いそべさとしのホームページ

僕の舞台技術学校日誌
9月(2009.9.2〜9.30)


21.9.2 合同授業 中ホールの使い方
 2学期最初の授業は、演劇学校本科・研究科とも合同の授業。
 というものの、実はこの日、仕事のイベントの設営のため、ピッコロに着いたのは午後8時すぎ。実質30分ぐらいしかなく、中ホール2階探検だけの参加。とはいえ、この日はどうも各種連絡事項(工具の共同購入など)が山盛りだったそうで、授業としては中ホールを探検するのがメインだった模様。みんな久しぶりの再会であったため、顔合わせ的な意味合いが強いのかもしれない。(とはいえ、久しぶりでなかった人も結構いたり…。)実のところ、私自身も夏休み前に借りたものの返却や技術学校で作ったTシャツの受け渡しなど、本筋でないことをこなすために短い時間でも出てきた感がある。
 なお、美術コース生のみに中間発表会研究科分の台本が配られる。これを来週の水曜日までに読んでおいて、そのうえでプランを考えていくとのこと。「いよいよ本格的に走り出したな」という感じがする新学期の始まりでありました。

21.9.4 舞台美術の考え方T(欠席)
 美術コースに分かれて最初の授業。ということで、本来は絶対出るべき授業なのであるが、ちょうどこの日は自分の持っているイベントの撤収日。撤収や最後の会議、そして打ちあげと、流石に私が抜ける訳にもいかず、残念ながら欠席。同じコースの同級生に「また教えてね」と依頼済み。後日、資料はもらえると思うのでそれで勉強することとしよう。
 今回は残念とはいえ、社会人としてはいた仕方ないところ。とはいえ、土日の特別講義を除き、仕事により全休となるのは実は今回が始めてだったりするわけで、そういう意味ではこれまでがラッキー過ぎだったのかなと思わなくもないのでありました。

21.9.9 美術デザインの作り方1
 私にとっては美術コース初めての日。他のメンバーにとっては2回目。とはいえ、前回は事実上、講義だったようなので、演習的な回は初めて。内容は、先日もらった台本を元に、それぞれのシーンの概略や演出意図を演出家から聞いていくというもの。まさか演出家の先生がいるとは思わなかったので、多少びっくり。本来ならば顔合わせの際に摺り合わせが行われるが、今回は時間的な制約があるため、先に来てもらったとのこと。
 私自身、先週の日曜日が突然空いてしまい、その日に台本を読み込んでいたため話について行けたが、そうでなければ相当しんどかったのではないか。とはいえ、普通はその場で台本が渡されて、その場で演出意図を聞いていくことになると思うので、あまり読み込んでいない方が正しい在り方だったかも知れない。
 演出家の話を聞いていると、以前自分が思ってもいなかったようなイメージが生まれてくるし、逆に前に考えていたイメージが増強されたり、または否定されたりする。市民劇団時代はかなり脚本に足を突っ込んでおり、自分自身に動きの想定がないシーンがほとんどなかったので、こういうのは初めて。とはいえ、非常に面白く、有意義で、自分の見方が広がる作業である。あっという間に時間が過ぎてしまった。
 ちなみに、15日(火)までにある程度のプランのイメージを作ってくるようにとのこと。これまでもいろいろと考えていたのだが、実際に具現化する必要がある。文章でも絵でも写真でも模型でもよいとのこと。大変は大変だが、いよいよ本格的に楽しくなってきたなあと「テンション上がってきた」状態なのでありました。

