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過去の2日に1回日記 保管庫(2012年7月〜9月)


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それぞれの恋愛協奏曲 or 恋愛競争曲
(Project SML「恋愛戯曲」感想)

 お芝居の感想がすっかり飛んでしまっています。7月下旬に入り、やっといろんな事が落ち着きつつあるので(お財布の一件は除く)、一つずつさかのぼっていきましょう。まずは今日見たProject SMLの「恋愛戯曲」から。ピッコロの本科29期生の方を中心に、それぞれ所属する劇団の方などを加えて始まったユニット。会場は劇団ウンウンウニウムの本拠地・カフェスロー大阪。今回もそのレトロな雰囲気を最大限に生かした舞台作りになっていました。
 原作は鴻上尚史氏の人気作。どうも映画にもなったようです。ということで、今回は筋書きや展開というよりも役者を楽しむのかなと。そう言う意味では役者さんそれぞれに力があり、非常に見ごたえのある作品に仕上がっていました。とりわけ、主演女優の藤浪加奈さんが堂々の演技。特に地味な若奥さんを演じているときの色気はクラッときてしまうほど。その主演女優を支える役者の層の厚さも魅力。劇の最初、多少、セリフのやり取りに浮きぎみ感があったものの、きちんと劇中で修正。一人ひとりが自分の役割と立ち位置、そして場面や空気をわかっての演技は、なかなか小気味良いものがありました。
 ただ、そう言う意味でちょっと残念だったのは、「第一階層=現実の世界=上手舞台前のホワイトライト」と「第3階層=劇中劇の劇中劇=上手舞台奥のレッドライト」の違いがあまり明確ではなかったこと。もちろん、ライトで違う世界の話であることは理解できるのですが…。もっと極端な性格付けをしてしまったほうが良かったのかもしれません。
 役者を見せることを意識してか、音響、照明、舞台はあえて抑制的に。派手すぎないクルールのオリジナル音楽は、演劇を知っている人だからこそかなと。「2階」や「キッチン」の使い方も、ありがちとはいえ、印象的でした。全体的に高質の、役者の演技を中心に置いた正統派のお芝居を見せていただいた気がします。今後、このユニットがどういう方向に進んでいくのか、単に同窓生だからというだけでなく、色々と楽しみなのです。
 しかし、こんな作品を見ていると、恋愛のドキドキ感というのはいくつになっても、自分から作っていかなくてはいけないんだろうなとか、久しぶりに柄にもないことを考えてしまったり。というものの、恋に仕事に勉強に料理に演劇に、いろいろと元気な29期の皆さんに比べると、どうも倍以上生きてきてしまっているわけで、ちょっと手遅れ感も感じずにはいられなかったりする40歳、独身の夏でありました(^_^;)。(2012/7/15)

それでもやっぱり夏は楽しみ!
(南河内万歳一座「夕陽ヶ丘まぼろし営業所」感想)

 1カ月前に見た作品なので若干記憶が飛んでしまっていますが…。
 1年ぶりの復活&30周年記念公演。30周年を迎え、この劇団が、そして日本社会が、何のために何を目指しどこへ行こうとしているのかを、この休団中の1年間、とりわけ3.11後の社会情勢もとりこみながら、見事に表現していました。お仕着せのパッケージ観光旅行、目的と手段を取り違えたLCCやら演劇やら、そして「音も無く臭いも無く目にも見えない恐怖」におののく人々。様々なものに翻弄されながらも、2度と戻ることのできない場所や明確な目的地にあこがれながらも、それでもなお来るべき夏とこれからに対して期待をする市井の人々。圧倒的な絶望感の中でも、だからこそ、なお楽天的に生きようとする人々を描き切る。南河内、そして内藤裕敬氏渾身の、堂々の大作でした。
 客演の岡部尚子さん、原竹志さん、堀江勇気さんなどが、なかなか効果的なインパクトを、南河内色の強い舞台に与えていました。もちろん南河内定番の役者陣もそれぞれに印象的な演技。ピッコロの友人も含め、20代から50代まで、役者の幅の広さも南河内のパワーの源泉かなと改めて感じました。
 本来の目的を失った3.11を思わせる廃墟と、人々の「目的地」が詰まっているパンフレットラックと。明らかに「見せる」舞台転換も今回の特色の一つかなと。大阪と東京公演で見事に復活を果たした南河内。今後もしっかりと関西小劇場界をリードしていってくれそうです!(2012/7/16)

自ら走る、伴に走る。
(ステージタイガー「協走組曲第三楽章」感想)

 事故で視力を失ったトップマラソンランナーの女性と、密かにその伴走者となっていた父親との物語。走って、走って、走って、その先にあるものは。ステタイらしい熱い暑い舞台でした。
 ずっと走り続けるお芝居ということで、若干、昔の「ランニングシアターダッシュ」を思い出したんですが、彼らのどこかポップで明るかったところに比べて、ステタイには若干、体育会系のどこかじめっとした、「情の世界」的な雰囲気があります。ただ、それが屈折した親娘関係と恋人関係を描くこのお芝居にはなかなかあっていたのですよね。インディペンデント1stに作った黒一色のトラックも、ヒロイン・カナデの白以外は基本的に黒系統の衣裳も、ある意味斬新で、役者(=人間)だけを浮かび上がらせるのに効果的であったと思います。
 今作は、第三楽章ということで、序章・第二楽章を見ていない自分にとっては、話の前半、多少、セリフや流れの理解に苦しむところもありました。ですが、途中からは怒涛のステタイペース。父親から恋人へと「伴走者」がバトンタッチされるラストシーンまで、あっという間に駆け抜ける、非常に密度の濃い1時間を過ごすことができた気がします。
 ところで、劇中、「自分一人で走っているように感じさせるのがよい伴走者だ」というセリフがありました。その一方で主人公・カナデには(視力を失う前も、そして後も)常に「伴走者」がおり、その存在を感じ続け、その存在に支えられています。人は自分の足で自立して歩くべきだ。その一方で、それを支えてくれる人の存在とありがたさも、忘れてはならない。仕事柄、他者に対する支援について考えることの多い中、そんなことも感じた観劇だったのです。(2012/7/18)

焼肉記録
 昨日は、尼崎まで焼肉に行ってきました。出屋敷駅前の「味楽園」。尼崎在住の方のご紹介で、尼の名店だそうです。久々に、本格的な焼肉を食べました。
(食べたもの)
・タンソルト(塩タン)
 超厚切りで縦に切ってあります。凍って出てくるのですが、焼いているうちにいい具合に溶けてきて、中までしっとりの独特な食感が味わえます。
・上ミノ、心臓
 上ミノは私の好み。コリコリ食感の中にも濃い味が広がります。心臓はいかにも新鮮。味は濃いのだけどさっぱりです。
・特上ロースステーキ(長崎県産、A4)
 塩でいただきます。食卓に置いた時からじんわりと脂が浮いてくるほど。目の前で店長が焼いてくれ、ほとんどレアで、何もつけずにいただきます。ほわっと口の中で溶ける「まき」、とろける中でもしっかりとした味の楽しめる「リブ芯」、カリカリに焼いているにも関わらず口の中でとろける「脂身」と、一枚のステーキで幾重にも重なる美味しさ。「焼肉」とはちょっと異次元の、至高の体験でした。
・骨付き特上カルビ
 値段もそこそこですが、量もとんでもないです。韓国でもこんなに大きくないかも。そのままではロースターにのらないので、半分半分にして焼いてくれます。たれに漬け込んだ、いかにも焼肉なのですが、これもミディアムレア程度で。肉を喰っているという満足感と、それでも決してしつこくない一種の爽やかさ。やはり名物と言われるだけはありました。
・かいのみ、上ハラミ、カッパ
 かいのみはほわっととろけるようなカルビ。肉々しさのない不思議な感覚。上ハラミもやはり一味もふた味も違う。そして、見たくれはあまり良くないけど、濃厚な味が楽しめるカッパ。これは本当においしかったです。
・冷麺
 締めはこれも名物の冷麺。「小」を頼んだのにどんぶりの量で出てきます。すっきりさわやか、そして麺自体が美味しい。結構食べた後だったにもかかわらず、ぺろっと完食してしまいました。

