至なだけに、非常に不安でもあります。
 そう考えると、ほぼ単一民族国家に近く、人口規模も面積も適当な日本というのは、単に勤勉な国民性とかだけではなくて、もともとかなり恵まれたスペックのある国なのだなと。日本に住んでいるとあまり意識することのない民族や国家の問題。そんなことをひしひしと感じることができた早回り2国、0泊3日の旅。まあ、もうすることはないと思っているのですが…。(2011/9/21)

走れる人は走ろう。走れなかった人の思いを乗せて。
(演劇集団キャラメルボックス「降りそそぐ百万粒の雨さえも」感想)

 演劇をやり始めて意外だったことの一つが「演劇をやっている人は、意外と演劇を見ていない」ということ。確かに稽古時間などの拘束が莫大なために見れなくなってしまうのは分かるのですが、それにしても貪欲に見に行くというよりは演じる方に貪欲な方が多いのです。見に行っても、せいぜい客演や協力の関係で半ば義理で見に行っているのが多い様子。これでは、演劇という世界はいつまでも狭い仲間内の世界にとどまってしまうという危機感を持っております。演劇界の活性化と自分の演劇の深化・進化のためにも、みんな1回1回の稽古を減らしてでも、演劇を見に行きましょう!ということで、知り合いの方に声をかけて見に行きました、キャラメルボックス。意外と見たことがないという人が多かったので。
 キャラメルの準ホームグラウンド・新神戸オリエンタル劇場での公演。いろいろと問題はあれどそれもまた良い、個人的にはかなり好きな劇場にキャラメルボックスが20年以上来てくれているというのは嬉しいことです。
 今回の作品は新鮮組が舞台。ということで、殺陣などがある和物です。キャラメルボックス、多分10回以上は見ていると思うのですけど、多分、和物は初めて。ダンスがなかったり、盛り上がり方が多少いつもとちがったり、女性の描き方があまりにもステレオタイプだったりと、「いつものキャラメル作品」と比べ若干の違和感は感じました。更に、3部作の最終作ということで、「多分こういう話があったんだろうな」と想像するしかないシーンも多々。加えて、途中から「この話は迅助と昭島との話に違いない」と決めつけて見続けてしまったため、自分の中でのストーリーメイキングに失敗してしまった部分も。そういう意味で、存分に楽しめたとは言いきれない部分も残るものの、やはりちゃんとテンションをあげてきて、最後にはそれなりの劇後感を与えてくれるのは、さすがプロフェッショナル、さすがキャラメルボックスでした。
 あと、賛否両論なのが、今回の舞台美術。船の舳先を模したその舞台組みは、「何があろうとも自分の力で新しい時代に向かってこぎ出していく」という作品の主題とも相まって、非常にレベルの高いものであったと思います。舞台転換上も全く無理がありませんでした。ただ、壁に数ヵ所付けている松と、最後の桜はやはり余計だったような気が。おそらく、歌舞伎や能舞台のイメージを借用してあのようなデフォルメした松や桜を舞台上に出したのでしょうが、やはり余計としか見えませんでした。最後に何かをドーンとだしたいという美術家の思いは分かり過ぎるほど分かるのですが…。考え過ぎてもいけないし、考え無さ過ぎてもいけない。舞台美術の一番難しいところかもしれません。
 パンフレット恒例の加藤さんの「観終わってから読んでください」コラム。震災の話が書かれていました。私自身、観劇中、特にラスト近くのシーンを見ていて、この話は震災の話が下敷きにあるのだろうということを薄々と気が付いていました。「走り続けます。あの人たちの分も」。キャラメルボックスも、自分たちの演劇も、そして自分たち自身の人生も走り続けなければいけない。走り続けられなかった人々の分も。多少の凸凹があったとしても、そんなメッセージをストレートに伝えてくることができるキャラメルボックスというのは、やはり素晴らしい劇団だなと改めて思ってしまったのです。(2011/9/23)

最後に残るものは。
(SENDAI座☆project「十二人の怒れる男」感想)