21.9.10 合同授業 舞台監督の仕事
 今日は、舞台監督の仕事のお話。演劇学校本科・研究科と舞台技術学校との合同授業。舞台において舞台監督がどのようなことをしているのかについては役者も知っておく必要があるからとのこと。これは素晴らしい発想であり、プロの劇団を持ち、その劇団内に演出家や舞台監督を有しているピッコロならではと思う。
 基本的には講義だが、先生が熱くて大いに乗せられてしまった。これは他の受講生もそうだったようで、同級生のmixiにこの日の感想の多いこと多いこと。話した内容自体はさほど目新しいことではなかったと思うのだが、やはり熱さというのは伝わってくるのだろう。
 私自身は、つくばで市民劇団をやっていたときのプランナーが舞台監督(安部田保彦さん)だったので、舞台監督というとその方の印象が強い。そして、仕事が人を作るのか、人が仕事を選ぶのか、今日の講師の方もやはり、大工の棟梁というか、親方というか、同じような雰囲気の方であった。技術に対する幅広い知識も当然必要だが、最後には人間的な魅力や幅の広さがものをいうのが、舞台監督という仕事なのだろう。
 ちなみに、一番共感したのが、「舞台監督として最もやりがいを感じるとき」の話で、「すごく難しくて時間のない転換などがばっちり決まって終わった時にはやりがいを感じる。ただ、役者さんはみんな自分がしてやったと思っており、そっけなく挨拶されたりする。ただ、その切なさがまた良い」とのこと。うまくは言えないが、このシチュエーションは非常によく分かるし、自分自身もさまざまなイベントの中で、それを感じることがある。このあたり、かなり屈折してはいるが、裏方ならではの楽しみとも言えよう。
 帰り道に自分が舞台監督に向いているかどうかという話になったが、私自身は多少雰囲気はあるかもしれないが、どちらかといえば制作サイドの人間なのかなという気がする。とはいえ、舞台や演劇や劇団内の複雑な人間関係を楽しみたいという欲求も結構大きいので、そう言う意味ではもっともっと技術と人間力を身につけて舞台監督を目指して行けたらなと思ったりもしたのでありました。

21.9.11 合同授業 アイデアの創生〈演習編T〉
 テレビや舞台の世界で舞台美術家として活躍されている方の授業。演習と銘打っているものの、3分の2ぐらいは講義で、演習っぽいのは3分の1程度であった。
 そもそも演劇とは何ぞやというはなしから始まって、なぜ人は劇場に行くのか、劇場とはどういう空間なのか、アイデアとインスピレーションの違いとは何かなど。普段から演劇について思いを巡らしている人や、ある程度抽象的な議論に慣れた人であれば、非常に含蓄が多く、経験にも裏打ちされており、その意見に賛成するかしないかは別にして、今後演劇を見ていくうえで参考となる話であった。一方、あまりそういう世界に慣れていない人にとっては、非常に苦痛な時間であったと思われる。昨日の授業と打って変わって、同級生たちの顔が賛否両論を示していた。。
 ちなみに、アイデアの創造の過程のお話で、たくさんの資料を集めて分析した後、2・3日ほっておいた方が良いというのは、経験則として非常によく分かる。当日考えたものはその場で最高に思えても、後から見ると面白くないことが多い。一度冷静になって集めた資料などから離れるとともに、無意識の創造過程を刺激する必要もあるとのこと。このあたりの話は実用性もあり、たいへん面白かった。
この先生の授業はもう一回あるらしい。演習のゲーム自体はなかなか面白かったので、次回はそれメインの方が楽しめるかなと思ったりもしているのでありました。

21.9.12 鑑賞授業 文学座「初雷」
 今日は午後2時からの鑑賞授業。文学座は初めて。演劇学校生は前の日(金曜日)が鑑賞授業で、その評価が非常に高かったため、楽しみにしていた。ところが、三宮駅で阪急に乗り遅れてしまい、5分ほど遅刻。無料ということで、ちょっと取り組み方が足らなかったかなと反省。
 話自体は「50代女性の自立」をテーマにしたもので、正統派の演劇の中にも新しいテーマを盛り込んでいた。笑わせるところはきちっと笑わせてくるし、泣かせるところはきちっと泣かせ、俳優さんの演技はさすが超一流であった。プロの芝居という印象。
 舞台美術もさすが。古い日本家屋なのだが、洋風の部分があり、さらに薄型テレビも置かれている。大学教授だった父親の守旧的な部分と革新的な部分とを象徴しているように見えた。また、テレビ台に載った薄型テレビは、その父親の死去からの時間経過や演じられる時代(2005年)を示しているのであろう。また、外のシーンが全くないにもかかわらず外の部分(外から見た窓枠やひさしなど)を作り込んでいること、玄関外が覗けることが劇中でもうまく使われていたことなど、非常に参考となった。そして何よりも、時間時間に変化する雲と空の美しかったこと。逆にそれがなかった「初雷」のシーンを際だたせる効果もあったといえる。
 私はどちらかといえば、ミュージカルのようなどたばた元気な芝居の方が好きなのだが、こういうストレートプレイも悪くはないなあと、また新たなジャンルを切り開いた気分なのでありました。

