過去の2日に1回日記(旧・お知らせ)保管庫(2011年1月〜3月)
12/29〜1/2は台湾年越し旅行のため、1/1の2日に1回日記はお休みです。
有言実行…?
台湾に行っていたので遅れましたが、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
…ただ、公務員のためか「年度」で物事を考えてしまう癖が付いてしまっているため、新しい年が始まったという気分に若干欠ける気も…。特に今年は初の海外年越しだったため、いくら現地で「紅白歌合戦」を見ていたとしてもお正月気分とはならなかったのが実際のところ。今日もずっと卒業公演のプランニングや模型作りをしていましたし。まあ、時にはこういう年越しも楽しいんですけどね。
さて、去年を振り返ってみると、いろんな所には行っているのですが、ピッコロ2年目&海外旅行が近場だったこともあって、なんとなく新鮮味に欠けたきらいも。ということもあり、30代最後の年となる今年に、20年来の夢である「南米旅行&世界一周」を何とかかなえたいと考えています。どうしても1カ月近くお休みすることになってしまい、日本の社会人の常識としては本来あり得ないことではあるのですが、「退職でもしないとそんな旅行には行けない」というのも変な話ですし、なんとか仕事との折り合いをつけつつ行く道を探りたいなと。すでに直属の上司などには相談しているのですが、新年度にならないと不確定な部分も多く、どうなるのか分かりませんが、「有言実行」ということでここに書いてしまいます。
もちろんそれだけではなく、日々いろんなことに挑戦していきたいと考えています。周囲に迷惑をかけることもあるかと思いますが、あんまりひどい時はこそっと忠告していただければ幸いです。では、2011年、始めましょう!(2011/1/3)
消えるお正月気分
一昨日から仕事が再開、今日はピッコロ舞台技術学校も再開で、すっかり日常生活モードに戻ってしまっております。
今年は暦の関係もあって、お正月が短かったような気がします。海外で年越しをしてしまったのも大きな原因ですが、なんとなく社会全体からも「お正月気分」というものが消えつつある気もするのです。私が就職した10数年前、仕事はじめの日には、女子職員の振袖こそなかったものの、お昼には全員で記念写真を取り、全員で豪華なお弁当を取っていました(懇親会負担でしたが)。しかし、昨今はそんなことも一切なく、あいさつにくる団体や企業の方もまばら、課や課長宛てに来る年賀状も少なく、職場での新年の訓示も最高トップを除きありませんでした。社会を見渡してみても、コンビニやファストフードは正月でも24時間営業しており、デパートも1日休む程度で2日からは初売り、スーパーは1日から営業です。「松の内はお休み」という商店はほぼ壊滅し、工場でも珍しくなりました。社会全体で、お正月がお正月らしくなくなっているのは間違いないようです。
お正月気分をいつまでも引きずらないというのは合理的でもあり、公務職場としてはこれで良いとは思うのですが、なんとなく味気ないというか、メリハリのない社会になりつつあるなあと感じなくもない今年のお正月でした。(2011/1/5)
だからあなたはあきらめて(光文社新書「希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想」感想)
本当は卒業公演の台本を読み込んだり、プランに頭を巡らしたりしなければいけない時期なのでしょうが、面白いのでつい読み切ってしまったのが、この光文社新書「希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想」。25歳の社会学者(というか東大の大学院生)がピースボートに乗り込み、そこで繰り広げられる人間関係や「毎日文化祭」のような出来事を、若干社会学風なスパイスを振りかけながら論じています。もともと修士論文だったようですが、非常にポップで分かりやすい文体で、比喩も秀逸、解説なしのサブカルパロディなども散りばめられており、なぜ町中にあんなに「ピースボート」のポスターが溢れているのか、ほとんどの若者が相部屋の中で「そういうこと」はどこでしていたのか(笑)など、謎解き的な楽しみ方もあります。社会学には興味のなかった人であっても十分楽しく読める一冊です。
ただ、その結論というのは、「エリート以外の大多数の人間は共同性に絡みとられた新しいムラ社会の中でそこそこに生きていくべき」というのもので、おそらくそれが現実なんだろうなとは思いつつ、解説があえて「解説と反論」となっているように、これをこれで良しとするかどうかはなかなか難しいところです。『「共同性」を維持しながら「目的性」を失っていないように見える団体は多くの場合、冷静で聡明な(できれば「人間味」があって時に「お茶目」な)「エリート」が率いているように思える。』という指摘も、これまで自分が属してきた集団や見てきた集団(とりわけ劇団)を振り返ってみても全く同感なわけで、書き方に反感を覚えるかどうかは別にして、ほぼ間違っていないんだろうなとは思います。
これが正しいとすると、社会を整備する立場(本書で言うところの「エリート」「労働市場や体制側」)としてはそういう「承認の共同体」を数多く作ってやることが社会全体の活力や秩序を維持していくためにも必要なわけで、そういう意味では「若者のたまり場」を整備する行政施策というのは適切なのかな、演劇学校や舞台技術学校も(設置者が意識的だったのかどうかは別にして)そんな場なのかなと、ちょっと考えてしまいました。(2011/1/7)
初海外の地へ14年ぶりに再訪します
1月8日〜10日は3連休。この3連休、何と何の用事も予定もありません。まあ、前の週に海外にっていたのでさすがに自粛というのもありますが、個人的には結構珍しいことです。卒業公演のプラン(模型)づくりやチラシ・Tシャツの原案作成とすべきことはたくさんあるのですが、3日間も時間があると逆に良くないのか、ついつい違うことをしたくなってしまいます。特に2月の3連休にソウルへ行くので、その関連でネットを彷徨ったりしていたのです。
今回使うのは韓国の格安航空会社・チェジュ航空。行きは関空→仁川国際空港ですが、帰りが金浦国際空港→関空となっています。この金浦国際空港というのは、仁川国際空港ができる2001年まではソウルの表玄関でしたが、仁川開港後は国内線主体で一部国際線となっています(羽田に似ています)。そして私が初めて立った海外というのが、1997年、ここ金浦国際空港です。成田(当時はつくば在住)から2時間半。大韓航空の飛行機の中では「海外」ということをあまり強くは感じなかったものの、空港に降り立っただけでハングル文字と韓国語の嵐。「これが、これまでは紙やテレビの上でしか知らなかった、本当の外国なんだなあ」と強く強く感じたことを今でもよく憶えています。
空港を案内したブログの記事などを読んでいても、記憶が相当に鮮明であることにびっくり。大階段の下、リコンファーム(搭乗再確認。最近はほとんど不要になりました)を行うため、初めて韓国の人と話をしたことで印象に残る大韓航空のカウンター。帰国前、最後にソルロンタンを食べた、入って右側3階のチョースンホテル(現在のザ・ウェスティン・チョースン)のレストラン。しっかり記憶に焼き付いています。やはり最初の海外旅行の印象というのは、それ以降とは全然違うんだなと改めて実感しました。あなたにとって、初めての海外はどこでしたか?
当時はデジカメが一般的ではなかった(QV-10はマニア間では多少流行っていましたが)のもあり、ほとんど写真がとれていないのが残念ですが、食べたものの値段や移動経路などはかなり詳細に残してありました。14年経って自分とソウルがどう変わったのか、そんなことも楽しんでこようかなと思っています。
というか、その前に模型しないと!(2011/1/9)
タイガーマスク運動?運動?
全国の養護施設や児童福祉施設に「伊達直人」など架空の人物名を名乗って匿名のプレゼントを行う「タイガーマスク運動」が流行っているそうで。まあ、恵まれない子どもに何か贈りたいという気持ち自体は決して悪いことではないのですが、急にたくさん出てきたところに、なんとなく気持ち悪さも感じています。
とりわけ気持ちが悪いのが、「匿名」というところ。決して悪いことをするわけではないので、別に名前を名乗るなり、名乗らないでも顔を見せるなどして、本当に相手が必要とするものを送ればよいと思うのですが。名前を出さないところが奥ゆかしい日本人の善意であるという捉え方もできるのでしょうが、モノというのは受け取る側にも何らかの負担を与えるものでもあるので、それぐらいは顔を出して正々堂々と行うぐらいの勇気は持ってほしいなあというのが、正直な感想です。誰から、どんなお金で、どんな意図で渡されたものなのか分かっていないと、たとえ子どもであっても(むしろ子どもであるからこそ)使う上で気持ち悪さが否めないと思うのですが、さて。
ただ、一種の気持ち悪さとともに、これが今年1年だけの一過性の運動ではなく、「就学期の子どもたちに対する善意の運動」となってずっと続くのであれば、それも悪いことではないなあとも思っているのです。何年か先、この日記を引用して、また状況を検証してみたいと思います。(2011/1/11)
冬来たりなば卒業遠からじ
今日は「歌謡ショー実習」のリハーサルということで、5時半になるやいなや職場を定時退庁してピッコロに向かいました。と、ふと後ろを振り返ってみると、なんとなく西の空が明るい…。12月はこんなことはなかったので、どうも少しずつ日没時間が遅くなってきているようです。
「歌謡ショー実習」は卒業公演前、最後の実習。これが終われば、舞台技術学校としてのカリキュラムは卒業公演を残すのみ。卒業公演が終れば、19期のみんなともお別れです。もちろん卒業後にも繋がる友情というのはあるのですけど、全員が同じ場所で同じ目的で出会う機会はもう二度とあり得ないというのもまた事実。昨日でも明日でもない今を大切に、日々遅くなっていく日没を感じながら、これからの2カ月弱を大切に過ごしたいなと、改めて決意したのです。(2011/1/13)
ネタのない時に書くやつやります…面白い検索ワード
書けそうなネタがないので、ネタがない時の定番、私のホームページにやってきた面白い検索ワードをご紹介します。最近すっかり「台北花博紹介ページ」となりつつあるので、それ関係が多い気もしますが、さて。
1人しか検索していないフレーズの中からピックアップ。
(台北花博・万博関係)
「台湾花泊」 フローラルなステイですな。
「台北 花掃く」 まあ、掃除は行き届いてますな。
「台湾hanahaku」 ローマ字にすればよいというものでもありません。
「台北花博は何かおもしろい」 何かってなんですか。
「台湾 かわいい easy card」 悠遊カード擬人化ですか?
「jal skyward 11月 台北 紹介された 麺」 阿宗麺線(西門町)です。
「2012年万博開催地は」 韓国・麗水市です。
「上海国際博覧会についての作文」 作文って懐かしい響きですね。
(つくば関係)
「研究学園 olはいるか」 まあ、OLぐらいはいますよ。
「茨城 えばらげ」 ですよねー。
「筑波研究学園都市は何をしてるの?」 何してるんでしょうねえ。
「なぜ筑波大学なのか」 何ででしょうねえ。
(演劇関係)
「ウィキッドのパンプレットはチケット無くても買えるか」 四季に聞いてください。
「スライムを使った照明」 そんなのあるんですか>有識者各位。
「電気 交流 操作卓 作り方」 ホームページの知識で作れるもの?
(旅行関係)
「ヨーロッパ 日本にはない」 常識的にはそうですよね。
「日本では異質なヨーロッパ風の街」 ハウステンボスぐらいでしょうか。
「地鉄 お局」 富山関係?会社の内情?
「田舎の方が出生率が高い理由」 やることないんでしょう。
(その他)
「昔の物それと、その働き」 なんとなく詩的・哲学的。
「磯部 聡 医師」 違いますねー。
「地方公務員 止めた方がいい」 先が見えない商売ですしね。
「東灘図書館で借りれる現代結婚についての本」 そもそも現代結婚って?
