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66 釜山&光州ビエンナーレ 2026.9.10-13
その4 9/13 光州ビエンナーレ 各国パビリオン
パレス観光ホテル‐(バス・徒歩)-各国パビリオン-(徒歩・地下鉄)-パレス観光ホテル
光州ビエンナーレ2日目。今日は街中のパビリオン巡り。
強度はいろいろだけど、面白いものも多く。やっぱりアジアでは一線級の芸術祭だなぁと。
【行ったパビリオン】21黄金町Ⅱ、18スイス、19オーストリア、17黄金町Ⅰ、1ASAKUSA、2Stateless Mind Pavilion、3Casa Wabi、4ウルグアイ、5ペルー、6ポーランド、8マルタ、9カナダ、10フランス、14International Visual Arts Exchange
(※旅行当時のFacebookアルバム投稿を2026.10再構成)
すごく素敵な韓洋折衷(?)の建物の中でこれまで自分たちがかかわってきたアジアのコレクティブやアーティストの紹介だけでした。うーん、せっかく光州なんだし、もう少し自分たちの取り組みを批判的にとらえたら十分アートなんだけどなあ。
【オーストリア】ビルケ・ゴルム(Birke Gorm)《the evening and the morning and the night》
廃材を使ったインスタレーション。イメージしているのは戦場のテントなのだろうか、あるいは難民キャンプのテントなのだろうか。いずれにせよ、定常的な住む場ではないのだろう。でも、そこに不思議と息づいている何かを感じてしまう。決して定常で正常な場ではないのに。
廃材を使ったインスタレーション。イメージしているのは戦場のテントなのだろうか、あるいは難民キャンプのテントなのだろうか。いずれにせよ、定常的な住む場ではないのだろう。でも、そこに不思議と息づいている何かを感じてしまう。決して定常で正常な場ではないのに。
【黄金町Ⅰ】
正直、YMCAの戦いの横の部屋に持ってくるにしてはあまりにも作品強度が薄すぎる気がした。確かに黄金町は黄金町でいろいろと大変だったとは思うんだけど、そしてこの作品自体にも罪はないのだけれど、何人もの人が虐殺された現場に持ってくる作品としてどうなのかと。あえてそれをするならばするで見せ方もあると思うのだけど。日本の特徴的なアート団体が光州まで行って展示を展開してくれること自体はうれしかったのですけど、展示内容については正直、ちょっと批判的です。
正直、YMCAの戦いの横の部屋に持ってくるにしてはあまりにも作品強度が薄すぎる気がした。確かに黄金町は黄金町でいろいろと大変だったとは思うんだけど、そしてこの作品自体にも罪はないのだけれど、何人もの人が虐殺された現場に持ってくる作品としてどうなのかと。あえてそれをするならばするで見せ方もあると思うのだけど。日本の特徴的なアート団体が光州まで行って展示を展開してくれること自体はうれしかったのですけど、展示内容については正直、ちょっと批判的です。
【ASAKUSA】
日本のアートコレクティブ(?)の出展。ありとあらゆる助成金に落ちてしまって、手弁当で何とか出展したのだとか。《The Step After the Last Step》というタイトルにも、そのあたりの思いがこもってそうです。
日本のアートコレクティブ(?)の出展。ありとあらゆる助成金に落ちてしまって、手弁当で何とか出展したのだとか。《The Step After the Last Step》というタイトルにも、そのあたりの思いがこもってそうです。
【ASAKUSA】
韓国の作家 イ・ジュヨン(Jooyoung Lee)による黄金町の滞在記。ここで、黄金町が出てくるとは!そして、内容も金子文子の足跡を辿る(と言いつつも結構脱線)なもので、やはり日韓の抜き差しならぬ関係性を示したものとなっておりました。こういうのが強度がある作品という気がいたします(^^;)
