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僕の舞台技術学校日誌
あとがき


 えっと、あとがきです。
 この「僕の舞台技術学校日誌」は、私いそべさとしが2009年4月から2010年3月まで通っていたピッコロ舞台技術学校での1年間を、つれづれに書き綴ったものです。最初のころは多少は一般的な情報(機材の名前とか舞台の用語とか)を載せていたのですが、特に9月のコース分け以降、ほとんど個人的な感想や思いの羅列となってしまいました。おそらく、同級生以外は何をやっているのか良く分からなかった気もします…。一応、ネットという公開の場なので、多少はパブリックな情報を載せるべきだったのかな(たとえば、パネルの作り方とか、発泡スチロールで石垣を作る方法とか)と、ちょっとだけ反省もしています。
 ちなみに、私自身は来年度も舞台技術学校に通うことにしたのですが、おそらくもう「日誌」はつけません。「Z」とか「GT」とかにもなりません。イベントの告知ぐらいは続けようかなと思っていますが…。

 そもそもこんなページを作ろうと思ったのには、3つ理由があります。
 まず第一のきっかけは、十数年前の市民劇団(「無限つくばりあん」)の経験をかなり忘れていたことです。つくば市がたまたま県の補助金を取ってしまった(とらざるを得なかった)ということから始まったこの企画、2年間で約40回のワークショップを行いました。私は暇だったためほとんどすべてのワークショップに出ており、お金もふんだんにあったためかなり有名な人を招いていたはずなのですが、正直何をやったのか、あんまり憶えていません。ネット上には一応残っているのですが、読んでもおぼろげな記憶があるだけです。十数年前どんなことをやって、自分がどう考えたのか分かれば、後から実に面白いに違いない。それを今回の舞台技術学校でやってみようというのが、一つのきっかけでした。
 二つ目は、他の学校生に比べると明らかに年齢が上なので、ちゃんと復習をしておかないと憶えられないだろうと考えていたということです。いよいよアラフォーの声が聞こえてきた昨今、昔に比べると明らかに記憶力(厳密にいえば記銘力)が落ちたことを実感するようになってきました。その分、これまでの経験などでカバーできるようにもなってきているのですが、演劇というほぼ新しい世界に飛び込むに当たり、どこかで復習しておかないといけないだろう。その場としてウェブを利用させてもらったという側面があります。確かに、これは効果がありました。
 第三の理由は、これから舞台技術学校に入ろうと思っている人の参考に少しでもなればいいかなという思いです。私も入学前、「そもそもピッコロ舞台技術学校というのはどういう人が来ていて、どんな中身で、どれほどしんどいものなのか」、何とか確認しようと、いろんなホームページを探してみました。500人近くが修了した学校としては意外なほど情報はないのですが、一つだけ、2000年に舞台技術学校音響コースに通っていた人が作った「学校日記」というページがありました。残念ながら12月で終わってしまっているものの、あのページが雰囲気を知るには一番役だった気がします。自分もせっかく行くのであれば、多少でも後から来る人の役に立つように、雰囲気だけでも伝えたい。そう思って、このページを作ったというのもあるのです。(そのため、「学校日記」に敬意を表して、このページは「学校日誌」にしました。)今年の舞台技術学校も残念ながら定員割れのようですが、ぜひより多くの人にこの楽しさを知ってもらいたい。そして、いつまでもこの学校が続いてほしい。そう願っています。

 この学校、行ったからといって別に立派な就職が待っているわけでもありませんし、ひとり立ちできるだけの技術が身に着くかと言えば、それも若干厳しいところがあります。夜間だけの、基本的に社会人を対象とした学校の限界ともいえます。
 とはいえ、実際にプロとして現場で活動・活躍している人々が講師としてやってきて、授業を受ける側は10数人という国立大学でもあり得ないほど恵まれた環境。先生方からあだ名で呼んでもらえるほど、親しい関係を築くことができます。そして使う機材は完全にプロ仕様。もともと演劇の世界はプロとアマの世界の境界があいまいな部分があるものの、明らかにプロの世界が垣間見えます。そして、その環境を生かして、アルバイトや仕事につなげ、プロの世界に足を踏み入れていく人が多いのも事実です。すぐにプロになれるわけではないけど、「きっかけ」には実に恵まれた学校ではないかと思います。
 さらに、同級生に多彩な経歴と能力を持った人々がいるというのも、大きな魅力でしょう。特に舞台技術学校は、役者経験者もいれば他分野の出身者(吹奏楽とかライブ音楽とか声楽とか映画とか絵画とか家具とか服飾デザインとか)もいて、非常にバラエティに富んでいます。さらに、私たち18期生は、年齢も10代から60代までと幅広いものでした。その相互作用で、自分が知らない・忘れてしまっていた世界のことが垣間見れるのは、同世代・同経歴の人が多い大学や専門学校ではなかなか考えられないことかなと。私たちは脚本を書くわけでも、舞台上で演じるわけでもないのですが、やはり様々な人生のことを知っておくというのは、演劇に携わっていく上でも非常に大切なことではないでしょうか。
 そして、経歴や年齢は違っていても、みんなで一つの目標に向かって進んでいける。こんな経験もまた、滅多にない素晴らしいことだと思います。

 「僕の舞台技術学校日誌」のタイトルページにこう書きました。「週に2回、夜に2時間程度の学校とはいえ、そもそも演劇経験がほとんどなく、絵も描けず、照明や音響の専門的知識もほとんどないおじさんが、フルタイムの仕事を抱える中でどこまで何ができるのか、1年間の壮大なマイビックプロジェクトが始まった。」
 確かに壮大なマイビックプロジェクトであったのは事実ですが、思ったよりもなんとかなったかなというのが正直なところです。少なくともこの文章を書いた時には「もう年なのにこんな新しいことにチャレンジしてよいのだろうか」というためらいがありました。1年過ぎてみて、そういう思いは全くなくなったかなと。講師の先生方の中には70歳代、80歳代の方もいらっしゃるのですが、次々に新しいことに取り組もうとし、様々なことに感動し、色んなものを取り込もうとしていました。自分もこういう人生が送れるかもしれない。送らなければいけない。人生の折り返し地点を前にそういう気分になれたというのは、実は自分にとって最大の収穫であったのかもしれません。

 最後に感謝の言葉を。
 旧科学振興課の皆さん。フロンティアメッセやレスキューロボットコンテスト関係者の皆さん。公演の前後、社会人でもあるにも関わらずまる1日出席などができたのは、職場の皆さんの理解があったからです。ありがとうございました。
 公演を見に来てくれた家族や友人の皆さん方にも感謝を。中には十数年ぶりの「つくばりあん」時代の人も。直接お会いできなかったのは残念でしたが、本当にうれしかったです。
 この学校を支えてくださっているピッコロ周辺の方々や兵庫県の納税者の皆さんにも、改めて感謝。
 そして、ピッコロの先生方。館長さんや事務の皆さん。本当にお世話になりました。中にはこのページを見てくださっていた人もいたようで、正直当惑もしましたが、それもそれで良かったのかなと。もう1年お世話になりますが、どうぞよろしくお願いします。
 最後に何よりも、ピッコロ舞台技術学校18期22名の仲間のみんなに感謝。皆さんとの出会いが、自分の中のなにかを変えたのは間違いありません。みんなそれぞれ違う道を歩み始めていますが、それぞれの行く先に幸せが待っていますよう、心から祈っています。
 人生の中で忘れられない1年間、本当にありがとう!

2010.4.21 いそべさとし  




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