 最近いろんなことがあって(表に出せるのは「お財布無くした」ですが、それ以外にもいろいろ)、正直すっきりしない日々を送っていたので、「多少張り込んでも美味しい焼肉が食べたい!」ということで、知り合いを誘って行ってみました。とはいえ、思ったほど高くはなく、やはり尼崎はいいなあと。まだ余韻が残っていますのでしばらくはいいですけど、また数ヶ月経ったら行きたくなってしまいそうなお店でした。
 あまりのおいしさに写真を取り忘れていたので、お肉の写真等は食べログのリンクでどうぞ!(2012/7/21)

近松の世界を高質に硬質に表現
(ピッコロ劇団「博多小女郎波枕」感想)

 感想を書いていない公演が貯まってきたので、徐々に書いて行きたいと思います。実は、ツイッター上にはちょこちょこ書きちらかしているので、それを探してくれば思い出す縁にはなるのです。まずは、6月中旬のこの作品から。
 6月のピッコロ定期公演は「尼崎シリーズ」。「尼に唄えば」(オリジナル・尼崎が舞台)→「螢の光」(近松賞受賞作・尼崎が舞台)ときて、今回は近松門左衛門の作品をそのまま脚色しての公演でした。個々の作品の良し悪しは別にして、地元密着型の県立劇団として、まずもってこの取り組みは非常に良いことだなあと思います。
 そんな中でも今作は、演出家が鐘下辰男氏であることもあってか、決して観客に媚びることのない硬派の舞台。人間関係にせよセリフにせよ決して分かりやすくはないものの、明らかにそこに渦巻く感情や思いは観客に伝わってくる。水しぶきだの血糊だの嘔吐だのいった表現はあるものの、あくまでも人間・役者を中心に組み立てられていたように感じました。
 これを支えたのが、見事なスタッフワーク。和の世界でありながら、どこか無機質感・無国籍館すらも感じさせる舞台美術。この美術と相まって微妙な空気感を作り出す照明。そして、役者と一体となって固くもどこかに柔らかみのある音を作り出した音響。スタッフワークの質の高さが役者の熱演をしっかりと支え、押し上げていたのは間違いないように思えます。
 あまり演劇を見慣れない人にとっては多少難しいところもあったようですが、やはりこのような高質で硬質な舞台ができるのは県立劇団ならではの強み。これからも大いに期待しているのです。(2012/7/21)

あれこれ雑貨店的ショータイム
(劇団StageSSZakkadan「ディスイズショウタイム」感想)

 今週は職場の早帰り週間ということで、仕事があるかないかに関わらず早帰りをするそうで、仕方ないので(というかそれに乗じて)、行って来てしまいました、「ディスイズショウタイム」。ピッコロ友人の阿部華子さんがでているということでずっと行きたかったのですが、公演日が火曜・木曜ということで、職場の早帰り日である水曜・金曜とも合わずずっと行けなかったのです。場所は大阪・中津のピエロハーバー。初めての劇場でした。
 劇団だけど演劇ではなくて、歌、コント、ダンス、芸能などが次々に19パートも出てくる、まさに雑貨店的なショー。ただ、出演者は劇団員なので、やはり演劇的なところ(コントとか歌の振りとか)が目を引きました。コントの中では、知り合いの阿部華子さんも出ていた「相席」が、葛藤と逆転をうまく笑いに繋げているという点で、最も演劇的で面白かったかも。あまりにもバカバカしくて笑ってしまう「取調室シリーズ」も結構好き。役者さんが真面目で有ればあるほど、しょうもないオチがしょうもないからこそ面白く感じるんですよね。あとはゲストのコンテンポラリーダンス・吉見英里さんがさすがの演技でした。
 歌の選曲や劇場の雰囲気、衣裳などから、なんとなく昭和の香りがしたのは気のせいでしょうか。そもそも中津という街自体がホームに降り立った時から昭和の香りが漂っていて、それに感化されたのかもしれません。ホームページを見る限り、お芝居自体もそんな雰囲気のをやっているようで、一度見に行ってみたいなとも思いました。
 この「ディスイズショウタイム」、劇団員が舞台慣れ・本番慣れをするという意味合いもあるよう。実は途中途中でスポットライト操作を(きれいな洋服を着た)役者さんがやっていたりして、この次々に入れ替わるショーをすることによって、個々の役者とともに劇団全体の実力を上げていくという側面もあるのかなあと。最後のボリウッドダンスは、これまで個々に演技していた人々が一体となった感じもあって、それを見ながら、やっぱり劇団だなあ、問題がないわけではないものの劇団っていうシステムもまだまだ必要かもとか思ってしまったのでした。(2012/7/24)

それぞれの世界を結び合わせる何かは何か。
(baghdad cafe'「サヨナラ」感想)

 最近は、フェイスブックだのツイッターだのに書くことが多くなり、ホームページはちょっとお留守。とはいえ、ツイッターは本当に自分が感じたこと、思ったことを体系的にまとめるにはあまりにも短すぎるし、フェイスブックはあまりにも仕事関係の方が増えてしまったので(まあ、自らそうしたんですが)、時として公的な自分の立場と異なるお芝居の感想ばかりを書くのも難しい。やはり、後々の自分のためにもこちらに書いておきましょう。ということで、約1か月前の公演の感想など。
 「今みたいで今じゃない時。海と山に囲まれた小さな街。」そこで繰り広げられる7つの物語と全体をつなぐ物語。大きな危機が迫って来ていようとも、この街の中で、それぞれは個々に悩んだり、楽しんだり、泣いたり、笑ったりしていて。これはバグダットカフェの「わが街」であり「わが星」であり、描かれるべき「定点風景」なのかもしれません。明らかに自分の好きな世界観と作品であり、自分の中の2012Best3候補に入りました。
 登場人物はみな生き生きと舞台上で生きており、親近感を感じてしまうほど。「ママ」役の山根千佳さん、セリフも振りも格好良すぎます!そこはかと見える「悲しみ」もまた素敵でした。そして、「ロボ」役の嘉納みなこさん。短い演技時間の中でもしっかりと関係性と感情(?)の変化が伝わってくるのです。一見簡単そうで形式的に見えても、かなり円熟の演技だったような気がします。もちろん男性陣もなかなかよく、「おじいさん」の殿村ゆたかさんや、「顔のない男」の小永井コーキさんの熱演が特に心に届きました。
 スタッフワークもみな高レベル。久々に大塚さんの美しい照明を堪能させていただきました。暗示的なオブジェやどこか過剰だったり足りなかったりする不思議な衣裳も、世界観と見事にマッチ。音響も、選曲も、実に効果的でした。
 この作品、隕石が落ちてきて海が広がって住める場所がなくなって…と、設定がなんとなく東日本大震災を彷彿とさせるものでした。実際は2007年の作品の再演ということで直接の関係はないようですが、いい作品というのはその場その場の見る人に対して、同時代的な意味を持たせるものなのかもしれません。劇場から出る時、どこかに安堵感と軽やかな重みも感じた作品だったのです。(2012/7/29)

どこへいくのか、DOORSと自分。
(100DOORS SELECTION 感想感想)

 ありとあらゆる分野のワークショップが1コマ90分、500円で体験できる大阪の夏の催し「INTERNATIONAL WORKSHOP FESTIVAL」。去年は「300DOORS」だったのですが、今年は大幅に縮小しての「100DOORS SELECTION」。いろいろと思うところはあれど、3つばかり参加してきましたので感想など。
[No.001 みんなで作ろう!もこにこ短歌◎高田ほのか(サンケイリビングカルチャースクール)]
 講師が癒し系という情報に引かれて(?)参加。実際のところ、短歌には全く造詣がなく、「好きな歌人は?」と聞かれても分からないほど。とはいえ、いろいろと素敵な短歌を教えてもらったり、自分でもちょっとだけさわりをやってみたりすると、なんだかその世界がちょっとだけ垣間見えた気も。そもそも、情景や自分の想いを31文字に、文学的にまとめ上げるという作業自体が、癒しなりセルフカウンセリングなりの効果を発揮するのかなと。忙しい現代社会の中で、そんな心豊かな時間を持てる。そしてそれを、短歌が生まれた1300年前の人と共有できる。なかなか奥深い世界のようです。
[No.030 トールペイントで作る雑貨◎志渡澤智子(日本手芸普及協会)]
 そもそもトールペイントがなんたるかも知らなかったんですが、Wikipediaによると、「家具などの木製品に絵具を塗る手芸。(中略)現在では陶器、ガラス、布など様々な素材に描かれている。」だそうな。ということで、今回はガラスに書いてみました。ただ、いくらアクリル絵の具といえども、ガラスに書くのはなかなかに難しく、結構悪戦苦闘でした。ここで勉強になったなあと思うのは、「花は先からでなく、根元側から書く」こと。つい上から書きたくなってしまうのですが書きにくいとのこと。確かにその通りですし、生きものとしての順番から言えば根元側から書く方が正しいわけで。ちと目から鱗でした。
[No.031 あなたが主役!新子景視のウケるマジックレッスン!◎新子景視]
 前回も人気の高ったマジックレッスン。ギアでのマジックも印象的だったところ。ということで、受けてみました。実際に講師の素晴らしいマジックを見せてもらったうえで、自分たちでもできるマジックをいろいろと教えてもらいます。実際に使えるまでには相当の練習が必要なのでしょうけど、話術も巧みで、参加するだけでも十分楽しい90分でした。一番印象的だったのが、「マジシャンは自分が見たいところを見ているのではなく、一番見てほしい場所を見ている」ということ。これは演劇でも、あるいは仕事上の交渉でも使えそうだなと。と、逆に、そんなことをずっとしていて心に不調がでないのか、仕事柄多少不安だったり。
 ということで、なんだか自分の立ち位置も、IWFの立ち位置も良く分からなくなってますが、まあ、ワークショップは「楽しいから受ける」でもいいのかなと。その中で共通する何かを探っていくというのもまた楽しく有意義な芸術活動かなと思っているのです。(2012/7/30)

