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博物館明治村・ロケハンの旅
 今年度のピッコロ舞台技術学校・演劇学校本科の卒業公演は「明治時代の遊郭」が舞台とのこと。本科生には、当時のことを調べてこいとの夏休みの宿題があった模様。
 舞台技術学校生には何の宿題も出ていないものの、せっかくなので明治の雰囲気にでも触れてみるかと、青春18きっぷを使って、愛知県犬山市にある「博物館明治村」まで行ってきました。実はここに行くのは3回目。古い建物好きの私にとってはたまらない聖地でもあるのです。とはいえ、ロケハンという目線で見てみると、またさまざまな発見が。1日ではとても見きれず、また行かなくてはと思っています。
 この日はちょうど夜間開園が行われており、浴衣の女性は無料ということで、華やぐと同時に、どこかしっとりとした夏の空気が流れていました。

 全部は回りきれていないのですが、大きく10のセクションに分けて掲載します。本当は明治村には洋風建築の方が多いのですが、ロケハンという目的もあったため、どちらかといえば和風を重視して見学・撮影しています。そういう意味での偏りがありますので、ご了承を。(2009年8月訪問、8月・9月掲載)

01 和風住宅
学習院長官官舎 森欧外・夏目漱石住宅 西園寺公望別邸「坐漁荘」 幸田露伴住宅「蝸牛庵」
学習院長官官舎 森欧外・夏目漱石住宅 西園寺公望別邸「坐漁荘」 幸田露伴住宅「蝸牛庵」
 明治村にある和風住宅はこの4軒のみ(学習院長官官舎は洋館と和館をつなぎ合わせたもの)。文豪や元老の住んだ家が、一般的な明治時代の住宅とはとても考えられず、なかなかこれだけでは明治時代の住宅が捉えきれないところも。
 昔の建物を考える際にやっかいなのは「今に残っているものは、実は当時でも珍しい、立派な建築であったものが多い」ということ。たとえば、今、大多数の庶民が暮らしている建売住宅や公団マンションなどは、「残すほどの価値はない」ということで、おそらく百数十年後には残っていないであろう。おそらく残るのは、今見ても立派で、手の込んだものだけ。学問上はそれでも問題ないのであろうが、当時を再現したいという意図から言うと、ちょっと困ったことになる。
 とはいえ、家の軒先や2階の木組みなど、なんとなく昔の日本家屋の雰囲気が感じられる。暑くてもどこか涼しい和風住宅は、やはり高温多湿のこの国にあっているのだろうと思ってみたり。
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02 和風商業建築
本郷喜之床・小泉八雲避暑の家 半田東湯 呉服座 東松家住宅
本郷喜之床・小泉八雲避暑の家 半田東湯 呉服座 東松家住宅
 いわゆる「町屋」で、今回の演劇の舞台装置モデルとしては一番参考になるところ。特に小泉八雲避暑の家は明治村でも数少ない、明治初期に建てられた建物。明治末期に建てられた奥の「本郷喜之床(床屋さん)」と比べると、軒の部分の長さや角度に特徴があるらしい。たしかに、若干野暮ったい感じはする。
 呉服座は、今回の演目(ロケハン)にはほとんど関係ないものの、演劇・舞台関係者にとってはなかなか興味深いもの。本当に綱が巻きつけてある綱元や、竹製のバトン、簀の子がまさに簀の子、奈落の底は本当に奈落の底という感じであるなど、なかなかに楽しめる。今ならフロントスピーカーがあるところが囃子部屋というのも、なんだか興味深い。
 東松家住宅は立派すぎるが、当時の豊かな商人の生活が垣間見える。ガイドツアーにより3階まで上がることができるので、かならず行くべきであろう。日本家屋特有の、外からは全くうかがい知ることのできない豊かな世界が、中で待っている。
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03 和風官庁建築
宮津裁判所法廷 法廷内部 金沢監獄中央看守所 前橋監獄雑居房
宮津裁判所法廷 ○法廷内部 金沢監獄中央看守所 前橋監獄雑居房
 そもそもこの様な分類が必要であったかどうかについて若干の疑義を感じなくもない…。そもそもどの建築も、多かれ少なかれ洋風の影響を受けている模様。ぱっと見が和風というぐらいのくくりと思っていただければ。