「1 月 4 日 昨日の予言 かに座 あなたの心はいつも正しい場所にあります たとえ残りの あなたが間違った場所にいるときであってもです あなたがトラブルに遭うのは あなたが情に流されすぎるからだと冷たく結論づけてしまう人たちがいます」 なぜに私のページへ?→検索結果
意外と普通でしたかね。これからもよろしく!(2011/1/15)
3分間の奇跡
2010年8月。お盆を前にいつもの通勤電車は、多少空いている。
列車は三ノ宮駅に到着。
自分は元町駅まで行くため、列車がまた発車するのを待っている。
と、同じ車両後ろのドアから何人かがあわてて走り出る。
同時に、けたたましいベルの音。
覗き込んで見ると、ホーム上にスーツを着たまま倒れ込んだ若い女性が。
最初は男の人が抱き起こしに行ったが、
すっと女性2人に交代し、彼女を取り囲み声を掛ける。
誰が置いたのか、スカートの中が見えないよう、膝の上にそっとタオルが1枚。
その横に、揃えて置かれたパンプス。
しばらくして、駅員やアルバイト、車掌さんなどが次々とやってきた。
制服のガードマンは拡声器でホーム上の整理を始める。
アルバイトは指示を受け、ホームの反対側に走っていく。
女性の駅員さんもやってきて、彼女に付いていた女性たちと交代する。
女性たちは多少不安そうに、でも何事もなかったかのように、
一人は駅の出口へ、もう一人は列車に乗り込む。
別の駅員が、列車再開の確認ができたようで、車掌に合図を送る。
「発車します。ご注意ください。」
「本日は、三ノ宮駅で非常ボタンが押されたことにより、約3分遅れて元町駅に到着します。お急ぎのところ、大変ご迷惑をおかけしました。」
あわただしい、でもどこか静かだった3分間。
この町には、まだ何かが生きている。(2011/1/17)
凄い舞台美術と良い舞台美術 (音楽座ミュージカル「ホーム〜はじめてテレビがきた日〜」感想1)
今年の初観劇として、先週末、音楽座ミュージカル「ホーム〜はじめてテレビがきた日〜」を見てきました。感想その1は舞台美術の話で。
今回の舞台美術、本当にすごかったんですよね。舞台中央に円形のスペース(地球=ホームを象徴)があり、これを取り囲んで半円形の左右階段。さらにその奥に、階段を上りきってそのまま舞台袖にでるための通路。このセットを、舞台上に出したり引っ込めたり、あるいは後ろ向きにしたり横向きにしたりと、次々に転換させることにより、ビルの屋上、昭和30年代の家、公園、病院の病室、結婚式場のホテル&教会、さらにはアフリカの洞窟、警察署(留置場)、天国へ上る階段まで、なんと10数シーンをこれだけの装置の組み合わせで表現していたのです。とりわけアフリカの洞窟のシーンは、装置の特性を生かした美しい照明もあり、感動的な歌とも相まって、とても印象的でした。
ただ、どうしても気になったのが、あまりにも転換の数が多く、また同じシーンが何度も出てくること。例えば、主人公の家は何度も何度も繰り返し出てくるのですが、そもそも日本家屋で円形の部屋というのはまずあり得ないわけで、何度も見ていると違和感がだんだんと募ります。そんな中、鯨幕(主にお葬式で使われる黒白の縦縞の幕)の前で明るい群衆ダンスが行われたりすると、それだけで世界観が揺らいでしまうのです。そして、同一のセットでいろんな場面を表現しようとするあまり、どうしても説明的になってしまうこと。演技や照明によって明らかにされる「ここから先は部屋ですよ」「ここが入り口ですよ」「こっちが外ですよ」といったお約束が、それぞれのシーンごとに結構あります。シーンが変わる度にそういった「お約束」も変わるわけで、だんだんとそれがうっとうしく感じてしまったのです。
今回の舞台美術、過不足なしにそれぞれの場面を見事に表現した素晴らしい凄い装置であったことは間違いないのですが、それが芝居と絡んだときにさらに輝きを増すかというと、残念ながらちょっと違ったのかなとも思います。もちろん、何度も時代や場所が前後する脚本の問題も大きいとは思うのですが…。ともあれ、自分が今考えているプランを顧みても、舞台美術というのは美術としてよくできているだけではダメな、なかなか奥深いものであります。(2011/1/19)
昭和で描く平成のホーム (音楽座ミュージカル「ホーム〜はじめてテレビがきた日〜」感想2)
今回のお話は、主人公の中年男性・山本哲郎とお嫁さん(あるいは娘)という2人と、学生運動に取り組んでいて別れざるを得なかったカップルの2人を中心に、主人公の妹夫婦や、お嫁さんのお母さん(娘さんから見ればおばあちゃん)などいろんな人が絡んでくるお話です。これまでみたシャボン玉や7DOOLSに比べると明らかに話の筋がいくつもに分岐しており、またそれぞれを丁寧に説明していくため、正直バラバラ感も無くはなかったのです。
ただ、このお話を解きほぐすヒントになるかなと思ったのが、お嫁さんである麻生めぐみの失踪の原因が最後まで語られないこと。他の出来事が説明調なだけに、これは意外でした。決して忘れられているわけでなく、哲郎は娘の結婚式直前になんとかして連絡を取ろうとしています。ただ、そこでも電話の向こうで断られた演技だけで、何で断られたのかということは明らかにしていません(もちろん、交通事故とか不慮の事故で亡くなった訳ではないということは十分推測できるのですが)。あえてここを語らないということに、やはり脚本なり演出なりの意図がありそうです。哲郎の最後のセリフにもあるように、たとえ麻生めぐみの失踪の原因や意図がどうであれ、そこから全てが始まり、かけがえのない家族ができていったのは事実。結局物事を動かすのは、誰にでも平等に無慈悲なこの世界を、どう捉え、その中でどう行動するか。そして、それを同じ地球上で生きている「ホーム」の仲間が支えているよ。なんだかそんなメッセージのようにも思えたのです。
「ホーム」はパソコンも携帯電話もインターネットも無かった昭和34年から60年までのお話。平成23年の今、核家族化というよりは個別家族化が進み、失踪しても携帯電話で連絡がとれるし、もうご近所さんが全員家に集まってテレビを見るような機会は絶対にないけれど、それでもここが私たちにとって掛け替えのない「ホーム」であることは、変わっていないはず。だから地球を、一緒に暮らす仲間を、この一瞬一瞬を大切にしていこう。そんなメッセージを感じながら、劇場を後にしたのです。(2011/1/21)
祭りの後みたい寂しいけどそろそろ行こう(Angel Beats!感想)
今日は、今日大阪で見てきた演劇の感想を書こうかと思っていたのですが、これがなかなか手ごわい作品で、感想一つ書くにも色々と調べ物や整理が必要なようなので、埋め草として、昨日(土曜日)、舞台模型を作りつつ全13話を見てしまった「Angel Beats! 」の感想でも。
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この作品、Kanon、AIR、CLANNADという三部作を世に送り出したゲームメーカーKeyが本格的に企画・原案・脚本に関わったということで有名だそうですが、私は「感動的なアニメソング一覧」か何かで「一番の宝物」という曲を先に知ってしまい、そこから入ってしまいました。この歌詞の意味を知ろうとすると必然的にAngel Beats!の世界の謎というかカラクリが分かってしまうわけで、そういう意味ではちょっと残念だった気もします。
ただ、やはりこの作品の秀逸なところは、志半ばで死んだ人々のための学園があり、そこで十分に満足することができると順番に消えていく(日本風にいえば成仏していく)という世界設定でしょう。それも、消えるかどうかはある程度、自分自身の意思に任されています。十分に満足することができた世界だからこそ、そこから、自分の意思で旅立たなければならない。一歩を踏み出す勇気がなくてはいけない。逆説的だけれども、現実の社会に置き換えてみても、すごく良く分かります。細かい人物設定などにはいろいろと不満がないわけではないのですが、この大きな世界設定に間違いないため、とても説得力のある話となっていました。
今、模型制作の真っ最中ですが、これからピッコロ舞台技術学校はいよいよ卒業公演に向けて佳境に入ります。そして、その祭りのような日々の後には卒業、もう二度と仲間全員が一か所で出会うことはありません。ただ、卒業した先に何があるかは分からないけど、たとえ多少はやり残すにせよ、後輩に夢を託しつつ十分に満足してピッコロから旅立ちたいなあと決意する日々です。(2011/1/23)
ことぶきとわざわい ハレとケ(劇団柿喰う客「愉快犯」感想1)
演劇関係者の友人に薦められて見てきました「柿喰う客」。薦められただけあって非常に興味深い演劇だったのですが、まずは芝居の内容の方から。
今回の舞台は、とってもおめでたい琴吹家が舞台。何をやっても大当たりのあまりにもラッキーな一家な半面、あまりにもラッキーすぎてこの家の血をひくものはストレスに極端に弱く、ちょっとしたことでショック死してしまいます。そんな琴吹家の長女・鶴子が、クリスマスを前に突然の他界。彼女の死因は何なのか…誰かが殺したのか、それとも…・。虚実織り交ぜた筋書きや言葉遊びがふんだんに使われ韻も踏んでいるセリフ、訓練された役者の動きやセリフ回しもあって、あっという間の80分。新春公演、そして劇団結成5周年ということで、フライヤーも舞台もお話も非常におめでたいものになっていたのですが、彼女の死因がおめでたすぎる考え方が原因となっている…というあたりは演劇的でもあります。
最近、自分自身の生活を振り返ってみても思うのですが、今の日本(あるいは世界)には様々なイベントが溢れています。毎日毎日、日常ではない何か面白いことが世の中に用意されており、私たちはそれに参加するのではなく、それをひたすら消費しているような気がするのです。昔の日本の伝統では、「ケ」という日常があり、日常が長く続くと「ケガレ」という状況になるため、祭りなど「ハレ」の時を過ごして、また「ケ」の日常を送れるようにしたのだそうです。今の日本は、本来主体であるべき日常の「ケ」がなくて、毎日「ハレ」のような状況にあるような気がします。ある意味、日本人全員がおめでたくて愉快な琴吹家状態です。その中で、もしかしたら大切な何かを忘れ、何かを傷つけ続けているのかもしれない。登場人物の中で唯一行動の因果関係の明確な女性警察官の名前が「わざわいさん」であるところが、なんとなく示唆的だなあとも思ったのです。(2011/1/25)
アフタートークと乱痴気公演という発明
(劇団柿喰う客「愉快犯」感想2)
さて、この作品を見ていて感じたのは、「この劇団は現在の演劇シーンを十分に理解していて、その上で、あえてこういう芝居をやっているのかもしれないな」ということ。私は決して演劇界の流れに詳しいわけでもなく、芝居というものにふれたのはせいぜい大学1年の頃、月1回以上のペースになったのは去年からですが、それでも、平田オリザ風の統制感、内藤裕敬風の昭和や和物へのノスタルジー、柳美里風の崩壊した家族、別役実風のナンセンス感、成井豊風の観客サービス、みたいなものがちょこちょこかいま見えたのです。そのうえで、「この立ち位置で演劇をやれば、今の時代確実に受ける」という明確な意思も感じられます。「ポップでどす黒い」(By 伊藤えん魔氏)、こんなお芝居は初めてでした。
代表・作・演出の中屋敷氏は「反現代口語演劇」の旗手と言われているのだそう。この言葉も、「さあカーニバルの時間です!」といっていた小劇場系演劇に対して「都市に祝祭はいらない」というキャッチフレーズを持って演劇界にデビューした平田オリザを彷彿とさせます。明らかな敵を提示て、そこに攻めていく姿勢を示すこと。これもまた伸びていく人や伸びていく組織には必須です。そして、その戦闘性を明らかにする場として、劇団柿喰う客には、作・演出家である中屋敷氏がその意図を語る「アフタートーク」と、「役者は役を生きる必要などない」ということを示す全役者入れ替え「乱痴気公演」という場がちゃんと用意されています。なんとも用意周到です。
こう書くと嫌味に見えそうですが、一見した時に決してそんなことを感じさせないのは、やはり役者があまりにも上手なのと中屋敷氏の信念や思想がしっかりしているからでしょう。あえて言うと、高度な理論武装や役者の演技に比べるとストーリー自体は若干薄っぺらいものに感じてしまうのですが、それ位の荒削り感がないと正直、怖さすら感じます。いずれにせよ、明らかにこの劇団は追い続けるべきものだし、自分もこれから追い続けてしまうんだろうなと、覚悟を決めたのです。(2011/1/27)
役者・スタッフが作る質の高い演劇空間(劇団隕石少年トースター「パペット・オン・ザ・パニック 完全版」感想)
今日はひさしぶりにお芝居のはしご。まずは一つ目、隕石少年トースター公演 at in→dependent theatre 2nd。
会場にはいると、若干古びた壁の正面にしっかりと空いた窓が。窓の向こうには遠くの景色が書かれているのですが、遠近法を利用して本当にその部屋が2階か3階にあるように見えるのです。この舞台、舞台への出ハケは上手の小さなドア1つなのですが、この窓があることにより、決して閉鎖的な空間にはなっていないのです。そして流れている客入れ音楽がなんとロシア風のピアノコンチェルト(ラフマニノフの3番だったようです)。小劇場系の客入れ音楽というとロックやポップ、あるいはイージーリスニングなどが多い中、クラシック、それもコンチェルトというのは非常に新鮮でした。
