ウィーン空港からはSバーンで。空港から駅までの通路は分かりやすくきれいだが、ほとんど人が歩いておらず逆に怖かった。とはいえ、治安は良さそう。 | ホテルはSバーン・プラーター通り駅(ウィーン北駅)のほんとの目の前。部屋はせまかったが、物価と地の利を考えれば仕方ないところ。フロントは親切。 | 空港でウィーンカードを購入し、ホテルに来るまでに使ったのだが、洗濯時に抜くのを忘れてしまった。気が付いた時にはすっかり残骸に…。約2千5百円がパー。 |
ショックは大きかったが気にしていても仕方ないので、ホテルでウィーンカードを買い直し市街観光へ。まずはシュテファン寺院。地下鉄駅を出たら目の前にあった。 | 王宮までグラーベン、コールマルクトと歩いていく。ケルントナー通りを含めて、このあたりの地名は大学1年生のドイツ語の授業で習った記憶がある。 | 王宮で、シェーンブルン宮殿にも入れるSisiチケットを購入。日本語解説もあるガイドを貸してくれる。これを聞きながら見学すると、非常に面白い。 |
金メッキを施した銀器のコレクション。写真はいまいちだが、まさにまばゆい限りであった。申し訳ないが、ポーランドとはかなり異質な豪勢さが感じられる。 | 一方、こちらは金メッキを施した磁器。ナポレオン戦争で財政が厳しくなっていた際、新しい銀器や金器を作れないため、磁器に金メッキで代用したとのこと。 | 立派な金器や銀器は、厳しい時代に備えて財産を保管する方法でもあったとのこと。鋳つぶされてしまったため、残っていない時代区分のものとかが結構ある。 |
作れる人が数人しかいないとされる、ハプスブルグ家特有のナプキンのたたみ方。今でも、オーストリア政府の晩さん会などで使われているとのこと。 | 有田焼(いわゆる古伊万里)もウィーンまで運ばれたらしく、数多く展示されていた。海外で日本のものを見かけると、なんとなくうれしくなってしまう。 | 日本の磁器の形のままでは西洋の風習に合わないため、銀細工などで、下に台をつけたり、蓋に取っ手をつけたりという改造が行われたとのこと。 |
ザッハトルテで有名なホテルザッハー。喫茶店には日本人がたくさんいた。結局、ウィーン滞在中は食べられなかったので空港でお土産として購入。 | 1番・2番トラムを使ってぐるっとリンクを1周。乗り換え駅で結構人の並んでいる屋台があり、何か名物でもあるのかなと見てみたら、焼きそばのお店。 | 地球の歩き方にも載っているオペラトイレ。ワルツがここぞとばかりに流れており、内装もオペラハウス風。とはいえ、便器は当然、普通のトイレでありました…。 |
シェーンブルン宮殿へ。内部は撮影不可のため、写真なし。さすがに立派で見る価値は十分にある。特に「中国の小部屋」の豪華さには目を見張る。 | 宮殿内部は観光客だらけだったのだが、いかんせん広大な敷地のため、外に出てくるとあんなに大量の人がどこへ行ったのかというぐらい、人がまばら。 | さらに庭園を進むと、もうそこは地元ウィーンっ子の世界。内部の喧騒とはまったく異なる、のんびりとした世界が広がっている。これもまた、シェーンブルン宮殿。 |
シェーンブルン宮殿のかなり奥(動物園手前)にある日本庭園に到着。海外における日本庭園は、結構突込みどころがあるので楽しみにしていたのだが。 | 実はこの日本庭園、1913年に、ロンドンの国際庭園博覧会で日本庭園を見て感銘を受けたシェーンブルン宮殿の造園技師が作った由緒正しいもの。 | その後、しばらく忘れ去られていたが、日本の協力により再度整備されたとのこと。石庭、枯山水に加え、門や飛び石、待合など、かなりの規模である。 |
何の変哲もないししおどしであるが、オーストリア人には珍しいらしく、一生懸命写真をとっていた。確かに、その効用などを聞かれてもとても説明できない…。 | 園内に建造物がたてられないため、この4畳半の瓦敷きの上に畳を敷いて茶室とするらしい。仕方ないとはいえ、なんとなく誤解されそうな構造物ではある。 | 協力者の名前が記された石柱があったが、これも神社以外でまず見かけないのでは…。海外に出ると名前を刻みたくなるのは日本人の悪い癖か。 |