21.9.15 合同前期発表会 顔合わせ → 美術コース打ち合わせ
 今日は合同中間発表会(仮称)の顔合わせ会。演劇学校の本科・研究科と舞台技術学校の全員、講師陣の全員が小ホールに集まっての打ち合わせ。このような顔合わせは市民劇団時代にもやった気がするが(ほんと、1年半しかやっていなかったのにいろんなことを体験していたんだなあ)、すごく久しぶりで、ほぼ初めての体験であった。本科の内容は少しずつ聞こえてきてはいたものの、ちゃんと聞くのはこれが初めて。なるほど、今回の課題にはそんな意味があったのね、と納得。ちなみに、今回最大の課題は、2ステージで240人のお客さんしか入らないことらしい…。確かに、本科30人・研究科20人・技術20人と考えれば、一人当たり呼べる客数というのはどうしても限られてくる。なんとなく妙な話だがプレミアチケット化しそう。僕もとりあえず押さえておいて、あとで誰かにプレミア付きで売り出しますかね(うそうそ)。
 その後は美術コースで集まって、舞台プランのお話。今日は演出家の先生(研究科の主任講師)がいないためプレゼンは行わず、前回の復習と簡単な平面図の描き方、プレゼンテーションの仕方などについて説明があった。この日プレゼンかなと勢い込んでいったため多少肩すかしではあったものの、顔合わせやこの日のお話で参考になることも多々あり、ちょうどよいインターバルであったとも言える。人によってはよい猶予になったところもあり、さて明日どんなものが出てくるのか乞うご期待といったところなのでありました。

21.9.16 美術デザインの作り方2
 今回は正直脱帽。私も含め美術コース生11名のプランニングがそれぞれ面白い、面白い。「この人がこんなことを考えているとは」とか「なるほどそういう発想があったのか」など、あっという間の2時間半であった。プレゼンの仕方も各人それぞれに差があり、うまい下手もないとは言えなかったが、それでもみんなじっくりと台本と向き合い、考えてきたのがよく分かる。講師の先生の乗せ方のうまさもあろうし、前日に一度インターバルを置いたのが良かったのかもしれないが、とにかくこの11名はすごいぞと思わせてもらったのが私にとって最大の収穫であった。
 正直、場の雰囲気がだんだんと盛り上がっていき、さらに良い発表が増えていったのも間違いない。そういう点では一番最初の発表の人はかなり厳しかっただろう(とはいえ十分に考えたことが分かる発表であったが)。あの盛り上がりを支えるだけの読み込みや台本理解がみんなの中にあったのは間違いない。
 個人的には、プランにはある程度その人の出自が関わっているなあというのも、ひとつの感想。やはり演劇になじみの深い人は抽象的な舞台を作ってくるし、具体的な出ハケをよく考えている。一方で、なじみの薄い人は、逆にエリア芝居に無限の可能性を持たせてくれる。そういう意味では市民劇団出身である私は、どうしても具体的・説明的シーンやセットが欲しい反面、設営の容易さも重視してしまいがちで、中途半端な立場なのかもしれない。
 ともあれ、海外旅行前のピッコロ授業はこれで最後。次回出てきたときには、すでに具体的なプランがほぼすべて出来上がっている予定である。今回あれだけの発表をした美術コース生ならきっと良いものを作り上げてくれるだろうと、結果を楽しみながらいよいよ旅に出るのでありました。

