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ポーランド:花束とアイスクリームの国へようこそ!
6日目(9月23日) 「私はみんなのこと、幸せにしたいと思っているのに!」

ルート

ホテル◎朝食付き―クラクフ中央駅―(ポーランド国鉄・普通)―オシフィエンチム駅―★国立アウシュビッツ・ビルケナウ博物館(アウシュビッツ◎昼食―ビルケナウ―アウシュビッツ)―オシフィエンチム駅―(ポーランド国鉄・普通)―クラクフ中央駅―◎ガレリア・クラコフスカ内フードコートで食事―ホテル(Grand Hotel泊)

※凡例: ★入場・体験観光 △外観観光 ◎食事

写真など

ホテルの窓から1 ホテルの窓から2 オシフィエンチム行き電車内部
前の日に早めに寝たため、午前4時すぎに目が覚めてしまう。窓から外を見てみると、石畳に街灯の光が反射していて、まさにヨーロッパの夜の街角。 午前7時ごろ。サマータイムなのでちょうど日が明けてきたところ。このホテルの朝食バイキングは非常に立派。ちゃんとしたデザートもあるのが、ポーランドらしい。 クラクフからオシフィエンチムまでは電車でのんびりの旅。うとうととしながら、演劇の夢を見る。舞台技術学校Tシャツを下に着ていたからかもしれない。
オシフィエンチム駅 オシフィエンチムの街 案内看板
アウシュビッツ最寄りのオシフィエンチム駅。立派な駅だが、「ようこそアウシュビッツへ」という看板がないどころか、観光案内所や案内看板すらも無い。 駅からアウシュビッツ博物館までは歩いても20分程度。途中はごく普通の日常生活が営まれている近郊の町。子どもたちの歓声が聞こえる。 案内看板はほとんどなく、この看板が最後の最後に出てきただけ。地元の立場から見れば、この施設に多くの観光客が訪れることに複雑な心境だろう。
個人客への注意 ガイドツアー開始 有名な収容所の入り口
ゲストハウスに行ったところ「9時から3時まで、個人客はガイドツアーに参加せよ」とある。自由見学のつもりだったが、仕方なく英語ガイドツアーに参加。 11時半開始の英語ガイドツアーは全部で3グループ。1グループあたり30人程度。イヤホンガイドのため聞き取りにくくはないが、人数が多すぎて移動も大変。 有名な「働けば自由になる」というスローガンが書かれた正門。しかし、人数が多すぎ、天気もあまりにものどか。大虐殺の場という感じがしない。
有刺鉄線 ゲストハウス内レストランにて シャトルバス
しかし、周囲には高圧電流が流されていた有刺鉄線が張られ、地下牢なども残り、ここが20世紀最大級の悲劇の舞台であったことが徐々に心に迫ってくる。 ビルケナウに行く前に、ゲストハウス内で食事。カウンターで注文して料理を受け取り、最後にレジで清算する学食方式。スープはおいしいが、運びにくい。 ビルケナウには無料のシャトルバスで。ちゃんとみんな老人に席を譲っており、公衆道徳の高さが分かる。あるいはそういう気分にさせられる場所なのかも。
死の門正面から 死の門裏面から のどかなビルケナウ
実は、このアングルが死の門の正面(門の向こうが収容所)。手前に映っている線路がオシフィエンチム駅からの引き込み線で、この門の奥が収容所のホーム。 良く見かけるこの写真は、実は死の門の裏面(門の向こうは一般地域、手前が収容所)。門という言葉から、てっきりこの向こうに収容所があると思っていた。 ビルケナウの建物は大半がバラックだったことからかなり破壊されており、草原に戻ったところも多い。有刺鉄線と監視塔がなければのどかな田園風景が広がる。