4回目も楽しみにしつつ
(音楽座ミュージカル/Rカンパニー「シャボン玉とんだ宇宙までとんだ」感想)

 実はこの演目見るのは3回目。大阪・シアターブラーバ、三田・郷の音、そして今回の西宮・芸文センターです。ちなみに、同一演目で3回見たのは全てミュージカルで、エルコスの夢(神戸・文化ホール、尼崎・アルカイック、三田・郷の音)、オペラ座の怪人(ニューヨーク・マジェスティック、大阪・四季劇場、東京・海)、そしてウィキッド(大阪・四季劇場×2、ソウル・ブルースクェア)。ミュージカルというのはロングラン形式が多いですし、筋書き・歌・舞台とそれぞれに見どころがあるので、何度見ても楽しいんですよね。もちろん大元の筋書き・物語がしっかりしていないとつらいんですが…。  最初に見た時に比べると、高野菜々さんの抑えぎみの演技がなかなかに素敵。大阪・ブラーバの時は感情を前面に打ち出した演技だったのですが、逆に今回の方が痛烈さ(特に刑務所のシーンで)がひしひしと伝わってきました。そして、ケンタウルスチームの円熟の演技、ラス星人たちの安定感、そしてダンスチームの前向き元気さ(特にケンタウルス1のおぼんを使ったシーンがお気に入り)と、音楽座ミュージカル/Rカンパニーの演技と役者の幅の広さも改めて感じました。そして、生演奏ならではの臨場感もしっかりと。
 バブル最盛期の1988年が舞台なので、出てくる服装や小道具、そして出来事など、当時高校1年だった私には懐かしいところもかなりあったり。バブル期というのは今振り返ってみると、「明日はもっとよくなる」という夢、ドリームが日本にあった最後の時代なのかなという気がしなくもないのですが…。ともあれ、「シャボン玉とんだ宇宙までとんだ」、また心が疲れたときに4回目を見てみたい、お気に入りの作品なのです。(2012/8/4)

火曜日19:00〜 2655初公演『万華鏡の夢』にお越しください!
 火曜日、今の職場に入ってから初めての年休を取って友人の劇団のお手伝いに行きます。ピッコロ本科・研究科26期生の演劇ユニット、2655(にろくごご)の公演です。
 女性の作・演出、そして出演者5名も全員女性ということで、女性の感情や人生を真正面から、でもどこか優しい視線で描いた好作品に仕上がりつつあります。何と言っても素敵なのはその「間」。一見さらりとセリフが流れる中での感情の細やかな動きと空気の流れ方は、元気な小劇場演劇とも、あるいはセリフでみせる新劇系とも違った、彼女らの一つのスタイル(の萌芽)のような気がします。
 個人的には久々の舞台仕込みからのお手伝い。だいぶ忘れてそうですが、舞監さんの下、きちんと役者さんたちが全力を出せる舞台を作り上げたい、そしてそれを個人的にも楽しみたいなと思っているところです。
 8月7日(火)19時開演。上演時間は約1時間。真夏の昼間の酷暑がふと過ぎ去った夕方の、過ぎ去ったことに対する安堵感と、ほんのちょっとの寂寥感を味わいに、ぜひピッコロシアター中ホールへ!(チケットは私あてでもいいですし、公式問い合わせでも結構です。)(2012/8/5)

「私たち仲良しですよね」「そう?」「はい」
(2655「万華鏡の夢」感想1)

 2655(にろくごご)の公演「万華鏡の夢」、終了しました。関係者の皆様、本当にお疲れさまでした。まずは作品の感想など。
 今回の作品は、やはり間と空気感が独特でした。元気で騒がしい小劇場芝居とも、セリフや物言いが印象的な新劇系とも、ストーリーが印象的な商業演劇とも、音楽とダンスの素晴らしさに酔うミュージカルとも違う、余白自体を味わうようなお芝居。かなり無言の時間が長いのですが、それが決して嫌ではなく、むしろ心地よく、登場人物の想いが伝わってくるのです。作・演出の十田さんの確固たる世界観・芝居観と、それをきっちりと理解する役者があってこそ作り上げられた世界であった気がします。
 一方、いいセリフが多い、という感想も聞きました。私も、最初に稽古を見た時に、それを感じました。自分の中にある様々な考えなり感情なりを、きっちりと自分と戦って、生み出してきたセリフなのだろうなと思います。ピッコロ仕込みなのかもしれませんし、想流私塾で鍛えられたところがあるのかもしれません。さらに、彼女の人生の中で磨かれてきたものもあるのだろうなと。姉妹編の「万華鏡をこのまま残しておきたい」くだりなどは本当に名言だったなと思います。
 今回の作品は、現代(親子編)→5年前(友人編)→27年前(姉妹編)と時代を逆に遡っていく構成になっていました。これが難しかったという感想もお聞きしています。「親子編」の母(さと子)と娘(のぞみ)のそれぞれの過去という構成になっているのですが、この構成だと全てを見た後に再度「親子編」の光景を思い出せないと、感慨なり感動なりが薄まってしまう気もします。そういう意味では表面的なとっつきやすさの割には、実は理解するのはなかなかに難しい作品だったのかもしれません。
 ただ、先にも書いたように、このお芝居の魅力は、セリフよりも構成よりも、やはりその間と空気感です。例えて言えば、ギラギラと太陽が照りつける熱い暑い真夏の昼間を経験した後の夕方、少し風が動き始めた頃に感じる、ほっとの安堵感とちょっとの寂寥感のような。タイトルのセリフ、書きだせばこれだけですが、この二人の間に流れる感情なり思いなり積み重ねてきた経験なりは、観客席にもしっかりと伝わってきたのではないかと。その人と人をつなぐ感情の様々な組み合わせが一つの劇世界を作り、劇場に満ちていく。2655、この世界をずっと突き詰めていってほしいなと、観客的な立場からも願っているのです。(2012/8/8)

「桜吹雪が目に飛び込む〜」
(2655「万華鏡の夢」感想2)

