いそべさとしのホームページ

 全国中央駅めぐり・その11

「泉中央駅」
(仙台市交通局地下鉄南北線)
−町の運命を決めたニュータウン中央駅−


 「いずみちゅうおうえき」は日本に3つあります。大阪にある「和泉中央駅」、横浜にある「いずみ中央駅」、そして、この仙台にある「泉中央駅」です。いずれもニュータウンの終着駅(いずみ中央はのちに途中駅になりましたが)として計画され、発展してきた駅という共通項があります。仙台の副都心として発展を続けているこの泉中央駅ですが、この駅、ある意味で地元の町の運命を決めた駅でもありました。泉中央駅のある仙台市泉区は、以前、泉市という一つの自治体だったのです。(2010年3月訪問、2010年4月掲載)
中央駅駅舎
[中央駅類型:ニュータウン新線終着駅型]


駅の所在地:仙台市泉区泉中央一丁目 駅周辺の基本情報(見える範囲で)

大きな地図で見る
施設種別
有無
施設種別
有無
デパート
×
スーパー
コンビニ
郵便局
×
バスターミナル
待機タクシー
食堂・レストラン
ファストフード
その他主な施設 ユアテックススタジアム仙台
・注釈
 もともと「七北田(ななきた)」と呼ばれていた地域だそうですが、旧泉市の中心ということで、「泉中央」と名付けられました。名実ともに泉区の中心ですが、もともと地下鉄が八乙女までしか通ってなかった経緯があってか、バイパスの関係か、八乙女経由のバスも結構多いです。

・おことわり
 当該データはいそべさとしがふらっと駅前を歩いて、感覚で調べたものであり、正確さには大いに欠けます。ご了承ください。


・中央駅を探訪:独自の道を歩んでいた誇りの残る中央駅

 泉中央駅。仙台の北に位置する泉中央副都心の中心駅にして終着駅。とくれば、ありがちなニュータウン新線終着駅なのですが、この駅、近くに球形の図書館があったり、ペデストリアンデッキにはルーブル美術館よろしくガラス製のピラミッドがあったりと、ある意味豪華、ある意味無駄感が強いのです。中央駅ができた1992(平成4)年と言えばまだまだバブルの余韻さめやらぬ頃だったので、多少その影響もあるのかなとも思います。しかし、この駅の複雑な生い立ちも影響してそうです。
 というのも、駅ができる前、この地域は宮城県泉市という、仙台とは別の市でした。とはいえ、副都心の建設は始まっており、人口は急増。しかし、鉄道は仙台市営地下鉄なので、ここまで入ってきていませんでした。さらにもう一つ、「仙台市が政令指定都市になるには、泉市の吸収合併が絶対に必要だった」という大きな問題が。そこで、仙台市はひとつ前の八乙女駅まで来ていた地下鉄の延伸や仙台スタジアムの建設、「全国都市緑化せんだいフェア(グリーンフェア)」の開催、宇宙館や図書館の入った「ミルポートS」の建設など、様々な好条件を提示して泉市を合併に誘います。
 もともと泉市は仙台市より厳しい先進的な開発行政をしていたことなどもあって、単なる新都市住民vs従来地域住民に収まらない大論争に発展。何度も揉めた後、最終的に、戦後初となる合併の是非を問う住民投票を行います。結果は、賛成33,331票、反対29,703票。政令市になった暁には「泉区」として復活することを条件に、泉市は仙台市に吸収されて消滅。そして、仙台市になってから4年後の1992年、満を持して泉中央駅が開業するのです。
 ある意味、合併の条件として作られたという経緯もあってか、多少背伸びをした、立派な施設が出来上がってしまったのでしょう。少なくとも平成に入ってから全く計画的に作られた駅で改札口を全く別個に2か所設けたというのは、人件費や保守管理費の面からも、普通はちょっと考えにくいです。スタジアムがあり多客時の対応も考えてとは思いますが、あまりに広すぎると人のぬくもりが感じられない駅になりがちです。さらに、都心回帰や仙台でも南の方(長町など)の発展に押されて、泉区の地位低下も言われ始め、利用客も伸び悩んでいるようなのです。
 やはり、泉中央駅の活性化には、この恵まれた施設を十分有効活用するのが最善でしょう。1階の壁面には、仙台スタジアム(現・ユアテックスタジアム)をホームグラウンドとする「ベガルタ仙台」の大きな宣伝がありました。泉中央駅周辺を「ベガルタウン」として盛り上げていこうとのこと。なるほど、泉区内には屋内グラウンドなどもあり、サッカーのまちとして、仙台市全体をも巻き込んで盛り上がっていくのは大いにあり得ます。イベントを行う場所は駅前にいくらだってあるのです。
 多少無駄に見えるかもしれないけれど、後から見ればみな素晴らしい遺産。これらを使って「サッカーのまち・ベガルタウン泉中央」として、どんどん盛り上がっていってほしい。それだけのポテンシャルは十分にある泉中央駅なのかなと、歩いていて思いました。
 