気分を変えて庭園を散策。いかにもヨーロッパといった感じ。こののんびり感はなかなか貴重。地元の人々の憩いの場となっている感じであった。 | 奥に見えるのが、1882年に完成した温室。鉄とガラスの19世紀を象徴するかのような端正で立派な建造物。近代建造物ファンはぜひ訪れるべき。 | 宮殿を西端から望む。宮殿内部の喧騒と、外の静寂との差が良く分かる。単に宮殿を見ただけでは、シェーンブルンは理解できないなあと実感。 |
時間があったので、ウィーンのもう一つの側面であるフンダートヴァッサーハウスへ。フンダートヴァッサー氏は、高速湾岸線から見える舞洲清掃工場でも有名。 | 2000年ごろに兵庫県立近代美術館でフンダートヴァッサー氏の展覧会があり、それ以来一度訪れてみたい場所であった。内部は公共アパートのため、入れない。 | 同じく彼のデザインしたクンストハウスウィーン。内部は美術館であり、是非行ってみたかったのだが、残念ながら時間切れ。外観の見学+撮影にとどまった。 |
・ポーランド旅行と違い、メモも買ったものリストも付けていませんでした。というのも、ウィーンに着たのは知人が在住のためで、どうせ夜は飲みに行くんだろうし、気軽に楽しもうと思っていたから…。一人旅だと旅の話をする相手がいないため、ついメモなどをつけたくなるのですが、すぐに語れる相手がいる場合はどうでも良くなってしまうのかもしれませんね。 ・ということで、基本は写真+メモですが、全く写真がなかったところのみ補完します。 ・1つ目は「食事」のお話。1日目の夜はワインケラー、2日目の夜はホイリゲに連れて行ってもらいました。いずれもさすが在住者が連れて行ってくれただけあって、雰囲気も抜群で、食事もおいしかったです。特に、この時期は新酒の時期で、ホイリゲではモスト・シュトゥルムという発酵途中のワインも賞味。モストはほとんどぶどうジュースだが、シュトゥルムは適度に発酵が進んでいて本当においしい。日本だとほぼ同じものが、神戸ワイン城で「ホイリゲ」という名称で、9月〜11月に1杯100円、園内消費限定で売られているものの、もっと身近に楽しめると良いのだけれど…。酒税法の関係で難しいらしいですが…。 ・ワインでびっくりしたのが、白ワインのミネラルウォーター割というのが現地では割と一般的な飲み方とのこと。なるほど、これは軽いし、さわやか。日本のワイン通なら顔をしかめそうだが、逆に日常生活にワインが溶け込んでいる人々ならではの飲み方なのかなという気もします。ただ、スペインとかフランスではあまり見かけなかったので、オーストリア(ドイツも?)特有の方法なのかもしれませんね。 ・2つ目は「シシィ(エリザベート)」のお話。エリザベートという人物が有名で、ハプスブルグ家に関係しており、いろいろな演劇にもなっているということぐらいは知っていたのですが、実際にどういう立場の人でどういう人生を歩んだのかについて全く予備知識がありませんでした。地球の歩き方の解説をクラクフからの飛行機の中で読み、王宮のシシィ博物館で彼女にまつわるさまざまなモノを見て、初めて分かった次第です。確かに、これは本当に劇的な人生で、演劇よりも演劇的です。正直、素顔の彼女は相当に扱いづらい人物だったようですが、あまりに劇的な人生であったことから大勢の人々から愛されるようになったのでしょう。自分自身も、決して同じ道を歩きたいとは思いませんが、なぜか非常に心ひかれるものがありました。 ・食事時に知人といろんな話をしたのですが、一番記憶に残っているのが「この街にいると、女性だからとか、何才だからとかで、新しい挑戦ができないという感覚はなくなる」という言葉。確かに、この小さな世界都市はそんな独特な雰囲気を持っています。19世紀に生きたシシィは宮廷のしきたりで格式ばったこの街が大嫌いだったそうですが、自由でコスモポリタンな雰囲気があふれる21世紀のウィーンは非常に魅力的な街になっているなと、そんなことを感じました。 今日の泊まりは「Austria Classic Hotel Wien(ウィーン)」
|