 2655(にろくごご)の公演「万華鏡の夢」。今回は役者編です。実は26期の方には以前「私のことが全く書いていなかった!」と苦情(?)を頂いたこともあるので、クレジット順で全員の感想を一言ずつ(大丈夫かな−と思いつつ、ブログには実名が出ているので、実名で書かせていただいております)。
大谷三千葉さん:「親子編」の祖母と「姉妹編」の長女。どちらも怒りの感情が前に立つ役だったので(そしてこの2者は直接的には絡まないので)、なかなか役作りが大変だったのではないかと思いました。個人的には「親子編」の時の感情の流れ、特に終盤に向かっての空気の作り方が大好きでした。このメンバーだとなかなか回ってこないのかもしれませんが、一度、どヒロインとかも見てみたいです。
小川紗貴子さん:「友人編」のミカと「姉妹編」の三女。友人編ではなかなか元気のよい、姉御肌の人物を好演していました。彼女、(高身長の方が多いこのメンバーの中に入ると)若干身長が低いのですが、それが逆に元気さや活発さのリアリティになっていた気がします。それは姉妹編でもそうなんですよね。結構長台詞があるのですが、満員の中ホールでもきっちりと通る声も魅力でした。
子安真米さん:「友人編」のかよ子。なかなかに難しい役だったと思います。あまりに能天気でもいけないし、かといってあまりに繊細であってもいけないし。ただ、そこは(演劇ラボで身につけたのではないかと思われる)ちょっと不幸を背負った女性の空気感が光っていました。終盤の「かよ子もしんどかったんやろな」がちゃんと納得できる演技になっていたと思います。
住田泰子さん:「親子編」「友人編」ののぞみ(娘)。実年齢に近い役だからこそ、この間にある5年の違いというのをきっちり意識されていた気がします。どちらかと言えば感情を前面に出す役柄なのですが、それが役柄ではなく役者の中から出てきているので、見る人の心を打ちます。もともときれいな女優さんですが、内面からの表現に更に磨きがかかった気がします。
高島愛さん:「親子編」「姉妹編」のさと子(母・次女)。やはり今回の作品、彼女が一番の立役者でしょう。その役柄・セリフに対する理解と、持っている清楚さ・健気さが、作品を貫く空気感のかなり重要なピースであったことは間違いありません。また、特に浴衣姿の時の所作(そなたは誰じゃゲームとか)は実に美しいものがありました。これからも十田作品を体現する重要な役者になりそうな予感です。
 このメンバーはみな研究科に進んだ方々。なので当然それなりにお上手なのですが、その後も個々に様々な場所に出て行って演劇活動を続けていて、更にレベルを上げているようです。そんな人々が改めて一つに集まって、一つの世界を作り上げている。5人の姿が美しい万華鏡の模様となって、私の目に飛び込んでくるのです。(2012/8/09)

「そなたは誰じゃ」
(2655「万華鏡の夢」感想3)

 2655(にろくごご)の公演「万華鏡の夢」感想シリーズ。ラストはスタッフ関係など。
 今回特筆すべきなのは、やはり照明(ふじもとゆみ氏)でしょう。客入れでのミラーボールの印象的な演出から、落ち着いてい見えながらも細かく配慮された地明かりまで、非常にレベルの高いものでした。彼女とは卒業後も何やかんやで毎年関わらせていただいているのですが、年々その腕を更に上げてきているのが感じられます。毎年、明らかに吊っている灯体数は減っているのに、明かりで表現される世界が増えてきている。その技術力に加え、作品世界の理解力やそれを明かりに落とし込んでいく表現力も、特筆すべきものがあったと思います。
 そして舞台監督と美術の山田淳二氏。万華鏡のオブジェは簡単とはいえ、独特の舞台配置や落ち着いた照明ともあいまって、実に効果的で象徴的な効果を発揮していました。音響の石川祐子氏も、芝居の音響を一人でやるのはほぼ初めてと言いながら、堂々のオペ。彼女は本当に楽しんでやっているのが伝わって来て、それが役者さんの演技といい相乗効果を発揮していたように思います。
 当日パンフ上で「発起人」としてクレジットされた制作の加賀美裕子氏。「十田作品をピッコロフェスでやる」という構想自体はかなり前からあって、実は自分自身も多少絡んでいたのですが、新年度に入って自分も含めていろいろと境遇が変わり、実現困難かと思われていたのです。そんな中、突破口を切り開いたのが彼女の無邪気さとひたむきさ。そう言う意味ではまさにファウンダーであったと言えます。
 そして、やはりこの世界を生み出したのは、今回の作・演出、十田裕加氏でしょう。彼女の作品は以前、伊丹想流私塾の発表会で見させていただいたのですが、「女性」、「家族」、そして「時の流れ」に対して向けられた鋭い視線は一切ぶれることなく、より純化された形で作品として提示されていました。私はそれほど彼女のプライベートに詳しいわけではないのですが、自分の実体験を踏まえつつも、自分の実体験を越えた、より普遍的な人間に対するあり方への探求が、そこにはあった気がします。しばらくはこの路線でまた素晴らしい作品を書いて行っていただきたいと思う一方、全然違ったテイストの作品を見てみたい気もしています。
 ピッコロでやってきたことを踏まえつつも、それぞれが外の世界で獲得してきたものも存分に発揮した、今回の2655「万華鏡の夢」。まさに夢の競演であり、夢のような時間を過ごすことができました。久しぶりに、大好きだった世界が幕を閉じた後の不思議な感覚が、まだ体のどこかに残っています。(2012/8/10)

万博千秋楽&本場のビビンバ&Wicked、行ってきました!
 夏休みということで、4泊5日(実質上は4泊4日)で韓国に行ってきました。近場&短期間とはいえ、なかなか濃い旅行を楽しむことができました。
 11日の朝、関空を立ち、ソウル経由で麗水まで。11日の夕方〜12日は千秋楽を迎えた麗水万博へ。懸案(?)となっていたパビリオンをかなり制覇出来たのも良かったのですが、やはりここで一番良かったのは、数多くの日本人万博ファンの方々とお会いできたことでしょう。愛知万博に絡んでいた人々で万博の熱烈なファンがいることは知っていたのですが、違う地域にも結構いるんですよね。同じ神戸出身の、同じ年の方もいらっしゃいました。そんな方々に結構自分のページが知られているという事実も大変嬉しかったです。次のミラノ、いろいろと楽しみになってきました。
 13日は、宴のあとの会場を横目に、鉄道で全州へ。これも久しぶりの韓国の地方都市。全州は古い建物や街並みが良く残っており、一種の観光都市でもあるのですが、人情にせよ物価にせよ食事の量にせよ、やはり国際都市・ソウルとはかなり違う何かを感じました。木浦とか春川とか束草とか、いろいろと行ってみたい街もあるので、なかなか長期の休みが取りにくいのを逆手にとって、ここ数年間はそのようなアジア(韓国・中国・台湾など)の地方都市を回ってみても良いかなと思ったりもしています。
 そして、14日は高速バスでソウル入り。3列シートの優等高速バスは実に快適。SAも昔の印象とは全く違う、きれいで近代的なものでした。ソウルでは15年ぶりに昌徳宮・後苑を見学。世界遺産の威力とはすごいようで、15年前は3人だった日本語ツアーの参加者も70人近くに。宮殿も相当復元が進んだようです。一旦ホテルに戻ってゆっくりした後は、これもおそらく15年ぶりのロッテ免税店本店でのショッピング。今回は買いたいものが明確だったので(お財布)、いくつか見て回ってさくっと購入。そして今回のメインイベントの一つ、Wicked Seoul公演へ。当然韓国語字幕は分かりませんし、英語もフルに聞きとれるわけではないのですが、やはり原語での上演というのはテンポも流れも良いなと。韓国の方の独特な盛り上がり方に多少びっくりしつつ、存分に堪能させていただきました。
 この5日間、良かったことの一つが、「すっかり仕事を忘れていた」こと。4月に今の職場に来てから、良くも悪くも常に仕事や仕事に関係することに苛まれていて、ここまで完全に自分の仕事や立場を忘れられたことはあまりなかった気がします。それが「正しい」かどうかはいろいろと議論もあろうかと思いますが、セルフマネージメントの観点からは(少なくとも私には)こういう機会が必ず必要。そして、この5日間で得たり再確認した新しい視点をちょっとだけ心に持ちつつ、まずは明日から2日間、何とかお仕事を乗り切りたいなと考えているのです。(2012/8/15)

青木ヶ原一家、解散!
(劇団スターダスト日本「擬態家族」感想)