 正直なところ、ロケハンにはほとんど関係ないのであるが、独房体験などができるようになっているので、行ってみてもよいかもしれない。また、前橋監獄は衛生面を気にして非常に風通しのよい建物となっているが、夏はともかく、冬はこれでもごごえ死ぬ人はいなかったのであろうかなどといらない心配をしてみたり。
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04 洋風住宅建築
西郷従道邸 カーテンボックス 窓ガラス 廻り階段
西郷従道邸 ○舶来品のカーテンボックス ○しっくいで止めた窓ガラス ○舶来品の廻り階段
 実は洋風住宅については、異人館や甲東園の郊外住宅を含め結構な数があり、この日もそこそこに見ていたのだが、写真があったのはなんと「西郷従道邸」だけ…。一番ロケハンと関係ない分野ではあるが…。
 とはいえ、この「西郷従道邸」は重要文化財だけあって、相当に立派なもの。当時は立派なホテルや官庁などがなかったため、ここで外国の外交官とのパーティーや会談が行われたとのこと。重厚なカーテンボックスなどはその名残だとか。ちなみに、廻り階段は手すりを持っていれば上り下りが非常に楽という逸品で、なぜこのようなものが現代に残っていないのかは疑問。一方で、直接漆喰で周囲を固められた窓ガラスは1枚割れると補修が大変という代物で、これは現在、確実に改善されている。こういうアンバランスさもまた、明治という時代を象徴しているのであろう。
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05 洋風商業建築
大井牛肉店 高田小熊写真館 清水医院 診療室内
大井牛肉店 高田小熊写真館 清水医院 ○診療室内
 明治村のメインはむしろ官庁建築であるが、商業建築にも数多くの名作がある。
 大井牛肉店はもちろん神戸から。現在の本店はビルになっており正直味気ないが、大井の牛肉といえば神戸では押しも押される大ブランド。明治村でもこの建物の中で肉鍋が食べられるが、残念ながら大井の肉ではなく、名鉄の関連会社が飛騨牛を使ってやっているとのこと。とはいえ、竹で四千円、松は五千円となかなか思い切らないと難しいお値段ではある。もちろん、大井本店よりは安いのであるが…。
 写真館はガイド付き、医院はガイドなしで内部が見れるが、いずれも非常に興味深い建物。欧米からの技術というのは、まさに当時の最先端技術であったのだろう。そしてそれが、長野県や新潟県に居を構えていたということも、現在からみると興味深い。全国均一になったとよく言われるが、逆に東京とその他地方の格差というのは広がる一方で、ますますひどくなっているのではないかとも思える。
 と、そんな難しいことを考えなくても楽しめるのセクションである。
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06 洋風官庁建築
東山梨郡役所 三重県尋常師範学校・蔵持小学校 東京駅警備巡査派出所 第四高等学校物理化学教室
東山梨郡役所 三重県尋常師範学校・蔵持小学校 東京駅警備巡査派出所 第四高等学校物理化学教室
 明治村の真骨頂なのがこの分野。本当に多いし、「よくこんな大きな建物を移築してきたなあ…」という建物がごろごろと転がっている。官庁建築は元来しっかりと作られているものが多いし、首長などは新設は好きだが改築には往々にして興味がないし、地域のシンボルになっている建物も多く壊しにくいというのがある気がする。ただ、私の通っている役所には明治35年建造の庁舎が現在地で残っており、そういう意味であまりありがたみを感じない部分も。
 ちなみに、「剣岳 点の記」でも何度となく出てきた「陸軍陸地測量部」は三重県庁舎だったりと、ロケの宝庫でもある。明治時代の洋装との相性もぴったりなのだろう。
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07 洋風教会建築
聖ヨハネ教会堂 聖ザビエル天主堂 ステンドグラスT ステンドグラスU
聖ヨハネ教会堂 聖ザビエル天主堂 ○ステンドグラスT ○ステンドグラスU
 わざわざ分けるほどのこともなかったのだが、あまりにもきれいな写真が取れてしまったので別立てで。