21.9.18 美術デザインの作り方3(欠席)
21.9.25 美術デザインの作り方4(欠席)
 さてさて、海外旅行のため2回欠席。どうなったのかといろんな人のmixi日記を見てみるものの、意外と感想は少ない。と、後から聞いたところによると、「3ではセット裏のパネルについてみんな考えてきて発表。その後模型制作を行い、その配置を考えてくるのが宿題。4では、平台を配置した模型を持ち寄って演出家の先生に見てもらい、最終プランの確定。宿題として、模型を写真で撮ったものをもとに平面図を起こす。」というものだったよう。パネルは単純なものの、ある程度象徴性のあるものに決まった模様。おそらく、前回のプラン発表の時と同様、同級生から綺羅星のごとく多種多様なアイデアが出ていたであろうに、それを聞くことができなかったのは残念。
 みんなが全速力で走っている中でのこの2回の休みは結構しんどいかも。とはいえ、「まあ、おじさんはぼちぼちと教えてもらいましょうかねぇ」と、昔に比べると年齢の分だけ「なんとかなるさ」感も強くなってきているのではありました。

21.9.29 鑑賞授業 「向日葵の柩」
 海外旅行から帰ってきて最初の授業が鑑賞授業。それも柳美里。なんとなくしんどい感もあり。とはいえ、多くの人から「ひさしぶりー!」といわれ、これまでの授業のことを教えてもらうのはなかなか悪い感覚ではない。2週間いない間にちょっとだけ変わった世界を、一種の浮遊感と疎外感の中で見つめなおすのも悪くはない。
 演劇自体は、個人的にはまあ「あり」かなあと。とにかく美しい舞台美術&照明が見もの。お話の方はかなり荒削り、かつ演出の方で結構変えており(あとから戯曲を読みました)逆に焦点が見えづらくなっているものの、人間の情念や性や差別や思い出やその他もろもろのものを地中で腐らせ、それを養分としながらも健気に咲き誇る向日葵(あるいは鉄くず置き場)の美しさというのは、役者のどんな演技も吹き飛ばすだけのパワーがあった。アフタートークで多くの役者が向日葵のバッチをつけてきていたが、この話の主人公は向日葵のような気さえしてくる。
 ところが、実はあの最終シーン自体、柳美里の戯曲には出てこない。演出家の創意なのであろうが、作者自身も気に行っている様子。だったらもっと、「悲しみの前に立ち竦んだとき、不意打ちのように襲いかかってくる花や空や海や緑の美しさ」を、もっとセリフでうまく表現しろよと思ったりもするものの、そのあたりを書いていないところが、逆に演劇のプロに受けたところなのかもしれない。そういう嫌らしさ・若さが感じられる部分がこの芝居にはどこかにあり、そのあたりが演劇学校生・舞台技術学校生に若干感情的に反発される大きな原因になっているような気もする。
 最近、演劇シーン自体はひそかに活性化しているものの(東京限定かも?)、文化人にまで上り詰めたのは平田オリザと柳美里ぐらいかも。そういう意味では、賛否両論はあるにしても、また演劇の世界に戻ってきてほしいなあと思ったりもするのでありました。

21.9.30 美術デザインの作り方5
 美術デザインの作り方最終回。とはいえ、私にとっては3回目。
 早速、大枠制作班、平台制作班、パネル制作班、置き道具制作班の4班に分かれて模型制作。多くの同級生の協力である程度は事前に把握しておいたものの、正直、浦島太郎状態。とりあえず、一番基本的であろう平台制作班に入り、同級生の助けを得ながら、なんとか模型を制作。途中で縮尺を間違えるという大ミスをしながらも、なんとか作り上げる。自分の班はMさんの素晴らしい段取りもあって早く終わったので、他の班の作業状況を見たり、ちょっと手伝ったり。その中で何をしているのか、だいたい掴めてきた。細かい部分では不安は残るものの、なんとかこの授業でリカバリーできたような気がする。
 今回びっくりしたのは美術コースのみんなが本当に仲良くなり、それぞれの特性を生かしながら見事に作業を分担していたこと。本当にびっくり。実際に取り組むものがあると全然やる気が違うし、さっと体制を作り上げてしまうだけの若さもあるんだろうなあと、ちょっとうらやましくなったりもしたのでありました。

→ 「僕の舞台技術学校日誌」10月へ



「僕の舞台技術学校日誌」タイトルページへ
いそべさとしのホームページへ


いそべさとしのホームページ Copyright with S.ISOBE(2009)(isobe@isobesatoshi.com)