韓国の作家 イ・ジュヨン(Jooyoung Lee)による黄金町の滞在記。ここで、黄金町が出てくるとは!そして、内容も金子文子の足跡を辿る(と言いつつも結構脱線)なもので、やはり日韓の抜き差しならぬ関係性を示したものとなっておりました。こういうのが強度がある作品という気がいたします(^^;)
【ASAKUSA】
嶋田美子《Documentation of Becoming a Statue of a Japanese Comfort Woman》(日本人慰安婦像になることの記録)
慰安婦像を見ると日本人の加害とつながるけど、そもそも日本人女性は加害者なのか。そして、日本人男性というだけで加害者と言えるのか。歴史の中で被害者と加害者というのは明確に分離し続けることができるのだろうか。一見奇抜だけど、そんな問いが浮かんでくる作品。…強度がある作品ってこういうものですよね(^^;)
慰安婦像を見ると日本人の加害とつながるけど、そもそも日本人女性は加害者なのか。そして、日本人男性というだけで加害者と言えるのか。歴史の中で被害者と加害者というのは明確に分離し続けることができるのだろうか。一見奇抜だけど、そんな問いが浮かんでくる作品。…強度がある作品ってこういうものですよね(^^;)
【Stateless Mind Pavilion】
リリベス・クエンカ・ラスムッセン(Lilibeth Cuenca Rasmussen)《Complex Completeness》
今見返してみても、なぜこの作品に惹かれたのかはわからない。人間の多様性に惹かれたのか。あるいは、何をもって「自分」といえるのか。そんなことが気になったのかもしれない。消しても良かったのだけど、その謎は謎として、おいておきたい。
今見返してみても、なぜこの作品に惹かれたのかはわからない。人間の多様性に惹かれたのか。あるいは、何をもって「自分」といえるのか。そんなことが気になったのかもしれない。消しても良かったのだけど、その謎は謎として、おいておきたい。
【Stateless Mind Pavilion】
ミゲル・ケールフェルト(Miguel Keerveld)《Zócalo: We Refugees》
「広場:私たち難民」というタイトル。奥のパネルには、国家権力やその言葉を通じて、外国人を排除していく仕組みが描かれている。そして手前には、青いインクで素朴な落書きが重ねられた、証明書のような紙がぶら下がっている。 難民を生み出すシステム、あるいは「難民」という概念そのものへの異議申し立てなのだろうか。それとも、私たちもまた何らかの意味で難民なのだという認識に立ち、連帯を呼びかけているのだろうか。 「国家を持たない」という発想も、「故郷」も、「難民」という言葉も、それぞれが何らかの概念や境界を前提としている。そう考えると、ますます解釈が難しくなる。 実に多義的な作品であった。
「広場:私たち難民」というタイトル。奥のパネルには、国家権力やその言葉を通じて、外国人を排除していく仕組みが描かれている。そして手前には、青いインクで素朴な落書きが重ねられた、証明書のような紙がぶら下がっている。 難民を生み出すシステム、あるいは「難民」という概念そのものへの異議申し立てなのだろうか。それとも、私たちもまた何らかの意味で難民なのだという認識に立ち、連帯を呼びかけているのだろうか。 「国家を持たない」という発想も、「故郷」も、「難民」という言葉も、それぞれが何らかの概念や境界を前提としている。そう考えると、ますます解釈が難しくなる。 実に多義的な作品であった。
【Casa Wabi】
ボスコ・ソディ(Bosco Sodi) 《Gold Rain(黄金の雨)》
歴史的建築の周囲一帯にひたすら金色の石を配置している作品。金色の石があるだけで、落ち着いた見慣れた光景が一気に現実離れしたものに見えてくる。光州の再生という意味もあるそうだけど、まあそこまで気にしなくても、建物の中の意外な場所にまで石が置かれていたりして単純に楽しい。
歴史的建築の周囲一帯にひたすら金色の石を配置している作品。金色の石があるだけで、落ち着いた見慣れた光景が一気に現実離れしたものに見えてくる。光州の再生という意味もあるそうだけど、まあそこまで気にしなくても、建物の中の意外な場所にまで石が置かれていたりして単純に楽しい。