バラック内部1 バラック内部2 バラック内部3
しかし、バラックの内部に入ってみれば、そこには多くの人が人間の尊厳を奪われる形で収容されていた跡が。暗さといい、つくりといい、牛小屋を連想させる。 ビルケナウのトイレ。これでも、1人1つは与えられなかったとか。本来の収容人数を大幅に超えたユダヤ人がヨーロッパ各地からここに送り込まれていた。 今は静かなこの場所にも、おそらく大勢の人が詰め込まれ、うめき声をあげていたのであろう。今のように、穏やかなポーランドの風は吹きこんでいたのだろうか。
列車ホームから収容所へと向かう道 破壊されたガス室 一輪の花
ホームを下りて収容所に収容される際に通った道。両側には悲惨な状況の収容者が見えたはず。新たにここへ来た人はどんな思いでこの道を歩いたのだろうか。 収容者以外はホームからそのままガス室へ。これを非難することは簡単。でも現場としては、次々と送り込まれるユダヤ人に対応するにはこうするしかなかったはず。 さまざまな人々の思いを込めて、ビルケナウの草原に、一輪の花が咲く。
死の門からの風景 修復作業中 20世紀の墓標
死の門の上にある監視塔に上がる。60数年前、ここから見える景色は緑ではなかったはず。兵士たちは、どんな思いでここからの光景を見つめたのだろうか。 ビルケナウはもともと湿地帯で、収容所自体も急ごしらえであったため、保存は結構大変らしい。ボランティアだろうか、若者たちが保存活動に従事していた。 大半の木造バラックはナチス撤退時に破壊されたため、暖炉だけがぽつんぽつんと残っている。緑の草原の中に、まるで20世紀の墓標のように。
再度アウシュビッツ 見学者も少ない 犠牲者の写真
さて、シャトルバスで再度、アウシュビッツに戻ってきた。大丈夫かなとおそるおそるゲストハウスを訪れてみたところ、今度は一人で入ってもいい様子。 午後3時を過ぎ、団体の見学者は全く見かけなかった。多くの人がここを訪れることは有意義なことだが、やはりこういうところは人数の少ない方がよい。 犠牲者の写真が並ぶフロアへ。ユダヤ人と関係ない人も結構多い。しかし、写真すら残っていない犠牲者がたくさんいるというのもまた事実である。
収容者の寝室 カポーの部屋 アウシュビッツのトイレ
収容者の寝室。ビルケナウよりはましだが、プライバシーが全くない。小学校の修学旅行のようだが、大人が何日もこれに耐えるのはつらいだろう。 アウシュビッツで特筆すべきなのが、囚人の中で監視役(カポー)を作ったということ。カポーは個室など優遇され、むしろナチスよりも囚人につらく当たったとか。 このトイレもまったく個室がない。ただ機能だけで人を収容しようとするその発想。理解できないとも言えるし、ある意味理解できないこともない。
死の壁 集団絞首台 ヘスの絞首台
銃殺用の死の壁。 食堂前の集団絞首台。 そして、アウシュビッツ強制収容所の所長であったルドルフ・ヘスが戦後、絞首刑になった際の絞首台。これらは、何を語っているのだろうか。
オシフィエンチム駅 PESAで帰途に ガレリア・クラコフスカで夕食
ほぼ閉館時間ぎりぎりまでアウシュビッツを見ており、列車の時間をついつい甘く見ていた。駅には5分前に着いたが、きっぷがなかなか購入できず焦る。 電車に駆け込もうとしたところ、派手にひっくり返り、手をすりむいてしまう。新しい電車だったのでトイレで傷をきれいに洗い流す。最後はちょっと散々だった。 かなり遅くなったので、最後の夕食としては物足りなかったが、ガレリアのフードコートでロールキャベツなどのポーランド料理を食べる。やはり美味しい。