ブラームスの「悲劇的序曲」により幕あけ。まずは人形劇から。一見暖かくもどこかシュールで残酷な世界が繰り広げられます。出てくる役者さんと人形たちは実に個性的。特に真犯人(?)滝口のおかまっぽい煮え切らない態度が笑いを誘います。また、滝口と人形劇団の安原さんとの真剣勝負や、劇団の野本さん・光永くんとの上下関係がありそうでなさそうな関係性など、目を引くシーンも数多かったです。そして、それを支える美術や照明、音響も秀逸。とりわけ、オープニングからタイトル紹介に至る流れというのは本当にカッコよかったです。ああいうの一度やってみたいんですが、一定以上の技術がないとみられたもんではないんでしょうねぇ。
あえて言うと、いまいちテーマというか訴えたい事が伝わってこなかった気も。「妥協は負けではない」という印象的なせりふがあったり、滝口の改心があったりと、縁(よすが)になるようなものはあるのですが、今一はっきりしません。その理由の一つとして挙げられるのは、この作品が過去やった作品のリライトという位置づけでもあったこと。この作品世界では、悪の大ボス「黒川」が想定されていますが、彼がなぜ悪いのかは今回の作品を見ただけではよく分かりませんでした。経営者としては、むしろ彼の方がふさわしい気もするのですが…。
テーマ性はどうであれ、見ていて気持ち良く心地よい、役者・スタッフワークともに質の高い演劇空間が広がっているのは間違いありません。東京でも公演が続くそうですが、ぜひ多くの人に見てもらいたいと思っています。(2011/1/29)
サングラスはかぷかぷわらつたよ。
(劇団ゲルゲルちょっぱぁ〜ず「6d〜あいのうた〜」感想)
土曜日2本目のお芝居は、舞台技術学校の同級生が出演している劇団の特別公演。彼からは「かなりハチャメチャなので感想を書かれるのが怖い…」と言われていたのですが、どうしてなかなかしっかりした舞台でした。
6つのお話のオムニバスということで、出来不出来の揺れはそこそこあったものの、基本的にはどれも綺麗にまとまっていました。特に通勤電車での日常(?)を描いた3作目「マイポジション」は毎朝通勤しているサラリーマンから見ると「あるある」といった光景を下敷きにしている好作品。メインの役者とマイクで指示を出す裏方とのやり取りが柔らかな笑いを誘います。また、作者が違うことによりちょっと異質な4作目「ふたり」も、メインの役者2名がちゃんとその場で「役を生きている」ことにより、ちゃんと説得力のあるお話となっていました。また、バラバラのお話を結び付ける小道具としてサングラスを出してきたのもお見事。エピローグの全員登場シーン、なかなかかっこよかったです。
私の持論でもあるのですが、お話の力だけで観客を満足させられる悲劇に比べ、喜劇というのは役者の高い能力や作品の細部までにわたる心配りが必要です。そういう意味では役者の能力やそれを支える演出力はレベルの高いものを感じました。次は、音響・照明・美術といったスタッフ関係をより向上させれば、かなり面白い劇団になっていくのではないか。そんなことも感じました。
ところで、今回の公演には何人かピッコロ関係者が来ており、終了後、本科のお二人とちょっと感想などを話したのですが、ちなみに彼らは20代前半と10代後半。当然、客だし音楽につかわれた「あいのうた 」(1996年)もリアルタイムでは知らないわけで、知らず知らずに時は過ぎているのだなあ、社会の主役も交代しつつあるのかなと、と改めて実感したのでありました。(2011/1/31)
『ごめんなさい、ウソつきました』
(演劇四次元STEAGE第2回公演感想1)
日曜日はピッコロ舞台学校・演劇学校関係者が多い劇団・四次元STAGEのお手伝いへ。ほぼ当日のみのお手伝いでありながら、なんと「舞台監督」という肩書を頂いてしまいました。ただ今回は準備・撤収込みこみで1時間の演劇祭への参加。舞台も照明も音響も仕込みは原則共通なので、それほど考えることや難しいことはなかったのが実際のところです。また、基本的な進行などは作・演出・役者の劇団代表・O氏が一手に担っているため、自分は彼のやりたい事をフォローするぐらいでよかったのです。音響さん・照明さんも舞台技術学校の同級生で、意思疎通は何ら難しいことがありません。そういう意味では調整すべき事柄はほとんどなく、ナグリを持っただけの名ばかり舞台監督でありました。
とはいえ、いろいろと反省点も。やはり大きかったのは、舞台装置の一部が本番直前に破損してしまったことでしょう。幕裏で久しぶりに本気で焦りました。大きく動かすセットでなかったので良かったですが、もし動いたり人が乗ったりする装置であったならば大問題。装置の安全性や確実性は事前に十分に確認しておかなければいけないということを痛感しました。連絡違いで蓄光テープがなかったのもミスと言えばミスです。これも、舞台進行を担当してくれた劇団かすがいさんのおかげで何とかなったのですが。あとは、もうちょっと幕裏に赤ランプや蛍光棒などの明かりを設置したかったなと。やはり多少荷物が重くなっても道具はフルで持ち込まないと仕方ないということを痛感しました。
今回、私+2名で幕裏の仕事をしたのですが、一人は演劇学校本科卒業生、もう一人は現本科生ということで、お互いのことも裏での動き方も良く分かっており、とても助けられました。また、表方(客席誘導)も想定外の満席にも関わらずきっちりと対応していただき、開演後は安心して任せられました。細かい反省点はいろいろあるものの、ちゃんと制限時間内に終了し、明らかに目につくような事故もミスもなかったということで、名ばかり舞台監督レベルとすれば今回は十分合格点かなと思っているのですが、さて周囲のご判断は?(2011/2/1)
日本以外的東亜各国、新年快楽!
今日、2月3日は春節。韓国・北朝鮮ではソルラル、ベトナムではテト、モンゴルではツァガーンサルと言われる「年越し」の日です。日本では「節分」として、せいぜい豆まきや恵方巻だけが話題になる日なのですが、日本以外の東アジア各国では最も大切かつ大規模なお休みと儀式の時期です。
去年5月から、中国、台湾×2、来週は韓国と、狙ったわけではないのですが東アジアばかりを巡っています。そして、これだけ行くとついつい「東アジアとは何か。そしてその中で日本はどこが特異なのか」と考えてしまうのですが、違いを表す典型例の一つがこの「旧正月」でしょう。暦が太陽暦に変わっても、科学的であることを標榜する共産主義の国になっても、農耕や旧慣に根ざした「旧正月」の伝統を守り続ける東アジアの各国。一方、お上が暦を変えればそれに従って年越しという最も大切なイベントさえ変えてしまい、新暦1月1日に何の疑いもなく新春気分を味わってしまえる国・日本。その驚くべき柔軟性と節操のなさというのは、今後ますます緊密化する東アジア諸国の中で日本が生き残っていく上での強みでもあり、弱みでもある気がします。
ちなみに、日本が新暦正月を休み旧正月は休まないことの利点の一つが「日本人観光客が大移動する正月に東アジアの人はあまり動かない。一方、日本の観光閑散期の1〜2月に東アジア観光客が大移動」ということ。これは日本の観光業者や航空会社、そして私のようなサラリーマントラベラーにはかなり効果があります。このように他と違うことは便利な側面もあるのですが、仲間はずれな気もして少し寂しかったりもするのです。ともあれ、春節恭喜恭喜!(2011/2/3)
『打倒トルコ人!』
(演劇四次元STEAGE第2回公演感想2)
今回はキャスト&作品関係の感想を。
1作品目「ありきたりな、靴下の話」:私はこの手のお話大好きなんですよね。そして、四ステ初の大がかりな着ぐるみ!登場からしてお客さんの掴みばっちりでした。もともとの台本自体もお客さんに語りかける話となっているので、お客さんとの相乗効果が非常に良い方向に働いたと思います。今後の四ステの一つの方向性かもしれません。ただ、このお話、許せない点が一つ…自分のかかとを状態を知ってしまいました。若い若いと思っていても…(泣)。
2作品目「オリンピック選手の筋トレ」:今回は一人芝居2本+2人芝居1本なのですが、「靴下」はもともとお客さんに語りかけるストーリーなので、相手がいないにもかかわらず演技をするという意味では一番難しかったのではないでしょうか。勢いで押せる話でもないですしね。多少、長かった気もしますし…。でも、場面場面でちゃんと空気感を作っていくところはさすがです。ちょっと調べてみましたが、知恵の輪って競技会はないんですね。ある意味、意外。
3作品目「小さな村の郵便屋さん」:なんとなく設定が前回の「しもやけの唄」と似ているのは気のせい?まったく種類は違いますが、音楽が非常に利いていたのも前回と同じでした。音響さんとの掛けあい、何とか楽しむレベルまでいったのかな。もっとはっちゃけてもいい気もしましたが、2人芝居ということもあってか役者さんに安定感があって、最後に置くのにふさわしい作品となっていました。毎公演、手紙に絡むお話を続けていくというのも面白いかもしれませんね。
お客さんが多かったのもあって、皆さん普段以上の実力を発揮できたようでした。そして、ぼちぼち劇団の方向性も決まってきつつあるのかなと。旅行との関係があるので次回お手伝いできるかどうか分かりませんが、これからもまた楽しいお話を繰り広げてほしいものです。お疲れさまでした。(2011/2/5)
『ね。』
(演劇四次元STEAGE第2回公演感想3)
今回のよんすて第2回公演は「尼崎市演劇祭」の中の1時間を使って行われました。そのため、楽屋裏やテレビモニターで他団体の準備状況や公演風景などを眺めつつ準備をしていたのです。そのなかで感じたのは、ピッコロ演劇学校や舞台技術学校というのは意外とレベルが高いことをやっているんだなということ。もちろん、よんすてメンバーは学校生や卒業生の中でも、学校を離れてもさらに演劇を続けようという意欲があるメンバーはあるのですが、それだけでもない感じもします。
たとえばピッコロにおいては、役者さん(演劇学校生)のモノいいや立ち位置などでも、いわゆる「高校演劇風」と言われる絶叫系やセリフのないときの棒立ちなどというのはあまりありません。自然、というか自然に見せる技を持っているのです。音響や照明もそうで、特別の意味がないカットイン・カットアウトなどはあり得ません。そして、バラシにおいてもそれぞれが自分がどこに回ったらよいのかをちゃんと考えつつ行動しています。ただ、それは決して当たり前のことではないようなのです。たった週2回、1回2時間でも、ちゃんとやれるだけのカリキュラムになっているんだなということを改めて感じました。
もちろん、高校生や若い人にとっては、絶叫も、手持無沙汰なセリフのない時間・空間も、バラシで右往左往することも大切な経験。そして、その中でいろんな大人たち(?)を見ながら、いいところは取り入れ、悪いところは他山の石として真似しないようにする。学校の中で自分たちだけでやっている時には分からないこと・学べないことを学ぶことができるというのが、学外で参加する演劇祭の多いなる利点なのでしょう。
逆に僕らも、高校生の元気さや一生懸命さから得たものも多いにある気が。待ち時間は多いし、リハーサル時間は短いし、照明・音響ができることには限りがあるし、演劇祭への参加というのはしんどい部分もあるけれど、単に一つの団体が単独で開催するのとは違った良さもまたあるなあと感じつつ、ピッコロシアターを後にしたのでした。(2011/2/7)
『大空へ羽ばたいた あなたの勇気を忘れない』
(劇団四季「ウィキッド」感想)
いよいよ大阪公演も2月13日で千秋楽ということで、その前に見てきました。
前回は1階席の前から3列目ぐらいから役者さんの表情を楽しんだので、今回は2階席から美術や照明などを大きく楽しむことにしました。この狙いは大正解で、1回目は知らなかった凝った照明(エルファバが魔法を使うときの照明や、ギアのネタを入れたムービングライトなど)や頭上のドラゴンが動く機構、ドロシーの家セットの全景などを存分に楽しむことができました。そして、もちろんお話自体も。劇団四季のウィキッドは2回目ですが、何度も何度も家でCDを聞いており、すっかり筋は頭の中に入っています。だからこそ、逆に些細なところでついうるうる来てしまうんですよね。たとえば、ボックと仲良くなってとっても嬉しそうなネッサローザとか、自分の能力が認められて空想を広げているエルファバとか、徐々に親しくなっていくエルファバとグリンダとか、「今は何にも知らないでのびのびとしているけど、これからあなたたちを待っているのは大変な、過酷な運命なんだよ…」とついつい先読みしてしまい、明るく元気なシーンでも役者さんの心の動きに合わせて、切なくなってしまうのです。もちろん、その大変で過酷な運命を経て、エルファバはエルファバの、グリンダはグリンダの道を、それぞれ納得して歩んでいくのですし、大人になっていくというのはそういう決断とあきらめ、出会いと別れの繰り返しなのですが、このお話、どこか、自分が若いピッコロの同級生たちを見ている気持ちと重ねてしまっているのかもしれません。こういう演劇の見方は邪道かもしれませんが、まあ時にはこんなのもありですよね。
ともあれ、大阪でウィキッドが見られるのはこれで最後でしょう。本当に楽しませてもらいました。いつの日かブロードウェイまでオリジナルバージョンを見に行くかもしれませんが、自分がピッコロに通っていた時に大阪でウィキッドに出会ったということはずっと大切にしていきたいなあと。自分にとっていろんな意味で、かなり特別なミュージカルの一つになったのは間違いありません。(2011/2/9)
2月10日(木)〜13日(日)に韓国・ソウルに旅行中です。次回更新は15日(火)です。
過ぎ去った年月を楽しむ
