「筑波のなぞ」に花束を

     〜いわゆるひとつのExcuse〜


 「筑波研究学園都市のなぞ」は、私が筑波大学大学院の1年から2年にかけて書いたものです。その後、すったもんだがありまして、現在は兵庫県で地方役人をやっております。そういうわけで、この「筑波のなぞ」も内容的にかなり古い・あわないものが出てきているのですが、今さら加除・修正はできないのです。聞くところによれば、土浦学園線から中央通りにかけての地下トンネルも開通したらしいですし、テクノパーク桜は発展の度合いをさらに加速させているようですね。このページだけは、そんな現実の筑波の流れのなかで、ただひっそりと1996年の筑波の姿をいまに伝えています。
 ところで、当然ながらこのページの内容はフィクションです。中には自分で書いていても「もしかして、本当か?」と思ったものもなくはないのですが、80%ぐらいは私の頭の中で勝手に作ったものです。残りの20%は「噂」や「他の媒体に載っていたもの」です。時々、「どこまでが本当ですか?」というメールをもらったりしますが、基本的には全てフィクション(嘘)と思っていただいて結構です。
 また、このページを見て、「この作者のいそべさとしというのは、非常に反体制的な人間なのではないか」と思われる方もおられるようです。たしかに現在の政治体制が100%好きというわけではありませんが、体制の必要性は研究の時も思っていましたし、いまの仕事なんか、まさに体制のど真ん中にいるわけです。というわけで、そういう同志を募っていらっしゃる方にとっては私は何の役にも立ちませんので、勧誘とかしないで下さいね。
 しかし、書いてから3年ちかくたつ最近になっても、いまだに多くの方からこのページに関してメールを頂けるのは非常にうれしいことです。時々、「どうしてあんな傑作が書けたのでしょうか」という質問を頂くこともあります。その時の私の答えはこうです。「ねえ、もしあなたに、どうしてわたしがあの作品が書けたのか分かったら教えてくれませんか。わたしも、もう一度あんなのを書いてみたいんです。」

 長らくのご愛読、ありがとうございました。実験廃水処理施設の前を自転車で通るとき、kek.jpにメールを送るとき、テクノパーク桜でカエルの置物に出会うとき、医学専門学群の裏側にある実験動物慰霊碑の前を通るとき、ちょっと「つくばのなぞ」のことを思い出していただけるとうれしいです。

                1999.1.2  神戸の自宅にて  いそべさとし



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