 東日本大震災における復興支援の一環として、仙台の演劇人の活動を支援する目的で兵庫県尼崎市にあるピッコロシアターで上演。作品は、法廷劇の傑作「十二人の怒れる男」。知らない劇団だけに(そしてこの3連休はさすがに世界一周の準備をしたかったので)二の足を踏んでいたのですが、「いいよ」という友人らからのお誘いもあり、直前に行くことに決定。
 ピッコロシアター中ホールをまるでバスケットボールコートのように両側から観る形に設定。そのど真ん中で演技(評議)が行われます。そして、簡にして要を得た置き道具の数々。とりわけ、部屋の入り口を示したかんぬきは、その雰囲気といい、しめるときの音といい、なかなか見事な小道具でした。もちろん、扇風機や水、トイレ(の場所)の構成なども見事。
 しかし、これだけ簡素な舞台が映えるのはやはり役者さんの技でしょう。主役級の陪審員3号(最後までゴネる役)をやった渡部ギュウ氏や陪審員8号(最初に無罪という役)をやった樋渡宏嗣氏が良いのは当然ながら、それ以外の役者さんたちも実にうまいのです。一番感心したのが、「語っていない時の演技」。セリフを語っている時の演技というのは誰でもそこそこにできるのですが、語っていない時の演技というのはなかなか難しいようで、下手をすると棒立ちやあるいは過剰な演技になりがちです。でも、そんなことが全くなく、実に自然に、ずっとその役柄で自然に場に立ち続け、演技を続けている。約130分これを続けられる役者としての体力・精神力の強さをひしひしと感じました。
 今回の作品、古典的名作を奇をてらうことなく、きちんと台本に忠実に作り上げた気がします。ただ、それだけではない何かも。演技にしても舞台美術にしても、一旦いろんなもの、いろんな可能性を積み上げていった上で、本質的に必要でないものをギリギリまで削ぎ落とし、その核となる部分だけを常に新鮮な形で観客に提示してきた気がするのです。だからこそ、古典的な作品であるにもかかわらず、非常に新鮮に観客の心に届くのです。このあたり、やはり震災という大きな経験をした中で、本当に必要なものは何なのか、本当に大切なところはどこなのか、それを真剣に考えざるを得なかったからなのかなとも。研ぎ澄まされた感性が光りました。
 しかし、このような素晴らしい劇団が東北に、そして日本各地にあるというのは本当にうれしいことです。と同時に、自分自身あまりそういうことを知らなかった、そういうところに目がいかなかったなと。もちろん、実際の観劇にはいろいろ制約もあるのですが、関西に来た際や旅行に行った際などにちょっと気を付けておくと、さらに新しい世界が広がりそうです。そういう意味でも、今回はよいきっかけでした。ピッコロシアターの皆さん、そしてSENDAI座のみなさん、ありがとうございました。(2011/9/25)

ステレオタイプと怒りと演劇の力と
(SENDAI座☆project「十二人の怒れる男」感想2)

 先日の0泊3日旅行、いろんなことを感じたのですが、その一つが「日本のパスポートの威力」。3日間に6回出入国したのですが、中国でもシンガポールでも、日本のパスポートを見せると入管はあっという間に、何も言わずに通してくれるのです。それどころか、どうもセキュリティチェックなども明らかに甘い様子…。そして、係員さんの対応も明らかに丁寧でフレンドリー…。それに途中で気が付いてセキュリティチェックなどの時はあえてパスポートを見えるように手に持っていたのですが、他国の方に申し訳ないようにスムーズで気持ち良く通過することができました。
 これは日本の経済力もあるのでしょうが、やはり日本人に対する「基本的に礼儀正しく、公衆道徳や公共性を重んじ、自分勝手な行動は慎み、いつもニコニコ穏やかである(そして英語はできない)」という印象、ステレオタイプに助けられているのだろうと思います。もちろん、日本においても、突然切れて包丁で公務員を刺したりする人もいるわけですが、やはり国民や人種に対するステレオタイプというのは確実にあるということを、海外に行くとよりひしひしと感じます。
 今回の作品、「十二人の怒れる男」。彼らが怒っているのは、スラム街やら累犯者やらに対する偏見やステレオタイプ、そしてそれを有する社会に対してというように、表面的には見えます。ただ、偏見はともかく、一定のステレオタイプというのは文化や生活と密接に結びついているところがあり、社会的生活をしていく上で絶対に必要なのも事実なんですよね。たとえば、ある特定の地域を「治安が悪い」と決めることはもしかしたら偏見かもしれない。だけど、女性が一人で歩いたりするのに注意が必要な場所というのは明らかにこの日本国内にもあって、それを「偏見だから」といって無視するのは、むしろ危険なことであったりするわけです。演劇における「役作り」というのもステレオタイプや偏見があってこそという部分もあり(たとえば「医師」「看護師」「学校の体育の先生」「プログラマー」「市長さん」「警察官」…どんな姿と性格を思い浮かべますか?)、観客は自分のステレオタイプとその役者さんの衣装やしぐさやセリフとを比べ合わせて、人物像を作り上げていくわけです。
 むしろそういったものから自由になれない人間という存在に対して「怒っている」のかなとも。どうやっても人間は神の目は持てない。全てを個別に、公平に、冷静に見ることなんてできない。個人的な思いや事情や生い立ちや家族や職業やいろんな抱えているものを介してしか、他人を見ることはできない。そんな人間という存在に怒りながらも、でも苦しくとも、時にはそれを乗り越えていくべき時もあるということを訴えているのかなと。
 演劇というのは、観客が持つステレオタイプを最大限活用しているが故に、そのステレオタイプをひっくり返してしまったり、ステレオタイプに対する異議申し立てができる芸術なのかもしれません。悪い魔女が主役の"Wicked”などというミュージカルもありました。「演劇の力」を改めて思い知るとともに、それをちゃんと舞台上で表現してくれたSENDAI座の役者さんたちにも感謝しているのです。(2011/9/27)

