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この日は1日中雨の予報。そして強風。遠出はせず隣町・滑川のほたるいかミュージアムへ。再訪だが、この時期だけ生きたほたるいかが見れるということで。 | 発光ショーは撮影禁止(ごくわずかの光なので撮影できないかも)なので、あやしいライトアップ水槽で雰囲気を。儚くも美しい春だけの光。そしてかま揚げは旨い。 | 富山湾海洋深層水の分水施設アクアポケット。脱塩処理をした水を飲ませてもらったが、心なしか深みを感じる。写真に写っている自販機も深層水を使用。 |
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天候が回復しないので、富山へ戻って薬種商の館・金岡邸へ。富山県における製薬業の歴史や特長、現状について、主に友人からレクチャーを受ける(笑)。 | 薬つながりで、薬膳料理の食べられる「薬都」へ。しゅうまい膳は売り切れだったので玄米膳を。これがなかなか美味しく、体にやさしく、食べごたえもあった。 | リンデンティーを飲みながら、たんぽぽのシフォンケーキと竜眼のケーキ。いずれもちょっと変わった味だけど、ちゃんとおいしい。富山らしいという意味でおすすめ。 |
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この荒天ではむりだ…と分かっていつつも行ってみた富岩水上ライン。案の定、船にまで律義に「悪天候のため運航中止」と掲示がしてあった。 | 運河上にかかる「天門橋」の両展望台の間には「赤い糸電話」があり、話ができる。あまりの強風のため、かすかだったが、ちゃんと相手の声を認識できた。 | 近代化遺産としても有名な中島閘門へ。とても新しくきれいに整備されているので何でかなと思いきや、2週間後にとある高貴な方が訪問されたそうで…。 |
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操作室でいろいろ教えてもらっているうちに、実際に稼働していただけることに。確かにどんどんと貯まっていくのが良く分かった。どうもありがとうございました。 | その後、岩瀬カナル会館、ポートラム車庫を経て、ショッピングセンター・ファボーレで夕食&富山県氷見市舞台の映画を見て。GW前半ももう終わる。 | 最後は、赤い糸電話のある天門橋をながめつつ、環水公園のスタバでお茶を。気が付けば、人生の折り返し地点。次の十年に希望を持ちつつ。 |
私がちゃんと富山県内を回ったのは2008年。その時にいろいろと見聞きして驚いたのが、富山という地域は意外と革新好きで新しいもの好きなんだなあということ。富山というのは持ち家率や同居率も高いし、保守的な地域と思っていたのですが、意外や意外、割と先進的なのです。たとえば、いまやまちづくりを語る上で欠かせないポートラムの成功。既存の鉄道を一部廃止し、駅前の一等地にわざわざ新しい路線を引き直して開業しました。ポートラムが成功した今となっては当然の手法ですが(セントラムもそうですよね)、駅前に路面電車を引きこむという逆転の発想は、当時はかなりびっくりされたものでした。他にも、富山新港を作るために陸地を切り離してしまったり、川の流れを変えて運河を作ってしまったり(川の跡地には県庁)、黒部湖まで行くのに室堂平からトンネル・ロープウェイ・ケーブルカーで結んでしまったり、インテックとかトナミ運輸とか全国で戦う企業があったり、最近では遠隔地の北海道銀行を北陸銀行が飲み込んだほくほくフィナンシャルグループとか、割と思いきったことをやるなーという事例が数々あります。富山っておとなしい田舎ではないのです。 その原因は様々あると思うのですが、その大きな原因の一つが「富山の薬売り」の存在でしょう。富山の売薬さんは、自らが薬を背負って諸国を旅することにより、様々な情報に接する機会があったわけです。封建時代であっても日本全国を縦横無尽に動き回っていれば、どうしたって見方は広くなってくるはず。江戸時代から昭和にかけての富山は、ある意味情報の集散地であったというのは間違いなさそうです。幅広い視野と豊富な情報。それが雪国特有の粘り強さや豊かな土地と相まって、現在においても、熟慮を重ねたうえで新しい事柄をとりいれる気風が生まれているのかなと思わざるを得ません。 近年では「おわら風の盆」をすっかり全国レベルのメジャーなお祭りにしてしまい、「きときと」という言葉で魚のブランド化もOK、ライトレールの成功を見て今度は運河を使った船に挑戦と、まだまだ革新は続いている模様。しっとりとした風情を残しつつも、先進的な風もちゃんと(ちゃっかりと)自分のものとして取り入れてしまう、なかなかしたたかな地域・富山。これまでと同じように、これからもいろいろと変わっていくことでしょう。何度通っても、なかなかその魅力はあせません。 今日の泊まりは「オークスカナルパークホテル富山」(3連泊)
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