 カトリックの学校に通っていた縁もあって、長崎外海の教会などにも行ったことがあるが、古い木造建築の教会は人々の信念と誇りと凛とした空気の中にも、どこか暖かさが感じられる。これはヨーロッパの巨大な石造りの教会ではなかなか感じとれないところで、やはり日本という風土がそうさせるのかなあと思わなくもない。風土に合わせることのできる可変性というのも、世界宗教であるキリスト教の大きなアドバンテージなのであろう。
 と難しいことを言わなくても、ステンドグラスを通じての夕日は本当に美しかった。隣に語りかける人がいなかったのがもったいなかったほど。暑いながらも、静かで崇高な時がそこにはあった。
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08 帝国ホテル
帝国ホテル中央玄関 ○光の籠柱 ○ロビー ○ライトアップ
帝国ホテル中央玄関 ○光の籠柱 ○ロビー ○ライトアップ
 明治村を代表する建物とも言えるのが、この帝国ホテル中央玄関。というものの、実は大正12年の建設で明治時代の建物ではない…。しかし、その雰囲気はまさに古き良き時代のホテルを象徴しているともいえる。
 マヤ文明の遺跡のような一週独特な雰囲気。全く曲線を用いていない照明や調度品。大谷石やテラコッタ、スクラッチタイル、金箔などを巧みに使った、超現実的な世界が広がっている。この建物が日本を代表するホテルであったというのは、なんと豊かな時代であったことかと思わせる。その一方で、移築前から大谷石が風化してしまうなどかなり傷みが激しく、冷暖房の効率も異常に悪く、敷地面積の割に客室数も少なく、実用という面では非常に問題の多い建物であったというのも分からなくはない。
 ちなみに1枚目の写真は、建物の裏にある駅にいた蒸気機関車の煙がたまたま煙突部分に被さってしまっただけで、火災ではないので念のため。狙って撮ったわけではないのだが…。
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09 のりもの
京都市電 蒸気機関車9号 蒸気動車 園内バス
京都市電 蒸気機関車9号 蒸気動車 園内バス
 明治村はびっくりするほど、敷地が広い。全部を歩いて回ることは不可能ではないが、相当困難である。ということで、園内の交通機関に頼ることになるのだが、中には明治時代の交通機関がそのまま残っており、利用できるものもある。京都市電と蒸気機関車である。特に市電はそのモーター音もいかにも明治を感じさせるものであり、今だに現役で走っていること自体が奇跡。蒸気機関車については、客車も明治時代のものなのが素晴らしい。
 蒸気動車は蒸気機関バージョンの気動車(ディーゼルカー)。現在は動かない状況で保管されている。近日中にJR東海の鉄道博物館へ移管されるとのこと。さびしい気もするが、確かにもうちょっと手入れをしてやった方がいい気もする。
 園内移動の大きな力となるのが、園内バス。これは残念ながら、冷房も効いた現在のもの。とはいえ、途中途中で解説があってなかなか楽しい。さらに、なぜか運転手さんが非常にフレンドリー。建物訪問は意外に疲れるので、休憩がてらバスに乗ってぐるっと園内を回ってみるのもまた一興である。
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10 その他
第八高等学校正門 品川灯台 フレネルレンズ 屋外仕込み中
第八高等学校正門 品川灯台 フレネルレンズ 屋外仕込み中
 その他の雑多なものを適当に。第八高等学校正門は明治村の正門。犬山駅からバスで来た場合、この門が入口となる。ちなみに、マイカーの場合は帝国ホテル裏の蒸気機関車の駅(とうきょう駅)裏の北口から入ることになるようである。
 品川灯台は京都市電の終着駅。横には菅島灯台付属官舎があり、この中には灯体などが展示されている。ちなみにフレネルレンズとは1822年にフランス人・フレネルが考案したもので、これにより凸レンズよりもレンズの厚みを大幅に薄くした状態で、ほぼ同様の強力な指向性のある光を作り出すことができるようになったとのこと。
 ちなみに、この日は「宵の明治村」ということで、閉館時間が午後9時まで延長されただけでなく様々なイベントも実施。仮設の照明器具やPAを見て、つい「これはパーライトだなあ、こっちは平凸スポットライトだなあ」などと、ついつい気になってしまう舞台技術学校生でありました。
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