【ウルグアイ】
Diego Masi《Random》
実はこの前にウルグアイの川の音などを表現した割と大規模なインスタレーションがあって、その最後にぽつんと、まるで通路のようなところの壁に掛けられたスーツケース。わざとらしいスピーカーからは空港の出発便を告げるアナウンスが流れ続けている。これが何を意味するのだろうか。空路ができて川というものの意味合いが減ってしまったことを示しているのだろうか。あるいは、川のある国からの脱出なのだろうか。そしてタイトルのランダムとは何を意味するのだろうか。偶然の移動、行き先を選べないこと、あるいは、どこへ向かうかも分からないまま旅立つことなのか。よくわからないものの、なぜか惹かれてしまう作品でした。
実はこの前にウルグアイの川の音などを表現した割と大規模なインスタレーションがあって、その最後にぽつんと、まるで通路のようなところの壁に掛けられたスーツケース。わざとらしいスピーカーからは空港の出発便を告げるアナウンスが流れ続けている。これが何を意味するのだろうか。空路ができて川というものの意味合いが減ってしまったことを示しているのだろうか。あるいは、川のある国からの脱出なのだろうか。そしてタイトルのランダムとは何を意味するのだろうか。偶然の移動、行き先を選べないこと、あるいは、どこへ向かうかも分からないまま旅立つことなのか。よくわからないものの、なぜか惹かれてしまう作品でした。
【ペルー】
ルイス・エンリケ・ゼラ=クールト(Luis Enrique Zela-Koort) 《AntiProduction》
陶器の歯車が精巧に組み合わされた構造物。歯車は互いに噛み合い、回転することで、徐々に欠け、摩耗していく。精巧であるがゆえに、自らをすり減らしていくという逆説的な作品。徐々に壊れていくとみるのか、あるいは、徐々に完成に近づいていくとみるのか。
陶器の歯車が精巧に組み合わされた構造物。歯車は互いに噛み合い、回転することで、徐々に欠け、摩耗していく。精巧であるがゆえに、自らをすり減らしていくという逆説的な作品。徐々に壊れていくとみるのか、あるいは、徐々に完成に近づいていくとみるのか。
【ポーランド】
アンナ・ザラドニー(Anna Zaradny)《Sound of the Distance Body》
作家が歩くパフォーマンスをもとに、映像投影、韓紙(韓国の伝統的な紙)、テルミンを組み合わせたインスタレーション。手を触れることなく演奏するという特性のあるテルミンの、どこか不安にさせる音楽が、部屋の空気を独特のものにさせる。至るところが鏡張りなのも同様。とはいえ、決して居心地の悪い場所でもなく。なんだか不思議な空間でした。
作家が歩くパフォーマンスをもとに、映像投影、韓紙(韓国の伝統的な紙)、テルミンを組み合わせたインスタレーション。手を触れることなく演奏するという特性のあるテルミンの、どこか不安にさせる音楽が、部屋の空気を独特のものにさせる。至るところが鏡張りなのも同様。とはいえ、決して居心地の悪い場所でもなく。なんだか不思議な空間でした。
【マルタ】
ノルベルト・フランシス・アタード(Norbert Francis Attard)《FESTA》
なかなか趣のある展示会場や《FESTA》というタイトルにつられて、ついついおしゃれ系の展示に見えてしまうけれど、じつはガザで続く破壊を象徴した作品。「祝祭と爆発はどこで分かれるのか」という、なかなか重い問い。確かに戦争と祝祭はどこか似ているのかもしれない。戦死者を減らすためにドローンでの無人攻撃が一般化されつつある中、日本ではだんじりで死者が出ることが改めて問われ始めている。
なかなか趣のある展示会場や《FESTA》というタイトルにつられて、ついついおしゃれ系の展示に見えてしまうけれど、じつはガザで続く破壊を象徴した作品。「祝祭と爆発はどこで分かれるのか」という、なかなか重い問い。確かに戦争と祝祭はどこか似ているのかもしれない。戦死者を減らすためにドローンでの無人攻撃が一般化されつつある中、日本ではだんじりで死者が出ることが改めて問われ始めている。
【マルタ】
