ルート
クスコ・Hostal Tu Hogar―(送迎)―ポロイ駅−(ペルーレイル・ビスタドーム)―マチュピチュ駅−(バス)―★マチュピチュ(インカ橋、遺跡見学)−(バス)−◎Hot Springs−(徒歩)―マチュピチュ村・Hostal Continental Machu Picchu泊 ※凡例: ★入場・体験観光 △外観観光 ◎食事 |
マチュピチュ行きの列車は、現在、全てクスコ郊外のポロイ駅から発着。駅と言っても朝の特定の時間だけ使われている模様。当然観光客しかいません。 | 外観は古い列車のようですが、内装はとっても綺麗。ある意味、日本以上。地元の人とは完全に分けられた列車だが、まあ、それも仕方ないのかなと。 | どこに座るかでひと悶着あったものの、結局、上手いことSさんと隣り合わせで座ることに。簡単な朝食だが、パンケーキはちゃんと温かく、結構おいしい。 |
ビスタドームの車内は明るく、景色も素晴らしく、まさしく「世界の車窓から」の世界。おしゃべりしながら、マチュピチュへの期待を膨らませていたのですが…。 | 機関車の故障とかで1時間近く遅延。今晩マチュピチュ村に泊る私はいいけど、日帰り予定だったSさんはほとんどマチュピチュが見れない事態に。 | 駅員さんと相談したり、時刻表を調べたりして、結局、約2時間ぐらい遅いオリャンタイタンボ行きの列車に変更。小雨が気になりつつも、いざマチュピチュへ。 |
マチュピチュに着くと結構な雨。多少不安になりながら入場したのですが…最初に出迎えてくれたのがこの景色。この場所にいよいよ来たのだとしみじみ実感。 | と、実際の定番ポイントはもっと上とのこと。かなりの山道を登り登って、やっとたどり着いたのがここ。確かにここからの構図が観光写真などで一番良く見ます。 | 見張り小屋からインカ橋はそれほど遠くもないので、ぜひ行ってみて。ただ、一人だと多少飽きるかも。しかしまあ、よくこんな場所に道を作り橋をかけたなあと。 |
遺跡に戻って、市街地へ。ここはかつての「石切り場の跡」。大きな石や小さな石が散乱している。なぜこんな状態のままでほっておかれたのだろう…。 | たくさんの人骨が見つかった「墓地跡」。その大半が女性のものだったことで、マチュピチュとはどんな街だったのか、その謎が更に深まったそうです。 | マチュピチュの中で唯一曲線状の石積みとなっている「太陽の神殿」。夏至の時は東側の小窓から、冬至の時は南側の小窓から、光が差し込むらしいです。 |
太陽の神殿を下から見上げたところ。自然石の上に全くの狂いなく石が積まれています。クスコのコリカンチャほどの執念は感じないものの、やはりすごい。 | 神聖な儀式が執り行われたと思われる「聖なる広場」。記念撮影の人であふれていました。広場自身もさることながら、向かいの山並みもどこか神聖です。 | 太陽をつなぎとめる石、という意味のある「インティワタナ」。上の四角柱の四隅が東西南北を指しており、儀式か日時計につかわれたのではないかと。 |
このインティワタナのある丘がマチュピチュで最も高い場所。歩き疲れていた&高地のため、登るのがちょっとしんどかったのですが、実は2度登りました。 | インカ建築では珍しい「2階建ての家」。高低差を利用しており、坂の下から入ると1階、上から入ると2階という作りのよう。神戸では珍しくないけど(笑)。 | 眼下にはウルバンバ川の流れと、それにくっついて走るペルーレイル、そして、バスで登ってきたハイラム・ビンガムロード。なかなかの景色が楽しめます。 |
家の中に忽然と2つ設置された「天体観測の石」。儀式用の石臼、日時計、天体観測用の石、柱を支えた土台などさまざまな説があるものの、まだ謎だそう。 | 「コンドルの神殿」。この石の形でコンドルを象徴しているそう。後ろは牢獄とか拷問部屋とか言われているらしい。なんとなくコンドルとイメージ合わないけど。 | ぐるっと時計回りに回りました。結構高低差もあり、さらに手持ちのミネラルウォーターもなくなっていたので、最後の方はちょっとしんどかったかな。 |