2月10日から13日まで、3連休を使ってソウルに行ってきました。
私がソウルに行くのは1997年12月以来、約13年ぶり。前回は「IMFショック」と言われて、通貨危機により韓国経済がぼろぼろになった時。なんとなく社会全体が沈んでいるというか、ギスギスしていました。その時の印象があまりよろしくなく、隣国の首都であるにもかかわらずこんなに間が空いてしまったのです。
今回13年ぶりにいって感じたのは、韓国というのは日本に比べてもともと激しい国民性ではあるのですが、若干その激しさが薄れてきているのかなと。毒々しい色遣いにカクカクしたハングルを書いただけの看板も少しずつ減っていて、文字にデザイン性のあったり落ち着いた色彩であったりする看板が増えていました。街中で発生する喧嘩も、昔に比べると明らかに少ないですし、喧嘩をしていてもどこか本気度が違います。「反日教育」の最前線でもある独立記念館にも行ってみたのですが、拷問のシーンなどは昔、西大門の記念館に行った時にに比べるとそれほど猟奇的でもなく、また展示も、当時の韓国自体の問題にも触れているなど、ある意味公平なものになっていました。
韓国は中進国まではたどり着けたが先進国になれない…という言いかたをよく聞きます。確かに日本の半分の人口でありながらGDPは約5分の1。一人当たりGDP は日本の半分以下というのが実態です。ただ、これでも世界の国の中では相当上位に入ります。そして、社会の成熟度やゆとりというのは単にGDPだけで測れないというのも事実。韓国はきらりと光る中進国の経験を長く積んでいく中で、どこか社会にも余裕が出てきているのかなと。そんなことを感じました。
とまあ、こんなことに気づくのは自分自身も年を取っているからなんでしょうけどね。今回会ったソウル在住の友人とは大学時代に出会っているのですが、当時はお互いに硬い、とんがった部分があった気がします。でも、十数年たって、双方ともいい意味で角ばった部分がとれてきているのかなと。もちろん時には、昔を彷彿とさせる言動もあったりはするんですけど…(笑)。年月がたつのってある意味楽しいなあと、13年ぶりのソウルで改めて感じたのでした。(2011/2/15)
笑顔が消えた中で…
ピッコロの卒業公演まで、あと2週間半。まあまあ順調に、着々と出来あがりつつある美術セットに比べて、演技の方はなかなかに難航している模様。特に本科はなんだか大変そうです。
今日は演劇学校の日なのですが、美術コースのみ「自主作業」ということで出てきていました。そのため、ピッコロには、美術コース生以外は本科生や研究科生だらけ。去年の経験がある研究科生はなんやかんや言ってもそれなりに余裕のある感じでしたが、ほぼ初めて本格的な演劇に臨む本科生は本当にしんどそう。いつもなら出会った時に笑顔で返してくれる彼ら・彼女らから完全に笑顔が消えていました。集まって話し合っていても、なんとなく一触即発のような危険な雰囲気が漂っています。一番ゴールの見えない辛い時期なのかもしれません。
でも泣いても笑っても、3月6日には全てが終わり。もうこのメンバーで、一緒に何か一つのものを作ることは、この世で生きている間は絶対にあり得ません。だから、苦しくても辛くてもいがみ合っていても泣きながらでも、なんとか最後までたどり着いていってほしい。なぜなら、そういう人間関係や自分の能力とのしがらみの中でもがき苦しんでいる時が一番自分が成長している時。あとあと本当に掛け替えのない財産になるのです。(そして悲しいかな、そういう成長のチャンスというのは、20代から30代前半までぐらいしかないのも事実です。)
そして、悩み苦しみの中から生み出されてきた表現がまた、演劇として人々を感動させるのです。演劇というのは制約の多い芸術だからこそパワーがあるのだ、という話を以前誰かから聞きました。時間がない、セリフが少ない、ダンスができない、割り振られた仕事が面倒、練習場所がない、人間関係がうまくいかない、演出家とうまくいかない、本当にたかが卒業公演といえども制約だらけです。制約を楽しむまでにはなかなかいかないとはおもいますが、だったら逆に真正面からぶつかっていくだけの決意とパワーが必要なのかなとも思います。
今年は去年とは違いほとんど本科と絡んでいないので遠くからしかエールを送ることができないのですが、遠くから見守っている人が私以外にも絶対たくさんいるはず。16日後、本科生たちがどんな「自分たちの今」を表現してくれるのか、とっても楽しみにしています。(2011/2/17)
パンタレイ in 塚口
昨日、午前5時ごろ、若干寝不足の中、なんとか起きて関係者一同に卒業公演のご案内などを準備中、突然、携帯電話のメール着信音が。誰からかなと思って見てみると「塚口駅付近の火事の影響で、阪急電車が不通」とのこと。普段の通勤はJRのため関係ないやと思い、作業を続けていました。そして、朝食を取りながらテレビを見ていると、なんとその場所は阪急塚口駅西横の踏切すぐの場所で、私も何度か行ったことのある場所であるということに気付いたのです。持ち帰り専門の粉もん屋さんとか、松屋とかがある、あの一角です。松屋は何度も行っていますし、線路沿いにあったラーメンや「くじら」には去年の同級生ともよく一緒に行ったもんでした。昨晩ちょっと前を通ってみたところ、看板などは焼け残った部分もあるものの、内部はまさに残骸。戦争でも起こった後かのような状況でした。いつまでもそこにあると思っていたものが一夜にしてなくなる…火災の恐ろしさと寂しさをちょっとだけ感じたのです。
思い起こせば、阪急塚口駅周辺も私がピッコロに通い始めてから2年間の間にだいぶ変わりました。「くじら」が無くなり、ファミリーマートがドコモショップになり、空揚げ定食のお店は「華道カレー」に。そして、タントもアサヒヤも格安メニューを販売し、鳥貴族ができるなど、価格破壊の波が塚口にも確実に押し寄せつつあります。大量の自転車に埋め尽くされていた駅前は、民間委託の業者が入ってかなり整然としました。一つ一つの出来事は小さなことだけど、いいか悪いかは別にして、こうやって街というのは少しずつ変わっていくのだなということを実感させられる、阪急塚口駅周辺なのです。(2011/2/19)
プロフェッショナルなエンターテイメント(Cookin' NANTA感想)
ちょっと日はさかのぼって、韓国・ソウル旅行の話。
今回のソウル旅行、大きな目的の一つがノンバーバルパフォーマンスを代表する作品とも言われている『ナンタ』を見ること。ブロードウェイでもウェストエンドでもないソウルで、1997年の開演以来13年ものロングランを続けている怪物級の演目。これは演劇好きとしては絶対に見ておかなければなりません。ということで、ホームページ予約で、前から2列目・真正面という座席を確保。ソウル到着後、一番初めの観光として行ってきました。
オープニングは暗い中から幻想的なサムルノリのリズムでスタート。ここからぐっと舞台に引き込まれていきます。「ナンタといえば舞台上で野菜を切りまくる」という先入観があり、「そんなので1時間半飽きないのかなあ」と思っていた面もあったのですが、当然決してそれだけではありませんでした。Wikipedia(en) にも書いてあるのですが、アクロバティックであったり、マジックがあったり、コメディーやパントマイムであったり、さらに観客の参加などもあって、本当にバラエティに富んだ、全く飽きさせない構成となっているのです。そして、それぞれのレベルがとっても高い。全体の構成も、観客との距離の取り方が近づいたり遠ざかったりして、そのタイミングと間が実に微妙で心地よいのです。
これだけロングランを続けていると、どうしてもマンネリ化してしまいかねないと思うのですが、役者さんたちはみな舞台上で生き生きと新鮮にパフォーマンスを繰り広げていたのも印象的でした。どこか素人くささを良しとする日本とは違って、プロの役者がプロフェッショナルとして高品質なエンターテイメントを提供し続けている。その凄みを感じさせられた、想像以上に素晴らしい舞台でした。
さて、大阪でロングランを目指すノンバーバルパフォーマンス「ギア」 はこの「ナンタ」を越えることができるのか。あえて言うならば、「ナンタ」が完成しつくされたエンターテイメントであるがゆえに、あえてハプニング性や揺れを正面に出していくという手法はありそうな気も。舞台美術は柴田隆弘さんですし、こっちもトライアウト中に是非、見に行かないといけません。見たいものがどんどん増えてきていって、困ります。まあ、まずは自分たちの卒業公演の舞台装置に全力投球!しなくてはいけないんですけどね。(2011/2/21)
犯人はヤス
最近、演劇の感想を書くことが多くなってきています。その際に気になるのが「どこまでネタバレしてしまっていいか」ということ。演劇ライフなどはネタバレ感想の場合、わざわざ「ネタバレシール」のような工夫までしており、なかなかセンシティブな問題ではあります。
私の場合、ロングラン公演で、ある程度結末が知れ渡っているものについては、既知の事実としてネタバレで書く。そうでない場合は、話の筋については少なくとも関西圏で千秋楽を迎えてから書く。千秋楽以前に書きたい場合は舞台美術や音響・照明などスタッフワークの感想にとどめておく、というのを一応のルールとしています。スタッフワークも演劇の一部ではあるのですが、あくまでも演劇の主役は役者さんと戯曲ですから、まあ許されるのかなあと思ったり。まあ、ネタバレ無しに芝居の感想を書くのも不可能なわけで、そのあたりは微妙な舵取りが必要なんでしょうね。
ちなみに、ホームページ上で感想を書き始めた理由には、書いておかないと忘れてしまうという防備録的な側面と、演劇をやっている人たちに対し、いいところは評価し、悪いところは改善してもらいたいとエールを贈る側面とがあります。前回、卒業公演をして思ったのですが、意外なほど公演に対する感想というのは少なく、とりわけ問題点にふれたものや批判めいたものはほぼ皆無でした。あの公演にもたくさんの問題があったはずで、そこはぴしっと指摘してほしいなあと。多少的はずれであったとしても、違った視点からの評価というのは非常に参考になるし、自分の見方を広げてくれる気がします。それに、やっぱり演劇というのは良くも悪くも注目されてなんぼのもんですから、いい悪いは別にして何の反応もないのは、ちと寂しい。だからこそ、「自分は単なる素人なのに、プロの方に対して本当にこんなこと書いてしまっていいんだろうか」と思いつつも、ある意味蛮勇をふるって、毎回感想を書いているのです。
ということで、これを読んでいるあなたは、3月5日・6日、ぜひピッコロシアター大ホールに来ていただき、観劇後、ぜひいろいろと厳しいご意見を届けてください!よろしくお願いします。(2011/2/23)
きらりと光るスタッフワーク (県立ピッコロ劇団「天保十二年のシェイクスピア」感想1)
いろいろと多少無理してピッコロ劇団の「天保十二年のシェークスピア」を見てきました。まだ公演中なので、スタッフワークのお話から。
今回の公演、どうしても触れないといけないのが、生音を使っているということでしょう。それも、「琴」がなんとも印象的でかっこよかったです。私はもともと「和楽器オーケストラあいおい」とかが好きなので特にそう感じるのかもしれませんが、やはり和楽器には日本人の心を揺さぶる何かがあるようです。それを、オケピではなく舞台上(舞台奥)に配置。これがバンドと観客の間で行われている演劇という雰囲気を作り出し、会場の一体感を高めているのです。オケピを挟んで舞台だとどうしても額縁の向こうで行われている話という印象になってしまいがちなので、それを回避しているのでしょう。
そして、「真田風雲録」と同じく、今回も動き回る舞台装置。とはいえ、真田に比べればずっと大人しく、良く考えられてはいるものの一見単純なものです。3時間を越える芝居ですから、これぐらいの方が「見飽きる」ことがないのかもしれません。そして、逆に、異常なまでにビビットで写実的で、完全なまでに上下でシンメトリーなもう一つの舞台装置(ネタばれなので今のところはこれぐらいで)との対比が明確になってくるのかなあと。それがラストシーンに繋がってくるあたりは流石です。照明も、ムービングライトを使いながら決して派手な使い方はしていないのが、逆に印象的だった気がします。今回の作品は役者(とその台詞)を前面に出すことを主眼に組み立てられていた気もしますが、そんななかでも所々にきらりと光るスタッフワーク。なかなか見応えがあります。
ところで、今回の話の舞台は「2つの女郎屋」で、多くの女性陣の服装は当然「女郎風の着物」。こうくると去年の本科卒業公演を彷彿とさせるわけで、役者さんたちが着ている着物の中にはいくつか見たことがあるようなものも…。そういう意味でも楽しめる県立ピッコロ劇団「天保十二年のシェイクスピア」、土日もありますのでぜひ見に行ってください。そして、その次の週はピッコロ演劇学校・舞台技術学校の卒業公演にも是非!(2011/2/25)
見たいものと見せたいものと (県立ピッコロ劇団「天保十二年のシェイクスピア」感想2)
お話のことを書こうと思ったのですが、実際のところ、私はそれほどシェークスピアの作品を知っているわけではなく(ちゃんと戯曲を読んだことがあるのはたぶん「ヴェニスの商人」「ロミオとジュリエット」「リア王」ぐらい)、超有名なシーンを除くとどこがシェイクスピアのパロディで、どこが井上ひさしオリジナルのなのか十分に理解できていません。ということで、ちょっと裏っぽい感想を。