 どんどん薄れていく記憶との戦いになり始めたので、前に見たものから順番に感想をまとめていきます。まずは7月1日のスタ日。本科27期の方々が中心となって立ち上げたものの、その伝手やブログ、mixiなどで集まった人もいてよく分からなくなっています。でも、それも登場人物に厚みができて、また良しなんですよね。
 青木ケ原樹海で出会った不思議な「家族」の物語。全く無関係の人々が「擬態家族」を作り上げ、その中でいろんな感情の交流があり、いわば一種の癒しを得て、それを糧にまたそれぞれの場所に戻って行く。筋書や主題は良く見かける一般的なものではあるのですけど、それをきちんと演技やスタッフワークまでに一貫して表現しているのは立派。演出力が光りました。そして、今回も、どこか昭和の香りのする衣裳やセットや登場人物。スタ日、みんな若いのにいつも郷愁を感じさせる作品を作ってきますね。
 役者陣はそれぞれに印象的。特に短い演技時間の中できちんと「時の経過」と「感情の変化」を表現した、智彦役の深森彩貴さんと、りん役の和田あさみさんが印象的でした。もちろん主演俳優(女優?)の坂口亮(ぶーすけ)も流石の演技でしたが、和田さんの髪の毛だの体だのをベタベタさわり過ぎな気も(苦笑)。まあ、オカマという役柄によるものだとしておきましょう。
 舞台も(事前に多少聞いていたものの)簡にして要を得たもの。危うい引き戸はご愛敬の範囲。あえて深読みすれば、あのぐらぐらする引き戸もまた「擬態家族の危うさ」を象徴していると取ることができるかもしれません。すっと絞って消えていくラストの照明はありがちとはいえ、やはり素敵。決して幸せ、前向きなラストではないのに、でもどこかほっとできる作品世界。ぜひ彼らにはこの世界観のお芝居を繰り広げていってほしいと願っているのです。(2012/8/19)

単純なお話の、素敵な舞台
(劇団四季「オペラ座の怪人」感想)

 劇団四季と言えば名実ともに日本を代表するミュージカル劇団なのですが(ストレートプレイもやっているのは知っていますが、やはり大多数に知れ渡っているのはミュージカル)、残念なことに、実際のオーケストラ演奏(いわゆる生オケ)ではなく録音でやっている公演が大半です。まあ、録音の方が調節が聞きやすい側面もあり、日本各地で低廉な価格で高レベルのミュージカルが見れるのは録音を採用したからという部分も大きいのですが、とはいえちょっとさみしいところ。ということで、現在日本国内の劇団四季ミュージカルのうち唯一生オケ公演である「オペラ座の怪人」を見に行きました。東京は汐留の電通四季劇場「海」。意外と出入り口の小さい劇場でびっくりしました。
 この作品、観劇自体が3回目。家にCDもあるので、ほとんどの曲は知っています。でもやはり、この作品は大道具も小道具も衣裳も人々の動きも、生の魅力にあふれているんですよね。やはり舞台はその場で見ないとという感を強くしました。さらに、もともとパリのオペラ座が舞台であるだけに、生のオーケストラボックスがあり、そこに指揮者が顔を出しているすらも舞台装置の一つとして使われます。劇団四季も、こうやって見ると一味もふた味も違った気がします。
 ところで、しっかりと舞台を見て気が付いたのですが、実はこのお話、クリスティーヌといういつまでも父親のことを忘れられない娘さんが、そのファザコンぶりを発揮して歌の先生(オペラ座の怪人)のことを慕っていたにも関わらず、幼な馴染み(ラウル)が自分の勤め先であるオペラ座のオーナーになったので、さくっとそっちに乗り換えたことにより数々の悲劇が発生した、というだけの話のような気がしてきました。クリスティーヌ、実はなかなかにしたたかな娘さんだなあと。あるいはイノセントだからこそ罪深いというタイプなのかもしれません。そして、そんな姿を、マダム・ジリー先生だけは冷静な目線で見てそうだな…。まあ、下世話な話を美しく芸術的に歌い上げ、飾り上げるのが西洋オペラの伝統でもありますので、それに則っているとも言えます。
 ということで、最後はそんな小娘の罠にはまってしまったかわいそうな怪人に涙しつつ、ミュージカルはミュージカルとしてしっかり楽しませていただいたのでありました。(2012/8/20)

演劇の可能性と限界と
(ままごと「朝がある」感想)

 もう1ヵ月半以上前になるのでだいぶ忘れていますが…ままごとの「朝がある」を見てきました。「わが星」が大好きなので期待して行ったのですが、良くも悪くも期待を裏切られたというか、全然違う作品でした。というか、多分描いている世界観は一緒なんだけど、手法が違うというか。
 正直、題材となった太宰治の「女学生」のように、特段の筋書きがあるわけではなく。坦々と、しかし重層的に、この世界が、日常が、描かれていきます。何か突発的な出来事が起こるわけではなく(あえて言うなら突然歌を歌ったのが多少びっくり)、ただ筋書きも無く。しかし、その描き方は、セリフの発し方から音響・照明・美術とのコラボまで、非常に斬新かつ個性的。ある意味、お芝居というよりも、一見分かりやすそうに見えながら実は分かりにくい、実験的なパフォーミングアーツであったような気もしています。
 しかし、あの何もなく決して広くもない空間に、たった一人の役者とごく少数の道具とスタッフワークだけで、全世界と全ての時間を閉じ込めてしまうのは、さすがの柴ワールド。さすが若手で最も注目されている作・演出家であるだけはあります。その一方で、果たして普段演劇をあまりに見ない人に多少なりとも理解できる作品だったのかとか、柴氏や「ままごと」以外が同じことをやってもこれだけの評価を受けたのかというと、大いに疑問も。そう言う意味で演劇の可能性と限界もまた感じた作品でありました。
 いずれにせよ、ままごとの柴氏やら、柿喰う客の中屋敷氏やらは、まさに旬、乗りに乗っていると言わざるを得ません。筋書きやら内容やらの良い悪いは別にして、その「今」を駆け抜けるスピード感と疾走感は、アラフォー世代の自分にもかなり心地よいものが。これからも観に行くんだろうなーと思っているのです。(2012/8/21)

確かに危険なお茶の会
(ピッコロ劇団「不思議の国のアリスの帽子屋さんのお茶の会」感想)

 久しぶりにピッコロのファミリー劇場を見に行きました。ファミリー劇場はいわば「子ども向け」なのですが、もとは阪神・淡路大震災の巡回公演がきっかけで出来たもの。ある意味県立ピッコロ劇団の魂とも言うべき公演であり、決して手は抜きません。脚本も演出も役者も歌もダンスも、そして美術も照明も音響も、一切手を抜かず、みんな本気で本格的。だからこそ、大人にも子どもにも、全くの初めての人にも演劇ファンにも、それぞれに伝わってくる何かがあるのでしょう。
 今回、まず印象深かったのが加藤登美子先生の舞台美術。「不思議の国のアリス」ということで、トランプの4つのマークをモチーフにしたメルヘンチックな舞台装置でありながら、その丸みや質感、そして出入りに使われる穴の形状や付属する突起物などが、全体としてどこか官能的で蠱惑的。子供っぽいのだけど大人っぽくもある、まさに危険な香りを漂わせていました。ある意味、情念的なものを極力排した(あるいはそこからは中立的であろうとする)舞台美術とはかなり違った、新境地とも言える作品であったように感じました。これが、単純なんだけど細かく配慮された照明と相まって、舞台上に独特の世界が広がるのです。さらに、手を全く抜かない音響さん。やや固めの音が、この不安感と心地好さが同居した不思議な空間を演出します。とにかくスタッフワークは実に良く、楽しかったです。
 当然、役者陣も全力投球。コミカルな部分もシリアスな部分も、言葉遊びもも含蓄のあるセリフも良かったのですが、あえて特筆すると、県立ピッコロ劇団が誇る名コメディエンヌ・野秋裕香さんの公爵夫人が本当に最高!子ども達(と初日を見ていたスタッフ陣)のヒーローでした。ああいうお芝居ができる方というのは貴重ですよね。そして、チシャ猫・三月兎の今井さん、橘さんも見ていて本当に楽しく。アドリブでの返しもさすがでした。そして、眠りねずみの道幸さん、かわいくも不思議な雰囲気満点でした。
 別役作品ということもあり、決して楽しく面白いだけではなく、思いこみの危険性とか自他の境界線とか、なかなか危険なことを語っている雰囲気も。私自身まだ理解できていない部分も多々ありますが、主題いかんに問わず本気の本物の舞台が持つ威力は、子どもにも大人にもダイレクトに伝わるもの。そんなことも感じた作品だったのです。(2012/8/22)

グリンダさんたちへ
(Wicked Asia Tour(in Seoul) 「WICKED」感想)