ホーム 駅名標 エレベータは使用禁止
電車は1番線と2番線に交互に着いて、それぞれ折り返していく。 北行きが青、南行きが赤らしいが、終着駅の泉中央ではあまり関係なく運用。 3月20日に駅構内で火災があったらしく、エレベータは使用禁止となっていた。
入口は2か所 バスプール方面出口 泉区役所方面出口
それほど大きな駅ではないのだが、出口は2か所あり、いずれも有人。 どちらかと言えばメインの「バスプール方面出口」。トイレは出口の外にある。 メインとさほど遠くない場所にもう一つの出口。区役所まで延々地下道が続く。
1階出入り口 2階ペデストリアン バスプール
1階のバスプールに出るところの出入口。一応、これがメインの出入口なのかな? 2階はペデストリアンデッキ。日曜日の午前中ということもあってか人影はまばら。 1階のバスプールにはストーンヘンジ風のモニュメント(?)も。
ユアテックスタジアム もとミルポートS 80日間砂時計
J1ベガルタ仙台のホームグラウンド「ユアテックスタジアム」。冬季は使用できず。 図書館+宇宙館(プラネタリューム)。今は宇宙館はやめて、子育て支援施設に。 グリーンフェアの会期中動き続けていた「80日間砂時計」。今はもう動かない。
イズミティ21 泉区役所 ベガルタウンギャラリー
1456席の大ホールを有する複合文化施設「イズミティ21」。泉市時代に建設。 もともと泉市役所だった仙台市泉区役所。区の旗が仙台市旗と並んでいる。 泉中央はベガルタ仙台のホームタウン。「ベガルタウン」としての活性化を期待。

・中央駅で食べる:牛たん炭焼利久泉中央店の牛たん【極】定食

 さて、仙台名物と言えば笹かまぼこに萩の月、そして何と言っても牛タンです。私自身、過去2回、友人と仙台で牛タンを食べています。ところが、それほど強烈な印象が残っていないのです。「まあ、牛タンは仙台で産出されるわけでもないし」などと思っていました。
 しかし今回、この「牛たん利休」で食べて、正直、仙台牛タンに対する感覚が変わりました。これは美味しい!単に厚さが全然違うだけではなく、中がミディアム。噛んだときにまずサクッという歯ごたえが来て、その後、じわじわとジューシーな肉汁が広がっていく。焼き肉屋の薄い塩タンとは全く違う、異次元の味覚体験でした。食べ終わったとき顎が若干痛かったものの、非常に満足感がありました。
 牛タン自体、ゲテモノと紙一重の肉の部位であり、その食感も尋常でないのですが、これを絶妙なラインで、おいしく、少しだけハレの雰囲気のある料理へと高めています。私も知らなかったのですが、仙台牛タンと普通の焼き肉屋の牛タン(いわゆるタン塩)との違いは、下ごしらえにあるとのこと。ただ切り分けただけの焼き肉屋の牛タンに対し、仙台牛タンは塩などに漬け込んで熟成させる工程があるのだそうです。なるほど、あの噛めば噛むほど広がる味の秘密は、この熟成にありそうです。
 ちなみに、伺った日はリニューアルオープン3日目。開店前から多くのお客さんが並んでおり、開店と同時にすぐ満員、店外に行列ができていました。観光客はほとんどいない土地柄から考えると、それだけ地元の人の評価も勝ち得ている証拠。僕ももうちょっと近ければ通ってしまいそうな、そんなお店と味でした。

店舗外観 牛タン積み上げ 極定食
3月にリニューアルしたばかりの店舗。昼時には長い行列ができる。先手必勝で。 なかなかグロテスクだが、こうして熟成させることが深い味を生み出す秘訣。 タンのミディアムステーキ、と言った感じの「極」定食。牛タンの奥深さが味わえる。