最後に、Sさんは今日でマチュピチュ終わりということで、この遺跡に来た最初の最初に写真をとった場所に戻って記念撮影。アルパカ君が迎えてくれました。 | 思えばお昼も取らずにずっとマチュピチュにいました。下りてきてマチュピチュ村で食事。特に深い意味はないのですけど、アルパカステーキを賞味(笑)。 | Sさんを駅まで送って、今晩はマチュピチュ村での宿泊。リマからずっといろんな人と一緒だったけど、とうとう一人になってしまったなあと思いつつ夜が更けます。 |
・いざマチュピチュへ!やはり否応なくテンションは上がりますね。列車の発着地はクスコ郊外のポロイ。もともとはクスコにも駅があったものの、数年前の水害で被害を受け、もともとクスコ・ポロイ間はスイッチバックいっぱいで低速・非効率、どうせ観光客は送迎が付くのだから良いだろうということで、ポロイ発着になった模様。クスコへ降りていくスイッチバックの夜景は素晴らしかったそうで、鉄道マニアとしてはちょっと残念。 ・今日の行きは、昨日と同じくSさんと一緒。もともとの座席はバラバラだったものの、他のお客さんも適当に座っているようで、結果として隣同士に座ることができました。いろいろとお互いのことを話したり、これまでの旅のこととかマチュピチュのこととかを話したり。なぜかやっぱり、車移動とはどこか違うんですよね。途中、朝食のサーブなどもあり、車内にはフォルクローレが流れていて、まさしく「世界の車窓から」の世界を満喫しました。 ・あと20分ぐらいでマチュピチュだな…と思っていたところ、突然停車。全く動かなくなってしまいました。機関車の故障だそう…普段なら「これも思い出」と鷹揚に構えているのですが…実はSさん、仕事の都合もあり、マチュピチュは日帰り。10時ごろマチュピチュ駅−11時マチュピチュ遺跡入口−約3時間見学−14時遺跡出発−15時過ぎマチュピチュ駅出発という、かなりギリギリの予定だったのです。ところが列車はどんどん遅れていく。その分、遺跡見学の時間が短くなっていきます。しかし、1日にクスコに帰る列車は3本しかなく、空席があるかどうかも分かりません。せっかくここまで来ているのにどうしようかと。ガイドブックなどを調べ、いろいろと見聞きした情報も交換しながら、列車の再開を待ちました。 ・結局列車は定刻より1時間半ほど遅れてマチュピチュ駅に到着。すぐに駅の窓口に駆け込みました。この段階で考えていた代替案は3つ。「1.16:43発のバックパッカー列車(クスコ行き)にする 2.本数の多いオリャンタイタンボ行きに変更し、オリャンタイタンボまでガイドさんに迎えに来てもらう 3.今晩はマチュピチュ村に泊り、翌朝1番の列車でオリャンタイタンボ経由でクスコに帰る」まず、1は空席がないということで×。2か3となりました。途中でガイドさんと連絡が付き、「オリャンタイタンボの駅にはタクシーの客引きがいるので、それに乗れば10ソル+αでクスコまで戻れる」とのこと。改めて空いている列車を探してもらい、結局18:10発のアウトバゴン列車を押さえることができました。オリャンタイタンボからクスコまでの道のりはちょっと不安だけど、これで、当初予定よりも相当長くマチュピチュを楽しむことができます。これもまた旅のだいご味ということで。僕も久々に相当熱くなってしまいましたが、これもまた旅のだいご味です。 ・もともと遺跡巡りは英語ツアーの予定だったのですが、列車が遅れ、さらに駅でも30分近くあれやこれやしていたので、マチュピチュ遺跡に着いた時にはもうツアーは出てしまっていました。ただ、ちゃんと少年が待っていて、「金色の旗のツアーを見つけて合流してくださいね」と。しかし結局、かなり雨が降り出してしまったこともあって、金色の旗も見つからず。「るるぶペルー」の地図を片手にセルフガイドで廻ることに。 ・普段の旅で「るるぶ」を使うことはまずないのですが、実はこの「るるぶペルー」、かなり優れものです。少なくともマチュピチュ遺跡については明らかに「地球の歩き方」よりも詳しく、分かりやすく作られています。ちょっと見てよさそうだったのでペルーまで持ってきたのですが、マチュピチュでは大活躍でした。日本語ガイドを付けない方にはかなりお勧めです。 ・普段、一人旅をしているので、このような遺跡も当然一人で廻っています。世界遺跡中の世界遺跡を、特に親しかったわけでもない人と回ることになったのに、当初はちょっと違和感があったのも事実。でも、彼女の性格か、マチュピチュに来たというテンションか、この場所の神聖な力か、2人であれこれ、ああでもないこうでもないと言いながら回るのは本当に楽しかったです。