旅のメモから

・今日は、ポーランド旅行のそもそものきっかけでもあるアウシュビッツ見学の日。とはいえ、クラクフ駅発7:55の電車か8:45かで迷う。とりあえず朝食をとりに食堂へ行ったところ、このホテルの朝食は立派立派。ちいさなお皿にきちんと盛り付けされた魚のマリネや卵料理、さらにワイングラスで作ったデザートまである。ということで、ゆっくりと朝食をすることにし、8:45発に。
・クラクフ駅でささっと切符を買う。観光客が多いためか、向こうも慣れている。昨日のヴィエリチカ行きとは違い、どうも通勤に使われているようで、かなり混んでいた。と思ったら、数駅先のKrakow Business Center駅でほとんどの人が降りてしまった。その後はまたのんびりした列車の旅が続く。
・途中でうとうとと。そこである夢を見た。元ネタは数ヶ月前に見た「幸せの花」という演劇で、元気な天使と無邪気でほんのちょっと意地悪な神様が出てくる。その神様と私は、なぜか幸せそうなカップルを遠くから眺めていた。「今は熱々のカップルでもすぐに熱も冷めるのにねぇ。それで、いつかは離婚してしまったりして」と相変わらずブラックな私に対して、その神様曰く「私はみんなのこと、幸せにしたいと思っているのに!」。そこで目が覚めた。確かに、神様がいたとすれば、離婚なんか望んでいないはず。そして誰も離婚なんかしたくないはず。でも、現に離婚する人はいて、それに対する嘆きだったのだろう。
・しかし、アウシュビッツへ向かう列車の中での夢としては、あまりにも示唆的。誰もが生まれてきたときは期待されているし、他人を不幸にしたいと思う人など本質的にはいないはず。にもかかわらず、人が他人を不幸にすることは山のようにある。もし神様がいたとしたら、それをどう考えているのだろうか。人間に対する試練だと考えているのだろうか。あるいは、同じように自分の無力さを嘆きつつ、そういう人間をなお愛そうとしているのだろうか。
・さて、オシフィエンチム駅到着。と、意外なことにアウシュビッツに関する記載が一切ない。駅から岩塩抗までの看板がずっと出ていたヴィエリチカとは大違い。インフォメーションも無く、どのバスに乗ったらアウシュビッツに行けるのかということも駅には一切書いていない。駅前にあった観光地図にもほとんど触れられていない。このあたりはやはり、非常に微妙なところがあるのだろう。
・ドイツが、ポーランド国内で、ポーランド人とは違う民族を虐殺した。それにポーランド人が加担しなかったとはとても言い切れない部分がある。そしてその場所が、現在、ポーランド最大級の観光資源となっている。また、現在ポーランドはほぼ単一民族国家であるが、これは戦後のドイツ系住民追放のほかに、ナチスがユダヤ人を絶滅させた結果という側面もある。現在にもつながる問題が数多くあり、複雑にならない方がおかしい。たとえば、この施設を博物館とするのがよいかどうかということはずっと議論があったようであるし、その名称も1999年に「国立オシフィエンチム・ブジェジンカ博物館」から「国立アウシュビッツ・ビルケナウ博物館」に変わっている。世界遺産の名称も2007年に「アウシュヴィッツ強制収容所」から「アウシュヴィッツ=ビルケナウ−ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所(1940年-1945年)」へと変更されている。この場所をどうとらえるかということは、実は今も続いている、極めて現代的な問題でもある。
・バスも分からず、歩いても大した距離ではなさそうだったので、とことこと歩き始める。道中は、非常に落ち着いた地方の街といった感じ。天気も良く、子どもたちの歓声が聞こえる。強制収容所跡を示す看板も一切なく、本当にここがあのアウシュビッツかという思いを強くする。それなりに覚悟してきただけに、なんとも不思議な感じ。途中で"Museum"バス停は発見するが、そこからもアウシュビッツへの案内はなし。最後の最後に「アウシュビッツ博物館」と書かれた小さな看板だけがあった。
