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厳原での泊まりは対馬西山寺YH。ただ、ユースとはいえ、楽天トラベル経由で、個室利用。時代は変わったものである。禅寺のため、掃除も行きとどいている。 |
YH部分は新しいが、本堂などは相当古く、由緒が感じられる。もともと幕府の対馬出張所(というか、朝鮮との外交公館)的な役割を果たしてきたらしい。 |
宿泊した部屋は完全な和室。由緒ありげな額も飾ってある。ちなみに、この部屋で富山の友人と携帯で話をしており、「富山県7泊6日の旅」の伏線がここにある。 |
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寺は切り立った崖に階段状に建っており、この石庭も本堂より一段低いところに作られている。厳原のシンボル立亀岩がここからも見える。 |
今日は厳原から一路南へ。対馬藩のドック跡である「お船江」。完全に残っているものは全国でもめずらしいそう。歴史サークルなのか、大学生の団体がいた。 |
豆酘崎(つつざき)へは、車1台がやっと通れるような道を、登ったり降りたり。道中、集落も下のほうにぽつぽつ出てくる程度。雄大なドライブが楽しめる。 |
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ようやく豆酘崎灯台にたどり着く。豆酘のまちからここに入っていくのに、案内が「尾崎山公園」とだけ書いてあり、一瞬戸惑った。対馬は概して観光客にやさしくない。 |
豆酘崎の先には岩礁があるが、その間は通れるようで漁船が2台通って行った。ちなみに、この下はとんでもない崖だが、船で来たのか、釣り客が何名かいた。 |
豆酘の街は小学校や郵便局もある島南部の中心地。とはいえ、小さな小さな漁村で、晩夏の物憂げな雰囲気が似合う素敵な町であった。今度は泊まってみたい。 |
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対馬の人に結構勧められた観光地である鮎戻し自然公園。確かに、花崗岩の一枚岩の中を流れていく渓流はいい景色だが…。まあ、それだけ。 |
本当は椎根や小茂田神社に行きたかったが、時間に追われるのも嫌なので、内山経由で厳原に戻る。内山をすぎたところにあるアカハラダカ観測所から撮影。 |
昼間の厳原には、韓国人観光客がたくさん。百円ショップの店員も韓国語で対応。それでも、支払いを済ませる前に商品の包装を外している韓国人を見掛けた。 |
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新鮮な海の幸ばかり続いたので、趣向を変えて、厳原で本場(?)韓国料理を堪能。メウンタン(辛い魚介類のスープ)を頂く。これは非常においしかった。 |
最後に、対馬の定番でもある万松院へ。ここでも、狭いお土産スペースに韓国人が大挙していた。この山門は対馬でもっとも古い木造建築物であるとのこと。 |
百雁木といわれる墓所への道。団体観光客はいなかったので、落ち着いて登ることができた。123段あるとのことだが、羽黒山の参道に比べれば20分の1程度。 |
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日本三大墓所の一つ、宗家墓所。他は、前田家(石川県)と毛利家(山口県)らしい。米沢の上杉家御廟所も立派だったが、純粋な墓地とは違うのかもしれない。 |
壱岐までは安価なフェリーで。お金を浮かせて、壱岐でアワビの踊り食い。クラブツーリズムの一人旅ツアーの人々と一緒になった。普通のツアーとは違う雰囲気。 |
さらば対馬。10年20年先に訪れて、変わっているであろう韓国人の受け入れ態勢と、変わらないであろう大自然を、ぜひこの目で確かめたいと思う。 |
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船からみた壱岐。話には聞いていたが、対馬とは全く異なり、本当に平べったい島。対馬では原付のパワー不足に苦労したが、ここはそんなこともなさそう。 |
今日のお泊まりは印通寺港の旅館網元。玄界灘の海の幸いっぱいのコース+アワビの踊り食いを頼んでおいた。アワビは刺身もうまいが、焼いたのもまた格別。 |
2組しか書いていないが、工事関係者がたくさん泊まっていた。田舎は工事関係者でもっている民宿・旅館が多く、公共事業削減の難しさに思いをはせる。 |