こういう旅行もいいなと。正直、久しぶりに味わった感覚でした。 ・ちなみに、Sさん、名前が私の良く知っている友人と同じでした(Nちゃんです)。年もほぼ一緒、かなり高い地位の仕事という点も一緒、頭の回転が速くてさっぱり、意外とおちゃめというところも一緒でした。そういう意味で、その友人を想定して話ができたので、話しやすかったというのもあります。ちなみに友人の方は先日無事出産し、男の子の母親に。彼女もどう変わっていくのかなあ。いろいろと楽しみでもあります。 ・マチュピチュ自体の素晴らしさは十分に語りつくされていると思うのですが、意外だったのが、「謎」というよりは割と生活感のある都市だったのだなあと。かなり広大なので観光客がほとんど入らない場所もあり、そんなところにたたずんでいると、ふと誰かが生活していてもおかしくないような気分になるのです。そして、ところどころにある段々畑や広場の緑も心を安らげてくれます。空中都市ではなく、ちゃんと土に根を下ろした年だったのだなあと。もちろん、そんな生活感ある都市を、こんな山の上に、何の動力もない時代に作り上げたということ自体は、想像すると確かに凄いものがあります。 ・遺跡内はかなり広く、また高低差もあるため、見て回るのもなかなか大変です。そして、当然ながら雨が降っても雨宿りをする場所がほとんどない。さらに、雨が降っているにもかかわらずなぜかのどが渇く。ペットボトル500ml持ってきていたのですが、途中で飲みつくしてしまい、遺跡内に売っているお店はないので、最後の方はちょっと脱水症状気味でした。体力・服装や靴、雨具(ポンチョ)、水、全て登山やトレッキングと同じレベルに考えて用意したほうがよさそうです。ただし、あまり大きな荷物を遺跡内に持ち込むことはできませんのでご注意を。 ・実はこの間にお昼をとるべき時間をまたいでいたのですが、あまりに遺跡見学に熱中してしまい、最後の方まで全く忘れていました。実は遺跡内で食事ができる場所はなく、遺跡入り口前のサンクチュアリホテルでしか取れないのですが、それで困ったとか不便だったとかと書かれた旅行記や感想がほとんどなく、なんでかなーと思っていたのです。この場所にいると遺跡に熱中してしまい、お昼をとるのを忘れてしまうからですね。なるほど、理解しました! ・最後に、最初に遺跡を見たポイントまで戻って記念撮影をし、バスでマチュピチュ村に戻って、昼食兼夕食を線路横のお店で。Sさんはトルーチャ(マス)のグリルを、私はアルパカのステーキを。マチュピチュを見てきたテンションのままだったので、お酒でも飲めれば良かったのですが、Sさんにはこれから「オリャンタイタンボからクスコまで何とか帰る」というミッションが待っているので生ジュースで乾杯。暮れゆくマチュピチュ村で話に花が咲きました。(ちなみに後日談ですが、聞いていたよりは多少高かったものの、無事クスコまで帰ることができたそう。よかったです。) ・駅でSさんを見送って、今日のホテルへ。当初予定のホテルが変わってしまったため、ちょっと迷ったものの、別のホテルの人に教えてもらったりして無事投宿。きれいな部屋&ちゃんと熱いシャワーも出るのでさっぱり。ところが、外がどんどん寒くなってきました。本当は温泉(アクアスカリエンテス)まで行く予定だったのですが、さすがに断念。明日の朝か、明日マチュピチュから戻ってからに行くことに。マチュピチュ良かったなあ、でもいよいよここからが本当の一人旅のスタートだなあとか思いつつ、この日は早めに床に着きました。そして、かなり疲れていたのか、久々に熟睡できたのです。 今日の泊まりは「Hostal Continental Machu Picchu(マチュピチュ村)」
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前日のこり 414.5ソル |
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・有料トイレ×2回 2ソル ・マチュピチュでミネラルウォーター小 8ソル |
・レストラン(アルパカステーキ+ドリンク) 47ソル ・ミネラルウォーター大 5ソル |
合計 62ソル のこり352.5ソル |