 ずっと楽しみにしていた言語でのWICKED観劇。ニューヨークでもロンドンでもなく、ソウルで実現しました。オーストラリアのグループが、アジアツアーということでシンガポール、ソウル、台北と回っているのです。ソウルは漢江鎮のブルースクエア。駅に直結、去年できたばかりのミュージカル専用ホールなのでとてもきれいです。
 生オケの威力、原語ならではの音楽との統一感はさすが。とりわけ、劇団四季版では歌詞自体が消えてしまっているDefying Gravityのグリンダ最後の決め台詞"I hope you're happy!"が生で聴けたのは、幸せだったなあと。このあたりはマニアックな楽しみ方ですが。そしておそらく韓国ならではなのが、客席の盛り上がり。ワンナンバーごとに拍手の嵐。面白いシーンでは大笑い。最後はもちろんスタンディングオベーション。ブロードウェイで見るのとはまたちょっと違った異国感というか面白い感覚を味わうことができました。
 ストーリー自体は知り過ぎるほど知っているので、今年ならではの感じたことを2点だけ。1点目は、このお話は実は「2つの障害者問題」を密かに取り上げていなと。一番分かりやすいのは車いすのネッサローザ。半ば憐れみでボックが付き合うことになったものの、歩けるようになった途端にボックが離れて行ってしまう。これはもちろん治ったことだけでなく、彼女のそれまでの生き方のせいでもある(強引に「オズの魔法使い」に結び付けるためでもありますが)のですが、なかなか示唆的だなと。それに対する逆恨みが一つの悲劇の発端となります。そして、もう一人は、ウィキッドこと緑色の肌を持って生まれたエルファバ。それを一番感じたのはエメラルドシティに入った時の「誰も自分のことをじろじろを見つめていない、こんなことは初めて…ここが自分にとってふさわしい場所なのかもしれない…」というようなセリフ(記憶なので違っていたらごめんなさい)。障害というよりもマイノリティ問題なのかもしれませんが、彼女の決してまっすぐとは思えない前後の行動を思うと、多様性を包含する社会を作るべき重要性は理解しつつも、それが社会と本人にとっていかに難しいかを感じずにはいられませんでした。
 もう一つ思ったのは、自分がこの作品を好きなのは、おそらく自分をエルファバに投影しているからだろうなと。その一方で、この数年間で出会ってきた元気な女性たち(なぜか離婚後の6年間、公私ともども女性の方と一緒に仕事や作業に組む機会が多かったのです)の姿をグリンダにみているのかなと。「できる女性」ならではのしんどさとか、その中でも健気に役割をこなしていく姿とか、そんな中でも時折見せるお嬢さんらしさとか。そんな感覚が、まっすぐで勝手で、でも傷つきながらも健気なグリンダを見ていると、ついつい思いだされるのかもしれません。恋愛感情とはまた違った友情の世界が、40近くにして見えてきた気も。"I hope you're happy in the end. I hope you're happy, my friend." お互いこれからの人生がどうなっていくのか分からないですが、最後に「幸せな人生だった」と言えますように。そう願っています。
 さて、ここまできたら、次はやはり本場ブロードウェイに進出するしかないかなと。ニューヨークはいかんせん遠いのですが、決して行きにくい場所ではありません。さらなるロングランを期待しつつ、その日もまた楽しみにしているのです。(2012/8/24)

原作に忠実に再現した好舞台
(演劇集団キャラメルボックス「アルジャーノンに花束を」感想)

 これでやっと追い付きました。先週の金曜日に見てきたキャラメルボックスの「アルジャーノン」です。原作は超の付くほど有名な感動作。とはいえ、50年代アメリカという、若干舞台にしづらい設定とお話とが密接に絡んでおり、これまでドラマ化しても舞台化しても、あまり評判は良くなかったように思います。その点、今回のキャラメルボックスの舞台は、名訳と言われる小尾芙佐訳を元に、原作に忠実に再現をしたという点で非常に高く評価できると思います。当時、精神薄弱と訳されていたものを知的障害と言い変えたり、原作ではかなり重要な位置を占めるワレン養護学校にかかるくだりを割愛したりと、多少の「配慮」は感じましたが、原作を知っている者にとっても気にならない程度であったと思います。。
 今回、感じたのはキャラメルボックスの役者さんたちのレベルの高さ。主役級の阿部さん・岡内さんの良さは当然としても、妹ノーマ役・林貴子さんの「時」を感じさせる演技や、フェイ役・笹川亜矢奈さんのどこかに闇を抱えた能天気さなどが、実に魅力的。他の登場人物も個々に色々なものを抱えた愛すべき人物として描かれ、演じられていました。いつもだと「キャラメルボックス風」とでもいうべきストーリーと(音響・照明も含めた)演出の盛り上がりがあるのですが、今回は原作に忠実だったということもあり、あまりそれが前面に出てきません。だからこそ、役者と演技の良さが際立ったのかなと。
 逆に言うと、もうキャラメルボックスはオリジナルのストーリでは薄っぺらく感じるほど、役者やスタッフワークのレベルが上がってしまったのかもしれません。若干厳しい言い方をすると、かつては一世を風靡した成井豊さんの世界というのは、彼が世の中をそういう方向に引っ張ってしまったからこそ、改めてオリジナルとして提示されてもどうしても凡庸なものに見えてしまうのではないかと。全く、逆説的なのではありますが。そう言う意味では、名作を忠実に再現していく今回の手法や、有名作家(有川浩)に原作を委ねる次回本公演の手法は間違っていない気もします。
 ともあれ、このようなレベルの高い舞台が、仕事帰りにさらっと見ることができるというのは神戸の実に良いところであり、これからも神戸公演を末永く続けてほしいなあとも願っています。(2012/8/25)

かけがえのない時 忘れない
(三田市民演劇 三田交響曲「さんだほたる 第二章〜ふれんず〜」感想)

 3年連続シリーズの2年目ということで若干だれるかと思いきや、なかなかにまとまった良い舞台になっていました。とにかく役者のレベルが上がっており(特に脇役の人々の動きが良く、自分のセリフがない間、ヒマになっている人が明らかに減りました)、それが作品全体のレベルを上げているよう二感じます。
 ダンスシーンは相変わらず振り付け、役者とも良く、毎度のことながら市民演劇のレベルを遥かに越えています。振付家の巧みさもあるとは思うのですが、やはり三田という土地柄もあるのかなと思っています。市民演劇の練習だけではここまでならないし、逆に言うと、素のレベルだけでここまでも出来ない。やはりいい相乗効果が生まれている気がします。照明は前々回や前回ほどの派手さこそないものの、やはり高レベル。舞台も前回の雰囲気を残しつつ、アクティングエリアを広くとる工夫がされていました。
 ヒロインの石井諒さんが、自分自身の思いや感情をうまく引き出して、なかなかの好演。蛍チームは相変わらず楽しく、キラン役・墨井沙奈さんのラスト付近の演技も良かったのですが、黒一点の北野寛大さんのインパクトには脱帽。素を知っているからこそ楽しかったのは、ケリー役の岩崎さんとか八嶋律子役の西森さんとか。あと、今回は様々な年齢の男性が上手にそれぞれのチームに組み入れられていて、みなさんいいアクセントになっていたように思えます。改めて、色んな意味で幅の広がりを感じました。
 私が参加してから2年近くが経ち、さすがに知らない方も増え、子どもたちの記憶からは消えてしまっているようで、終演後のお見送りの際に前を通っても気が付く方も少なく、多少の淋しさも。とはいえ、たった1年とはいえ参加させていただいたからこそ、こうやって見に来ても楽しいし、FacebookやらMixiやらTwitterやらで繋がっている人もいるし、やはり2010年の夏は人生の中でも貴重な夏だったのだろうなと。あの場に戻ることはいろんな条件からちょっと難しいのですが、遠い場所から皆さんの活躍を楽しみにしています。(2012/8/27)

青春の熱さと暑さは面白い
(かのうとおっさん「青春再来我愛?(セイシュンサイライウォーアイニィ)」感想)