多分地球は丸いはず。
 いよいよ出発まであと2日となってきました。今週は1週間全くアフターファイブに予定を入れておらず、「あーあ、ヒマだなあ…」という感じだったのですが、さすがにここに来て緊張というか、気が焦ってきました。だからと言って何をするわけでもないのですが…。
 今回は事実上、南米ペルーとボリビア旅行で、本来、その目的だけでいえば北アメリカ経由で往復すればよかったのです。その方が所要時間は短いですし、料金も安いですし。でも、今回世界一周にしたのは、世界一周航空券でビジネスをバシバシ使いたかったという理由もありますが、「本当に西に西に向かったら、ちゃんと出発地に戻ってくるのかを、自分の体で一度確かめてみたい」という、割と単純な思いでした。もちろん、地球は一周できるというのがマゼラン以降の常識であり、自分自身、ニューヨークとロンドン(ヒースロー)にはそれぞれ行っていますので、その間が繋がればちゃんと一周になるということは頭では分かっています。ただ、やはり人生で一度ぐらいは、実際に体験してみるのもいいかなと。それを出来る機会が今回ぐらいしかないであろうということも考えて、多少ぜいたくながらもビジネスでの世界一周航空券を購入したというのがあります。
 そろそろ人生も曲がり角に差し掛かると、「こんなこと知っていたとしても一生使うことはないんだろうなー。」ということは結構あります。たとえば、どっかの国に国賓として私が赴くことも、ヨーロッパ社交界にデビューすることも、ノーベル賞を頂くことも、スラム街に入りこんで救済活動に回ることも、ローマ教皇になることも、今の自分の立場や技量に照らし合わせてみれば、まずないでしょう。南極観測隊に入ること、宇宙旅行を楽しむこともなさそうです。とすると、外交儀礼やマナーに関する知識も、ノーベル賞の手続きに関する知識も、マザーテレサや貧困地で働くNGOの活動に関する知識も、カトリックに関する知識も、昭和基地に関する知識も、宇宙空間に関する知識も、まず役だつことはなさそうです。もちろん、「知るは楽しみなり」という部分はあって知識だけでも十分楽しいのですが、いずれにせよ、自分が実際に使うことができる知識というのは実は異常に狭いのだということを、最近ひしひしと感じているのです。だとすれば、せめて「西に西に向かえば、いつかは今いる場所に着く。地球は確かに丸い。」という地球の基本原理ぐらいは自分で確かめてみようかなと。あわせて、地球の大きさを感じてみるのもいいかなと。単純ですが、今回の旅にはそんな思いもあるのです。
 Wikipediaの「世界一周」の項目にこう書いてあります。「現在世界一周で用いられる最も一般的な交通手段は航空機によるものである。…今日では容易に実行可能である。」。たしかに、切符を買って飛行機に乗りさえすれば、誰でも世界一周は容易にできます。ですが、これを実行するに至るにはさまざまな容易ならざることが多いのも事実で、実行できる人がそういないのも事実。今自分がそれを実行できる立場にいることを、時代に社会に日本に職場に家庭に仲間に感謝しつつ、出発までの日々も有意義に過ごしたいと思っているのです。(2011/9/29)



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