今回、劇場に入ってまず思ったのが「真田に比べてお客さんが入っているなあ」ということ。私は金曜日のマチネに行ったのですが、その後もかなりの盛況だった模様。観客の年齢層も幅広く、終了後、そこそこに評判が良かったのも間違えなさそうです。シェイクスピアという題材、井上ひさしという作者、意図が伝わりやすい美術セット、そして松本祐子というある意味正統派の演出などが、西宮北口にある芸術文化センターに集まってくるお客さんにぴったりと合っていた、というのは間違いないようです。
その一方で、今回の作品はわりと薄っぺらかった、分かりやすく作り過ぎた、あれだけセックスシーンがありながら生と性の淫猥さと躍動感が描かれていないなどという感想も、どちらかというと芝居玄人の複数の方から聞いています。私は両者のちょうどその中間あたりにいるため、なんとなくどちらの意見も納得することができるます。観客に分かりやすく、なおかつ深い芝居というのが理想なのですが、やはり複雑なテーマは難解な演出になりがちです。個人的には、複雑な人間関係を分かりやすく整理しつつも、役者さんの迫力も丁寧に良く伝わってくる今回の作品というのは十分に作品として高品質に成立していたと思うのですが、それだけではつまらないという意見も当然あるんですよねー。難しいところです。
そのあたりの齟齬をどうやって取り除いていくのか、県民の税金をある程度つぎ込んでやっている県立劇団の宿命なのかもしれません。6月に尼崎シリーズ、8月はファミリー劇場、10月にある程度難易度の高い現代劇をやり、12月に再度ファミリー劇場をやって、2月にはポピュラリティーのある作品を芸文で上演する。そんな流れが生まれつつある気もしますが、流れだけを追っていくのもなんとなく面白くありません。まあ、制約があればある程面白くなってくるのが演劇ですから、いろんな制約の中でさらにピッコロ劇団らしい表現方法を見せて行ってほしいなあと。ある意味、自由気ままにやっている劇団よりもいい作品が生まれてくる可能性は十二分にあります。
次の作品は尼崎題材シリーズ第2段「蛍の光」。角ひろみさんの独特の世界がピッコロ大ホールというホームグラウンドの中でどう表現されていくのか、今度こそは一観客として非常に楽しみにしているのです。(2011/2/27)
『穏やかな1日をおくりましょう』
いよいよ卒業公演まで1週間を切りました。
今週は仕事の方がそこそこあるため、結局ピッコロに行けるのはいつも通りの夕方から。ですから、決して卒業公演に従事している時間が長いわけではないのですが、なんとなく精神的にバタバタしているというか、落ち着かない穏やかでない日々を過ごしています。
一番困ってしまうのが、なんとなく気がせいているからか、やたらいろんなことを忘れてしまったり、手順を誤ったりしていること。特に今日は仕事でもピッコロでもミスが多く、ものすごく身近な同僚の名前がとっさに出てこなかったりして、「もしかして若年性認知症の前兆か?」と一瞬自分を疑ってしまったのですが、単に気分がせいているために物事が見えなくなっているだけというのが実際のような気も致します。ただ、忙しい状況に対する適応能力が明らかに落ちてきているのは、残念ながら年齢のせいなのかもしれません。
ともあれ、あと1週間もすれば、演劇なんて全く関係のない、ただ仕事だけに集中していればよい「穏やかな1日」が戻ってきます。今はむしろ「卒公後」を楽しみにしつつも、この状況の終わりはまさに自分の青春時代の終わりなのかもしれないなと、少しだけ寂しい気分にもなってきているのです。(2011/3/1)
『一人って書いていないわ』
mixiのつぶやきやツイッターを見ている方はご存知かもしれませんが、どうも今回の卒業公演、なかなかテンションが上がりません。「やっぱり2年目だから、盛り上がらないのかなあ」などと、ちょっと悩んだり、寂しい気分になったりしていました。そんな中、今週、他コースの友人や関係者に愚痴半分でそんな話をしてみたところ、実際そういう気分の人が結構いる様子。自分だけではなかったんだということで、多少は楽になりました。
まあ、今回の研究科作品はタイトルが「がんじがらめの垣根から」というとおり、決して明るく楽しいお話ではなく、「あっはーん」「うっふーん」という吐息の中で女の子たちがおどったり、外人さん風の人がカツラを落としたり、美しい衣裳で派手な化粧の女の子たちが出てきたり、舞台上をセットが縦横無尽に動き回ったり、さく3人娘の転換時に小芝居が入ったりなんてこともなく、基本的には垣根(?)の中の暗い雰囲気の中で淡々とお話が進むわけで、それが周囲の雰囲気に影響してしまっているのかもしれません。去年のように突拍子もないムードメーカーだの、元気な仕切り屋さんだのがいないのも、良くないのかもしれません。あるいは、先週まで本公演をやっていた劇団とのスケジュールの兼ね合い、講師陣やスタッフさんの微妙な違い、変にピッコロを知っている2年目・3年目生の存在など、さまざまな要因がありそうです。
組織論的な観点から、どこにどんな要因があるのか細かく分析をしてみたい誘惑にも駆られますが、それは後日にひとまず置いておいて、まずは本番。「これではいけない」と思っている人が結構いるということが分かったこと自体が、私にとっては何よりの収穫。あと2日半なら、から元気でもなんとか走りきれるはず。一人ひとりの思いを足掛かりに、なんとか全体としてのテンションをあげて、たとえ失敗したとしても悔いのないよう、元気に本番を迎えて行きたいと改めて決意しているのです。(2011/3/3)
『空を目指して飛んでいく』
初日の幕が開きました。それぞれ細かいミスや不都合などはあったものの、概ねいい状態で終われたのではないかなと思います。去年の美術コースや本科・研究科の方もたくさん来ていただいており、いろいろと感想やおほめの言葉をもらったりして、ありがたいやら嬉しいやらでありました。今回の美術セット、始めて組み上がった時は「重厚感も全くないし、ほんとどうしよう」でしたが、バックが黒幕になり、さらに照明が当たると、また独特の存在感が出てきているようです。そういう意味では、正月明けの3連休、一旦考えたものを白紙に戻し、結局はかなり元の姿に戻ったものの、そういう過程を経ただけのかいがありました。
そして、いよいよ明日が最終日・千秋楽。そしてピッコロ舞台技術学校からも卒業です。今回の卒業公演、いろんなひとが決して前向きなだけではない、さまざまな思いを持ちつつも取り組んでいることは、2年目ということもあって、良くも悪くもいろいろと知っています。でも、もう泣いても笑っても、このメンバーで一つのものを作り上げることはこの先、二度とありません。文字どおりの一期一会。悔いは残るかもしれない、複雑な感情もあるかもしれない、思い通りではないかもしれない。だけど最後の最後はがんじがらめの中からみんなで飛び出して新しい世界へと旅立っていきたいと、心から思っています。(2011/3/5)
『…ありがとう。』
昨日、卒業公演が終了し、2回目の修了式を無事終えました。まだ、明日にバラシの続きがあるのですが、私は仕事でどうしても行くことができません。そういう意味では、昨日が本当に最後のピッコロ舞台技術学校生としての1日でした。
思えば2年間、本当にいろんなことがありました。ほんの少しは舞台美術に関する知識や見方というものができた気もします。見る演劇の幅も明らかに広がりました。苦手意識のあった大工仕事(?)も少しはできるようになりました。
そして、本当にいろんな人と出会いました。もちろん濃い・薄いはいろいろで、あまりお話できなかった人もいます。そして実際には、もう2度と会うことができない人が大多数だとも思います。それでも、みんなで一つの舞台に立ち、一つの舞台に向き合って、他には掛け替えのない「今」の舞台を作り上げていったことは間違えのない事実です。もちろん日々の仕事でもそういう側面はあるのですが、それが演劇という人の生き方を取り上げたものを通してだからこそ、更に生々しく、純粋な形で眼の前に突きつけられるのかもしれません。
厳しいダメだしに涙を浮かべながらも、一生懸命セリフを叫びつづける本科生。舞台袖に入っても、なおその役を生き続ける研究科生。そんな彼ら・彼女らに刺激を受け、最後の最後に「このメンバーでやれてよかった」と満足して、一旦、このピッコロ演劇学校・舞台技術学校の青春から離れてみることができます。いつの日か戻るかもしれないし、戻らないかもしれない。でも、確かに僕らで何かを作り上げたというあの日、あの時の価値はそれで変わることなど全くない。そんな確信と仲間たちへの感謝を胸に、また日々を歩き続けます。(2011/3/7)
『少なくとも私は、やってみたわ』
昨日、バラシも終了し、2回目の「これで学校としての作業は終了しました」メールを出張先の淡路島で受け取りました。最後を自分の目で見届けられなかったのはなんとなく寂しくもあるのですが、社会人である以上は仕方ない部分もあります。今年は去年のように大規模な打ち上げはなかったようですが、突然ツイッター&mixiで呼びかけて何人かの同級生・友人と塚口で飲んでいました。
ある意味、去年と今年は大分違った1年間でした。去年は全てが初めての1年間、何にも分からない中、何にも分からない仲間たちと悩んだりぶち当たったりしながら、混沌としていたものの最後には充実した気持ちで迎えることができました。ただ、今年はいろいろと事情も知ってしまっている中、(また年齢的にもさすがにアラフォーなので組織のいろんなことが分かってしまう中、)正直、しんどいことが多かったです。特に合同発表会終了後、娑婆の仕事が追加されたことも相まって、昔はあんなに行きたくてたまらなかったピッコロに行くのがおっくうになってきていたのも事実です。ただ、そのたび、そのたびに仲間から助けてもらったり、ほんの小さな一言に励まされたりして、なんとか卒業まで迎えることができました。今は「2年目に行って、より深いことを学びつつ、また違う人と出会うことができてて本当に良かったな」と心から思えます。
知識という点で言うと、特に舞台美術に対する見方というのは、やはり1年目と2年目で全然変わった気がします。「それ自体が楽しい舞台美術」から、「役者がいないと成立しない、役者を輝かすとともに役者とともに輝く舞台美術」へ。かなり意識が変わりました。台本を読みながら模型を見ながら役者の動きを創造する作業は結構楽しかったのも事実です。それを舞台上に具体化する知識や能力はまだまだまだまだなのですが、その発想の糸口ぐらいは掴むことができたのなあと思います。
もちろん、今年、ピッコロではなく違うことを始めていれば、また違った出会いや違った知識、違った充実感が得られたのかもしれません。でも、それは考えても仕方のないこと。スキップの真理子ちゃんではありませんが、自分のしてきた選択を自分が信じあげられなければ、自分がかわいそう過ぎますよね。当初は色々悩んだけど、少なくとも私は、この人生の40分の1か60分の1か80分の1かを、このピッコロ舞台技術学校美術コース2年目に費やした。そして、明るいだけではないけれど、その費やしたもの以上の何かを明らかに持って卒業することができたのは間違いないような気がします。
何でもそうですが、「やってみる」ことによって結果は後から着いてくるのかなと。来年度の身の振り方を考えつつある今日この頃でした。(2011/3/9)
フラッシュバック 1995.1.17 - 2011.3.11
東北地方太平洋沖地震…まだまだ現地では大変な状況が続いているようです。茨城県つくば市は7年間を過ごした街であり、福島県浪江町・双葉町は合宿免許のために1カ月余りを過ごした街。どうなっているのか気になります。
今日、被害状況を告げるテレビを見ていて、十数年前の阪神・淡路大震災の時のことを否応なく思い出しました。あの時も、ただテレビの前で起こることを見ているしかなかった。今このときにも、多分、大勢の人が苦しみ、助けを求め、そして死んでいっているに違いないと思うと、なかなか平常心ではいられません。
ただ、今は、その場にいる人々と、災害救助などの「プロ」の力を借りる時。とにかく、彼らの力とがんばりを信じるしかありません。その次の状況になった時に自分が何をできるのか。そして、この状況・この世界を見て自分はどう進んでいったらよいのか。10数年前の問いがまた目も前に着きつけられている気もするのです。(2011/3/11)
※もともと今日までは研究科名セリフで行く予定でしたが、このような大きな出来事があったので内容を変更しました。今後も多少変則的になるかなと思います。
生きてほしい。
刻一刻と被害の状況が伝わってきます。
もともと津波に対する意識の高い地域のため、家屋や建物の被害は相当なものの、人的な被害は最小限に食い止められたのではないか…と淡い期待を抱いていたのですが、やはりその想定の範囲外の津波が襲ってきたようです。地形自体が変わってしまっており、救助や遺体収容もままならない状況の様子。人間が自然に対して考えることの限界を否応なしに感じてしまいます。
さらに、福島第一原発の問題。私は電気や原子力発電所に着いてはあくまでも素人ですが、昔から原発問題に関心が高く(このあたり に経緯を書きました)、この福島第一原子力発電所にも見学に伺ったことがあります。正直、減速材が失われたこと(原子炉水位の低下)による炉心溶融という事態がこの国で起こるとは考えていませんでした。現在、格納容器の圧力低下のために放射性物質が含まれた加圧水蒸気を抜く作業(ベント)をしているようですが、これはおそらく手動。実施するためには多数の作業員が相当の危険性に晒されるとともに、一定以上の被ばくをするはずです。まさに決死の作業があの場で続いています。もはや、最悪の事態を避けるためにはある程度の犠牲は甘受せざるを得ないのですが、その決断をする人の心情はいかばかりかと思います。