・中央駅の先へ:寺坂吉右衛門の墓と仙台藩刑場跡

 赤穂浪士といえば、小学生でも知っている有名なお話。片岡源五右衛門の内匠頭最期の目通り 、桜の花の中の切腹、無血開城か籠城かの大議論、大野九郎兵衛の出奔、山科での放蕩、討ち入りの決意を再度確認した神文返し、山川という合言葉、しんしんと雪が降る中での討ち入り、泉岳寺への凱旋など、盛り上がる場面のてんこ盛りのストーリー。史実はともあれ、これだけ長い期間、多くの人の心を打ち続けているというのは、そこに何か、日本人的感性をくすぐる何かがあるのでしょう。
 この赤穂浪士事件の謎の一つが、「討ち入りは47人(四十七士)なのに、切腹を命じられたのは46人」ということ。ただ1人、寺坂吉右衛門だけが、討ち入りに加わったにも関わらず何のお咎めも受けなかったのです。もちろん、このことは当時から知れ渡っており、さまざまな憶測が流れました。足軽という低い身分だったことから除け者にされたという説、討ち入り前に逃亡したという説、討ち入りの成功を浅野内匠頭ゆかりの人々に伝える役として離れたという説…。寺坂吉右衛門は討ち入り後の行動も謎に包まれており、墓だけでも全国7か所にあるとのこと。そのうちの一つが、泉中央駅にほど近い実相寺のなかにあるのです。(他の6か所は、東京・南麻布、五島、出水、八女、益田、伊豆。)なんでも亡君や同氏の菩提を弔うために諸国をめぐり、晩年、七北田の刑場で刑死する人々を供養するためこの地にとどまったとのこと。死後、遺品を整理していて初めて、彼が寺坂吉座衛門であったことが分かったそうです。
 その刑場というのが、地下鉄八乙女駅から歩いてすぐのところにある「七北田刑場跡」。百姓や町人などの罪人が対象で、明治維新までの間に数千人の人が磔(はりつけ)、火あぶり、斬首(うちくび)、獄門(ごくもん)などの刑に処せられたそうです。中には無罪の人や、止むにやまれぬ理由で立ち上がらざるを得なかった人々も多かったはず。今では車がひっきりなしに行きかうバイパス沿いにあるのですが、確かに一種独特な空気が流れていました。
 彼が本当に寺坂吉座衛門であったのかどうか、本当のことはもう分かりません。でも、諸国を旅しここを終の棲家とした人がいて、その人を寺坂吉座衛門だと信じて葬った人がいたということは、歴然とした事実。そう考えると、何が本当に真実なのかということはどうでもよくて、多くの人が「これが真実だ」と信じていることの方が重要にも思えてきます。
 刑場跡のお地蔵さまのお顔は実に柔和でした。これからも寺坂吉座衛門と共に移りゆくこの街の行く末を見守っていてくれるのかな。そう思いつつ、願いつつ、この地を後にしました。

墓入口 寺坂吉右衛門の墓1 寺坂吉右衛門の墓2
泉中央駅から歩けないこともないが、バス停「七北田学校前」の目の前が墓入口。 墓は実相寺本殿の手前側。小さな広場のように整備されている。 左側の石が吉右衛門の墓。決して豪華ではないが、綺麗に整備されている印象。
七北田刑場跡入口 七北田刑場跡 肩掛山からみた泉中央方面
地下鉄八乙女駅から歩いてすぐ。交通量の多い奥州街道沿いにある。 数千人の庶民が命を落とした刑場跡。お地蔵さまの微笑みが心を和らげる。 刑場裏の肩掛山からの景色もすっかり一遍。昔の人はどう見るのだろうか。


リンク

泉区(仙台市)(By Wikipedia)
ベガルタ仙台・市民後援会(By ベガルタ仙台・市民後援会)
牛たん炭焼 利久 泉中央店(By ぐるなび)
見どころ 史跡・名勝(By 仙台市泉区ホームページ)
寺坂信行(By Wikipedia)
元禄赤穂事件(By Wikipedia)
仙台藩刑場跡へ行ってきました(By 仙台人が仙台観光をしてるブログ)


全国中央駅めぐり・その12「紫波中央駅」へ

全国中央駅めぐりタイトルページへ
いそべさとしのホームページへ


いそべさとしのホームページ Copyright with S.ISOBE(2010)(isobe@isobesatoshi.com)