・博物館のゲストハウスに入ると、さすがに観光客(ここでは見学者と言うべきか)で一杯。入口には「個人客は9時から3時までの間、ガイドに付かなければならない」という注意書きが。確か、ガイドなしで自由に見て良いとガイドブックやいろんな人の旅行記には書いていたのだが…。しかし、私のつたない英語力でも、"must be"は「しなければならない」だったと思う。しばらく周囲を見ていたが、やはりみんなガイド付きのようだったので、多少不本意であったが、英語ガイドツアーに申し込む。不本意というのは、英語ツアーの場合どうしても聞き取りに神経を注がざるを得なくなるため、あとで思い起こしてみると、実は現物をよく見れなくなりがちだから。(なお、この個人見学者の規制は2009年8月から始まったとのこと。確かに貴重なものもの多く、施設の趣旨をわきまえない見学者も見受けられたことから仕方ない部分もあるとは思うのだが…。)
・とはいえ、ガイドツアーはそれなりに解説もあり、やはり理解は深まる。ただ、人数が多いため、付いて行くだけで一苦労という部分も。また、イヤホンガイドは非常に良いのだが、ガイドさんの英語にポーランドなまりがあるのか、日本人には若干分かりにくい。私の英語力が足りないというのもあるだろうが。
・アウシュビッツはある程度余裕のあった時期に建てられた収容所であり、外観はヨーロッパの立派な建築物と言った感じである。また、修繕も良くなされており、ところどころと新しさを感じる部分もあった。とはいえ、数々の展示物や地下牢などを見れば、ここで多くの人が殺されたという重みは伝わってくる。
・英語付きガイドに付いて行くのも疲れたのと多少お腹もすいてきたので、第2収容所ビルケナウには一人で行くこととし、ゲストハウスで食事。私が行ったときにはガラガラだったのだが、すぐに修道女の団体とツアー客がやってきて一杯になる。また、ビルケナウには全く食事をするところがなかったので、ここで早めに食べておいて大正解だった。
・バスでビルケナウに向かう。第1収容所とは全く違う雰囲気。北海道の牧場のような感じ。気温はますます高くなり、Tシャツに。ガイドもいないので、一人でのんびりと巡る。あまりに広すぎて、見学者もまばら。暖かな日差し、秋のさわやかな風が吹き、草原には小さな花が咲いている。敷物でも広げて、ピクニックでも始めたいような場所。ここでなんで何百万人もの人が殺されなければならなかったのだろう。「私はみんなのこと、幸せにしたいと思っているのに!」。
・シャトルバスでアウシュビッツ(第1収容所)に戻る。と、個人客が入れる時間になっていた。今日は特に用事も無いため、もう一度ゆっくり見ようと再度入場。確かに、このときの方がゆっくり見ることができた。丸1日時間がとれるのであれば、アウシュビッツ(ガイド付きで概略をつかむ)→ビルケナウ→アウシュビッツ(個人でゆっくり回る)というのはお薦め。
・アウシュビッツ第1収容所(いわゆるアウシュビッツ)と、アウシュビッツ第2収容所ビルケナウ(いわゆるビルケナウ)とで、こんなに雰囲気が違うというのは行ってみるまで分からなかった。簡単に言うと、第1は立派な建物で、政治犯なども収容され、拷問や人体実験などが行われた強制収容所。第2にはほとんどがバラックで、収容というよりはむしろ虐殺(絶滅)に重きを置いた絶滅収容所。どちらの方が酷いかなどという問題ではないが、かなり雰囲気も性格も違っているという事実は知っておいた方がよいと思う。
・ほぼ閉館時間までいたため、オシフィエンチム駅で列車に駆け込み乗車(まあ、そんなことができるぐらいポーランドに慣れてきていたということなんでしょうね)。ところが、ホームで勢い余って転んでしまい、手を見た目派手にすりむく。最新式の列車でトイレが綺麗であっため、すぐに洗い流すことができて良かったが、ちょっと散々な終わり方であった。
・夕食はガレリア・クラコフスカで。やはりポーランド料理。とはいえ、あまり人気がないようで、フードコートにも一番隅に1件あるだけ。一方、お寿司は大人気のようで、ガレリア内にポーランド人が握る寿司レストランが入っていた。

今日の泊まりは「Grand Hotel(クラクフ)」


今日のお買いもの(1ズロチ≒35円)

・クラクフ←(往復)→オシフィエンチム 16ズロチ
・アウシュビッツ博物館ガイド料 33ズロチ
・英語版ガイドブック 4ズロチ
・日本語版ガイドブック+解説本 16ズロチ
・アウシュビッツ博物館内食堂で昼食 25ズロチ
・アウシュビッツ博物館内の有料トイレ(2回) 2ズロチ
・ガレリア・クラコフスカで夕食 22ズロチ
・アイスクリーム(2ピース) 5ズロチ
・カルフールでお買いもの 24ズロチ
合計 147ズロチ のこり191ズロチ
(別途、カードで78ズロチ[お土産(Tシャツなど)/ガレリア・クラコフスカ内Empik])


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