3日目、被災された方にも、それを支える人々にも、報道の人々にも、疲れが見え始める時期です。生き延びた感激が薄れ、自分の足元を見直して、あまりの惨状につい茫然としてしまうことがあるかもしれません。でも、この国とこの国に住む人々の力というのは本当にすごいものです。復旧復興までに何十年かかるのか…と思われた神戸の街も、まだまだ問題がないわけではないものの、新しくなっています。雲仙普賢岳の被害を受けた島原も、奥尻島青苗も、福岡の玄界島も、以前とは同じではないものの、また新しい生活が始まっています。なんとかその日まで行きぬいてほしい。十数年前の被災地からの、小さな願いです。
「生きてほしい。/この紙面を避難所で手にしている人も、寒風の中、首を長くして救助を待つ人も絶対にあきらめないで。あなたは掛け替えのない存在なのだから。」(3/13河北新報社説「巨大地震被害/「共助」の精神で生き抜こう 」から)(2011/3/13)
『…また、会えるわね』 (ピッコロ演劇学校研究科27期・ピッコロ舞台技術学校19期卒業公演「がんじがらめの垣根から」感想)
地震ですっかり間が空いてしまいましたが、卒業公演の感想を。
今回は最初に「カッコーの巣の上を」という原作戯曲があり、これをどう脚色するのかが一つの大きなターニングポイントでした。とりわけ原作は登場人物がほぼ全員男性であり、これを女性に置き換えるだけでうまくいくのかどうかという点を、当初危惧をしていたのです。しかし、原作の主題はそのままに、8人の人間関係を再構築することにより、原作の訴えたい「人間の弱さと強さ」というものを変えることなく、更に新しい魅力を持つ作品に再構成できたのではないかと思います。特に、女性同志(そして人間同志)の友情というものを前面に打ち立てた「幻想のフィギュアスケート」や「ラストシーン」などは、今改めて原作を読んでみたのですが、あの舞台上でで作られた空気感という点からは原作の想定を十分に超えていたような気がします。そして、そのお役に少しでも美術セットが役だてたのであれば、本当にうれしいです。
私は2年目ということもあり、研究科2年目の方は去年の中間→今年の中間と、研究科1年目の方は去年の卒公→今年の中間と、少なくともそれぞれ2回の公演に付きあっており、今回が3回目でした。そのなかで、向こうがどう考えているのかは良く分かりませんが、一種独特な親近感というか、仲間意識を感じていたのも事実です。私はピッコロをこれで当面去りますし、研究科の中にもそういう方がいらっしゃるようですが、またどこかの劇場であった時は楽しくかたりあいたい。そして、できることならば、また一緒に何かを作り上げたいなと、儚い願いかもしれませんが、そんなことを夢見たりもしているのです。(2011/3/15)
〔おまけ〕ピッコロ研究科卒業公演作品「がんじがらめの垣根から」 好きな名セリフ・名場面集
※恒例ですが、記録を兼ねて残しておきます。今回は「最後」ということもあるので、全員の紹介&セリフでまとめました。
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チーフ 「空を目指して飛んでいく!」
みんなが去り、急に静まった娯楽室の中での、チーフとマルグリットの2人のやりとり、今回の作品中で一番好きなシーンでした。実は台本上、セリフはたったの2行。マルグリット「三羽目はカッコウの巣の上の!」/チーフ「空を目指して飛んでいく!」これだけです。もちろん、前後に多少のト書きはあるわけですが、マルグリットがチーフのモップをとって下手へ走り込むあの空気感、二人の表情、タイミング良く鳴る音楽と相まって、とっても素敵でした。そして、このシーンがあるからこそラストの「出て行くときはマルグリットが一緒だと思ったから」が利いてくるわけです。
ハーディング 「マルグリット、あなたよくやったわ。充分よ。」
ある意味、もっともがんじがらめに囚われていそうな登場人物がこのハーディング。自傷壁のあるビリーや妄想壁のあるチェズウィックのように明確な心の病がが見え隠れするわけでもなく、なんとなく男性不信で固まっているような役柄(黒縁メガネが印象的)。ただ、「十時半。早いことないですよ。」から「私たちは大丈夫。」まで、あの1時間半の中で、大きくは表出されないけれど、あの舞台の空気と一緒に、少しずつ確実に変わっていくんですよね。舞台の空気を支える大切な役をしっかり果たしたと思います。
ビリー 「…近いうちに、会いに来てくれるって」
彼女はこれまで「婦長さん」だの「まとめ役」だの「家政婦長」だのといった役柄が多く、またそれはそれで非常に当たり役だったのですが、今回は、無邪気でありながらも何かへ常に怯えているという非常に難しい役にチャレンジ。これまでとは全く違った、新しい魅力を見せてくれました。原作からの置き換えが一番難しかった「ビリーの死因」を、数少ないセリフの中、演技でしっかりと説明してしまったのはさすが。「ピッコロ演劇賞」受賞も納得です。袖に入ってきてからも続いたその演技、拝見することのできたのが私を含め数人だったのはもったいなさ過ぎます。
ブロウ 「今週は、まだ爆撃ないかも」
舞台装置との相乗効果でどんどん面白くなっていったのが、このブロウさんではないでしょうか。美術チームからみると、(チーフとは違った意味で)いろんなところを動き回ってくれるので、「いまどこにいる?」的な楽しみ方もありました。ただ、マルグリットやチーフと一緒に、最初に分電盤を引いてみるのも彼女だし、ロボトミー手術を受けたマルグリットを見て声を上げるのも彼女だし、その存在は8人(7人)の中で大切な場所を締めているのだなあということが伝わってくるシーンも結構ありました。難しい役でしたが、ご本人は楽しんでおられたのでは?
チェズウィック 「私たちウサギなのよ。ピョンピョン、ピョンピョン」
妄想壁があってどこか頭のねじが抜けている、という意味では一番実際にいそうな精神病患者に見えました。実はヒロイン以外の彼女を見るのは今回が初めてだったのですが、さすがというか、今までとは全く違った意味で、輝いていた気がします。ラストシーンの前向きでも後ろ向きでもなく、でも一生懸命で真摯な表情、袖にいた人々からしか見えなかったのは残念でした。彼女と言えばウサギということでこの台詞にしましたが、「好きになった人なんだもの、その人が幸せになるように祈ればいいの」も結構好きです(笑)。
マーティニ 「…あれ?私、何か抜かした?」
チェズウィックとはまた違った意味でちょっと抜けている患者。意外とセリフが少なく、その割に出ているシーンは多かったのでかなり難しかったのではないしょうか。「幻想のフィギュアスケート」のきっかけを作ったのも、彼女の無邪気さだったりします。ちなみに、今回の舞台装置で一番危なかったのは、実は最後の大仕掛けやラストの飛び立つシーンではなく、彼女が酔っ払いながらスロープを駆け降りてくるというシーンでした。足元を全く見れない中で、足を踏み外すと終わりですから…。そういう意味ではほっとしました。
ラックリー 「デザイナーだったら、落っこちなかったのにね」
前半はあまり目立たないのですが、後半になって俄然前に出てくるのが彼女。特に、上着を着てからは完全に彼女のターン。酒瓶、ラジオ、鍵と、さまざまな小道具が彼女の手によって舞台上に登場していきます。そんな彼女が、ワンワードでその場の空気を凍らせてしまうのが、このセリフ。そして明かされる、彼女が記憶障害であるという事実。自分でそれを知りながらも、なお明るいラックリー。ある意味、それぞれの登場人物の表面的な姿と、抱えている問題の大きさとのギャップを象徴するような役であったと思います。
マルグリット 「あの人に似てるわ。ジャック・ニコルソン。」
ここぐらいが、本作品唯一の笑いポイントでしたかねぇ…(解説:原作「カッコーの巣の上を」を映画化した時に主役を演じたのがジャック・ニコルソン)。それはさておき、今回は、登場によってその場の雰囲気を一変させる、実に主役らしい主役をきちんと演じていたと思います。そして、暖かな空気が流れるチーフとの交流のシーン。なんで対極のような二人が惹かれるのか、脚本にもセリフにもどこにも答えはないけれど、二人の演技でそれが伝わってきた気がします。ちなみに、「電気ウナギダンス(?)」結構好きでした。
書いていて思ったのですが、島守演出というのはやはりセリフではなく「空気」なんだろうなと。そのあたりが好き嫌いの分かれるところでもありつつ、研究科として一段上の芝居に取り組んでいるという意味でもあるのでしょう。
今年の本科生で研究科に行こうとしている人は結構多い模様…。かなり違った方法論で演劇をやってきた人々がどうなるのか、そして研究科に引き続き残る人々との間でどんな相互作用を起こしていくのか、怖いような、とっても楽しみのような気もしているのです。
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「シャコンヌ」をもう一度
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私は、「3、3、4で10年間吹奏楽をやってました」とよく言うのですが、実は大学4年間のうち1年間は吹奏楽をお休みしていました。大学1年から2年にかけての1年間です。学生代表(全学学類・専門学群代表者会議=全代会)の仕事が忙しくなりすぎ、学内でもかなり活発なサークルであった吹奏楽団とはとても両立できないということで、カウンセラーと相談するほど悩みに悩んだ挙句、どちらかと言えばそのままフェイドアウトすることも前提に「休団」という選択肢をとったのです。
週3〜4回という吹奏楽団をお休みすると今度はどーんと自由な時間ができてしまったわけで、その余った時間を使って同級生の演劇を見に行ったり、大学の一般開放プールに行ったりしていたのですが、それでも暇なので、春休みの間に運転免許を合宿で取ってしまおうと。短時間でとれるというメリットもさることながら、約1カ月知らない町に住むという経験は楽しかろうと思ったのです。風光明美な長野県とか、あったかそうな九州にも引かれたのですが、「こんなこともないと絶対に行かない場所にしよう」という方針のもと決めたのが、福島県浜通り地方の浪江町。合宿先は隣町・双葉町の駅前の旅館でした。若い男の子数人で、それなりに楽しい日々を過ごしたのです。
ところが、学科試験は満点で表彰状までもらったものの、生来の運動神経の悪さも手伝って、合宿免許だというのになかなか前に進みません。一人減り、一人減り、結局最後の一人に。卒業検定の日は週2回と決まっており、検定待ちということでかなり時間的な余裕ができてきたのです。となると旅好きの虫が騒ぎだし、旅館にあった自転車を借りて双葉町内を乗りまわったり、常磐線に乗っていわきや仙台に行ったり、東電に電話をかけて福島第一原子力発電所を見学させてもらったりと、卒業できないという焦りを心のどこかに秘めながらも、それなりに楽しくやっていました。
ふと見ると、街のあちらこちらに、地元の中学生の吹奏楽の定期演奏会の案内ポスターが。「もう吹奏楽からは離れたつもりだったのに…」と思いながらも、その日はなんとか時間をやりくりして、駅からほど近い場所にある体育館へ。そこで演奏されたのがホルストの「吹奏楽のための第一組曲」だったのです。中学1年生で吹奏楽を始めたばっかりの頃、先輩たちが演奏会で吹いていたあこがれの曲。そして、高校3年生の時には応援として、後輩を励ましながら吹いたこの曲。その同じ曲・同じ楽譜を、自分とは何の接点もなかった福島の中学生たちが、同じように悩み、同じように感動しながら、一生懸命に演奏している。そして、今、その場に自分が存在している。第一楽章・シャコンヌの優しくも雄大な旋律が始まるや否や、震えが止まりませんでした。演奏がうまかったのかどうか、そんなことは全く関係なしに、とにかくその音楽との出会いに感動したのです。あの時の体育館の光景は、今でもありありと思いだせます。その感動が、1年間のブランクという自分の中での大きな大きなハードルを乗り越えて、吹奏楽団に復帰できた原動力になったのかもしれません。あれ以来、いまでも、一番好きな吹奏楽曲と言えば迷うことなく、この「吹奏楽のための第一組曲」をあげています。
あれから20年。感動と勇気を与えてくれた当時の中学生たちも、もはや社会の中堅。地元で就職した人も、東京など違う地域へ出た人がいるかもしれません。自分の娘や息子が中学校で吹奏楽をやっているという人もいるでしょう。でも、みんな絶対、今の故郷の状況には心を引き裂かれているはず。厳しくつらい今の状況を、昔話として語れる日が早く来てほしい。そして、いつの日かまたあの体育館で、感動的なシャコンヌを一緒に体験したい。そう願っています。(2011/3/17)
私、確かに恋をした(劇団浮狼舎「地図にないその町」感想)
友人のお誘いで、久しぶりの心斎橋ウィングフィールドへ。この劇場、雑居ビルの6・7階にあり、東北太平洋沖地震の翌日ということもあって、「もし地震が起こったら係員の指示に従って避難してください…」という注意から始まりました。
このお話、1980年・昭和55年が舞台。1980年と言えば、私は小学校2年生・8歳。辛うじて心のどこかに思い出が残っている時代です。基本は素舞台(ジョーゼット風の飾りがちょっと付いている程度)でありながら、服装や雰囲気であの時代の雰囲気を醸し出していました。女たちがやくざに囲われているという単純な構図、男女が簡単に恋に落ち、突然死んでいってしまうお話も、ある意味、時代なのかもしれません。