 日曜日の午前中に行ってきました。とにかく楽しい5話オムニバス。独特の台詞と登場人物と役者に翻弄されるのが何とも愉快な約100分のお芝居。演習や照明のレベルの高さも感じたけど、そんなのはどうでもいいと感じるほど。とにかく面白かった、楽しめたという感想しかないです。
 全5話それぞれに見どころも笑える場所もあったのですが、特に良かったのをいくつか。まずは、第1話「熱血!お屋敷探検隊」。これは、嘉納さんと有北さんの2人芝居ということで、ある意味純粋に「かのうとおっさん」ならではのハイテンポで独特な世界が堪能できました。嘉納みなこさんの演技は、以前、baghdad cafe'「サヨナラ」で見たことがあり、この時にはコミカルな中にもどこか感情の芽生えを感じさせる演技が素敵だったのですが、今回は裏も表も無くすっ飛んで行ったところが逆に素敵であったような気がします。あとは第4話の「名探偵・鷺澤一郎〜蒜山高原の悲劇編〜」が、あまりにもバカバカしくて私のツボでした。のぞみこと是常裕美さんの魅力満点の作品であったとも感じます。インパクトでいえば第5話「ハカセ in USA」に出てきた大村アトムさんもすさまじい(?)ものがありました。
 今回のテーマは「青春」ということで、青春の熱さと暑さを笑いの中に実にうまくまとめていたなと。喜劇というのは悲劇よりも格段に難しいというのはこの世界でよく言われることではありますが、だからこそ、この作品の質の高さと、そんなことをすっ飛ばして単純に楽しめる面白さには、ただただ脱帽なのです。(2012/8/28)

ある意味正統派のシェイクスピア
(いるかHotel公演「からッ騒ぎ!」感想1)

 女性ばかりで関西弁で演じられるシェイクスピア作品。ピッコロ時代の同期や先輩・後輩が出演していることもあり、仕込みからバラシまでちょこちょことお手伝いさせていただきました。スタッフは大半がプロの方ということもあり、自分のお手伝い自体はあまり役立たなかったような気もしますが、身近で素敵な舞台を何度も見る機会に恵まれました。
 役者さんたちは関西小劇場界を代表する名優が勢ぞろい。ピッコロからも、同期の渡辺倫子さんをはじめ、26期、27期、29期、30期の個性的な面々が参加。さらには、立派な県立劇団員(笑)である本田千恵子先生も久々の出演。実に豪華な顔ぶれでした。そして、一人ひとりが自分の役割や立ち位置をよく分かって舞台上で動いている。なかなかにすごいなあと。もちろん、このような大きな舞台が初めてだった人も何人かはいたようなのですが、そこをうまくベテランさんや演出さんが引っ張っているのが良く分かりました。非常に良い経験だったのではないでしょうか。
 どの役者さんもみな良かったので、あくまでも自分の趣味になってしまうのですが、粗野な中にも可憐な乙女心が見え隠れしたベアトリス役の宿南麻衣さん、役の掴み方が相変わらず素敵な山本瑛子さん、かわいらしい演技も妖艶な演技もしっかりこなす西川恵美さんなどが印象に残りました。もちろん、劇団員のお二人(岸原香恵さん、渡辺倫子さん)も堂々の男優ぶり(?)でしたし、「現代日本にこんなお姫様が本当にいるんだ」と思ってしまったヒロイン・ヒアロー役の坂口ゆいさんからも目が離せませんでした。
 この作品、事前にお手伝いすることが決まっていましたので、一応シェイクスピアの作品(当然翻訳ですが)は事前に読んでおきました。どう脚色するのかなと思っていたのですが、話の流れやら台詞やらは、実はほとんど変わっていません。たとえば、「あんな立派な老人が嘘を言うわけがない」を「あんな立派な県立劇団員が嘘を言うわけはない」と楽屋オチに代えてしまったり、「彼女の絵を持っておこう」を「彼女の写真をとって携帯の待ちうけにしよう」と現代風にアレンジしたりしているのです。女性ばかり、関西弁というのも全く違和感なく、むしろシェイクスピアはこう演じられるのを望んでいたのではないかと思わせるほど。シャイクスピアの時代を越えた普遍性に改めて感心するとともに、それを現代にも通じるコメディとしてきっちりと高質で感動的な作品に仕上げた谷省吾氏といるかhotelのレベルの高さも、また改めて思い知った作品となりました。(2012/9/8)

Choiceの過程と結果を軽やかに受け止めながら
(演劇ユニット卯号室公演「Choice」感想)

 昨日、ピッコロ本科29期生のユニット「卯号室」の公演を見てきました。阪急茨木市駅から徒歩10分ほどのところにあるカフェ「タシデレ」を会場にしての舞台。久々の桟敷オンリー、ドリンクやフード付きという、ちょっと変わった形態の公演でした。
 この作品、Choiceということで、上演順をお客さんに尋ねて行うのですが、後半(21時から)はまるで、交響曲を意識して並べたかのような順番になりました。自分のメモも兼ねて1作品ずつ紹介していきます。
運命の作り方:付き合い始めて3年目、そろそろ結婚を意識し始めた女性のお話。煮え切らない彼氏の態度に、別の男友達に相談しているうちに…というよくありがちなストーリーなれど、結末を2パターン用意しているところがまさにChoice。結婚のような重大な出来事であったとしても、(良くも悪くも)その決断は何気ない選択や一時の感情の中で決められがち。そんなChoiceの一側面を観客に提示した第1楽章でした。
ROBO TO MU:ロボット博士とロボットたちのお話。国王の前でロボットとダンスを披露することになったものの、連れていけるのは1体だけ。さあ誰を選ぶのかというChoice。結論は若干安易で、もうひとひねり欲しかった気も。ただ、登場人物の性格付けはしっかりできており、ロボットとしてのコミカルな演技やダンスも素敵。どこかに優しさが溢れるストーリーと、狭い舞台とそれぞれの身体をフルに活用したダンスに酔いしれた第2楽章でした。
自作自殺:結婚詐欺にあい自殺しようとしている青年の前に現れた死神。絶賛キャンペーン中のため「死ぬ前に、貴方の人生のどこか一場面を変えてあげましょう」とのこと。そんな彼がChoiceをしたのは、結婚詐欺相手との出会いを変えることだった…。正直、筋書きだけ思いだせばあまり救いのないお話なのですが、ストップモーションなどの小ネタが効いており、更に兎桃さんの小悪魔的(死神だけど)魅力が爆発で、一気に走り切った第3楽章でした。
天国うまれ:自分のせいで弟を死なせてしまったという自責の念から自殺を選んだ兄。そこに現れた天国への門番と、死んだはずの弟そっくりの人物。「あなたはまだ死に切っていません。このまま死ぬのか、元の世界にもどるのか決めてください。」。悩む兄とそれを支える恋人。「天国うまれ」という曲をモチーフにして(ちょっと中間発表会が頭をよぎりました)、最も難しいChoiceを真正面から描き切る。まさに第4楽章にふさわしい大作であったと思います。
 そして、この4作品の後にあったのが、締めとしての「シェフにおまかせ」。冷蔵庫の中の調味料が「どれが一番、ご主人様に使われているか」を決める「総選挙」を行うという、これまでとはまったく雰囲気の違う作品。「総選挙」ということで、某アイドルグループを意識しているのでしょう。そして、前4作品とは違い、Choiceをするのではなく、Choiceをされる側からの作品でした。この違った観点からのお話を最後に持ってきたのは、なかなか良かったなと思います。
 思えば人生というのはChoiceの連続。大学に行くのか、専門学校にいくのか、就職するのか。大学でも何を学ぶのか。大学を出て就職するのか、大学院に進むのか。同棲するのかしないのか。結婚するのかしないのか。結婚後は姓を変えるのか、事実婚でいくのか、旧姓使用でいくのか。子どもを作るのか作らないのか。(特に女性は)子どもができても仕事を続けるのか辞めるのか。その良しあしは別にして昔ならば社会常識で自然と決まっていたことを、全て「自己責任」の名のもとにChoiceしなければいけない時代になってきています。一方、就職活動やオーディション、その後も転職活動だの昇任試験だの、プレゼンテーションだの一般競争入札だのコンペだの、Choiceされる機会も、昔に比べて明らかに増えてきているのではないでしょうか。とりわけ、20代の人々にかかるChoiceの圧力は、選ぶ側としても選ばれる側としても、年を追うごとに強くなってきているような気がするのです。そう言う意味では、本当に大変だなあと同情することも良くあります。
 時には真面目に深刻に考え、でもある程度はChoiceの過程や結果を、過去を振り返って後悔するのではなく、未来に向かって軽やかに受け止めながら、さらにChoiceを重ねて自分なりの面白い人生を築きあげていくしかないのかな。最近、いろんな30代、40代の方々の日常生活・家庭生活をFacebookなどで垣間見ることが多くなっているなか、若い世代にそんなことも伝えていけたらよいなあとも感じたのです。(2012/9/9)

バーチャルと現実、男と女のディスコミュニケーション
(劇団りゃんめんにゅーろん公演「終わってないし」感想)