マルタと韓国の共同プロジェクト PONKS《ROPE TEMPLE》
この作品、下に降りることと上に上がることができます。下に降りるとそこにはリボン状の紙に文字がたくさん。マルタと韓国の75人以上の詩人の作品が集められているそうです。
この作品、下に降りることと上に上がることができます。下に降りるとそこにはリボン状の紙に文字がたくさん。マルタと韓国の75人以上の詩人の作品が集められているそうです。
そして、一番上まで登るとこんなネオンがあります。
“KEEP ME FROM MY THOUGHTS”
「自分の考えから、私を遠ざけて」「考え込まずにいられるようにして」といった意味でしょうか。まあ、現代美術も考えすぎないほうが良いようです(^^;)
【カナダ】
ハンナ・クラウス(Hannah Claus)《dish》
糸で吊るされた透明な素材や、そこに印刷された風景の断片が、空間の中で重なりあう。単に自然豊かな風景を示しているだけではなく、カナダ先住民族の世界観を示しているそうな。こういう、一定の意味なり意義なりがありつつも、一定の美しさのあるアート作品はほっとします。。
糸で吊るされた透明な素材や、そこに印刷された風景の断片が、空間の中で重なりあう。単に自然豊かな風景を示しているだけではなく、カナダ先住民族の世界観を示しているそうな。こういう、一定の意味なり意義なりがありつつも、一定の美しさのあるアート作品はほっとします。。
【フランス】
モナ・オレン(Mona Oren) 《Yuki III / Mr. Kim’s Lotus Farm》
ゆっくり座ってみて行ってと書いているけど、このあたりで徐々に時間が無くなってきた(^^;) とはいえ、蓮の花を素直に自然を造形にした作品でどこか落ち着く。おそらくゆっくり楽しむところまでが作品なんだろうなと。
ゆっくり座ってみて行ってと書いているけど、このあたりで徐々に時間が無くなってきた(^^;) とはいえ、蓮の花を素直に自然を造形にした作品でどこか落ち着く。おそらくゆっくり楽しむところまでが作品なんだろうなと。
【フランス】
フロリアン・ヴァレンヌ(Floryan Varennes)《Mythology of Loss(喪失の神話)》
「絶滅でさえ、目撃者を必要とする」とはどういう意味なのだろう。絶滅を判定する人がいないと絶滅にはならないという事だろうか。そしてこのガラスの物体は何を示しているのだろう。妙にフォトジェニックであるだけに書かれている文章との対比が気になった。
「絶滅でさえ、目撃者を必要とする」とはどういう意味なのだろう。絶滅を判定する人がいないと絶滅にはならないという事だろうか。そしてこのガラスの物体は何を示しているのだろう。妙にフォトジェニックであるだけに書かれている文章との対比が気になった。
【International Visual Arts Exchange】
光州劇場という映画館でもあり舞台芸術の劇場でもあった場所がアートの展示場所になっていました。結構帰りの時間が迫っていましたが、やはり劇場には行かないとという事で足を運びました。
光州劇場という映画館でもあり舞台芸術の劇場でもあった場所がアートの展示場所になっていました。結構帰りの時間が迫っていましたが、やはり劇場には行かないとという事で足を運びました。
【International Visual Arts Exchange】
青野文昭(あおの・ふみあき)《People of the Gwangju Theatre, 1935–2026》
あえてチープに、その場にあったものを使って映画館にまつわる様々な人々を再構成する。いかにも映画スターな掛看板風の精密な絵画とは違って、こちらは実に投げやり。映画館に集まった市井の人々なのだろうか。でもこちらの方がしっかりと地に足を付けているのかな。
あえてチープに、その場にあったものを使って映画館にまつわる様々な人々を再構成する。いかにも映画スターな掛看板風の精密な絵画とは違って、こちらは実に投げやり。映画館に集まった市井の人々なのだろうか。でもこちらの方がしっかりと地に足を付けているのかな。