残念だったのは、仕方ないとはいえ、役者のレベルにあまりにも差があったこと。みんな下手ならば下手なりに楽しく見れるし、上手いなら当然見れるのですが、それがバラバラだと下手な人のレベルがどうしても目立ってしまう…。それが目立たない脚本・作品もあると思うのですが、今回の脚本は一人ひとりの背景を丁寧に描いていくものであっただけになおさら目立ってしまうのです。いろいろと事情はあるのでしょうが、全員が劇団員で、脚本もオリジナルであれば、配役や出番などいくらでも工夫することができると思われるだけに、ここは残念でした。
とはいえ、非常に綺麗で印象的なセリフも多く、徐々に引き込まれていったのも事実です。特に印象的だったのは座長・神原氏が演じる朱美が言った「生きていること自体が孤独なのよ」(多少違うかもしれません)というセリフ。登場人物はみんな孤独で、でも、人とのつながりをどこかで求めている。破滅的な終局でありながらもどこか救いが感じられるのは、確かに恋をして、地図にはないかもしれないけれど確かにその町で生きていたという事実が見えるからなのかもしれません。
劇場から出れば、そこは心斎橋の繁華街。数百キロ先では多くの人が不安におののき、寒さに震える中、ネオンはてかてかと光り、綺麗に着飾った女性たちが闊歩しています。でも、そのネオンの中、美しく着飾った人々の中にも、それぞれの生活があり、不安があり、夢があり、恋があるはず。その重みをどこかに感じながら、駅に向かって歩き始めたのです。(2011/3/19)
『それは、望みの他の幸せではないか。』
今年の卒業公演、というよりも1年間で残念だったことがあります。それは、技術と本科が絡む機会がほとんどなかったこと。去年は、中間発表・歌謡ショー実習は研究科と、卒業公演は本科と組んでいたため、両科の人とも一緒に取り組む機会があったのです。特に、本科と組んだ卒業公演は全くのオリジナル台本で、お互いに「どんなお話・どんな脚本になるんだろう」「この世界がどんな舞台になるんだろう」という不安や混沌や焦燥を抱えながらの出発であったためか、一種の戦友意識(?)も生まれた気がします。もちろん、卒業公演準備に入る前でも、「卒公の時には一緒にやるんだから、お互いのことをよく知っておかないと」という意識が高かったのかなと。一緒に食事に行ったり遊びに行ったりという機会もありましたし。
実は、ピッコロ演劇学校、本科・研究科の方々は基本的に「あだな」で呼び合うんですよね。技術学校生のように「○○ちゃん」「○○っち」ぐらいならまだ想像できるのですが、「番長」だの「長老」だの「ザムザ」だの「ヨシオ(女の子です)」だの「サダオ(女の子です)」だの、傍から見ていると本当に謎な名前で呼び合っています。技術学校生としては「この人が○○と呼ばれている人で、本名は××で…」と憶えて行く作業が必須なわけですが、私自身、去年ほどに憶え切らなかったなあ、憶え切れなかったなあというのが、正直なところです。
もちろん、どうしても仕上がりが遅くなる本科生をギリギリまで「場当たり」や「照明・音合わせ」という技術生の都合で引っ張るのはあまりにも申し訳ない、人数的に本科>研究科となるため美術(舞台進行)・音響・照明ともに制約が出がち、ほぼ初舞台の役者と慣れないスタッフではいろいろと危険、今年の本科演出家はピッコロ劇団員の方ではないため連携が難しいかも…などといった問題があり、昨年度の反省も踏まえ、「本科+技術」から「研究科+技術」に変わったのは、頭では十分に理解はしているのです。頭では分かっているのですが、やっぱり少しさびしかったなあという感は否めません。卒業研究以外になにか本科と絡める機会があればよいのですが…。
ただ、「あまりにも転換が多く、袖の場所確保が大変」ということで、最後の2日間だけ、美術コース生6名は本科の本番の袖アシストに入ることになったのです。実際のところ、この時期から入っても、せいぜい着替えで暗くなるところをライトで照らしてあげたり、舞台から戻ってきたワゴンを受け取ったり、早替えをする人が間に合うかどうかを気にしたり、ちゃんと全員が転換の位置に着いているかを確認するぐらいで、本当に役に立たなかったと思います。むしろ邪魔にならないか気にしていたぐらいでした。でも、下手袖にいると、彼ら、彼女らの息遣いというか鼓動が、こちらにも伝わってきます。少しでもいい舞台を作ろう、今この時を一生懸命生きようとする思い。そして、この時はもう二度と戻ってこないという、ほんの少しの哀しみ。それは袖で待機している自分も同じ。何にも出来なかったかもしれない。「がんばれ」と心で声援を送っていただけかもしれない。でも、いいではないか。少なくとも、彼ら彼女らと私は、今、ともに同じものを持てた。それは、望みの他の幸せではないか、と。
土曜日の本番初日、下手袖から本科のみんなのBook of daysのダンスを見ている時に、ふと1年前、自分たちの本科・技術学校公演のオープニングのことを思い出しました。インド風の音楽に合わせて一生懸命踊る女の子たち。そして、舞台に出て行くのを今かと待ちかまえている3台のワゴン。上手にはワゴンの後に出てくる柵3つ。あの日、あの時の緊張感と冷静さと高揚感。作品も曲も振り付けも全く違うけれど、いい舞台を作り上げたい、この時を大切にしたいという思いは、毎年、何も変わらないはず。それを舞台袖で見守り、ともに同じ時を過ごすことができたというのは本当に幸せなことだったのだなあと、ピッコロ卒業をむかえた今、改めて感じています。(2011/3/21)
『―いってきます』
(ピッコロ演劇学校本科28期卒業公演「スキップ」感想)
本科作品の原作「スキップ」(北村薫著:新潮文庫)。卒業公演後にちょっと時間があり、興味もあったので読んでみました。公演を見てからだと、いろいろと違いも分かりとっても楽しかったのですが、そこで一番奇妙に思えたのが、「箱入り娘」里見はやせに関する記述。舞台上では単なるぶっ飛んだ女の子のように見えた(たしかキャラメルの台本もそうだった)のですが、原作では次のように書かれています。そして、実は彼女に関する記述はこれで終わりで、この後、何の謎解きもされないのです。多少長くなりますが、引用します。
「里見はやせの抱えるものは何だろう。彼女はどうして、あれほど箱という形象にこだわるのだろう。家族との間に何かを抱えているのは確かだ。表現することによって、それを一般的なものとし、昇華し、断ち切ろうとしているのか。愛憎を越えようとしているのか。/わたしに演劇という手段があったら、今、どんな舞台を作ったろう。箱は、入っていれば心落ち着くところかもしれない。誰にも、箱はある。しかし、出なければ、捨てなければ、歩きだすことは出来ない。(p.512)」
この作品、話がバラバラでいまいち流れが分からなかった、なんであのシーンが必要なのか分からなかった、尺が長いのでもっと切ればよかったのにという話を、実は複数の方から聞きました。確かに、島原さんの話も、柳井さんの話も、栗岡君・山尾君の話も、真理子17が真理子42として生きていく決意をする本筋の話とは直接は関係ない側面があります。ただ、そういった一つ一つのエピソードを通して、真理子は「そして、胸の中で繰り返した。―こんな子もいるんだ。こんな子もいるんだ。(p462)」「それぞれの人が、それぞれの思いを抱えて、生きていくわけだよね。(p.512)」と気づき、それが池ちゃんのシーンでの「わたし一人ではない。誰もが、この哀しみを抱えて生きているのだ。失ったもの、与えられなかったものを思って、嘆くのはやめよう。(p.550)」に結実していくのです。これって、まさにいろんな過去を抱えた人々が、いろんな思いを持ちながら、でも新しい世界に一歩を踏み出して一つのものを作っていく「演劇学校」と全く同じではないかと。それがあるからこそ、演出家はこの作品を選んだんだろうなと。
この作品、合唱が「今は美しい」だし、決め台詞は「昨日という日があったらしい。明日という日があるらしい。だが、私には今がある。」だし、「今、この一瞬の素晴らしさをたたえているんだろうな」と素直に思っていました。確かにそれも訴えたい事ではあるのでしょう。でも、人はそれぞれにいろんな哀しみを抱えながらも、それでもなお、軽やかに前に歩んでいかなければいけないということが、実は一番のテーマだったのではないか。だからこそ、最後の会話が「―いってきます」であり、最後のセリフが「そしてわたしは、自分が決めたその人の隣に、今、頬を染め近づいていく。」なんだろうなと。原作を読みながら、舞台を思い返しながら、そんなことを感じたのです。
1年前、お互いのことを全く知らなかった人々が最後に繰り広げる、オクラホマミキサー。これが終われば、もう二度と全員で会うことのない仲間。それぞれの人の「いってきます」の思いを舞台のどこかに残しつつ、ピッコロに、尼崎に、兵庫に、日本に、また新しい春がやってきます。(2011/3/23)
〔おまけ〕ピッコロ本科卒業公演作品「スキップ」 好きな名セリフ・名場面集
※恒例ですが、記録を兼ねて残しておきます。名セリフが多いので、特に演技との絡みで気になったものをピックアップ。
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「先生、高さは?」
真理子が自分は教師としてやっていけるかもしれないと気づき、それを決意した場面の、印象的なセリフです。万里の長城の長さを強調する教師に対して、その高さに興味を持って聞いた、その発想の柔軟性。「一ノ瀬先生は最初からいい教師だった」というのもよくわかります。先生真理子(真理子17A&真理子42A)さんは、どちらも本当にいそうな先生で、雰囲気がとっても合っていました。ちなみに実際に行ったこともありますが、万里の長城の高さは大体7メートル前後だそうです。
「お前からバレーとったら何が残る」「私が残ります」
奈落で作業をしていて、たまたま舞台上に上がった時に聞こえてきたセリフです。すごいセリフだなと。そして、これがスキップのもう一つの主題なんだろうなと。ちなみに、このセリフを言った島原さん、原作には「女子最後列の、花のような美少女が―という言葉でイメージすると背の高さは間違う、大柄な美人だ」とあり、キャラメルボックスでは当然、前田綾さんがやったのですが、今年の本科にもたまたま長身の、雰囲気もぴったりの女の子がいたのです。もしかするとこの作品を選んだきっかけの一つが彼女だったのかもしれません。
「…そんなにひどいなんて、最初から思っちゃいないわよ。ねえ!」
桜木先生(ご主人)の慌てふためきもよいのですが、ここで2人の真理子(真理子17B&真理子42A)が正対して醸し出す雰囲気というのが何ともいえず好きでした。もちろん、最後の「池ちゃん」シーンがクライマックスなんだとは思いますが、徐々に肩の力が抜けてきて、いろんな事を受け入れつつある状況が良く分かります。スキップは基本的には明るい前向きなお話なのですが、中でも清涼剤的なシーンでした。
「こんなもの持ち歩いている人がいるのだろうか。―と、いったところで、現にいるのだから仕方がない。」
これは絶対にセリフとして作ったんだろうと思っていたのですが、なんと原作の地の文にこの通りに書いてあるんですよね。正直、驚きました。ちなみに「こんなもの」とは「鎖に繋がれた重そうな金属の玉」なのですが、これを見事に作ってしまった小道具班、さすがの匠の技!他にも、先生真理子の学級日誌(原作には出てくるが劇中には使われない)とか箱入り娘の段ボール(千秋楽で破壊!)とか、密かに楽しませていただきました。
「先生、やっぱり僕ではダメですか」
ベタなシチュエーションなのではありますが、真理子がもう一度自分(と自分の失った日々)を再確認していくきっかけ的なシーンなんですよね。ちなみに、この新田君のシーンから、「一ノ瀬、あたしは信じる」→「いってらっしゃい…お母さん」→「花に、風に挨拶をしよう。」と来るわけです。うーん、この展開、なんとも演劇的で泣かされます。ちなみに、ピッコロのすのこ(舞台の一番上の、バトンよりも高い部分)に上がって若い女の子から「やっぱり私ではダメですか」と言われたいと話したところ、技術学校の同級生たちから本気で笑われました…(泣)。
「昨日という日があったらしい。明日という日があるらしい。だが、わたしたちには今がある。」
本当のラストのラストのセリフ。これまで原作と脚本に忠実に演じてきているのに、一言だけ変えているんですよね。そして、変えたこのセリフ、1月7日の顔合わせの時に演出家から出ているのです(メモっています)。「ピッコロ1期の時の卒業公演は、演劇生活28年の中で最高の思い出の一つ。みんなにもそういう思いを味わってほしい」「輝いた姿を見せつけたい」「どんな状況にあったとしても、前向きに歩いていきたい」。その思いはちゃんと28期生に、客席に伝わったと思います。
演技・転換・ダンス・段取りなど、正直なところ十分にこなし切れていない感もあったのですが、それも含めての本科の卒業公演。下手袖からも感じられた客席の熱気と感動の渦が、なによりもあなたたちへの評価。今後の人生の糧にするのには十分だと思います。
研究科へ進む人、技術学校へ行く人、劇団を立ち上げたり加入したりする人、演劇とは直接関係ない世界へ進む人、これからの道は人それぞれ。でも、あなた方が演じた「今」の価値は全く変わることがないと信じています。本当に、お疲れさまでした。そして、ありがとう。
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筑波大学人間学群1期生の皆さん 卒業おめでとう!