 ピッコロ友人が出ているということでお誘いがあっていってきました、話題の大阪市西成区。美味しいグルメに走ったり、ひさしぶりに○○公園周辺を散策(?)したりと楽しんできたんですが、それはさておき芝居のお話。「終わってないし」です。
 1回あたり30人限定ということで、なかなかに小さい劇場。ここに、見事に4畳半きっかりに主人公・陽一の部屋が再現されており、全ての出来事はこの中で完結します。観客はそれを窓枠を通じて覗きこむわけです。最初は彼女(洋子)と同棲しているので、どこか小ざっぱり。カーペットの折り目まできっちりしています。しかし、彼女から捨てられ、お客様センターの仕事で稼いだお金も携帯上の街づくりゲームに費やしているうちに、一瞬自分に好意を寄せてくれていた麻子も友人・伸治に取られてしまう…。徐々にリアルに荒れてくる部屋の光景が、陽一の心象風景を示しているようで、なかなかに興味深かったです。
 この作品、Wキャストで2回見たのですが、突然思いついたのが「ディスコミュニケーション」という言葉。Googleで検索したところ同名のマンガもあるそうですが、むしろ「相互不理解というコミュニケーションの状況」的な意味合いです。バーチャルな街づくりゲームが現実世界を侵食しているような台詞があるものの、それすらも流れていってしまう。そして、出てくる男と女の関係も、どこか分かっているようで分かっていない。性的なものが介入してそうで(「ゴム買ってくる」という台詞まであるのですが)、でも、どこか淡白で性的なものは介在してないような気もする。伸治の安定感も、麻子の不安定感も、すべて夢まぼろしのごとく。そんな不思議な空気の中で、でもしっかりと進んでいる毎日。その記録としてのタイムカード。それにすがる陽一の姿も、それをバカにする洋子も、また夢まぼろしのごとくなのでした。
 今回の作品、どの役者さんもすごくうまくて面白かったのですが、やはり個人的には、知り合いの巽由美子さんとそのカウンターパートの一瀬尚代さんが気になったかなと。どちらも清楚ですごく綺麗な女優さんなのですが、いつも怒っていそうで怖いところもある。それが洋子の演技、特に秀逸なラストシーンに、非常にあっていたような気がします。どちらかといえば、一瀬さんが動、巽さんが静の芝居だったかなと(衣裳のイメージもあります)。演出家が芝居をつけたのかどうかまではわかりませんが。
 先日、職場の友人たちと飲んでいた時、「男は過去の彼女との思い出をそれぞれフォルダに名前を付けて仕舞っておけるが、女は全て上書き保存する」と言った人がいました。なかなか名言のような気もします。だから、女の子にとってはすっかり終わった関係も、男にとっては「終わってないし」となるのでしょう。いずれにせよ生物学的にかなり違った生きものである男と女が密接なコミュニケーションを取りつつこの世の中は回っているし、バーチャルと現実も携帯電話やらタイムカードやらと言った接点を通じて、着かず離れずで繋がっているわけで、そんな状況自体をまるごと楽しむしかないのかなあともちょっと思ったのでした。(2012/9/10)

それぞれの世界の朝は違って同じで
(劇団六風館公演「定点風景」感想)

 大好きな彗星マジックの大好きな作品「定点風景」。これを大学生がやるということで、期待と不安を抱えながら観に行きました。
 人の数と森の面積を数えて鐘を鳴らすことにより、知らない間に「人の間引き」をさせられていた少女ヤナと、彼女が鐘を鳴らす広場で亡くなった人の似顔絵を書き続ける少年デニスの物語。ここに人を燃やして蠍の火とする灯台守ベロニカや、この世界の成り立ちを知りつつもその中で生きようとするヤコブなど、相変わらず愛すべき、個性的な人物が描かれます。彗星マジックに比べると「月刊」というバックボーンがないだけに若干、人物や状況説明に時間をとられてしまった感も。ただ、逆に、初めて見る人にはやさしい構成になっていたとも言えます。
 彗星マジックの作品はみなその世界観や空気感が、台詞・衣裳・ダンスなどが一体となっていて素敵なのですが、今回の六風館の作品でも、やはり世界観や空気感は独特でした。もちろん彗星マジックとはかなり違うのですが、その違う中でもきちっと統一感がとれていたというか。演出家の強い想いとそれを貫徹させることに努力したスタッフの方々(特に舞台美術は、簡単でありながら多義的で、非常に良かったと思います)の努力に敬意を表したいと思います。ラストシーンは、彗星マジックの時も議論がありましたが、今回も多少、違和感が…。いろんな人の想いや犠牲や悲しみや苦しみや希望(まさしく蠍の火)の中にこの世界(ファンタジーの世界≒現実の世界)が構成されているということを、どう演劇的に一瞬で表現できるのか。なかなか難しいのかもしれません。
 個人的には、木下さんとは全く違うタイプの長身ベロニカさん(浦長瀬舞さん)がなかなか面白かったかなと。他の方は、多かれ少なかれ彗星の時の役者さんと近い雰囲気の方がキャスティングされている中、それでもちゃんとベロニカさんで、「君も昔は無邪気だったね。でも、今の方は好きだな」と言わしめるだけの何かをちゃんと持っていた気がします。ヤコブ役の下野祐樹さんは演技もさることながら、演出補佐や舞台美術も手掛けているようで、演出家からも特に謝辞があったほどで、この作品のキーパーソンなのかもしれません。今後、どこかの劇場などで見かけることになるのかなとちょっとだけ思ってしまいました。
 好きな作品を違う劇団がやっているのを見ることの楽しみと醍醐味を、ほんの少しだけ感じることができた気がします。それと同時に、「定点風景」の彗星マジックを外れての価値もまた再発見できたのです。(2012/9/23)

全部登場のラストシーン
(劇団懐中レーシング公演「そこに輝く無数の光」感想)

 当初は「土曜日だけならお手伝いしますよ」と言っていたにも関わらず、仕事の都合で見事にダメになってしまったお芝居。ところが、どうも日曜日の千秋楽ならば見れそうだということで、台風の中行ってまいりました。この時間(午後5時)はちょうど神戸が台風の真っただ中。それもあって、普段ならJR神戸駅から歩くところ、神戸高速の新開地駅からに変えたのですが、それでも新開地駅〜KAVCホールの間だけでずぶぬれでした。そんなわけでお客さんもどうしても少人数に。とはいえ、「こんな台風の中わざわざやって来てここに集った」という妙な一体感があった気も。千秋楽だったというのもあるかもしれませんが。
 結婚に行かない4姉妹とそれを悩む父親、そして、そんな状況に手を差し伸べる(?)探偵・鮫島。いつもの懐中レーシングらしい、ベタな設定と軽いギャグ、そして人情味あふれるハートウォーミングなストーリーで進んでいくものの、ラストあたりで父親の目が見えなくなってきていること(伏線は貼ってあるのですが)が分かってから、一気にシリアスな話に。そして、全てが「結婚式のシーン」というラストシーンに集約していきます。このシーンに登場するのは、実は探偵、父親、四女の3人のみ。登場人物12名の大作の割には、多少さびしい終わり方です。でも、効果的な照明や音響効果と相まって、そこに輝く無数の光が見えてくるし、全ての登場人物の姿やシーンが自然に脳裏によみがえってくる。つなぎや伏線を使いまくって、訴えたい事を真正面から表現したラストシーンは、非常に評価できると思います。
 役者さんはプロの人も多く、やはりお上手なかたはお上手です。特に気になったのが、男性で少女漫画家という難しい役柄だったたなべ勝也さん。そして、4姉妹の中で一人だけ事の真相を知っているという役を、観客に分かりやすくも、いやらしくなく演じてくれた田淵有梨さん。もちろん、井上学さんと北川晋兵さん(なぜ劇団員でないのだろう)の息の合ったコンビは健在で、見ているだけで楽しかったり。田村晶子さんの安定感のある演技は相変わらずでしたし、ヤリノ真理子さんの可愛らしい役柄は個人的にはニコニコしてみていました。
 原作や脚本がいつもとちょっと違い、役者さんも新しい劇団員さんや客演さんが増えていて、いままでの懐中レーシングとは一味違う作品だったのかなという気も。生みの苦しみを感じながらも、第7回ということもあり、それもまた一興かなとも。懐中レーシング、ハートウォーミングなお芝居という基本線は維持しつつ、いろんな試みをしてみる時期なのかなとも思ったのです。(2012/9/30)



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