筑波大学人間学群1期生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
私が卒業した「人間学類」が無くなると聞いた時、多少の寂しさは感じたものの、むしろ学生数120名で一つの学群になれるということは、師範学校、高等師範学校、東京文理科大学、東京教育大学と、その名は変われども連綿と続く筑波大学の教育学・心理学・心身障害学(特殊教育学)の力と伝統が改めて認められたような気もして、誇らしく、嬉しくもあったのも事実です。そして人間学類はその35年にわたる歴史に幕を閉じ、この春、初めての人間学群生が卒業することになりました。
そんなフロンティアであったあなた方の卒業式が開催されないというのは本当に寂しく、残念に感じています。もちろん、今回の震災において茨城県地方は大きな被害を受け、大学会館も使用不能とのことであり、仕方ないのは理解しています。筑波大学には北関東や東北各県出身の学生も多いことから、ご家族や、もしかしたらご本人に被害があった人も多いであろうことは間違いありません。そんな中、卒業式を開くのはどうかということも理解はできます。とはいえ、一生に一度の大学の卒業式を迎えることができないということへの無念さや落胆は想像するに余りあります。私は何をすることもできませんが、その気持ちをほんの少しでも分かち合えればと思っています。
もしかするとこれが最後の卒業式なのに…と思っている人もいるかもしれません。たしかに、今、この時代、この年齢での学生時代というのは決して戻ってこないものであり、それは間違いありません。1条校としての卒業はこれが最後の人が大半であるのも事実でしょう。ただ、学び、教育を受ける機会というのはこれから幾らでもあります。
私は、この2年間、ピッコロ舞台技術学校というところで舞台美術の勉強をしました。週2回、夜2時間だけの学校であり、あくまでも趣味の範囲の教育にはとどまります。とはいえ、新しいことを新しい場で先生方から学ぶということ、同級生たちと年齢を忘れて本気で議論し時には対立しながらそれでも一つのものを作り上げていくこと、それは単に知識や技術を得るだけではなく、人間を謙虚にし、自分の可能性を広げることでもありました。それと同時に、職場の中でも中堅となり、むしろ自分が教えることの多くなった今日この頃、自分が生徒になったことによって、教えることの難しさや大切さを改めて知ることができたなと。
教師を辞めて海外に留学した私の友人はこんなことを言っていました。「語学学校でクラスに属して勉強しているが、クラス内でいろんな出来事や行き違いなどがあって、語学を学んでいるというよりは教育現場の研修を受けているようだ」と。また、日本を代表する舞台美術家である朝倉摂氏は85才でありながらも、三味線を趣味として習っておられます。先生から「そこは違う」などと指摘を受けながら演奏する舞台美術の大家。インタビューでは「生徒として習うことで、無心になれる」といっていました。自分が教え、後進を指導する立場だからこそ、自らも学ぶことが大切になる。皆さんの中には、何らかの教育関係の職につかれる方も多いでしょう。教育関係の仕事でなくても、職場で、家庭で、地域で、誰かに何かを教える機会というのは、一定以上の年齢になれば必ずやってきます。まずは、がむしゃらに今与えられた仕事をこなしていってほしい。そして、ちょっと余裕ができたら、ぜひ自分自身が生徒となって教えられる立場をもう一度経験してほしい。40歳を前にして、そんなことを感じているのです。
学ぶこと、教わることに卒業はありません。そういう意味では、大学卒業というのは、すごく大切だけれども一つの通過点に過ぎないのです。私たちが大学で学んだことでは、科学の力で地震を予知することも、原子力発電所の暴走を食い止めることも、大型トラックを運転して物資を運びこむことも、言論の力で社会の方向性を揺るがすこともできません。けれども、自分の日々の生活や人生を豊かにすることの糸口ぐらいは身につけているはず。これからもそれぞれの立場で、自分の幅と人生を広げるためにも、教えること学ぶことについて実践し、考えていってほしいと願っています。
本日はご卒業おめでとうございます。そして、皆さんの将来に、大変かもしれないけれど、素晴らしく充実した日々と人生が待っていることを、心から祈っています。(2011/3/25)
筑波大学第二学群人間学類心理学主専攻17期 磯部聡
永久に輝け 宝塚!(「愛と青春の宝塚 恋よりも生命よりも」感想)
先週末、社会が震災自粛ムードの中、なんとなく遠くまで遊びに行く気にもなかなかなれず、単純に感動できそうな舞台でも見ようと、この「愛と青春の宝塚」を見てきました。実は初めての梅田芸術劇場メインホール。やはりというか、どこか宝塚大劇場風。そして、観客は95%が女性。入り口の看板やポスターもかなり大時代風。入り口横に役者さんごとのチケット受け渡しブースがあったり(宝塚大劇場でもありますよね)、握手会をやっていたり、中年男性一人にはちょっと場違い感を感じつつも、客席へ。
戦争前後の宝塚歌劇団が舞台。音楽学校の厳しいしきたりや役を巡る葛藤などがありながらも、大劇場の本舞台に上っていく女性たち。ところが、戦争が激化するにつれ、演目にも制限がくわえられ、最終的には宝塚大劇場も閉鎖されてしまいます。そんな中で、3人の同級生たちとトップ役の白雪さんは、それぞれの夢と愛と恋を生き抜きます。確かに、素直に感動できる舞台でした。
ただ、今回の公演は、舞台にも客席にも、ちょっと違う空気が流れているようにも感じられたのです。というのも、戦時中の状況と今回の大震災がついついオーバーラップしてしまうのです。「戦争で人が死んでいる時に、楽しく歌ったり踊ったりなんて出来ない」「やりたい事とやらなあかん事とは違うんや」…。ここ関西でもさまざまなイベントが自粛される中、本当に演劇をやっていて良いのだろうか。演劇を見て楽しんでいて良いのだろうか。そういった思いがどこかにあるのでしょう。1幕のラスト、「宝塚は、今日の日本に不必要な存在です」という宣言は、まるで演じている彼女ら、見ている観客に対して突きつけられているようでした。
実は、今回の震災関連で倒産した第1号の企業は、コンサートの開催中止が引き金となった福岡のイベント企画会社でした。他のプロモーターや大道具会社もかなり危ないという話も、ちょこちょこと聞こえてきています。社会全体に広がる自粛の影響が、演劇やコンサートなどの業界に確実に襲ってきています。もちろん、東京電力や東北電力管内で、ナイターなど大量の電気を使うイベントをすべきではないのは間違いないでしょう。でも、基本的には電力事情に関係のない西日本で自粛する必要は、実質的には一切ないはずなのです。むしろ、東京の分の興行を引き受けるぐらいの気概があっても良いのです。
そして、そのパワーを少しでも、関東や東北におすそわけできれば、それはまさに望みの他の幸せ。この「愛と青春の宝塚」も、厳しい状況の中で生き抜き、そして死んでいった人々のお話。数十年前が舞台だけれども、あくまでもフィクションだけど、そこで繰り広げられる人生は明らかに真実のもの。いつの日かこの作品を被災地で上演してほしい。そう願わずにはいられない何かを感じたのです。
特攻隊志願を報告に来た速水中尉がタッチーに語りかけます。「日本人は勤勉です。もしかしたら、世界が驚くような復興を遂げるかもしれない。ぜひあなたは、その日を、生きて見届けてください。」。関東も東北もいつの日にか必ず、世界が驚くような復興を遂げることでしょう。その日まで、西日本の演劇界、エンターテイメント界は元気を出して生き残ってほしい。こんな時こそ、夢の世界である宝塚が、演劇が必要な存在であるということを証明してほしい。私は一観客として、ほんの少しでもその力になれたらと思っています。(2011/3/27)
脇役の楽しさを再確認 (関西二期会オペラ「コシ・ファン・テゥッテ」感想)
ちょっとピッコロに行く用事があったので、ついでにということで見てしまったのが、この関西二期会オペラ研修所第46期研修生修了オペラ公演「コシ・ファン・テゥッテ」。「ピッコロオペラ教室」にも指定されています。オペラなどというのもはなかなか簡単に見に行けるものではないのですが、研修生の公演ということもあってか大変安い値段で見ることができまました。いつもの大ホールに入ると、中央通路より前はオーケストラピットになっており、客席が外されて大きなピアノが鎮座しています。それだけでテンションが上がります。
価格が安く、オケピはピアノとシンセサイザーのみといえども、ちゃんと指揮者や演出家が付き、全てイタリア語で歌われ、演じられる本格的なもの。お話の内容は実にたわいもないのですが(オペラというのは意外と下世話なネタが多いものです)、モーツアルトの代表的なオペラということもあって非常にきれいな旋律やハーモニーになっており、実に聞きごたえもありました。それとともに、オペラで何人もの歌声を聴くことによって、ピッコロ大ホールの音響の良さも改めて実感することができたのです。
中でもとにかく楽しそうだったのが、女中のデスピーナ。二人の姉妹の浮気をそそのかしたり、変装して現れたりと変幻自在。そして、結構ソロの曲も多いのです。やっぱりお姫様(?)役よりも、こういった主役に絡むバイプレーヤーの方が楽しいんだなあということを実感できました。もちろん、姉妹役や男性2人組も、それぞれに見せ場があり、上手い人はうまかったです。とはいえ、賛助出演の方は、素人目にも頭一つお上手…。あとは経験積むのみなのでしょうね。
ちなみに、今回の公演は修了公演だそうですが、パンフレットに紹介されている男女比で言うと女性24人に対して男性3人…。男性は昼公演・夜公演とも各1幕に出演できるにもかかわらず、女性はどちらか一方、さらに幕の前半か後半にしか出れません。声楽というかオペラの世界というのはこんなに男女比に偏りがある分野だったんでしょうか。男性がうらやましいような、かわいそうなような、ちょっとそんな気持ちも抱いてしまったのです。(2011/3/29)
ありがとう。チームの皆さん
今日は3月31日、年度末最後の日です。そして、公務員職場においては春の定期異動前の最終日。このメンバーで仕事をするのは最後の日でした。
今年のメンバーは本当に素晴らしい方が多く、実に楽しく仕事をさせてもらったし、嫌なことが少なかった気がします。もちろん、仕事量は人員削減のあおりもあって徐々に増えてきているのですが、それを埋めて余りあるほどでした。それを特に実感したのが東北関東大震災への対応と、ほぼ同時進行で行われた補助金検査への対応。みんな自分の担当事務ではないのに、震災関係では一般の方に非常に丁寧・適切に対応しているとともに、慣れない補助金の検査においても実に的確な作業と指摘・指示を行っていました。最後の最後に、今年のメンバーの質の高さを、しみじみと思い知らされた気がします。
昨日の送別会でも、「ある意味若い人にとってはこんな職場は滅多にないので不幸かも」という話題が出たほどでした。公務員というのはともすれば自分の担当事務だけを守りがちですが、今年のメンバーはそんなことは決してありませんでした。そして、ピッコロのために毎日定時に帰る私に冷たくすることもなく、暖かく見守ってくれました。ほんわかとした雰囲気の中、でも締めるところ・集中するところはきちっとして仕事をこなしていった、まさに理想的な職場で1年間を過ごすことができたのです。普段、私はあまりホームページ上で職場や仕事のことを書かないようにしているのですが、今年のこの状況というのはやはり人生の中でも特記すべき出来事と思い、あえて書かせていただきました。
明日からはいよいよ新しいメンバーでの仕事が始まります。新人さんも来ます。震災の影響などもあり、仕事の割り振りなども若干未確定の部分もあります。でも、噂によると、新しく来るメンバーも評判が良い人が多いのです。明らかにいい循環が回りつつあります。この状況を少しでも長く維持できるよう、そしてこういう職場を一つでも多く作れるよう、自分なりに貢献していけたらと考えています。
チームの皆さん、1年間、本当にありがとうございました!(2011/3/31)
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